第二十三章:戦争迷霧と、名を持たない知己
図書館で模型を組んでいた、あの子のこと。
皆さん、覚えていますか?
物語の中では、戦争も政治も動いていますが、
人と人の再会は、いつももっと偶然で、そして少しだけ必然です。
運命というものは、だいたい横丁で突然起こります。
目覚めると屋敷は静まり返っていた。
食卓にはエレナの置き手紙。『先に学院へ。身体に気をつけて』
(……政治婚姻、か。昨夜はどうかしてた)
ヴァンは溜息をつき、制服に袖を通した。
今日の優先事項――軍情局。アイリの戸籍情報を掴む。
アイリの戸籍ファイル。
あいつらは、彼女の存在を“証拠”にした。
ならば、俺も同じ札を持たなければならない。
だが、真正面から軍情局に乗り込むのは三流のやることだ。
昨日の今日でヴァンが情報収集に動けば、監視の網に即座に引っかかる。
必要なのは、完璧なアリバイ。
――俺が“別の用事で忙しかった”という形跡だ。
口の中でその答えを転がしながら、ヴァンは屋敷の重い木門へと歩き出した。
重い木製の門をくぐった瞬間。
「――ヴァン・ラーク殿。」
低い声に、ヴァンの足が止まった。
門の両脇に、二人の男が立っていた。背筋は伸び、視線は正面に固定されている。
軍隊式の敬礼。
「本日より護衛を拝命しました、ブルーノ・ホフマンです。ランクB、元第三軍団。よろしくお願いします。以後、ヴァン・ラーク殿の身辺警護を担当します」
「ディーター・ヴァイス、準B級です! ブルーノ先輩の指導のもと、護衛業務に従事します。よろしくお願いいたします!」
(……ベルンハルトの爺さん、仕事が早すぎる)
ヴァンは二人の顔を順番に眺め、頭を掻いた。
「……そうか。よろしく頼む」
短く答え、歩き出す。二人が無言で背後についた。足音が乱れず揃っている。
老練なB級が、準B級の新人を連れてきている。それだけで、院長の真意が透けて見えた。
ヴァンに、足手まといになる護衛はいらない。かといって、A級のような高位の監視をつければ、ヴァン自身の身動きが取れなくなる。
B級と準B級。実務屋の院長らしい、抜け目のない人選だ。
(……やはりあの老将軍、一筋縄じゃいかないな)
退屈な魔法理論の講義中、ヴァンは最後列の席で教科書を立てに開き――頭の中では軍情局への侵入ルートを組み立てていた。黒板に書かれた魔力方程式が、いつのまにかファイルへのルート図に変換されている。
鐘が鳴った。
ローランの教室へ向かう時間だ。
「戦争迷霧?」
廊下の端の窓際。ローランは目をぱちくりとさせた。
ヴァンはできる限り業務的な、真剣な表情を作る。
「帝国戦棋の新しい拡張パックだ。盤上を霧で覆う。自分の駒の“視界”の中でしか、敵は見えない」
「……つまり」
ローランが金算盤を弾くように指を折り始めた。
「見えないマスには、敵が潜んでいるかもしれないし、誰もいないかもしれない。そういうこと?」
「そうだ。圧倒的な情報戦になる」
「それ、実際の盤面に実装できるの?」
「可能だ。盤面全体を覆う魔導器を設置して、棋子ごとに魔力的な視野を設定する。視野外は霧が晴れない仕組みだ。原理自体は単純だ」
ローランは額に手を当てた。
「コストが跳ね上がるよ?」
「だから市場へ買い付けに行く。お前の交渉力が必要だ」
「それに、霧の見た目をいじる『スキン商法』もできる。砂漠の砂嵐、毒沼の瘴気、深淵の闇――中身の処理は同じだが、見た目だけ変えて『ガチャ』にぶち込むんだ」
ピタリ、と。ローランが歩みを止めた。
「……行こう、ヴァン。今すぐ」
「おい、授業は」
「いいから市場へ! 買い占めだ!」
教科書を放り出し、ローランはひったくりから財布を取り返すような猛ダッシュで廊下を駆け出した。
(……世の中の全員が、お前みたいに単純なら俺は苦労しないんだがな)
金に釣られる親友の後ろ姿を見ながら、ヴァンは内心で呆れつつも後を追った。
本当の目的は、もちろん口にしない。
買い付けの途中で抜け出し、軍情局の周辺を下見して、内部への侵入ルートを探る。
憲兵の目には「ローランと一緒に市場で熱心に買い付けをしていた」という事実だけが残る。これが、完璧な不在証明となる。
学院の正門を出たところで、ローランが石像のように固まった。
「えっ、憲兵?」
門柱の脇に、ブルーノとディーターが立っていた。彼らはヴァンの姿を視認すると、静かに一礼した。
「院長のところの人たちだ。気にするな」
「き、気にするなって言われても……」
ローランは、屈強な憲兵二人とヴァンを交互に見た。
ヴァンが歩き出すと、ローランが引きつった顔でついてくる。その背後に憲兵二人がピタリと追従する。
四人の奇妙な一行が、帝都の石畳を進んでいく。
「で、市場はどこに向かう?」
「お前に任せる。魔導器の部品が安く揃う場所だ。あと、素材費は折半な」
「ちょっ、折半!?」
「売れれば十倍になって返ってくる」
「……まあ、そうだけどさ」
ローランはしばらく唸ってから、道を曲がった
「じゃあ、エーリヒ横丁に行こう。
ちょっと遠いけど、安い。」
「それでいい。」
エーリヒ横丁――煤けた看板と石畳の隙間に雑草が生える、裏通りの部品街だ。
こういう場所を熟知しているあたり、やはりローランは生粋の商人の息子だ。
「じゃあ、まずそこの魔導器専門店から――」
「待て」ヴァンはローランの肩を掴んだ。「その前に、この横丁で何が揃うか全体を確認したい。二手に分かれよう。お前は向こうの店で基礎部品の相場を調べてきてくれ」
「わかった。ヴァン、魔導器の出力はどのくらいが必要?」
「中出力で、盤面を均一に覆えるもの。視野の制御機構が付いていれば完璧だ」
「了解!」
ローランは金脈を見つけたドワーフのような足取りで、向かいの店へ消えていった。
ヴァンは振り返り、ブルーノに視線を向ける。
「俺は少し別の店を見てくる。隣の区画だ、ここから見えている範囲にいる」
ブルーノは一拍の間を置いてから、重々しく頷いた。
「承知いたしました。ただし、我々の視界を外れる際はお声がけを」
「わかった」
ヴァンは路地を少し進んだ。
(……まずは下見だ。ここから軍情局の裏口まで、どのルートが一番死角になるか――)
視線を巡らせていたヴァンの目に、見覚えのある後ろ姿が飛び込んできた。
少し先の露天商の台。薄汚れた棚の前で、何かの部品を手に取って真剣に見つめている少女がいる。
小柄な体型。淡い色の長い髪。この路地には到底似合わない、上等な生地の外套。
その外套の袖口には、薄く魔導機油の染みがついていた。
(……あの子か)
図書館で、魔導機兵の模型を一緒に組んだ少女だ。名前も知らない。ただ、機械を見る時の『熱の籠もった目』が、ヴァンと同じ種類の人間だった。
ヴァンは足を止めた。
昨夜のベルンハルトとの会話――『政治婚姻』という単語が、頭の隅でざわめいた。
老将軍が「相手を探す」と言った以上、近いうちにどこかの名家から縁談が持ち込まれるのは目に見えている。共通の趣味や話題など、貴族の政略結婚では二の次だ。
ヴァンは小さく息を吐いた。
(模型を語れる知人が増えるのは、悪くない)
近づいて見ると、露天の台の上に並んでいたのはジャンク品の山だった。
魔導トルクアーム、魔力伝導管、小型の回転継手。どれも魔導機兵の内部構造に使われる、素人が手に取るような代物ではない。
「――また会ったな。トルクアームと伝導管を見てるのか? 模型の改造か?」
少女が、びくりと肩を震わせた。
振り返る。丸い目、薄い唇。日差しを避けて生きてきたような、透き通るほど白い肌。
彼女はヴァンを認識すると、少しだけ警戒を解いて目を細めた。
「あ……あなたは、」
「図書館で一緒に模型を組んだ」
「……はい」
こくり、と頷く。不審者ではなく知人だと認識してくれたようだ。
ヴァンは、彼女が握りしめているトルクアームを覗き込んだ。
「関節部の改造か?」
「……はい。膝の魔力変換効率が悪くて」
「なるほど」
専門的な会話のキャッチボールに、少女はわずかに表情を和らげた。
ヴァンは台の上に無造作に置かれた部品をいくつか手に取った。軽量の魔導銀合金に近い質感の金属片だ。
指先で少し弄り、カチャカチャと組み合わせる。ピタリと噛み合った。
「見ろ」
ヴァンの掌の上に、小さな『履帯』の断片が組み上がっていた。
「……っ」
少女の目が、大きく見開かれた。
「以前、図書館で言っただろ。歩行型よりも装輪式の方が安定性が高いと。その車輪の発展形がこれだ。車輪は“点”で踏む、履帯は“面”で踏む、それだけで、泥地の勝敗は決まる。」
少女は、ヴァンの掌の上にある無骨な機構を、食い入るように見つめた。
沈黙。
やがて、彼女の桜色の唇が震えるように動いた。
「……もし魔力を、等間隔で各リンクに流すと……摩擦係数が均一になって……速度の維持も、しやすく……」
「そうだ。」
「……あと、軟な地面でも、沈まない?」
「正確だ。
接地圧が分散されるから、泥地でも機動力が落ちにくい。」
少女は、ほう、と小さく息を吐いた。
それは純粋な技術に対する、感嘆の吐息だった。
(……いい目をしている。こういう人間は嫌いじゃない)
ヴァンは部品を台に戻しながら、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな」
「あ――」
少女がハッとして口を開きかけた時。
ヴァンの脳内で、鋭い警鐘が鳴った。
『ヴァン・ラーク』。
昨日、帝都治安局に連行された問題児。
マルクスが乗り込んできた。
「亜人を私蔵している」
「ルートヴィヒを半死半生にした」
「難民の流れを利用した戦術は冷酷だ」――大元帥もそう言った。
この名前は、今、厄介すぎる。
目の前の少女は、細い指で部品を選ぶような、純粋で病弱そうな令嬢だ。図書館で臆することなく意見を言えたのは、単に『ヴァン・ラーク』という悪名を知らなかったからに過ぎない。
(……せっかく見つけた『同好の士』に、悪名をビビられて逃げられるのは御免だ)
ヴァンは一秒と経たずに、堂々と嘘をついた。
「ローランだ」
「えっ?」
「俺の名前。ローランでいい」
ヴァンは親指で背後を指差した。
ちょうど向かいの魔導器屋から、金髪の優男が意気揚々と出てきたところだった。その後ろには、威圧感たっぷりの憲兵二人がピタリと張り付いている。
「あっちで憲兵に挟まれてる派手なのが、俺のルームメイトの『ヴァン・ラーク』だ。もしかしたら、名前くらいは聞いたことがあるかもしれないが」
少女の視線が、ローランたちの方向へ向いた。
そこには、B級憲兵特有の制服をつけたブルーノたちが、巨塔のようにそびえ立っていた。
その光景を見た瞬間だった。
――ヒュッ。
少女の喉から、短く息を呑む音が漏れた。ただでさえ透き通るほど白い肌から、さらに血の気が引いていく。
(……おいおい。いくらなんでも怯えすぎじゃないか?)
ヴァンは何かを言おうとした。
「……どうした?」
少女は、すでに背を向けていた。
「えっと、あの、わたし、もう買うものは済みましたので――です!」
部品を抱え込み、小さな巾着を慌てた手つきで探している。完全にパニックを起こしている動きだ。
「あっ、すみません、ローランさん。さっき、先に名前を聞いてしまって、わたしの方がまだ名乗っていなくて……」
彼女は早口で言いながら、逃げる準備を整えた。
「……り、リリアです! 家の……家のお使いで来ているので、早く帰らないと怒られますので……!」
それだけを言い残すと、彼女は深く頭を下げ、石畳の上を小走りで逃げるように去っていった。
角を曲がり、外套の裾が見えなくなる。
ヴァンはその後ろ姿を見送りながら、自分の口の端が微かに上がっているのを自覚した。
(……あの高価な服で『家のお使い』はないだろうに)
外套の生地は見るからに特注品だ。手にしていた部品も、高度な魔導工学の知識がなければ選べない。そして何より、憲兵と『ヴァン・ラーク』という名を見た瞬間の過剰な反応。
何かから逃げているのか、あるいは、素性を隠しているのか。
まあ、偽名を名乗った自分も他人のことは言えないが。
(……リリア、か。絶対に本名じゃないだろうな)
ヴァンは小さく肩をすくめ、視線を戻した。
帳面を手にしたローランが、得意満面で近づいてくる。
「交渉成立! 五割引きだよ」
「よくやった」
「えへへ。――あ、さっきの子、知り合い? なんだか、どっかの貴族の夜会で見たことあるような気がするんだけど」
「さあな。人違いだろ」
ヴァンは軽く手を振り、歩き出した。
「さ、戻るか。今日はこれで終わりだ」
(……まずは周辺の警備の穴を確認する。入れると判断できたら、中にも入る)
残る三人がその後ろに続く。
石畳に、四人分の足音が響いた。
【第二十三章・終】
第二十三章までお読みいただき、ありがとうございました。
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