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第十五章:盤上の罠

第十五章です。


いよいよ自分の中では「ここが山場だ」と思っている回です。


……思っているのですが。


書き始めたら、全然一章に収まりませんでした。


もう少しだけ、お付き合いください。


翌日。

シンカクは、まだ戻ってこなかった。


ヴァンは、窓の外を見つめた。街は、いつも通りの喧騒に包まれている。

だが、心の奥に、小さな不安が渦巻いていた。


シンカク。彼女は、本当に大丈夫なのだろうか。


……いや、考えても仕方ない。今は、目の前のことに集中するしかない。

戦術研討会。それが、明日の戦場だ。


ヴァンは、図書館にこもった。机の上には、大量の戦史書と実戦記録。

ページをめくる。一つ一つの戦例を、頭に刻み込んでいく。

包囲戦。奇襲戦。消耗戦。


ストラトクラティア帝国の戦史は、そのほとんどが『正面突破』という名の暴力で彩られている。

圧倒的な魔力と物量で押し潰す。単純で、分かりやすい。

それに対抗するため、隣国ノストラをはじめとする周辺諸国は、必死に『戦術』という名の遅滞戦闘やゲリラ戦のノウハウを磨き上げてきた。


結果としてどうなったか?

他国が必死に戦術をアップデートする中、最強であるはずの帝国軍だけが、「小細工など不要」と力任せの戦法、旧態依然とした『猪突猛進』のまま思考を放棄してしまった。


単純で、分かりやすい。

だが、それ故に脆い。


ヴァンは本を閉じ、小さく笑った。

さあ。

どんな"問題"が出るのか、楽しみだな。


戦術研討会当日。


学院は、いつになく賑わっていた。使用する教学棟には、警備兵まで配置されている。


「兄さん」


エレナが、ヴァンの袖を軽く引いた。


「こちらです」


彼女は、廊下を進みながら説明する。


「女子は、別の部屋ですわ」


「もし本当に困ったことがあれば」


エレナは、少しだけ躊躇った。


「私のところに来てください」


「多分、少しは助けになれますから」


ヴァンは、軽く笑った。

「ああ、ありがとう。でも、大丈夫だ」


エレナは、心配そうにヴァンを見上げた。だが、それ以上は何も言わなかった。


「……では」


彼女は、別の扉へと向かう。



ヴァンは大会議室の扉に手をかけ、静かに押し開けた。


中は、まるで指揮室のようだった。

巨大な黒板。壁一面に広がる地図。演習用の(コマ)が、テーブルの上に並んでいる。


既に、大勢の参加者が着席していた。そのほとんどが、ヴァンに向ける視線は冷たい。

敵意。嘲笑。軽蔑。

その中に、ルートヴィヒの姿もあった。


「来たか、ヴァン・ラーク」


ルートヴィヒが、すぐに立ち上がった。椅子を蹴って、ヴァンの方へ歩いてくる。


「待ちくたびれたぞ」

「今日こそ、お前の浅はかな戦術を晒してやる」

「帝国の伝統を侮辱した罪、しかと償わせてやる」


彼の声は、高揚していた。完全に、勝利を確信している様子だ。


だが――ヴァンは、何も答えなかった。

彼の横を通り過ぎて、黒板の方へ向かう。


「おい、聞いているのか!」


ルートヴィヒの声が、背中に刺さる。だが、ヴァンは振り返らなかった。


黒板に貼られた地図。それを、じっくりと観察する。


「貴様、無視するのか!」


ルートヴィヒが、追いかけてくる。だが、手を出すことはしない。流石に、ここで暴力沙汰を起こせば自分が不利になることは理解しているのだろう。


「……っ」


ヴァンは、軽く手を振った。まるで、煩い虫を追い払うように。

そのまま適当な席に腰を下ろした。


「き、貴様……!」

ルートヴィヒが、怒りで顔を真っ赤にする。だが、それ以上は何もできなかった。


「では、始めよう」


低い声が、室内に響いた。

戦術評議席の面々が、壇上に入場してきた。評議会のトップである総監(そうかん)、そして先日店に現れた次长の姿もある。

全員が起立して敬礼を捧げた後、次官が立ち上がった。


「本日の戦術研討会を開始する」

彼の声は、厳格だった。


後ろの黒板に、一人の席員が地図と資料を貼り付けていく。

「今回の課題は」

次官が、地図を指し示した。

「ストラトクラティア帝国とノストラの国境、要衝の戦局だ」


ざわ、と。室内に、緊張が走る。


「帝国は、この地に鉄壁の要塞線を構築している」

地図上に、赤い線が引かれている。それは、まるで鉄の壁のように国境を遮断していた。


「諸君の任務は」

次官の目が、鋭く光る。

「ノストラの立場から、この要塞線を攻略する作戦を立案することだ」




「評価基準は、三段階だ」


次官が、黒板に数字を書き込んでいく。


「第一級:帝国防衛線の突破、かつ甚大な損害を与える」


「条件は、以下の三つのうち二つを満たすこと」

彼は、指を折った。

「一、防衛線の要衝を突破する」

「二、帝国中央予備軍の動員を強いる」

「三、戦略的要衝を戒厳令下に追い込む」


参加者たちが、メモを取り始める。


「第二級:帝国防衛線に重大な打撃を与える」

「条件は、以下の三つのうち一つを満たすこと」

「一、辺境防衛線の一部拠点を破壊する」

「二、予備軍の一部を殲滅、あるいは撃退する」

「三、帝国に辺境配置の再評価を強いる」


「第三級:影響を与える」

「条件は、以下の全てを満たすこと」

「一、小規模部隊の殲滅」

「二、防衛線の完全性を保つ」

「三、辺境線の突破なし」


次官は、黒板から離れた。


「なお、損耗率とリスクも総合的に評価する」

「以上だ」




ヴァンは、地図を凝視した。


赤い要塞線。

その配置を、一つ一つ頭に刻み込んでいく。


そのとき、ある一点に目が留まった。


要塞線の横。

広大な平原が広がっている。


……ああ、なるほど。

これは、罠だな。




案の定――


「次官殿!」


ルートヴィヒが、手を上げた。


「この平原地帯、注目すべきではないでしょうか」


「ほう」

次官が、興味深そうに頷く。

「説明してみたまえ」


「はい」

ルートヴィヒは、地図の前に立った。


「要塞線は、確かに強固です」

「しかし、側面のこの平原は、防備が手薄に見えます」

「ここから大軍を展開し、要塞線を迂回する」


彼は、駒を動かし始めた。


周囲の参加者たちも、次々と意見を述べ始める。


平原での決戦。

騎兵の大量投入。

魔導兵による制圧。


典型的な、帝国式の発想だった。




だが、ヴァンは動かなかった。

彼は、まだ地図を見つめている。


要塞線。

平原。


その間にある、小さな隙間。


……待てよ。

この配置。


どこかで見たことがある。


ヴァンの脳裏に、前世の記憶がフラッシュバックする。

鉄壁の要塞線。迂回される平原。

――マジノ線。

そして、歴史を変えたあの一手。

(……マンシュタイン計画か)


ヴァンの目が、輝いた。

あの計画は、誰もが予想しなかった突破口を突いた。


要塞線でもなく。

平原でもなく。

森だ。

アルデンヌの森。


誰もが予想しなかった奇手。

誰もが「通れない」と思い込んでいた場所を、機甲部隊で強行突破した。


では、この地図には?


ヴァンは、再び地図を精査した。

要塞と平原の間。


そこに、小さな文字があった。

「……あった」


小さな文字。

『地脈交錯断裂帯』


魔力の乱流が発生する、危険地帯。

断裂丘陵と混生密林が入り組んでいる。


誰も、ここを通ろうとは思わないだろう。


だが――

それこそが、盲点だ。




ヴァンは、手を上げた。


「次官殿」


室内の視線が、一斉にヴァンに集まる。


「質問があります」


「言いたまえ」

次官が、穏やかに頷いた。


ヴァンは、地図を指し示す。


「この地脈交錯断裂帯」

「ここから、進軍することは可能でしょうか?」


一瞬の沈黙。


次の瞬間――


「ぶはっ!」


誰かが、吹き出した。


「ははは、何を言ってるんだ!」

「断裂帯を通るだと? 正気か?」

「魔力が使えない場所で、どうやって戦うんだ!」


笑い声が、室内に響き渡る。


だが、次官が手を上げると。

笑い声が、ぴたりと止まる。


「……悪くない着眼点だ」


彼は、地図を見つめた。


「確かに、その地帯は誰も注目していない」

「だが――」


次官の声が、重くなる。

「だが、不可能に近い」


次官は地図を指差した。


「地形が極めて複雑だ。断裂丘陵に混生密林、そして地脈乱流による魔力乱流場」


彼は一呼吸置いた。


「魔力強化は使えない。重装歩兵は鎧の重みで立ち往生し、騎兵は馬が狂乱する」


次官はヴァンを真っ直ぐに見た。


「部隊は森を抜ける前に飢えと疲労で戦闘能力を喪失する。あそこは帝国の常識である『魔導強化』と『大質量』がすべて裏目に出る、部隊の墓場だ」


「……それでも、このルートを選ぶのか?」


次官は、ヴァンを見た。

「判定の際、損耗と士気低下、進軍速度の遅延が発生する」

「それでも、この案を採用するか?」


ヴァンは、少しの間考えた。


つまり、帝国式の部隊編成では機能しない地帯だ。


「検討します」

彼は、静かに答えた。




時間が、流れていく。


他の参加者たちは、次々と作戦を発表している。


要塞への正面攻撃。

平原での大規模決戦。

魔導兵による制圧。

どれも、典型的な戦術だった。


だが、ヴァンは動かなかった。


彼は、まだ考えている。

マンシュタイン計画。

それを、この世界で再現するには?


機甲部隊はない。代わりに使えるのは騎兵と魔導兵だが、断裂帯では魔力が使えず、地形も騎兵には悪すぎる。


……どうする?



(騎兵は馬が狂う。魔導兵は重すぎて沈む。……常識で考えれば詰みだ)

(だが、常識の外なら?)

(魔力も、重装備も捨てた、『裸の軍隊』ならどうだ?)


答えは、目の前にあるはずだ。

だが、具体的な状況が、それを阻んでいる。


まるで正解を知っているのに、それをそのまま使えない歯がゆさ。


「――ふん」


嘲笑の声が、耳に届いた。


ルートヴィヒだ。


彼は、既に平原決戦の案を発表し終えている。

やがて、ヴァンの席へと近づいてきた。


「どうした、ヴァン・ラーク」


彼の声は、勝ち誇っていた。


「お前は、後方支援と戦術が得意なんだろう?」

「なら、地脈に命令してみろよ」

「『騎兵のために道を開けろ』ってな」

「ははは!」


周囲から、また笑い声が起こる。


ヴァンは、顔を上げた。

——騎兵は無理。

それはさっきからずっと引っかかっていた“壁”だ。

だが、今こいつが言ったのは。


(……歩兵、か)


ヴァンは、顔を上げた。


「俺は、騎兵を使うとは言ってない」


「……何?」


ルートヴィヒの笑いが、止まる。


「騎兵を使わない?」

「じゃあ、歩兵で通るのか?」


彼は、再び笑い出した。


「歩兵で断裂帯を抜けて、それからどうする?」

「騎兵を少し回せば、簡単に防げるぞ!」


そういう問題か?

ヴァンは、そこで初めて——自分が囚われていた前提に気づいた。


「お前の戦術は、その程度か!」


笑い声が、また大きくなる。


だが――


「魔力が使えない? 身体強化もできない?」

ヴァンは、嘲笑の中、静かに呟いた。

「だからどうした」


その声は小さかったが、不思議とよく通った。

室内の空気が、ピリリと張り詰める。


彼は、嘲笑するルートヴィヒを一瞥もしない。

真っ直ぐに、壇上の次官を見据えた。


「次官殿。もし私が、この『通行不能』なルートを突破し、要塞線を無力化したならば」 ヴァンは、不敵に笑った。

「その時は、旧来の戦術観の再評価を要求します」


「……ほう」

次官の目が、面白そうに細められた。


周囲の士官たちは、唖然としている。


一介の士官候補生が、帝国の戦術体系そのものに挑もうとしているのだ。


狂気か。それとも――


「面白い。ならば証明してみせよ」

次官は、顎で地図をしゃくった。

「ただし、失敗すれば、君は前線の補給大隊に転属だ。二度と戦術を語ることは許されん」


「望むところです」

ヴァンは、駒を掴んだ。

「では、始めましょう」


彼は、嘲笑するルートヴィヒを一瞥もしない。

ただ真っ直ぐに、不可能と言われた地図上の『死地』を見据えた。


「『不可能』を可能にする、泥臭い戦争を」

彼は、駒を断裂帯の入り口に叩きつけた。


「作戦名――『幽霊の進軍(ゴースト・マーチ)』」



【第十五章・終】

次章で決着まで持っていけるはずです。

……たぶん。


もし続きが気になりましたら、

ブックマーク・評価・感想などで応援いただけると励みになります。


そして今回も――

「ちゃんとまとめるぞ」と思っていたのに、やっぱり膨らみました。


でも楽しいので、たぶん反省はしていません。


引き続き、よろしくお願いいたします。

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