第4章【第8話:出口のない通路】
第8話:出口のない通路
しおりが震える声でナオを呼ぶ。
「……出口、見える?」
鏡の奥に、かすかに光が揺れていた。
だが近づこうとすると、左右の鏡に映った“自分”が、勝手に動き出す。
その自分は、笑っていた。
──口を、ゆっくりと、裂けるように広げながら。
背中に冷たい感触が走る。
振り向くと、いつの間にか鏡の向こうに無数の人影が立っていた。
その中には、さっきまでパークで見かけた客の顔も混ざっている。
彼らは全員、足元に影がなかった。
「……あかん、こっちに来てる!」
しおりがナオの腕を引く。
必死に駆け出すと、鏡に映った景色が歪み、通路が蛇のように曲がっていく。
突然、通路の端からパレードの音楽が流れ始めた。
だがその旋律は低く、途切れ途切れで、まるで誰かが遠くの水中から聞かせているようだった。
耳の奥で、ささやき声が重なる。
──「ナオ……返して……返して……」
足元で、黒い手が床から伸びた。
冷たい指先が足首を掴み、引きずり込もうとする。
必死に振りほどくと、しおりの表情が凍りついた。
「ナオさん……影が……」
言われて足元を見た瞬間、胃がひっくり返るような感覚が襲った。
そこには、何もなかった。
鏡の奥からの光が強く当たっているのに、自分の輪郭を落とすはずの影が消えている。
「これ……どういうことや……?」
喉が乾く。
返事の代わりに、しおりの肩越しに“何か”が映った。
鏡の奥に──白いワンピースの女が立っていた。
その瞳は、直接触れられたかのように冷たく、確実にナオを見つめていた。
女は微笑むと、唇をゆっくり動かした。
──「あなたたちも、こちらに……」
鏡が砕けた。
「なるほどな……わかったわ……」
「ナオさん……?」
「返してほしいんは、あんたらの幸せ、黒瀬に実験なんかされる前の平和な時間、みんなの幸せの時間やろ」
激しく頭痛が起こる……被害者達の感情がいくつも流れ込んでくる……。
「もう過去には戻らん……戻せへん……!」
「ナオさん、何を……!」
「こいつらが俺に返して言うんは、多分、黒瀬の人格を植え付けられたコピーやからや」
「別人格……?」
そうか、しおりは知らんかったっけな。
「黒瀬は、ただ命を奪っただけやない……。心まで削って、“別の記憶”を埋め込んだ。人をもてあそんだ。せやから……元の自分を返してって、泣いとるんや」
言葉と同時に、鏡の向こうの人影たちが、一斉に口を開けた。
悲鳴でも笑い声でもない──何十人分もの息が、同時に吸い込まれる音。
耳の奥で、またあの声が響く。
──「ナオ……こっちへ……」
視界の端で、白いワンピースの女が一歩近づく。
その足音は、鏡のこちら側には響かない。
ただ、ガラス越しの世界が、じわりとこちらに滲み出すように近づいてくる。
「来るなッ!」
叫んだ瞬間、足元に再び黒い手が現れ、両足を掴んだ。
氷のような冷たさが脛を這い上がってくる。
しおりが必死に腕を引き、「走って!」と叫ぶ。
通路の先は、真っ暗だ。
そして、目の前に巨大な鏡だけが立ちはだかっている。
そこには、ナオとしおりの姿が映っていた。
……ただし、鏡の中の二人は笑っていた。
顔の下半分が、裂けるほどに。
「……いやや……」
しおりが小さくつぶやく。
その瞬間、鏡の中のしおりがこちらに手を伸ばし──ガラス面からぬるりと腕が突き出た。
ナオはポケットから、スマホ端末を取り出しの電灯をつけ、強い光を鏡に向けて照らした。
白い閃光が走り、鏡が蜘蛛の巣状にひび割れる。
割れる瞬間、無数の影たちが悲鳴を上げ、後ろへと引いていった。
そして──気づけば、二人は迷路の出口前に立っていた。
「……出られたんか?」
「終わった……?」
胸を押さえるしおりに、ナオは首を横に振る。
外には出られた。だが……。
月に照らされている足元を見ると──ナオとしおりの影はまだ戻っていなかった。
「……やっぱり、終わってへん」
そして──目の前に、目の無い子どもたち、白いワンピースの女、カメラマンの青年たちが次々と現れ出した。
「君たち全員の心を救ったる……」




