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#2 鏡(4)



午前中いっぱいをカフェで過ごした舞花は「帰りたくないなあ」としながらも許されるはずがなく、正午を過ぎて帰宅を決めた。


プレートを片づけに来た清水店長へ、いつものグチっぽい口調で話しかける。



「あーあ、嫌だけど帰るか。実は朝気分悪くて学校休んでさ。家にいても暇でここ来たの。そしたら気分回復。そんなわけで家のジジババに内緒で来たのバレないうちに帰る」


「お気をつけて。途中で具合が悪くなったらここへ電話しても構いませんから」


「ありがと!うちの親より優しいね。毎日電話しちゃおうかなあ」


「仮病はダメですよ?」


「はーい。じゃごちそうさまっ。あ、ねえ涼真、夏休み近いから始まったら一緒に遊ぼうよ。体験アトラクションとか行ってさ」



お客様が帰った後のテーブルを丁寧に拭く涼真。仕方ないとはいえ彼にとって運悪く、舞花の隣のテーブルであった。




体験してみたいと思っていたボルダリングが運動センス抜群の少年の心を揺さぶる。


とはいえ舞花との行動は悩みどころ。『お客様とプライベートで会うのは厳禁』なる都合のいい、そして古臭い口実を考えてみる。



ただし声に出してそれを伝えても笑って反論されるだけだろう。強引に成立させられかねない。


加えて相手は恐らくしつこい女。来店のたびに勧誘されると判断。したがって曖昧な返事をボソッとこぼした。


さすが天下の女子高生。年下男子の完敗に終わったが。



「……そのうちな」


「嘘っヤバっ!気ぃ変わんないうちに来週で決まり!ここ来るから!来週の水曜ね!忘れるな!?」



来店時はまだ具合が悪かったのだろうか。その時とは比較にならない満面の笑みを浮かべて店を退いた舞花。



「元気な子ですね」



清水店長が思わず口に出してしまう活発さ。その一方で傍らからは違う意見も。


元気なだけなら構わないが、他人のスケジュールを勝手に決めてしまう自己チューさは勘弁の涼真だ。



「ボク何も返事してないんですけど」


「今日平日なのに休んだせいでしょうか。こちらの定休日ばかり気にして彼女は自分の学校のことを忘れているようです。本当に来週来るかは疑わしいですよ?」



ありがたいフォローだが来週には夏休み開始の可能性も。


それに「あの女なら学校をサボってでも来る」と、ちょっぴり不安のよぎる涼真であった。





良くも悪くも話題の中心の舞花。しかしカフェを出てしばらく経った歩道で、朝と同じ身体の違和感に襲われた。


腰がズキズキ痛む。前屈しなくては歩けないほどだ。



「あ……また腰。さっきまで平気だったのに。これじゃ年寄り……って、もしかして……」



嫌な予感がした。見たくもないが足を止めてファンデーションの鏡を、恐々と覗きこむ。



「ひっ!いゃっ!」



鏡に映っていたのは朝と同じ老婆。しわが多く、頬と目元がたるみ、張りの衰えた顔。


服装は今の舞花と一緒で、顔とのアンバランスさがあまりに不気味だ。



パチンと乱暴にファンデのフタを閉じてバッグに片づけた。呆然と立ち尽くす。


悪夢は終わっていなかった。恐ろしい白昼の夢がまた始まった。原因はわからない。


ただ朝の母親がそうであったように、今も通行人の誰もが舞花を普通に眺めては遠ざかっている。


若者ファッションのおかしな老婆は彼らの前には存在していない。


しかしそれは数割程度の救いでしかなく、舞花は自分だけが見えるこのホラー現象に戦慄した。




ここからなら家よりカフェの方が近い。店長たちに話して慰められたいが、誰がこんな話を信じてくれるというのか。頭がおかしくなったのではと思われるだけだ。


自分にしか見えない。友達にも両親にも相談しようがない。こんな気持ち悪い話なんて悪趣味な冗談でしかないだろう。


聞いてくれる人は皆無。高2の少女でしかない舞花の孤独な戦いが始まった。





今後の生活、長い人生のため、舞花がまず実行したのは鏡との決別だ。



自宅洗面台の大きな鏡には布がかけられ、バスルームでも鏡とは対面しないように座った。


メイクも失敗を防ぐためリップやファンデは薄めに。髪のスタイリングは学校で友人たちにお願いした。



その学校にも鏡や、窓をはじめとする顔の映る物は意外に多く、何度か悲鳴を上げて周囲を驚かせた。


登下校の電車でも同様の事態を引き起こし、学生だけでなく社会人からも白い目で見られた。


 

とはいえ顔の映るものは視線を逸らせば何とかなる。完全無欠とまではいかぬも手軽にこなせる安全策だ。


ただし症状は視覚にとどまらず、日が経つにつれこちらの方が彼女を深刻に苦しめていった。足腰の痛みと衰えである。




結論から言うと舞花のこの症状は老化現象だ。老婆の姿が示す通り、肉体まで老化に蝕まれていたのだ。



腰は曲がり、階段の上り下りはもちろん、100メートルたらずの歩行でさえ疲労に苦しんだ。


通常以上のスピードによる進行であった。今後は老眼や物忘れの症状に苦しむことだろう。




すべて舞花が信頼する清水店長が極秘に飲ませた薬のせい。敬うべきお年寄りたちを貶し罵ったとの理由で。


彼女が邪険に扱い毛嫌いするお年寄りに変化させ身をもって苦労を体感させること。性根を叩き直し敬老意識を植え付けることを目的とした。


ちなみに治療薬は清水の手元に存在しない。症状も寿命も本人しだいの不治の病であった。




人前での容姿は高2の女子高生だが、体力は人前でも老人並。


よって彼女は体育の授業や登下校など学校生活にも支障をきたし不登校になった。


パパ活もやめ、大好きだったあのカフェにも行かなくなった。行けなくなった。





舞花が清水のカフェに電話をかけたのは涼真とのデート当日の朝。


恋心を抱いているわけではないが、彼女は約束の日を内心でデートと呼んでいたのだ。



定休日の午前9時。滞在の有無が心配だったが反応を得た。清水店長の声だった。



「わたし舞花。あのね、具合が悪くて涼真と遊びに行けなくなったの。アイツにそう話してほしくて」


「わかりました。伝えておきます。早く具合が良くなるといいですね。またこちらにいらして下さい。涼真君も同年代の方と会話ができていい意味で遠慮なくいられてますし。普段から大人と接してばかりですからね」



清水の話を聞くうちに涼真に会いたくなった。体調さえ万全なら今日は楽しいデートのはずだったのに。


激しいアトラクションは無理でも自宅デートなら、と歩行困難により実行不可能だと承知のうえでつい本音が出た。



「涼真の家とか行きたいなあ。アイツのお母さん優しそう。あ、働いてるのかな?」



涼真本人が温和な少年。母親もきっと。


何気なく彼女は言葉を並べるも清水の返答は思いのほか遅く、やがて聞こえた声はどこか暗かった。内容からすれば当然だ。



「舞花さん、言いにくいのですが、涼真君のご両親は春に……」


「え、それって」



言葉は濁されたが、言わんとする意味は舞花にも理解できた。


事故だったのだろうか。涼真の両親はこの世にもういない。




可哀想だなと同情し、舞花は先日の己の発言を思い出した。


何もしてくれない自分の父親に悲観して、涼真の家はどうなのかと興味本位に質してしまったのだ。



実はその時の涼真の返答は「キャンプに行ってた」と過去形だった。


それに関し舞花は表面のみに気をとられ他は散漫。あのとき細部まで注意深く聞いていたなら何らかの疑問を持ったかもしれなかった。



「わたし前にお父さんとの思い出とか酷いこと聞いちゃった」


「私もその場にいて内容に驚きましたが、涼真君は大人ですね。場の空気を壊さないよう余計なことは避けて、思い出だけを語ったようです」



自宅のベッドの上で舞花はポロポロ泣いていた。配慮すべきが配慮され、涼真に申し訳なくて。強いな、偉いなと誉めてあげたくて。



電話を切ったのは多分舞花からだろう。嗚咽まじりであったことだろう。


彼女に記憶はない。やるべきことに向けて一直線になっていたから。




水曜日。カフェは定休日でもなんでも屋は営業日。


恐らく涼真は出勤するはずだ。デートの約束もしていたし、店長からキャンセルの連絡を受けていても店には行くはず。


舞花は涼真に会いたかった。会って謝罪も称賛もたくさんしてあげたかった。


体はダルい。歩きたくない。何時間かかるかわからない。


それでも決めた。カフェ『小庭園(プチ・トリアノン)』へ絶対に行くと舞花は決めた。



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