#3 無痛(2)
清水店長がパソコンから探し出したDV被害者・由里子のHPの実態。
それは閲覧数が多いのも納得の、男にとっての楽園。本人出演のセックス動画が再生できる場所。
しかし清水、コメント欄を読んで後に訂正を認めた。
ユーザーの7割が女性。自分もDV被害者であるとの声も少なくはない。
女性たちのほとんどが動画を見ての感想。「セックスが唯一のストレス解消法!」や「自分も夫の暴力から逃げるように不倫してます!」「裏切りも知らず男はバカ」など熱いコメントに圧倒されてしまった。
スマホでの撮影らしく、再生した画像は位置が固定され見える範囲は常に一定。
どこかのホテルのベッド。男女とも顔にはモザイクがかけられ識別できない。淫らなシーンが続く。
おそらく腰を振り甲高い声で喘いでいるのが由里子。どことなくあの由里子に声が似ている。背中まであるヘアスタイルや色も。
そして全身には痣がある。DVによるものだろう。
はじめ清水は「相手の男は夫?」と予想し見ていたが、違う日付のものは別人のようだ。
強要でもなさそう。つまり不特定多数の男を相手に自ら率先し性交しているのだ。夫とのセックスレスとDVストレスからの火遊びらしい。
男たちに抱かれ快楽に溺れながら口にしていた。
映像を眺め、『やらせ』でなければDVは事実であると信用した。
男たちが「うわ傷痛そ。旦那やべえ」とか「由里ちゃん傷が増えてる」と話していたから。
つまらなそうに動画を停止して、清水は缶ビールに手を伸ばした。
喉を潤しながら会話のトーンやテンポ、体型から画像の女は店を訪れたあの由里子と確定させる。不倫程度は想像したがまさかの展開には驚かされた。
ふむ、と今後を予想してみた。次回来訪の際には見境なしの由里子さんに誘惑されるかもと怖くなった。
Dだという魅力的なバストだったが方法が好みではない。
誘われるより誘う方がいい。清水健一とは意外に自信家な男なのだ。
とにもかくにも結論。隠された本性も認識できた。騙されずに対応ができる。
DV被害は真実のようなので、そこは親身になりすぎず話を聞いてあげたい。
ただひとつ。誘惑に失敗してウチの大事な店員に矛先を移さなければいいがと不安になった。
未成年の少年を襲うのは犯罪。DV被害者であっても事情によっては加害者として対応しなくてはならない。
そうして清水店長、飛躍しすぎた話題にバカらしさを抱いたか、バッサリ思考の停止。
2階の自宅へ上がる前に、缶を片手にガス・電気などの安全点検。不安を引きずらぬ冷静な振る舞いであった。
◆
8月下旬の水曜日。定休日のカフェ『小庭園』に代わり、なんでも屋の営業日だ。
本日は予約が何も入っておらず、少しでも店の稼ぎを増やそうと予約なしOKの即日作業の構え。
すぐに行動できるよう定時に出勤してきた熱心な涼真だ。
今のところ暇なので店頭で飼い犬ゴジラと近所の大学生が飼う黒猫ラッキーのじゃれあう姿をしゃがみこんで見つめていた。
「おまえたち仲がいいね。何話してるのかな。ボクも広瀬さんみたいに動物と話せたらなあ」
2匹の頭を繰り返し撫でながら話しかける。ファンタジーな内容だが動物の飼い主なら一度ならず考えてしまうだろう。
「にゃあ」
嬉しそうなラッキーがすり寄ろうと長いしっぽをくねくねさせつつ涼真の足にしなやかな体を付ける。
そこへ第三者が現れ、少年の背中にそっと問いかけた。
「カフェの方でしょうか。店長さんはいらしてますか?」
「はい。どうぞお入りください」
エプロンで気づかれたのか、該当者はスッと立ち上がりドアを開ける。
客であろう女は茶髪の少年へ頭を下げて店に入り、彼も後に続いた。
「ニャニャアーーッ!」
静かに閉められたドアに向かって黒猫の声が飛んだ。
もし広瀬がこの場にいたなら言語を脳内翻訳し理解しただろう。
喉をゴロゴロ鳴らしていた愛らしさは彼方へ。凄まじい剣幕で睨み漏らした恨み節を。
「涼真にさすってもらうチャンスだったのに!邪魔だわあの女っ!」
落雷の如き声と綺麗な光沢の全身の毛を逆立てて語ったこの言動に、臆病なゴジラがブルブル震えたのは言うまでもない。
*
「いらっしゃいませ、ああ由里子さん。メイクが違って、少し迷いました」
「こんにちは店長さん。恥を晒すようですがまた来てしまいました」
「恥ずべきことはありませんよ。あなたは被害者なんですから。さ、お座り下さい」
「はい。あ、今日はシート側に。カウンターのイスは痛くて」
カウンター席はかたくて尻や腰がだんだん痛くなる。
これは多くに見られる共通のケースだが、由里子には深い理由が存在した。
大腿部や臀部など、打撲箇所が痛むのだ。もちろんDV被害によるもの。
「構いません。お好きなところを選んで下さい」
頷いた由里子であるも、まず実行したのは無言のままアイコンタクト。
先の少年がいては込み入った会話がしづらいというのだ。
洞察力ある清水は由里子に理解を示したうえで、涼真の人格についてのフォローを忘れなかった。
「店員の涼真君です。とても信頼のおける聡明な少年なのですが、別室で待機させますね?」
「すみません、神経過敏で……。ごめんね涼真君」
少し離れた位置に佇む少年へ小さく微笑んで詫びる。
客商売のせいか様々な人物・場面を見てきた涼真。人払いは希にある。抵抗なく対応した。
「いえ、ごゆっくりどうぞ。店長、ゴジラ入れたら奥で電話番してます」
「お願いします。ああイチゴショートが冷蔵庫に入っているので奥に持っていっては?」
「買ってきてくれたんですか!?ありがとうございます。いただきます」
イチゴ好きの少年は思いがけないケーキの登場に満面の笑みを披露し屋外へ。
気持ちのいい笑顔に眺める側も気分爽快になりながら、清水はお客様へ向き直る。
「由里子さんもいかがですか?甘いものはお好きですか?」
「はい。料理は好きでお菓子も作るんです。うちは子供いないからたくさんは作りませんけど」
「そうですか。では用意しますので席でお待ち下さい」
ケーキとコーヒーの準備に退いた店長と入れ替わり、0歳でも大きな愛犬を両腕に抱いて現れた仔犬のパパ。
パグ犬の童顔なのか強面なのか、表現の難しい顔に圧倒されつつ、由里子は耳にした情報をもとに人間の方に話しかけた。
「涼真君はイチゴ好きなの?ジャムも好き?」
「はい、好きですけど」
「少し前に作ったものだけど食べる?一個余っててどうしようかと思ってたの。市販のみたいに綺麗じゃないけど」
「手作りの、果肉がゴロッと入ったの好きです。母が作ってくれました」
「良かった。お母さんの味には敵わないだろうけど、次に来るとき持ってくるわね?」
「ありがとうございます」
顔色も変えず涼真は丁寧に謝礼。よって由里子は彼がどこか故郷にいる母親のことを話していると疑わない。
両親共にこの世に肉体はなく空の高い場所にいるなんて、若々しい容姿を見る限り想像できるはずもなかった。
16歳でも大人な涼真。場の空気は壊したくない。悲劇の少年ぶるつもりもない。
残り数回の対面であろう客に、いちいちプライベートを語ることを嫌ったのだった。
*
「どうですかあれから。少しは心の変化が見られましたか?」
ボックスシートで対面して座り、清水店長は近況を尋ねる。
由里子はコーヒーとケーキを前に、前回とは異なるマスカラなしの薄いメイクで神妙な表情を見せた。
「そうあってほしいと期待していたんですけど、都合よくは……。夫の暴力の前では何も癒されません」
こうして外出ができる。骨折や火傷など、そこまでの暴力を受けたことはない。
DVの被害としては軽い方かもしれないが、程度の大小で括られたくはない。
蹴られ叩かれ痛みは感じるし、ネチネチ繰り返される嫌味や暴言など言葉の暴力も同時進行。
ダブルパンチによる精神的ダメージは相当のもの。夫の帰宅に怯える毎日だ。
軽々しく尋ねたわけではないが当事者の苦労は並大抵のものではなく、清水は自分にできるささやかな協力を思いついた。
「せめて痛みさえ無くなればと思いますか?」
「そうですね……心も痛いのに肉体まで。どちらかでいいのに。神様は私が嫌いなんだわと嘆く時はあります。骨折までの暴力はありませんが、全身痣だらけ。いつエスカレートするかわからず怖くて」
「わかりました。少しはお役に立てるといいのですが」
言い残して涼真の待機する部屋へ向かった清水。相手に時間を取らせずまた戻ってきた。
手には何やら小物が握られ、テーブルに置いたそれはブリスターパック形状のどう見ても錠剤。白と黒それぞれ5錠ずつ計10錠だ。
「黒の方は無痛薬といいます。簡単に言えば痛みを感知させなくする薬です。更にもうひとつオプション的効力がありまして。目には目を…ということわざの意味をご存じですか?」
「え、ええ。同じ報復を与えるとか、そんな感じですよね?」
「はい。ならば話は早い。もし旦那さまがあなたの頬を叩いたとします。あなたは痛みますよね?まあ薬を飲めば無痛ですが、痛いとします。その痛みが旦那さまにも伝染し同じ部分に痛みを感じるのです」
「え、話の内容は理解できましたけど、そんな魔法みたいなことあり得るんですか?」
「はい。これはそういう薬です。旦那さま自身も痛い思いをするのですから、痛みが嫌ならいずれあなたへの暴力もなくなるはずです」
「本当の話だとして、夫は気味悪がってしまうんじゃ」
「離婚のチャンスになるかもしれませんよ?」
その瞬間女の目の色が変化した。脳裏に何を想像したか、離婚の一言が決め手となったようだ。
薬を手に取る女に店長は説明という形で後押しする。
「特殊な薬を差し上げますが国からまだ認可されていません。それでもよろしいですか?」
「試してみますけど、あの、安全性の方は…副作用など出た時は保証可能ですか?」
「はい。返金も賠償も致します。では最後に。黒の錠剤がご自分への無痛用。これだけでも構いませんが報復を望むのであれば白の錠剤をどんな方法でも構いませんので相手に飲ませて下さい」
「わかりました。両方購入します。色々とご面倒をおかけしてしまい……。それとケーキ、遠慮なしに食べてしまいましたけど涼真君の分だったんじゃ」
「安心して下さい。まだ残っています。私の分も」
「良かった。店長さんの分もなければ涼真君が遠慮してしまいますもんね」
彼女とは二度目の対面でしかないが、見てきたなかで一番の柔和な表情と微笑み。
優しい女性だな、とやがて華奢な背中へ向けて呟き見送りながら、そんな女性に魔界産の薬を与えた自身を嘲笑う清水店長であった。