後篇
……もしもし。聞こえますか? 電話、まだ切れていませんよね。
ああ、よかった。切られてしまったかとおもったんですよ。
え? 切断ボタンを押したはず? そうですか。おかしいですね。
では、電源を落としてみたらどうですか。
それともその携帯電話を粉々に潰してみてはいかがでしょうか。
……もしもし。聞こえますね?
ああ、よかった。切れてしまうかと思ったんですよ。
では、続きをお話しいたしますね。
だけどこれは、本当は話したくないことなのです。それを、私も覚悟を決めてお話しするのです。
あなたもそのつもりで、最後まできちんと聞いてください。
石楠花ちゃんは、一命を取り留めました。
ひとって案外頑丈なものですね。
噸を超える重量の鋼鉄の塊に激突され、輪胎に髪を取られて砂利道をいくばくか引きずられても、少女は生きておりました。
お金持ちで美しい石楠花ちゃんをはじめて見た時には、天はひとに二物を与えるのだなあと思ったものですが、頑丈さという三物目までも持っていて、本当に彼女は恵まれたお嬢様ですね。
しかしやはり、脳を三分の一ほど削られてしまった代償は大きかったようです。
体の傷はどうにか体裁を整えたものの、彼女の手足は、二度と動かぬものになってしまいました。
こうなるとまったく哀れなものです。
だらりと四肢を垂らしたまま、口を開けるしかできない石楠花ちゃんに、ご飯を食べさせながら、私はしくしくと泣きました。
可哀想な石楠花ちゃん、と、毎日、毎日、泣きました。
しくしくと泣きながら、ご飯を食べさせてあげても、石楠花ちゃんは何も答えずにただもくもくと私の手から食事をついばむだけの生物でありました。うがいも排泄も、すべて私の言うことを聞きました。
汚したときには優しく叱りますと、彼女は「ごめんなさい、もうしません」と、とても素直に謝りました。だけどほとんど毎日汚しました。ほとんど毎日、私は石楠花ちゃんを叱り、石楠花ちゃんは謝り、私は泣き、石楠花ちゃんはそれを見下ろしておりました。
ところで、彼女のあの悪癖ですが、事故をきっかけにすっかりなりをひそめてしまいました。
なにせ私相手にはまったくワガママを言いません。従順な狗のようで、実に可愛らしいものでした。
きっと脳みその一部と一緒に、彼女のなかの鬼もどこかへ行ってしまったのだわと思っていました。
しかしそれは私の前だけに限ったことでした。
私以外の使用人や、私の母、そしてお館様である実の父などには、それまで以上に激しく欲望をぶつけていたそうです。
ずいぶんあとになってから知りました。
私は夜だけ石楠花ちゃんの『息抜き』に、おともだち役をやっていただけ。
それまではずっと学校に居て、友達と楽しく過ごしていただけなのですから。
使用人たちは、もともと石楠花ちゃんには頭が上がらないものたちばかりでしたが、彼女が無能の達磨となってからなおのこと傅くようになっておりました。
やれ、バラの花でできたカーテンだ、銀糸で編まれた絨毯だと、お館様などはすっかり奴隷のようで、かわいそうな娘のために、世界中を飛び回って望む品を探したこともありました。まるでおとぎ話の竹取物語のようでしょう。
だけど彼女は月に帰ることはおろか、立ち上がることもできないで、痩せかれて大きく剥かれた目だけをぎょろりと空中に這わせている醜女でした。
そうして、数年が経過しました。
夏のあの日――そう、うだるほど暑く、湿った夏の土曜日のことでした。
私が学校から帰りますと、四人の少女が館の門前で佇んでおりました。
なつかしい、知った顔でしたので声をかけました。
「稗田さん、篠原さん、横田さん、水無瀬さん。おひさしぶりですね。どうなさったの?」
それはかつて石楠花ちゃんと一緒に通った学校の同級生たちでした。四人はいっとう仲良くしてくれた子たちでしたが、卒業して以来一度も会っておらず、私は駆け寄って握手をしました。
横田さんが驚いてのけぞりました。
「あ、紫陽花さん? ……きれいになりましたね」
「あら、いやだ。横田さんこそ。それになぁに、紫陽花って。照ル絵って呼んで」
四人は目を合わせました。
聞けば、昨夜急に彼女らの家に連絡があり、館へ来るようにと誘われたそうなのです。
しかも私の名前、いえ、紫陽花の名前で。
しばらくはどういうことかと五人で疑問符を浮かべていましたが、やがて思い至りました。
石楠花ちゃんが呼んだのです。正確にはそのお父様だか使用人だか、もしかしたらわたしの母が、紫陽花の名を使ってかつてのともだちを集めたに違いありません。
一瞬、ふつふつと怒りが湧いてきましたが、どうしても煮え切らせることはできませんでした。
私は改めて、事故のあとの石楠花ちゃんの様子を、友人たちに語って聞かせました。
「私以外のおともだちと話す機会がないものだから、きっとさびしくてたまらなかったのよ。いまの彼女は痩せかれて肌も真っ黒、役立たずの棒切れが四本ぶらさがっている達磨のような格好で、一日中椅子に座って、床を汚しているだけで生きているのだもの。可哀想なのよ。虫しかおともだちがいないの。
ねえ、みなさん、よかったらお話し相手になってあげて? かつてのようなワガママを言ったら私が叱りますから大丈夫」
私は使用人に話を付け、お館様に面通しをすると、友人たちを離れの一室に案内しました。
石楠花ちゃんの部屋は臭くて汚いので、旧友たちを通すのは恥ずかしいことだと思いましたので。
四人の少女は、以前もそれほど石楠花ちゃんと親しかったわけではないけど、それでもよく知った顔の同窓生。石楠花ちゃんの可哀想な状況を聞いて、踵を返すことは出来なかったようです。
私は使用人に、石楠花ちゃんの友人を離れに通したから、彼女をそちらへ運ぶようにと命じました。
そして自分は洋服に着替え、ほんの少しだけ紅を引き、裏門からそっと館を外出いたしました。
いつも夜は石楠花ちゃんの世話で出られなかったので、今日はまたとない機会だと思って。
恋人の家を訪ねに出て行ったのでございます。
おかげさまで、とても美しい夜を過ごしました。
……あら、いやだ。私。はしたないことを申しましたね。忘れてください。
なので、これも、後から聞いた話でございます。
その日の夜、私が恋人と口を吸いあっていたころ、離れの一室では惨劇が繰り広げられておりました。
四人が望んで宿泊をしたのか、それとも薬でも盛ったのかは、いまとなってはわかりません。
だけどとにかくその深夜。
石楠花ちゃんは、四人の少女の身体を切り刻んでおりました。
口に斧を咥え、体重を乗せて、倒れた少女の四肢を切断していったのです。それは驚異の執着と言えましょうが、やはり困難なことだったのでしょうね。
斧がうまく肉に食いこまず、無駄に肉を細切れにしてしまっていたり、おかしなところで分断されてしまったり。のちに散らばったあとを見て見ましたら、彼女の試行錯誤がうかがえました。
思えばそのための四人、だったのでしょうか。
四人の手足、合計十六の棒切れをずらりと並べて、石楠花ちゃんは、もっとも美しいものだけを選って使用したようです。
ええ、すさまじいことでございます。
だけどそこからの行動こそ、彼女の悪魔がかった作業といえましょう。
彼女はその斧を今度は立てた柱にくくり、己は地面に横たわり、口で紐をひいて、倒れこんだ斧で己の四肢を切断するという仕掛けを取り行っておりました。
まずは左腕。そして右腕。左足。右足。
四度、そのようにして、石楠花ちゃんは己の四肢をすべて切り落としました。
そして、その空いた場所に、さきほど切り落としたばかりの四人の、元少女についていた元手足である棒切れを張り付けて、肉に口にくわえた針と麻紐をくぐらせて、縫い付けたのです。
……ええ、まさに、悪魔の作業でございます。
だけど、本当に、本当に悪魔的なのは、このあとのことでしょう。
そうして、彼女は縫い付けたよっつの手足で立ち上がり、歩き出したのです。
確かでございます。
そう考えるしかない、後が残っていたのでございます。
そうでなければ説明がつかないのです。
信じられませんか? ではあなたには説明が出来るのですか?
離れの一室に、四人の少女の達磨死体に、十二本のみずみずしい手足と四本の黒い手足とが転がって、
開かれた扉に、左右大きさの違う血の足跡が続き、ドアノブにはやはり血のついた手の跡があって、
出てすぐ先の壁にはドアノブとは違う手の後があって、
二十歩ばかり進んだ先の、池に、よっつばらばらの手足をつけてうつぶせで浮かんでいた石楠花ちゃんの遺体を、館中のものが見たというのに。
あなたはほかの説明が出来るのですか?
ああ、悲しいことでございます。
日曜日の夜、帰宅した私はすべてを聞いて、さめざめと泣きとおしました。
いちどきに五人もの友人を亡くしたのです。
私は後悔しているのです。
私は本当に後悔しているのです。
どうしてその日、館に帰ってしまったのでしょう。
あと二日程度、恋人の家にいさせてもらっていれば、
石楠花ちゃんの身体は焼かれているか、それとも警察の安置所で、緊縛されていたずなのに。
二日後は、石楠花ちゃんのお葬式でございました。
事件の遺体を荼毘にふしてしまうには、日数が少なすぎるように思います。
事故、というわけがありませんでしたが、現場はあまりに奇怪でありました。
ゆえに、通り魔のようなものの仕業とされたようで。石楠花ちゃんは五人目の被害者としてあたたかく見送られることになっておりました。
夏のさなかですから、傷めたくないというのもあったのかもしれません。
館の一室に大きな棺桶が置かれ、花に埋もれた石楠花ちゃんがそこにあるはずでした。
最後のお別れをしよう、と、お館様によって棺桶の蓋が開かれました。
そこには、ただ満開の石楠花の花があるきりでした。
私は首をかしげましたが、警察がそれを持っていき、この通夜や葬式は形式だけのもので、遺体は不在で行われるものなんだなと理解し、形だけの礼を済ませ、踵を返しました。
家の者がみな火葬場へいってしまったあと、私は静まり返った館を歩いて、石楠花ちゃんのお部屋へ入っていきました。
きっとこのあと、遺品整理として、彼女のものの多くは丁寧に保存ないし焼いて送られてしまうのでしょう。そうなるまえに、欲しい物は山のようにありました。
「ああ、なつかしい」
クロゼットに紫陽花柄の浴衣を見つけ、私は歓声を上げました。
その時です。クロゼットの上に置かれた鏡に、石楠花ちゃんの姿を見つけました。
私の後ろに、彼女がおりました。
彼女はその黒ずんだ顔で、口元をにやりとゆがめ、笑いました。
ふたつばらばらの長さの足で、二歩、三歩、こちらに歩み寄り、
ふたつばらばらの長さの手で、こちらを指さしました。
「……それあげる」
彼女はそう言いました。そして、自分の手足をぶらぶらんと揺らしてみせてくれました。
「これもあげる。だから、あなたのそれをちょうだい」
私は悲鳴を上げて失神しました。
…………ああ…………
恥ずかしい。本当に、恥ずかしい話です。
恐怖のあまり、失神するだなんて。まるで子供みたいじゃないですか。
ああ、やっぱり話したくなかった。お恥ずかしいわ。
だけどあなたとこうして、偶然にも間違い電話でつながったのだから、またとない機会だと思ったのです。とっても嫌だったけども、話が出来て良かった。
いかがでしたか。面白い、とはいえずとも、なかなか聞けない珍しいお話だったでしょう。
ご満足いただけましたか。
それでは、私からのお願いをひとつ聞いていただきますね。
あら、いやだ。最初に言ったじゃありませんか。
お話してさしあげるから、お願いを聞いてくださいと。
御手間は取らせません。
こうして電話でお話している間に、ほら、すぐ近くまで、来てしまいました。
受話器を置いて。
振り返ってごらんなさい。
私の声が聞こえますね。
「ねえ。私、あなたに、欲しいものがあるのです。
もちろん代わりのものは差し上げます。
ねえ。これあげるから、それちょうだい」
これを考えたのは16歳のとき。福祉課のある高校の文芸部で夏休み特別全校配布誌に投稿し、印刷後に、教師に見つかってゴッソリ没収されました! デスヨネ!! こうして公開できてうれしいです。




