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第6話 私の十年を返してください!

「……さて」

メアリーさんが、ゆっくりと立ち上がった。

「私は帰る」

「え?」

「帰って寝る。以上。解散!」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「ダメだ!待たん!」

そう言って、メアリーさんは酒場の出口へ向かおうとした。

その時だった。

「おい、メアリー!」

店長の声が飛んできた。

「ツケはどうするんだ!」

「……また今度!」

「今度っていつだ!」

「……そのうち!」

「払う気ねえだろ!!」

メアリーさんは、ぴたりと足を止めた。

そして。ゆっくりと、私を振り返る。

「……なあ、お前」

「はい?」

「ちょっと金、持ってないか?」

「…………」

……え?

「いや、ほら。さっき弟子にしてほしいって言ってただろ?」

「はい!」

「師匠ってのは、弟子に飯を奢ってもらうこともあるんだよ」

「そうなんですか!?」

「……いや、知らんけど」

「知らないんですか!?」

メアリーさんは、何事もなかったかのように手を差し出した。

「というわけで、ちょっと貸してくれ」

「…………」

十年前。

あの人は、私たちを守るために魔物の前に立った。

そして今。その人が、私にお金を借りようとしている。

……何だろう。

何か、大切なものが音を立てて崩れている気がする。

「……メアリーさん」

「何だ?」

「お金は、自分で稼ぐものだと思います」

「……お前、母親みたいなこと言うな」

「普通のことです!」

「はいはい。分かったよ」

メアリーさんは、面倒くさそうに頭をかいた。

「じゃあ、仕事するかぁ……」

「本当ですか!?」

「え?そんなに驚くことか?」

「いえ! 立派だと思います!」

「……お前、私を何だと思ってるんだ?」

……英雄です。

そう答えようとして。私は、少しだけ迷った。

◆

「というわけで、ギルドに来たわけですが!」

「……お前、声がでかい」

私たちは、冒険者ギルドの前に立っていた。

「メアリーさんは、普段どんな依頼を受けているんですか?」

「んー?」

メアリーさんは、あくびをした。

「簡単で、危なくなくて、すぐ終わって、報酬が高いやつ」

「……そんな依頼、あるんですか?」

「ないから困ってるんだろ」

「…………」

……なるほど。

困っている理由が、よく分かった気がする。

ギルドに入ると、見覚えのある銀髪の女性が受付にいた。

「あっ! こんにちは!」

「……ああ、先ほどの方ですね」

女性は私を見ると、柔らかく微笑んだ。

そして、隣のメアリーさんを見た。

「……メアリーさん」

「……よう」

「珍しいですね。こんな時間にいらっしゃるなんて」

「……ちょっとなー」

「お仕事ですか?」

「……まあ一応」

受付の女性は、少しだけ目を見開いた。

「……本当に?」

「おい。何でそんなに驚くんだよ」

「いえ、失礼しました」

そう言いながら、女性は手元の書類を確認した。

「でしたら、ちょうどよかったです。以前からお願いしている依頼が――」

「待て」

「はい?」

「難しいのは嫌だぞ」

「……まだ内容を説明していませんが」

「危ないのも嫌だ」

「……そうですか」

「遠いのも嫌だ」

「…………」

「あと、朝早いのも嫌だ」

「……メアリーさん」

受付の女性は、にっこりと微笑んだ。

「お仕事をする気は、ありますか?」

「あるとも!」

「では、依頼の説明を――」

「ただし、面倒なのは嫌だ」

「…………」

女性の笑顔が、少しだけ固まった。

私は、隣で二人のやり取りを見つめていた。

……あれ?

もしかして。

メアリーさんって。ギルドでも、こういう人なの?

「……あの」

私は、そっと声をかけた。

「メアリーさんって、いつもこんな感じなんですか?」

受付の女性は、私を見て、それからメアリーさんを見た。

少し考え込むようにして。

「……そうですね。今日は、まだ働く気があるだけ良い方かと」

「…………え?」

「おい! 余計なこと言うな!」

「事実ですので」

「ぐっ……!」

……良い方?これで?

私は、メアリーさんの顔を見た。

メアリーさんは、そっと視線を逸らした。

◆

結局。

メアリーさんは、依頼を一つも受けなかった。

「……どうしてですか?」

「条件に合うのがなかった」

「三つも紹介してもらったじゃないですか!」

「一つ目は遠い」

「歩いて三十分ですよ!?」

「二つ目は朝が早い」

「朝の九時ですよ!?」

「三つ目は?」

「……何だったっけ?」

「覚えてすらいないんですか!?」

メアリーさんは、大きく伸びをした。

「ま、仕事は明日から頑張ればいいだろ」

「……明日はどんな依頼を?」

「明日になったら考える」

「…………」

私は、深く息を吸った。

……よし、落ち着こう。この人は、私の英雄。

十年前、命を懸けて私たちを救ってくれた人。

少し……いや、かなり変わっているけれど。

きっと、何か理由があるはず。

「……メアリーさん」

「何だよ」

「普段は、どんな生活をしているんですか?」

「普段?」

「はい!」

「……朝起きて」

「はい!」

「腹が減ったら飯を食って」

「はい!」

「酒を飲んで」

「……はい」

「眠くなったら寝る」

「…………」

……終わり?

「……お仕事は?」

「金がなくなったら、たまに」

「……たまに?」

「たまに」

「…………」

私は、ゆっくりと空を見上げた。

王都の空は、今日も青かった。

……おかしいな。

こんなに良い天気なのに。

どうしてだろう……私の心には、暗い雲が広がっている。

「……メアリーさん」

「今度は何だ?」

「十年前のこと、覚えていますか?」

「…………」

メアリーさんの表情が、少しだけ変わった。

「……何の話だ」

「大スタンピードの時です」

「…………」

「メアリーさんは、私たちを助けてくれました」

「ああ」

「すごく格好よかったんです」

「……そうか」

「怖いって言いながら、それでも前に出てくれて」

メアリーさんは、何も言わなかった。

「私、あの時に決めたんです」

十年前。

あの背中を見た時。私も、あんな人になりたいと思った。

怖くても、誰かを守れる人に。

「だから、ずっと頑張ってきました」

「…………」

「剣の稽古も、勉強も、騎士になるための試験も」

私は、拳を握りしめた。

「いつかメアリーさんに会って、胸を張って報告したかったんです」

メアリーさんは、しばらく黙っていた。

やがて。

「……そうか」

小さく呟いた。

「……よく頑張ったな」

「――っ!」

私は、思わず顔を上げた。

メアリーさんは、少しだけ笑っていた。

その笑顔を見た瞬間。

胸が熱くなった。

……やっぱり。

やっぱり、この人は。

私の憧れた――

「……さて」

メアリーさんは、ぽんと私の肩を叩いた。

「じゃ、私は昼寝するから」

「…………」

……え?

「いやぁ、今日はよく働いたな!」

「働いてませんよね!?」

「ギルドまで行っただろ」

「行っただけです!」

「疲れたんだよ」

「何にですか!?」

「……人と話すのに」

「…………」

私は、ゆっくりとうつむいた。

十年間。

ずっと、ずっと。

憧れていた。

いつか再会できたら、どんな話をしよう。

どんな剣を教えてもらおう。

どんな冒険に連れていってもらえるだろう。

そう思いながら、頑張ってきた。

それなのに。

目の前にいる英雄は。

酒場のツケを払わず。

弟子入りを断り。

仕事を嫌がり。

ギルドに行っただけで疲れたと言い。

今から昼寝をしようとしている。

「……メアリーさん」

「ん?」

「私、十年間……」

「……?」

「十年間、ずっと……!」

「……お、おい?」

もう、我慢できなかった。

「私の憧れの十年を返せぇぇぇ!!」

「知らねぇよ!!」

王都の通りに、私たちの叫び声が響き渡った。

――十年越しに再会した、私の英雄は。

どうやら。

想像していたより、ずっと。

残念な人だった。



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