また、いつか。
「由奈、おかえり~って……あれ?伏見さん…?」
ふわふわとした甲高い声が広い廊下に響く。
一ノ瀬七海。
桜凪さんの幼馴染にして、私がここにいる理由であろう”偽”交際を引き起こした一ノ瀬有栖先輩の実の妹だ。え、なんで?一ノ瀬さんがここに…。
「お姉ちゃんがゲロった通りじゃん」
ゲロった?なにを?まさか、桜凪さんへの告白のこと?私のことも??
ずっと好きだった女の子がぽっと出の女に取られたって…
妹さんに密告したってこと!!???(被害妄想)
とにかく、状況が意味不明すぎる…。
私が頭の中をハテナマークいっぱいに埋め尽くしていると、めんどくさいことになったと言わんばかりに隣で桜凪さんが小さくため息を吐いた。
「とりあえず、中に入らせてちょうだい。話はそれからよ」
そうだ。私たちはさっきまで買い物に行っていたのだ。買い物袋をさげたまま話し合い?をするわけにはいかない。現実に引き戻されたように少し冷静になる。
「では、改めまして話し合いをしたいと思いまーす!!」
時刻は午後8時。
金曜日のこの時間帯といえば、私は推しVtuberことcherry-yunaの過去の配信を見漁っているのだが、なぜかいまその推しVの家で、なぜか修羅場に巻き込まれようとしている。いやほんとになんで??
戦いの火ぶたが切られたように、最初に口を開いたのは桜凪さんだった。
「話し合うって言っても、話すことなんてないでしょう」
「めっちゃあるよ~。このままじゃ、有栖ねぇと由奈が気まずくなっちゃって私としても居心地悪いし!!」
「そうかしら。別に今まで通りに接してくれて構わないのに」
そう言って、気まずそうに縮こまってる有栖先輩を横目に見る。どこか申し訳なさそうと言うか、罪悪感を感じているように見える。自分が家族仲の輪を乱してしまったと反省してるのかな。
「ボクが悪いんだ。ぜんぶボクのせい」
そう言って桜凪さんから逃げるように視線を合わさない。
「有栖姉さんが悪いなんて一言も言ってないじゃない。人を好きになるのは悪いことじゃないもの。今回はまあ、その―――」
桜凪さんは有栖先輩を傷つけないように慎重に言葉を選ぼうとしているのか、珍しく歯切れの悪い返しとなっていた。
私も頭の中で今回の一連の出来事を整理する。
私だって半強制的に巻き込まれてしまったのだから無関係ではない。巻き込まれた以上は、このままぼーっと突っ立っておくのは得策ではないように思えたのだ。
えーっと…
〇桜凪さん→有栖先輩
昔からの年上の幼馴染で、ほぼ家族のようなひと。
桜凪さんの親御さんがよく家を空けていたということは、小さい頃はもしかしてよく有栖先輩にお世話になってたりして…。
↑
この気まずさに居たたまれなくなった七海さん(有栖先輩の妹さん)
↓
〇有栖先輩→桜凪さん
一個上のボーイッシュな先輩。
桜凪さんを恋愛的な意味で好きになり、今日のお昼に告白。フラれてしまう。
そして私は…。あれ…??
「有栖先輩がだいすきな桜凪さんを寝取っちゃったドブネズミ!!!!??」
「うるさいわよ」
「あすいません…」
恋人に突然の大きな声を注意されてしまった…。これからはカビのように縮こまって生きていきましょうね~、あかねちゃん。というか、私デリカシーなさすぎだろ。もう頼むからしゃべらないでくれよ…。
桜凪さんはうなだれるように俯いている有栖先輩の前に膝をつく。
少しの間、長いようで短いような沈黙が続いた。
何かを言いかけては開きかけた口を閉じて、また言葉を探すように視線を落とす。
――傷つけたくないんだろうな。
それほど有栖先輩は大切な人で、特別なんだ。
七海さんも交えて、昔から一緒にいて、私には分からない思い出がたくさんあって、私が知らない時間をいっぱい共有してきた。
そんな、二人の間に何かが起きてしまった。
それは桜凪さんと有栖姉さんが重ねていった関係を変化させるもの。
「怖かっただろうな…」
思わずそう呟いてしまう。
――だって。
きっと有栖先輩は大事な関係にヒビを入れてしまい、最悪二度と同じ関係性に戻れないかもしれない可能性を分かっていて、そのうえで告白しただろうから。
私の独り言が耳に入ったのか、桜凪さんが有栖先輩の手に自分の手を重ねながらぽつりと言葉を零す。
「…ごめんね」
「え?」
有栖先輩は困惑しながら、重ねられた手を握り返す。
「…だって、ちゃんと貴女のことわかってあげられてなかった」
「違う、悪いのはボクで―――」
「――ほら、またそうやって自分を責める。昔から変わってないわね」
ただただ優しい表情だった。それでいて有栖先輩にはきっと鋭利な言葉――。
「有栖姉さん、私ね、嬉しかったのよ。大事な人から好意を向けられて、このまま流されてもいいんじゃないかって、少しだけそう思った」
―――しかし関係を戻したいというのなら、昨日までと全く同じとはいかないにしても、少なくとも、鋭利な言葉を飲み込まなければ前に進めない。有栖先輩はそれをわかっているのか、無言で頷いた。
「だけどやっぱり姉さんは姉さんよ。恋愛感情は向けられない」
「ほんとに姉さんのことが大好きだから私は姉さんとは付き合えないの。だって本気で私のことを好いてくれている貴女に失礼だから。これが私の答え」
「そうか……」
真剣なまなざしで自分のいとおしい家族のような存在を見つめる桜凪さんに、だれも何も言えなかった。
長い沈黙が続いた。
やがて口を開いたのは有栖先輩だった。
「また今まで通りに接することができるまで時間がかかるかもしれない」
「うん」
「由奈の顔を見るたびに、また今日のことを思い返すかもしれない」
「……うん」
「また君に気を遣わせてしまって、迷惑を、かけるかもしれない………怖いんだよ。君に離れられて、前みたいに一緒にいられなくなるかもって考えたら……」
有栖先輩の声がかすかに震えていた。
桜凪さんは何も言わなかった。
ただ無言で頷いて身を寄せて、そして――ハグをする。
「最後に一つ、言いそびれていたことがあったわ」
「有栖姉さん――」
「…なに?」
喉に詰まっていた言葉の続きを丁寧に吐き出すように、感情を紡ぐように言う。
「―――私のこと、好きになってくれてありがとうね」
「…っ…ぁぁ…………」
有栖先輩の頬から一滴の雫が零れ落ちた。
有栖先輩は言葉を返そうとするけれど、うまく話せない。
やがて耐え切れなくなり、小さな嗚咽だけが漏れたのだった。




