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花泥棒に恋をする  作者: 柏木椎菜


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十六話

 魔獣から助けられた僕はその後、怪我もなかったことからそのまま家へ帰らされた。でもその隣にトーラはいない……。彼女は僕と違って指を失う大怪我をしてたから、すぐに治療が必要で一緒に行くことができなかった。僕も治療を優先するべきだと思ったから、無理に連れて行くことはしなかった。お互いが不安な顔をしてたと思う。だけどトーラは笑顔を作って言ってくれた。治療を終えたら必ずあなたの元へ戻ると、だから待っててほしいと……。

 それから二ヶ月が経ってた。部屋の掃除を終えて一息ついた僕は、作ったハーブティーを入れて喉を潤す。トーラが美味しいと言ってくれたお茶……彼女を待ち侘びる間、僕は毎日のようにハーブティーを作って飲んでた。いつ現れてもすぐに飲んでもらえるように。でも彼女は今も戻らない。手紙とかの連絡もない。音信不通の状態……いろいろ嫌な想像はしてしまう。レイダルに捕まってるんじゃとか、皆に責められてひどい目に遭ってるんじゃとか、心配をし始めると切りがない。もう一度エルフの都へ行こうかって何度も考えたけど、そのたびに僕は自分を引き止めた。必ずあなたの元へ戻る――トーラはそう言ってたんだ。その言葉を信じたかった。二ヶ月なんてエルフにしてみれば大した日数じゃないのかもしれない。丁寧に治療して、都を離れる準備を抜かりなくやってるだけだ。そんなに心配することじゃない。気長に待ってればいい――ともすると家から飛び出したくなる気持ちを、そんなふうに毎日なだめながら、僕は今日も彼女を待ち続けて時間を過ごす。

「……少し、描こうかな」

 お茶を飲み終えた僕は、椅子から立って部屋の隅へ向かう。そこに置かれたまだ未完成の絵……かかった布を取り払って、色の付いてないトーラの姿を眺める。彼女を待ってる間、ちょっとずつ色塗りを進めて、今は背景を終えて服の色付けをしてる。髪や肌はトーラが来てから塗ろうと考えてて、まだ画布の白のままだ。一番大事な顔の表情……脳裏には下書きをした日の彼女の姿がありありと残ってたけど、それでもやっぱり本人を前に描いたほうがより正確なものになるだろう。そうしたほうがトーラだってもっと満足してくれるはずだ。僕は傍らの絵の具や筆を手に取って準備を始めようとした。

 コンコン、と玄関から音がして手を止める。滅多に叩かれない扉の音……それだけで僕は息を呑み、胸の鼓動が速まった。どなたですかと聞いてもよかったけど、そうするよりも先に足と松葉杖を動かしてた。そのわずかな時間も待てないかのように、扉はコンコンともう一度叩かれた。今開けるから待って――取っ手を握り、勢いよく開けた。

 あ、とお互いの目が合う。小さく息を吸って、丸かった緑色の瞳が穏やかに細められる。

「ファルク……!」

 呼ばれた瞬間、僕は松葉杖を捨てて待ち侘びた彼女を抱き締めた。そんな僕を支えるようにトーラもギュッと抱き締めてくれる。

「待たせてしまって、ごめんなさい」

「こうして戻って来てくれたなら、謝らなくていいよ」

 耳元で言葉を交わしながら、ようやく触れ合えた喜びに感極まる。この瞬間を、どれだけ待ち望んでたことか――僕の感情が高まり過ぎたのか、無意識に腕に力が入ったようで、苦しいと言ってトーラが背中を叩いたから、僕は慌てて身を離した。

「ご、ごめん。つい……」

「こんなに力があるなんて知らなかった。でも、苦しくても嬉しいわ」

 ニコリと笑って、トーラは松葉杖を僕に渡してくれる。

「ありがとう。……さあ、中に入って。ハーブティーがあるんだ」

「本当? また飲みたいって思ってたの!」

 中へ入ると、僕はトーラを椅子に座らせてから、コップを持って来てハーブティーを入れた。どうぞと差し出すと、一口、二口と飲んだトーラは美味しいと笑う。そんな姿を僕は向かいの席から眺めた。

「……その、右手、もう痛みはない?」

 机に置かれた右手が目に入って僕は聞いた。

「ええ。綺麗に処置してくれたから、痛みはないわ」

 トーラは右手を上げてヒラヒラ動かしながら僕に見せてくれる。失った二本の指の傷口は確かに綺麗に縫合されてて、見た目にも痛々しさはない。

「でも、指が減っちゃったから、力が入れにくくなっちゃって。何か物を持つのは利き手じゃない左手を使わないといけないから、慣れない今は不便で仕方ないわ」

 左手で握ったコップをわずかに揺らして、トーラは苦笑いを見せた。

「よくわかるよ。僕も前はそんな感じだった……困ったら遠慮なく言って。僕の手を貸すから」

「ありがとう。その時はそうさせてもらう。でもできるだけ一人で頑張るわ。じゃないといつまで経ってもこの手に慣れないと思うから」

「そういうこともあるね。だけど無理し過ぎは駄目だよ。焦る必要なんてないんだから」

 わかってると微笑んでトーラはお茶を飲んだ。

「……ところで、都では大変な目に遭ってなかった? レイダルに何か言われたり、周りの人達から非難されたりとか。君を待ってる間、ずっとそれが心配だったんだけど……」

 そう聞いた僕にトーラは明るく言う。

「そんなことにはなってないから大丈夫よ」

「本当に? でも慣習を破るのは許されないことなんだろう? 誰も、何も言ってこなかったの?」

 トーラはコップを置くと、小さく肩をすくめた。

「最初は、もちろんいたわ。私が怪我をするに至った経緯と事情を説明したら、その場の全員が眉をひそめてた。慣習に逆らう不届き者だと思ったんでしょうね」

「それは、ご両親にも話したの?」

「ええ……すごく怒ってた。私達に恥をかかせる気かって。もしそんなことをすれば、お前をもう娘とは思わないとまで言われたわ」

「そこまで怒らせて、よく無事に都を出て来られたね」

「何を言われようと、くじけず、諦めず、粘り強く説得し続けたから。それであなたを二ヶ月も待たせることになってしまって……」

「そうだったの? 二ヶ月間、一人で皆を説得して……?」

 これにトーラは首を横に振る。

「一人じゃない。レイダルも一緒にしてくれたの」

 思わぬ名前に僕は一瞬聞き間違いかと思って、すぐに聞き返した。

「……レイダルって言ったの? レイダルって、君の許嫁だった、あのレイダル?」

「ええ。彼以外にレイダルはいないわ」

 この事実には首をひねるしかなかった。

「待ってよ。彼は君を慣習に従わせようとしてた男で、ご両親と同じ立場だ。それなのに何で説得に協力なんかするんだ? それを阻止したい側じゃないのか?」

「説得に付き合うと言われた時は、私も驚いたわ。彼はてっきりまだ婚姻を諦めてないものと思ってたから」

 僕もそう思ってた。トーラを追って、危険な魔法まで使って捕まえようとしてたやつだ。慣習への固執はかなりのものだと思ってたのに。

「理由を聞いたら、私を見てて、考えが変わったと言ってた」

「君を見て……?」

「ええ。レイダルいわく、皆から何を言われても自分の望みを貫こうとしてる姿に、思わず自身をかえりみたそうよ。心に嘘をつかずに本音をさらす私に強さや勇敢さを感じる一方、自分は言われ、決められたことに従うだけで疑問にすら思わなかったことが恥ずかしいと。その上、私を追った結果、大怪我までさせたことを悔いて、深く反省してるとも言ってくれたわ」

「君に謝ってくれたの?」

「彼も私と同じように、慣習に対しては少なからず迷いがあったんでしょうね。でも周りの目を気にしてそれには蓋をしてきた。だけど私の行動を目の当たりにして、自分の本心に向き合うことになった。考えが同じなら、一緒に動くべきじゃないかって」

「それで、協力を……」

 トーラは微笑みながら頷く。

「自分の心に従う覚悟をしてくれたの。でも彼は、説得に協力して私に償いたいとも言ってくれたわ。許嫁として、さんざん縛り付けてしまったからって……。そんなの必要ないって言ったんだけど、彼はそれじゃ気が済まないって言うから、仕方なく受け入れたわ。そういうきっちりしたところは変わるつもりがないみたい。いかにもレイダルらしいわ」

 苦笑を浮かべたトーラに僕は聞く。

「それじゃあ、レイダルもきっちり説得してくれて、上手く行ったの?」

「ええ。彼は弁が立つから、すぐに相手の気持ちを揺り動かしてくれたわ。お互いの家族や長老議員まで……全員を説得できたわけじゃないけど、頑なだった考えを少しは妥協させるまでには至って、二ヶ月かけて、どうにか婚姻の解消までたどり着いたの。私一人だけだったら多分、半年とか一年とか……最悪、果たせてなかったかもしれない。今ここに私が来られてるのは、レイダルのおかげとも言えるわ」

「そうか……何か、複雑な感じだ。彼には追われて、君は怪我を負うことになったけど、その彼に最後は助けられるなんてさ。……レイダルは都にいるんだろう? 一人で大丈夫なのかな。慣習を破ってひどい扱いされてないかな」

「私もそれは心配したんだけど、彼は大丈夫だと言ってた。説得して回る中で賛同してくれた同志で集まって、これからも古い慣習を見直す声を上げ続けるそうよ。エルフに自由な恋愛を――両想いの幼馴染みがいる彼にとっては、それが一番の悲願なのかもしれないわね」

 レイダルも、ようやく本当の望みを得られるんだろう。一時は嫌なやつとも思ったけど、今は幸せになることを願いたい。

「……都での問題は、これで一応済んだって思っていいの?」

「私とレイダルの問題は解決したわ。あとはエルフ族としての問題があるけど、それはまだ時間がかかるでしょうね」

「その問題提起の発端は僕達だ。これからは都へ行きづらくなっちゃうかな……」

「白い目で見る人は少なからずいると思うわ。だけど私は構わない。やり残したことを果たすために行くわ」

「やり残したことって?」

「ヤーゲンの森の再生よ。せっかくあなたが魔法薬の材料を持って来てくれたのに、使わず無駄にするなんてこと、したくないから」

「じゃあ、また都へ戻るの……?」

 寂しさをよぎらせながら聞くと、トーラは遠慮がちに、はにかみながら言った。

「それなんだけど……あなたがもしよければ、ここから通う形で、私も一緒に暮らしても――」

「いいに決まってる!」

 僕の即答に、トーラは丸い目を向けてくる。

「……本当に、いいの?」

「うん。僕は始めからそのつもりだったし、君がそう言ってくれなかったら、僕のほうから誘おうと思ってた。……トーラのほうこそ、こんな家でいいの?」

「この家は立派で素敵よ。花の咲く庭もあるし。あなたと住めるなんてとても嬉しい」

「僕のほうこそだよ。一人暮らしにはちょっと広かったし、来てくれれば寂しさもなくなる。何より一緒にいられる時間がこれで増えるんだ。僕にとっては最高のことだよ」

「そう言ってくれてよかった。正直、自分の家にはまだ戻りづらかったから、ここから通えるのはありがたいわ」

「これからはここを自分の家だと思ってよ。嫌になるまでいていいから。内装が気に入らなければ好きなだけ植物を飾ったっていいし」

 男の一人暮らしだから、装飾なんてほとんどない地味な部屋だ。明るく華やかにする余地は有り余ってる。

「ふふっ、そうね。エルフから見ると、人間の家は緑が少な過ぎるかも。明日にはあちこちに鉢植えを並べてるかもしれないわ」

「そうしたら僕も手伝うよ。君の好きな花や植物を探して来る」

「じゃあ私も、あなたの好きな植物を探すわ。お互いが採って来たもので飾られた部屋……きっと心が安らぐわ」

 緑に囲まれた空間を想像してるのか、トーラは部屋をぐるりと見回す。と、その目が片隅で留まった。

「……あの絵、まだ描いてるのね」

 僕の描きかけの絵を見たトーラが聞いてくる。

「少しずつ色を塗ってるところ。近くで見てみる?」

 ええ、と立ち上がった彼女と一緒に僕達は絵の前へ行く。

「素晴らしい背景ね。服の質感も本物みたい。……私の色付けはまだやらないの?」

「それなんだけど、できたら君を見ながら塗りたいと思ってて。表情とか、実際に前にいてもらったほうが、もっと表現できるかなって……どう?」

 トーラはじっと絵を見つめてから答えた。

「……もっと良くなるって言うなら、喜んで」

「よかった。ありがとう。じゃあ君の都合のいい時にでも――」

「だけど、一つだけ注文してもいい?」

 少しかしげた微笑がこっちを見る。……な、何だろう。僕に不服なことでもあるのか?

「何……?」

「描き直してほしいところがあって……」

 平静を装いながらも心はうろたえた。やっぱりそうなのか! トーラはこの絵の出来に納得してない――僕はすぐに謝った。

「君の自然な姿を表現するには、僕の技術じゃ足りなかったか……ごめん。気に入らないって言うなら始めから描き直すよ」

 これにトーラは目をぱちくりさせると笑った。

「ちょっと待って。勝手に私がこの絵を気に入らないなんて決め付けないでよ」

「え? でも、描き直してほしいって……」

「全部とは言ってないでしょう? 私が描き直してほしいのは、ここだけ」

 そう言って絵の一部分を指差す。示したのは、膝の上に乗せられた両手。特に変な構図にはなってないけど――そう思った直後にハッとした。そしてトーラを見ると、穏やかな笑顔がこっちを見てた。

「以前の姿のままでもいいんだけど、でも私を描いてくれるなら、今のこの姿を描いてもらいたいの」

 指の欠けた自分の右手を見下ろして言った声に暗さはない。むしろ前向きな感情を強く感じ取れた。

「そのまま、描き直してもいいの……?」

「ええ。お願い」

 トーラは笑顔で、真っすぐ答える。

「そう言うなら、すぐに描き直すけど……左手で隠して描かないってことも――」

「それは駄目。ちゃんと描いて。このままの手を、しっかり描いてほしいの」

「どうしてそんなにこだわるの? いや、傷は隠すものとは思ってないけど、心情的にはあまり見せたくないものだと思うから、何か不思議に感じて……」

「不思議か……そうかもしれないわね。でも私にとって、この右手はただの傷付いた手じゃなくて、自由を得た証なの。指を失った代償に自由を、そしてあなたとの時間を得られた。誇れる右手だと思ってる」

 トーラは迷いなく、堂々とそう言った。自由を得た証――この言葉に僕は共感した。彼女と僕は同じだ。トーラは指だけど、僕は足……魔獣に右足を傷付けられ、切断し、除隊を余儀なくされたけど、それと引き換えに僕は自由を手に入れられた。この自由がなければ、きっとトーラと出会うことはなかっただろうし、心を通じ合わせることもなかったんだ。これと同じように、彼女も指を失ったことは自由を得た代償だと思ってる。ただの痛みや喪失じゃなく、自分の望みのために必要な代価だったと。だから左手で隠す理由なんてなく、誇るべきもの――

「そうだね……確かにその通りだ。僕達は身体の一部を代償に自由を得た。そして今こうして一緒にいることができてる。君の右手の傷は、僕にとっても大事な証になる。僕を守ってくれた、愛の証……描き直さないわけにはいかないね」

「無理を言ってごめんなさい。どうしても描いてほしくて……」

「いや、すごく嬉しい。それに、ちょっと安心した。君が落ち込んだり、引きずったりしてなくて。僕は右足をなくした時、結構荒れてたからさ」

「私だって完全に気持ちを整理できたわけじゃないわ。だけど、こうして前向きになれるのは、ファルク……あなたが側にいて、私に幸せをくれるから」

「それは僕だって。トーラ、君は思いがけない幸せを僕に与えてくれてる……」

 一瞬、視線が絡まったようにお互い見つめ合った。次にはどちらからともなく身を寄せ、顔を近付け、唇を重ねてた。崩れてしまいそうに柔らかな感触……それを数秒間堪能して僕は顔を離した。目を開けると、至近距離でトーラの目と合った。キラキラした希望の光が灯った瞳。そんな綺麗な眼差しに見つめられてることに僕は何だか急に気恥ずかしくなって、照れ隠しで笑いを浮かべた。すると彼女もつられたように、フフッと笑い声を漏らした。

「ちょっと、恥ずかしくなっちゃった……」

「僕も。まだ、始まったばっかりだから、しょうがないよ」

 顔を見合わせて僕達は笑う。その下で手を握り合って、進み始めた二人だけの時間を感じる。あの日――庭にトーラが現れた日、彼女が僕の幸せになるなんて想像すらしなかった。一目惚れして、エルフだと知って、許嫁がいると知って……でも気持ちが通じて、今こうしてるのは本当に不思議に思える。だって彼女は花泥棒だったんだ。人のものを盗るしかできないはずだったのに、それが僕に愛と幸せを与えてくれる存在になるなんて。この話を誰かに話しても、多分信じる人は少ないだろう。エルフの花泥棒が人間の僕と結ばれる――自分のことでも信じられないぐらいだ。でも本当にあったことで、夢でも作り話でもない。そしてこの先も僕達は手を取り合って進んで行くだろう。代償と引き換えに手に入れた自由を携えて……トーラと一緒なら、視界はどこまでも良好だ。

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