試験当日
月日は無情に過ぎていく。
アイリスドロップを手に入れてくると行ってリングが消えてから早1ヶ月。
そう、もう1ヶ月が経ってしまったのだ。
あの日からリングの姿を見ないまま、美穂奈は王立魔法院の入学試験当日を迎えていた。
美穂奈の魔力の制御さえ上手くいけばこんなまどろっこしい手を使わなくても良いだろうと、この1ヶ月割と必死で頑張っては見たが、駄々漏れだった魔力を頑張れば止められる程度しか進歩しなかった。
「いやでも、倒れなくなったのは大きいよ?ミホナ。」
「下手な慰めはいらないわ、ラズ。」
試験を受ける為に王立魔法院へと重い足取りで歩きながら、美穂奈は街の中に視線を巡らせる。
「というか、リングは一体どこまでアイリスドロップとやらを探しに行ったのかしら?あの日以来姿見せないし、野垂れ死んでないでしょうね……。」
「リングの事だから大丈夫だとは思うけど。それより僕は、あれから姿を見せないハープの方が気になるよ。今日の詳細も全く何も聞いてないし、本当に大丈夫なのかな……。」
ハァ。と、2人揃って息を吐く。
「……不合格だった場合、マズイのよね?」
「そうだね。まぁ、ミホナにも僕にも大したペナルティはないだろうけど、リングの家の尊厳に関わってくるからね。」
美穂奈は知ってる。
格調高い家ほど、そういうものにこだわり、色々と面倒だという事を。
たしかに、美穂奈自身にペナルティはないかもしれないが、その後リンドベルイ家に確実に睨まれるだろう。
「ミホナ。着いたよ。」
言われて顔を上げると、王立魔法院はもう目の前だった。
ラズが門番の様な人に通行証の様な物を見せ、中に入るのを会釈しながら付いて行く。
広い庭を素通りし、校舎内を歩く。
同じ様な石造りの壁を伝い、同じ様な石造りの柱を曲がって、同じ様な石造りの廊下を歩く。
(……もし合格出来たなら、まずは道順を覚えないと毎日迷子ね。)
そう心の中で呟いてから、美穂奈は自嘲した。
合格出来たら、なんて心配が出来るとは余裕だな……と。
美穂奈の今の実力をそのまま判定してもらうならば、確実に不合格だろう。
それでも、合格出来たらなんて考えるのは、自分が『赤の原色』で特別だから……ではない。
ラズやリングに任せれば、何とかなるんじゃないかと思っているのだ。
他力本願も良いところである。
でも、それだけ信頼しているのだ。
それは、昔の美穂奈からしたらあり得ない事だった。
自分の周りにいる人間なんて、全て信じられなかった。
一種の人間不信だったと思う。
大財閥の一人娘と言っても、美穂奈は養女だ。
親戚一同、他の財閥の人間だって、美穂奈の事を妬み、疎ましく思いながら将来の為に媚びを売る。
そして、隙あらば全てを奪おうと画策しているのだ。
そんな中、のほほんと親切を全て鵜呑みにして心から感謝なんてしていたらすぐに喰われてしまうから。
だから、常に気を張って、誰も信じず疑って、何かあっても誰にも相談なんかせず1人で解決してきた。
けれど、今の美穂奈はラズとリングを無条件に信じている。
それはこの特殊な環境のせいでもあるかもしれないけれど、それでも今までそうやって生きてきた美穂奈があっさりと信じられたのはやはり自らの肩書きのないこの世界と、ラズとリングの人柄が大きいと思う。
だって、異世界から来たとかいう与太話に付き合ってくれているのだ。
美穂奈なら信じないし、係わり合いにならない。
けれど、ラズとリングは何だかんだで美穂奈の言葉を信じ、協力してくれる。
異世界なんてところにいきなり1人で放り出されて、少なからず心細い思いをしているところを親切にされたら、ついうっかり懐いちゃっても仕方がないと思うのだ。
「着いたよ。」
大きな両開きの扉の前でラズが立ち止まり言った。
「随分と立派な扉ね。」
「今日、試験で使う大ホールは、魔法の実技試験とかにも使われるからね。万が一にも事故が起きた場合、被害を最小限に食い止める為に、防御魔法等の律が扉や壁に編み込まれているんだ。物に律を編み込む場合、矛盾が少ない方が定着させ易いから、扉もごつくなるんだよ。」
「矛盾が少ない?」
どういう意味だと首を傾げる美穂奈に、ラズは少し考えてから例を出してくれた。
「例えば、同じ大きさの木の塊と鉄の塊があるとして、この2つのどちらかに防御系の魔法を編み込むなら、鉄の塊の方が定着し易い。何故なら、元々の能力からいって、木より鉄の方が丈夫だから。逆に浮遊系の魔法を編み込むなら、木の塊の方が定着させ易い。何故なら、木は鉄よりも軽いから。」
「なるほど。理に適ってるわね。」
「後、魔法を使うのと定着させるのは少し違ってね。さっきの木の塊と鉄の塊で言うなら、攻撃されたこの2つを守るのに、僕が魔法を使う。木の方を守るのにも、鉄の方を守るのにも使う魔力量等は一緒なんだ。僕が防ぐのは攻撃で、同じ攻撃をされたなら、その攻撃を打ち消す労力も一緒だから。でも、定着は違う。木の塊に100%の力を使って定着させたなら、鉄の塊には30%程で良い。何故なら、木の塊の方は、一度鉄の塊と同じくらいの強度にして、さらに強化するから、鉄の塊に比べて過程が1つ多いんだ。その分、魔力を使う。」
「なるほど!という事は、この扉も、ごつくて丈夫な程、防御系の魔法を定着させる手間が省かれるって事ね。」
美穂奈の言葉に、ラズは優しく頷く。
「そういう事。しかも定着は、時間が経てば少しずつ効果が薄れていくものだから、時々律を編み直してあげなきゃいけないんだ。その度に、100%の力を使っていると効率が悪いでしょ?」
それはたしかに効率が悪いと美穂奈は頷く。
人件費は馬鹿にならない一番高い出費なのだ。
それならば、先行投資で少し高い扉を買った方が早いし安いだろう。
「定期メンテナンスもいるなんて、魔力の定着って燃費悪いわね。」
「そうだね。でも、宝石と一緒で戦略の幅は広がるし、出来ると便利なものだよ。ミホナにはまだ少し早いけど。」
その言葉には苦笑するしかない。
「そうね。私はまず、魔力の定着より魔法。魔法より魔力のコントロール。魔力のコントロールよりも目の前の試験よね。」
まだまだ先は長いと息を吐き、美穂奈は試験会場である大ホールの扉に手をかけた。
少し重い扉を精一杯押し開けると、そこはとても広い空間が広がっていた。
「……誰もいないわね。」
呟いて、美穂奈は周りを見渡す。
少し早い時間だが、準備も何もされていないのは変だと思いラズを見上げる。「あれ、おかしいな。たしか大ホールでって聞いたんだけど……。」
そうすると、やはりラズも不思議そうな顔で中を見渡していた。
という事はだ。
これがこの世界の通常試験スタイルなのではなく、異常な光景だという事だ。
全員が遅刻。
日付を間違った。
時間を間違った。
場所を間違った。
もしくは、それらが変更された。
色々考えられるが、どれが正しいのかは分からない。
「一度、誰かに場所や日時を確認した方が良いんじゃない?」
美穂奈の言葉に、ラズが1つ頷く。
「そうだね。ちょっと確認してくるから、ミホナはココで待っててくれる?」
その言葉に、美穂奈は無言で扉に背を預けラズに手を振った。
少し歩き疲れたし、ラズの申し出は有り難かったので、休む事にする。
「すぐ戻るから。」
そう言って、走って行くラズの背中を見送り、美穂奈は「うんっ」と伸びをする。
それにしても、広い学校だ。
美穂奈が通っていた学校も、無駄に広かったがココはその比ではない。
しかも、デザイン性もないので、目印になるようなものもなく、右も左も分からない。
今も、大ホールを背に立ち右と左に伸びる廊下を見比べるも、全く同じにしか見えない。
どっちから来たのかも、分からなくなりそうだ。
「……こっち、よね?」
考えてから、ふと心配になって小さく呟く。
方向音痴ではないが、こうも同じ景色が続くと麻痺してくる。
美穂奈は大ホールの扉から背を離し、来た方向であろう廊下を見る。
「あら?あなたが噂の赤の原色ちゃん?」
と、背後から聞こえてきた艶を含んだ声に振り向くと、そこには1ヶ月ぶりの紫色の美女が優雅に立っていた。
「ハー……。」
ハープお姉様と呼ぼうとした美穂奈にそっと人差し指を唇に当て黙る様合図したハープに、美穂奈はコクリと頷き口を噤んだ。
「ほう、君が。」
と、ハープの後ろから男の人が1人、姿を現した。
歳は50過ぎぐらいの、どこにでもいる様なおじさん。
誰だろうと首を傾げていると、ハープがおじさんの腕にまとわり付くように腕を組んだ。
「初めまして、赤の原色ちゃん。あたしはハープ=ビオリラ。で、この人がゴーデン=ノーマン様よ。今日、あなたの試験を見学させてもらうの。よろしくね?」
「美穂奈です。宜しくお願い致します。」
ペコリと頭を下げると、ノーマンは「期待している。」と言い残し、ハープと一緒にすぐにその場を立ち去った。
「ハープお姉様、何を考えてるのかしら?」
とりあえず、ハープの態度から推測するに、知り合いだと気取られない様にした方が良いのだろうけども。
「お待たせ、ミホナ。試験会場は、中庭に変更になった……どうかした?難しい顔して。」
戻ってきたラズに、美穂奈はそんなに変な顔をしていたのかと、慌てて笑顔を作る。
「別に何にもないわ。ただ、ハープお姉様に会っただけよ。」
「ハープに!?え、で、どこ行ったの?!」
美穂奈はハープが消えた方の廊下を指差す。
「あっち。なんか、私の試験の見学をするそうよ。ゴーデン=ノーマンという人と一緒に。」
「ゴーデン=ノーマン!?え、彼が試験の見学?!」
「えぇ。ハープお姉様曰く。というか、あのおじさんは、誰なの?」
「この魔法院に多額の寄付をして下さってる方だよ。でも、彼は……。」
そう呟いたまま、難しい顔で考え込んでしまったラズに、美穂奈はチラリと外にある太陽の位置を確認した。
「とりあえずラズ、移動しない?そろそろ時間よ。」
「あ、ああ。そうだね。」
まだどこか腑に落ちない顔をしたラズが、一度太陽の位置を確認して頷いた。
ハープが何をする気なのか、リングは間に合うのか、ゴーデン=ノーマンという人は一体なんなのか、試験内容とはどんなものなのか。
何1つとして分からないまま、美穂奈はラズと共に、王立魔法院入学試験の会場である中庭を目指すのだった。