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いらないと言われたので消えたら、彼は私を思い出せなくなった  作者: あめとおと
"いらない”と言われたので、消えました。

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第7話:残されたもの


最初に“おかしい”と言い出したのは、侍女だった。


「……申し訳ありません。確認させてください」


 朝の支度の最中。

 手元の一覧表を見ながら、彼女は困ったように眉を寄せた。


「何だ」


 短く促す。


「本日のご予定に、“調整済み”の印があるのですが……その、誰が調整したのかが」


「担当は?」


「それが……記載がなく」


 あり得ない話だ。


 この城で、記録が曖昧になることはない。


 誰が、いつ、何をしたか。


 すべて残る。


 残させている。


「見落としだろう。確認し直せ」


「はい、ですが……」


 言い淀む。


 珍しい。


「何だ」


「いえ……筆跡が、どうしても」


「筆跡?」


「見覚えが、ある気がするのです」


 曖昧な言い方。


 それ自体が、不自然だった。


「ある気がする、では仕事にならない」


「……はい」


 頭を下げる。


 それ以上は、言わない。


 だが。


 その表情は、どこか納得していなかった。


 ――それが、妙に気に障った。


 昼前。


 執務室の扉が、控えめに叩かれる。


「入れ」


 許可を出すと、別の侍女が顔を出した。


 普段は落ち着いている彼女が、どこか慌てている。


「失礼いたします。少し、よろしいでしょうか」


「簡潔に」


「はい。あの……厨房の方で、問題が」


「問題?」


 眉をひそめる。


「本日の献立に、準備が進んでいないものがありまして」


「担当は何をしている」


「それが……」


 また、その言葉。


「“それが”ではわからない」


「申し訳ありません。ただ、その……本来であれば、既に指示が出ているはずで」


「はず、ばかりだな」


 苛立ちが滲む。


 曖昧な報告が続くのは好ましくない。


「責任者を呼べ」


「はい」


 すぐに、料理長が呼ばれた。


 額に汗を滲ませながら、深く頭を下げる。


「申し訳ございません。手配に不備がありました」


「原因は」


「それが……指示書に、抜けが」


「誰の指示書だ」


 問いに、彼は口を閉ざした。


 数秒の沈黙。


「……わかりません」


 絞り出すような声。


「ふざけているのか」


「いえ、決して。その……確かに、見覚えのある書式なのですが」


 また、それだ。


 見覚えがあるのに、わからない。


 全員が、同じことを言う。


「名前は」


「……記されておりません」


 あり得ない。


 そんな書類が通るはずがない。


 通した覚えもない。


 なのに。


 現に、存在している。


「その書類を持ってこい」


「は、はい」


 差し出された紙を受け取る。


 整った字。

 無駄のない構成。

 的確な指示。


 ――見事だ。


 思わず、そう思うほどに。


 だが。


「……誰だ、これは」


 わからない。


 こんな仕事ができる者を、知らないはずがない。


 知らない、はずなのに。


 知っている気がする。


 何度も見たことがあるような。


 当たり前に使っていたような。


 そんな感覚だけが、残る。


「殿下?」


 呼びかけに、はっとする。


「……いや」


 紙を机に置く。


 整えられた線が、やけに目についた。


「再発防止を徹底しろ」


「は、はい!」


 料理長は慌てて退室する。


 残された静寂。


 机の上には、例の書類。


 視線が、そこに吸い寄せられる。


 完璧だ。


 だからこそ、不気味だった。


 午後。


 さらに小さな“ほころび”が重なる。


 花の手配が遅れる。

 来客の案内が一件、行き違う。

 些細な齟齬。


 どれも致命的ではない。


 だが。


 積み重なると、確実に歪む。


「……どうなっている」


 低く呟く。


 誰に向けたものでもない。


 答えも、ない。


 ただ。


 ひとつだけ、はっきりしていることがある。


 ――今まで、こんなことはなかった。


 完璧に回っていた。


 何の滞りもなく。


 それが当然だった。


 それが、“普通”だった。


 なのに、今は違う。


 何かが足りない。


 誰かが、いない。


 そんな感覚だけが、確かにある。


 夕方。


 侍従が、慎重に口を開いた。


「……殿下」


「何だ」


「本日の不備についてですが」


「ああ」


「原因は特定できておりません。ただ……」


 言葉を選ぶように、間を置く。


「一様に、“誰かの作業が抜けている”ような形になっております」


 静かな報告。


 だが、その内容は重い。


「誰か、だと?」


「はい。しかし、その“誰か”が――」


 そこで、言葉が止まる。


 言えないのだ。


 言葉にできない。


 存在を、認識できないから。


「……曖昧だな」


「申し訳ございません」


 頭を下げる。


 責める気はない。


 だが。


 納得も、できない。


 沈黙が落ちる。


 部屋の空気が、重くなる。


 ふと、視線が机の端に向かう。


 空白の場所。


 何もないはずの場所。


 そこに――


 何かがあったはずだと、思ってしまう。


 触れれば、すべてが繋がるような。


 そんな錯覚。


「……くだらない」


 吐き捨てる。


 考えるな。


 証拠のない感覚に、意味はない。


 合理的に、処理しろ。


 そう、何度も言い聞かせる。


 なのに。


 指先が、無意識にその空白に触れていた。


 冷たい机の感触。


 それだけ。


 それだけのはずなのに。


 胸の奥が、わずかに痛む。


 理由は、ない。


 あるはずがない。


 だってそれは――


 最初から、存在しないものなのだから。


 それでも。


 確実に。


 何かが、崩れ始めていた。





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