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8.「オーロラ」-1

 換気のために窓を開けると、暖房に暖められていた部屋の中にするりと冷たい空気が差し込んできた。

 十二月も半ばになれば関東平野でも流石に冬の気配が強くなってくる。いつだか木原が歌で蘇らせた観葉植物も、気づけば再び葉を垂らしていた。


「寒くなりましたねー」

「そうだなぁ。年の瀬を感じるわ」

「私はテストが三つ終わったら「解・放! 年末っ!」って感じですね」

「お前も勉強嫌なんだな、ちょっと意外かもしれん」

「好きか嫌いかで言えば嫌い寄りですよ。あ、もちろん化学は大好きですけど!」

「おーおー、真っ正面からのお世辞とは相変わらず教師を舐めてやがるぜ」

「……嘘じゃないのに……」


 木原は気まずそうな表情で何かを呟いていたが、よく聞こえなかったのでスルーすることにした。


 しかし、勉強など苦にもしていないように見える割に、そういうところは木原もちゃんと普通の子供っぽさを保っているらしい。


「んで、勉強パートは終わったわけだが、今日の魔法パートは何をするんだ?」

「あ、そうでしたそうでした」


 椅子からぴょんと立ち上がった木原は、壁際に置いてあった鞄に手を伸ばし、中から一冊のパンフレットを取りだした。

 表紙の中央には、真っ黒な夜空に鮮烈な緑と赤が走る写真が載っている。


「これ、見に行きませんか?」

「オーロラか!」


 木原はにやりと笑って胸を張った。


「今ならたぶんカナダが夜です。ひとっとび、どうですか?」

「軽く言うねぇ」


 イエローナイフとかを目指すのだろうが、普通は飛行機を乗り継いで片道丸一日の長旅になるものだ。それを部活の時間中に行って帰ってとするのだから、やはり木原の力は計り知れない。


「先生は夜空が好きってのは分かってますけど、どうせオーロラも好きですよね?」

「どうせと括られるのはなんか癪だが、大正解だ。俺にオーロラを語らせたらそれで一日が終わるぜ?」

「やった、ガチ勢の解説付き。見に行ったことはあるんですか?」

「大学の春休みにノルウェーに行ったな。その時は見れなかった」

「うんうん、やっぱ運頼みって言いますもんね普通は」


 木原は意味ありげに頷いてから「その点」と指を立てた。


「私はさかき先生だけの超能力者なので、地球上で一番きれいにオーロラを見れる場所に先生を絶対に連れて行くことができます」

「おお!」

「下調べも完璧です、今日はカナダの東の方が晴れていて、オーロラ予報もばっちり」


 木原が見せてくれたスマホの画面には、ハドソン湾近くのエリアに濃い緑の表示が被った地図が映っていた。

 かつて俺がノルウェーに行った時には三日三晩恵まれなかったのに、なんとまあ都合の良いことか。


 ……いや、逆か。

 木原は前からオーロラを見に行こうと考えていて、今日が一番都合がよさそうだったから俺に声をかけてくれたんだろう。

 二週間前、定期テストで70点をとってふてくされていた頃からは想像もできないほどに俺を信頼してくれているらしい。

 あの一件以来真剣に木原への教え方を研究してきた甲斐があった。当然俺の勝手な努力など木原が知る必要はないが、こうして注いだ熱を返してくれるというだけでも教師冥利に尽きるというものだ。


 にしても、まさかオーロラとは。


「やべえ、もうワクワクしてきた」

「良い顔しますね先生。学生時代の忘れ物、一緒に取りに行きましょうか」

「おう、頼む」

「じゃあちょっと改変しますねー身構えてくださいー」


 きーん。


「……っ、お、おお?」


 流れ作業のような注意喚起の後に襲ってきたいつもの頭痛に耐えた俺は、自分の中に知らない知識があることに気づいた。


 頭の中を泳ぐような気分でそれを探る。


「むむむ……?」


 何だろう、俺の触れないところに俺の身体があって、それを指みたいに割と器用に動かせる、そんな感じがする。VR、的なものとはちょっと違うだろうか。


「背負う……いや、腕みたいに伸びるのか……?」


 悩みながら謎の感覚を確かめていると、木原が咳払いで俺の気を引いた。


「ええと、先生は今、好きなように空を飛ぶことができます」

「え?」


 嘘みたいなその言葉を俺の頭が理解する前に、木原が俺の方に歩み寄ってきた。

 ひょいと背中に回った木原は、俺の肩甲骨のあたりをぽんぽんと叩いた。


「ここから羽が生えていくイメージを頭に浮かべてください。天使の羽でも妖精の羽でもなんでもいいです」

「……なるほど、羽か」


 木原の誘導通り、背中に天使の羽が生えることをイメージする。

 にょん、と妙に爽快な感覚と共に何かが背中から出ていったのが分かった。


「ぬお、おお?」

「よし、生えてきまし……た……っ」

「ん?」


 木原の言葉が不自然に途切れた。


 背中を振り返ると、確かにそこには半透明の羽が生えていた。

 ただ。


「……なんかデザインが随分と……幼稚だな?」


 そこにあった羽は、幼稚園児が紙粘土をこねて作ったようなただの白い塊にしか見えなかった。羽らしい柔らかさや細かな毛など全くない、ただのつるんとした丸っこい、到底羽とは呼べないサムシング。


「私は別に、わ、悪くないと、思います、よ……っ、くっ」


 全力で笑いをかみ殺していた木原はそのサムシングと俺の顔を交互に見比べた後、手で口を覆って、膝から崩れ落ちた。

 

「……お前覚えてろよ?」

「な、なんでですか! ちょっと笑っただけじゃないですか!」

「お前が俺に生やした羽だろうが!」

「先生の頭の中にある羽のイメージがそれなんですよ、私は何も悪くないです!」

「じゃあもっかい改変してくれ、俺はかっこいい羽が欲しかったんだ!」

「嫌です! 面白いので!」

「この自己中超能力者めぇ!」


 その後少しの間俺と木原は押し問答を繰り返し、最終的に「今の姿を写真に収めるかわりに木原手ずから新しい羽のデザインをする」ということで決着した。

 なお、羽の姿は本当に俺の頭の中にあった設計図を元に生み出されたものらしい。つまるところ、予期せぬうちに俺の壊滅的美術センスが木原に露呈してしまっていたのだ。

 あの写真で間違いなく今後数ヶ月はイジられるだろう。

 タダでオーロラを見に行けると思ったらとんだ罠だ。

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