56話 最初は今と真逆だった
辺り一面を真っ白な絨毯で覆われている北の町にいると屈んで両手で雪を集め、丸めてしまいたくなる衝動に駆られるも厚みのない雪が覆う帝都だとその気は起きない。周りを一周した辺りでオルドーに中で待っていようとの言葉を受けたフィービーやアルドルは今回使用する一軒家に入った。
「すごいな。この広さで四人が住むのか」
「平均的な四人家族が住む広さだ」
北の町にいる間、アルドルがいるのは教会支部や孤児院の中。民家に入った経験はこれが初めて。入ってすぐに広がるのはダイニングテーブル、奥にはアルドルが見た中で一番小さい厨房。壁側には二階へ続く階段。
これが平民が住む家かと感心しているアルドルの背をオルドーは押した。
「入口の前で立ったままでいるな」
「この広さで四人暮らしなら少し狭くないですか」
「充分だ。貴族と平民では、普段の生活がまるで違う」
二階には部屋が四つ。子供部屋が一つ、夫婦の寝室が一つ、夫の書斎が一つ、物置に一つ。子供も小さい内なら相部屋は有りだろうが大きくなると嫌がるのでは? と感じた疑問をアルドルは投げた。
「性別が違えば、年頃になると嫌がられるでしょう」
「そこは臨機応変に変えていくだろう。物置にしていた部屋を子供に与えればいい」
「最初から子供部屋にしていればいいのに」
「各家庭によって考え方はそれぞれ。お前の考えがそうであるように、この家に住んでいた家族にも考えがあった。それだけさ」
「二階を見に行っても?」
「好きにしろ」
余程内見をしたくなったのか、許可を貰うと二階へ続く階段を上がったアルドルにフィービーも誘われた。内心興味があったフィービーはアルドルの後に続いて二階へ上がった。左右に二つの扉があった。
「家の大きさから察するに各部屋も広くはなさそうだな」
「寮の部屋と同じ広さかもしれませんね」
扉を開けて中を見れば、フィービーが寝泊まりしている寮の部屋より少し狭く感じる。家具は一人用の寝台に小さなタンス、テーブルと椅子が一脚。最低限の家具だけが置かれている。
「家の中は定期的に掃除をされているようです。埃一つ見つかりません。窓もつい最近誰かが掃除をした形跡がありますね」
「アシュフォード嬢が掃除人を手配したんだろう。君と此処で会うと決まったなら、綺麗にしておかないと、ってさ」
アイの気遣いに感謝をするフィービーの横を通ったアルドルはベッドに腰掛けた。
「アシュフォード家が管理しているのもあって綺麗で清潔に保たれている。元々住んでいた住民が毎日手入れを怠らなかったのもあるんだろう。こうして帝都を離れて叔父上のところへ押し掛け、違う場所に住んで一つ分かったことがある」
微かに、ほんの一瞬、好奇心に溢れていた黄金の瞳に寂寥が映った。
「家族というものに、おれはとことん縁がないと知った。君もじゃないか? フィービー嬢」
「それは……」
約束された地位、権力、贅が揃えられようとアルドルが欲したのは、従妹のダイアナに父リーンハルトが向ける愛情。物心ついた頃からリーンハルトが目を向けていたのはダイアナ。偶にアルドルに気付いても、レティーシャやジェイドが声を上げれば同じ色の瞳はすぐにダイアナへと変えられた。
「父上の目がおれに向かないのは、おれが父上の子じゃないせいだって本気で思っていた。どこをどう見ても父上のコピーのようなおれが血を引いていない訳がないのに」
笑って軽く言葉を紡ぐアルドルの瞳には、一瞬で消え去る寂寥が何度も浮かび上がる。実子であるのにも関わらず、両親の目は病弱な従妹に目を向けられ続ける。自分にとって利用するだけの相手と割り切る迄に何度傷付き、何度失望したのか。母が亡くなるまで温かい家庭環境にいたフィービーでは想像を絶する。
「フィービー嬢は驚くかもな。——おれは最初ミゲルの奴が嫌いだった」
「えっ」
意外過ぎる言葉を何でもない風に出され、反応の遅れたフィービーが固まっているとアルドルは思い出し笑いを見せた。皇太子という仮面を脱ぎ捨てた、素の笑みはやはり子供っぽい。
「意外?」
「え、ええ。それは、もう」
「おれの大嫌いなダイアナの好きな相手ってだけで嫌いだった。アリアージュ家の力を得れば、将来への基盤になると踏んだ父上がミゲルをおれの側近にした。初めて顔を合わせた時のことをよく覚えてる」
内心嫌々だろうと表面上は歓迎している体を装った。実際、人当たりの好い姿で迎えたアルドルをミゲルは一切疑いもしなかった。
真面目で多少融通の利かない部分はあれど信頼してもいい相手と判断するにはそう時間はかからなかった。従妹のダイアナを抜きにすれば、長く付き合いを持ちたいと。
帝都にいた頃と北の教会支部で暮らし始めたフィービーの違いを見たアルドルは今だから言えるものがあると前置きして発した。
「君の問題やアリアージュ公爵や亡きダイアナ夫人、叔母上の事情を知らなければおれは——ミゲルにフィービー嬢から手を引いてダイアナを娶れと言っていただろう」
「!」
「フィービー嬢も知っての通り、ダイアナはローウェル公爵家の名や病弱を盾に使って好き放題していた。被害に遭ったのは主に令嬢だが、ダイアナの泣き真似に騙され破滅した令息もいる」
特に被害を受けていたのはフィービー。次に、同じ名前で儚げな雰囲気が酷似している友人のダイアナ。
フィービーと婚約破棄をしたミゲルにダイアナを娶らせ、アリアージュ邸に押し込めさせる気でいたとアルドルは語る。皇族が貴族の婚姻に口を出せば、ダイアナ=サンディスとクリストファー=ローウェルの悲恋の二の舞だとリーンハルトやビアトリスに脅しをかけたアルドルが。だがそれは、事情を知る前。決行していれば、皇族は二度も権力を乱用して貴族の結婚に口を出したと非難を集めた。
「殿下……」
「これだとおれも父上や母上と変わらないな。権力で強制させず、あくまで本人の意思でさせようとしたのが性質が悪いか。幻滅したろ」
「……いいえ」
新しい玩具を見つけた悪意のない子供の笑みを向けられたフィービーは静かに否定し、落ち着いた声色で言葉を紡いだ。
「殿下にとって大切な友人であるミゲルに恨まれる形であっても、ダイアナ様の行いを止めるにはミゲルの婚約者にしてしまうのが最も手っ取り早く確実な方法であると……私も思います」
個人の感情を優先させるならミゲルの手助けをするのが一番であるが、次期皇帝たる皇太子の立場がそれを許さない。何をどう動けば不要物を排除するか考えれば、最も合理的手段を選ぶ。
「事情を知った今は、そんな気は起こさないでしょう?」
「こう見えて人の目を気にするんだ、おれは。しなくて良かったと、大叔父上の話を聞いた時心底安心したね」
仮令国の為とはいえ、同じ過ちを親子二代に亘ってしたとなればアルドルの名声にも傷がつく。
「そろそろアシュフォード嬢やエイヴァ夫人が来る頃か」
「はい。アイは勿論、お義母様に会うのも緊張しています」
「普段通り会ってやればいいさ。向こうだって特別畏まったフィービー嬢と会いたくはないだろう」
普段通り。帝都にいた頃の普段通りとは、どんな風だったか。昔のことではないのに、北の教会支部での生活が充実し過ぎていたせいでフィービーはすっかりと忘れてしまっている。
「殿下は城には?」
「一旦こっそり戻るつもりではいる」
「こっそりと言えど、バレてしまうのでは」
「心配ない。お祖父様に教わった秘密の通路がある。そこから入って人目を盗んでお祖父様には会う」
秘密の通路がどんな物か気になるフィービーだが、機密情報とアルドルに言われると好奇心を仕舞った。今日アイやエイヴァがブルーメール公爵やウィンドル子爵の目を盗んでやって来る。当然、彼女等を陰で守るアリアージュ家の騎士も遠くの場所で警備に当たる。アイの性格を考えると低いかもしれないがもしもミゲルが同行していたらどんな顔をすればいいのか。顔に出ていたのか、怪訝な声色でアルドルに聞かれると笑いを吹き出された。
「ミゲルの方こそ畏まらなくていい。あいつは今、絶賛君への信頼を取り戻そうと必死だ。アシュフォード嬢やエイヴァ夫人に同行するより、ブルーメール公爵やウィンドル子爵の動向を探る方に力を入れる。問題を解決しないとフィービー嬢に会う資格がないと一番分かっている筈だ」
「そう、でしょうか」
「あんなことを言ったおれの言葉を不安に思うのは仕方ないが、小麦の粒くらいは信用してやってくれ」
「まあ」
とても小さな信頼だと思わず笑みが零れたフィービー。ミゲルを信用しているようで信用していないのか不明ながらアルドルの言葉に安心した。
――扉の前で二人の会話を聞いているオルドーは苦笑を浮かべながら、すっかりと壁がなくなり打ち解けた二人に安心していた。アルドルの本心の片鱗も垣間見えた。友人を大切にしながら、次期皇帝として不要を排除する決定力を持ち合わせている。誰もが持てるものじゃない。感情が大きく揺れれば、決断力は鈍る。もしもアルドルが事情を知る前にミゲルとダイアナの婚約を強行したら、納得のいく説明をされてフィデスも苦渋の決断として頷いていたかもしれない。
「次期皇帝はお前が相応しいアルドル。僕には無理だ」




