54話 胸中は複雑
白いパラソル、白い丸テーブル、そこに広げられた美味しい茶菓子達や香ばしい香りを漂わせる紅茶。店内は静けさに包まれているものの、客がいない訳ではなく、満席に近い人数が埋まっていて皆居心地の好い環境に身を浸していた。今日友人のダイアナ=ベルナルドーネと会う約束をしていたアイもまたその一人。貴族御用達のカフェには、よくフィービーとも訪れていた。息苦しいウェリタース邸では羽を伸ばせないフィービーの為に、月に一度アイが我儘をゴーランドに言って連れ出していた。
「今日のお勧めは?」と問われたアイは「これよ」と小さくて丸い揚げ菓子を示した。
「フリッテッレっという、花の都のカーニバル期間中に食べられる伝統的なお菓子よ。少し前、我が家に来た商人がその都からやって来て、期間限定でしか食べられない美味しいお菓子ってレシピを頂いたわ」
小麦粉、卵、砂糖等のお菓子作りに欠かせない基本的材料の他にも幾つか使用されている。作り方は簡単だが油で揚げる作業だけはさせてもらえなかったとアイが剥れれば、友人は紅茶を飲みながらくすくすと笑みを零した。
「当然よお。アイは料理上手っていう程、腕は良くないものお」
「なんですって?」
実際、その通りなのだが改めて指摘されると反論したくなる。
アイが睨んでも友人は一切気にせず、マイペースに紅茶を楽しんでいる。
はあ、と溜め息を吐いたアイは目の前に座る友人を眺めた。
ダイアナ=ベルナルドーネ。貴族令嬢としては珍しく肩の辺りで切り揃えられた薄い紫の髪、色白の肌、細く繊細な身体つき、見た目だけならダイアナ=ローウェルに負けない儚さを持つ。故に、病弱で何時死ぬか分からない自分と違って健康な彼女はよく目の敵にされてきた。相手は格上の公爵家、皇帝や皇后の寵愛を一心にする令嬢。下手に刺激し、敵に回せば潰されるのは自身と生家だというのを彼女はよく知っており、なるべくダイアナ=ローウェルと同じ場に遭遇しないよう気を付けている。
「フィービーが心配ねえ。手紙を送るのは控えてほしいとウェリタース夫人がお母様に頼んで一通も送れていないのお」
独特な間延びしたゆっくりな喋り方。せっかちな人だと苛つくだろうがアイやフィービーは一度もそんな感情を抱いたことがない。
事情を把握し、手紙のやり取りを続けているアイは純粋に心配をしている友人に申し訳なさを持ちつつも話を合わせた。
「きっとその内フィービーも元気になるわよ。ウェリタース夫人は、ウェリタース家に嫁ぐまでホワイトゴールド伯爵と共に医者として働いていて、知識は私達よりずっと豊富なんだから」
「そうねえ。いざとなれば、ホワイトゴールド伯爵がどうにかしてくれるわねえ。あら美味しい」
揚げたてのフリッテッレを一つ摘まんだ友人はその美味しさに目を丸くし、すぐに満足な笑みを浮かべた。
「ディアナは最近婚約者の方とは? もうすぐ結婚式を挙げると聞くけれど」
「一年後に結婚式を挙げる予定よお。アイは未だに婚約者がいないのお?」
「ほっといて」
「まあ、私やアイより、フィービーが心配だわあ」
「……」
フィービーの婚約者ミゲルは今までずっと幼馴染のダイアナを優先し続けて来た。事前に約束をフィービーとしていても、当日彼女が熱を出して苦しんでいると従者に報せられればフィービーとの約束を破っていつもそっちへ行っていた。フィービーが家出をして以来、ダイアナに求められようと瀕死の状態になられようと一切の要求を撥ねつけていると聞いた。
——それが何よっ
今迄散々フィービーをほったらかしにしていたくせに、いなくなった途端フィービーを求めるその身勝手さにゴーランドやミリアンとはまた違う怒りを覚えた。最初はフィービーの行方を知られないよう、自身に監視の目が付かないよう態とフィービーを貶める発言をミゲルの前でした。そうすれば、友人を想う顔は嘘で本性は不幸を願う悪女を信じ込ませられる。ミゲルは信じた。以来、警戒と敵意を込められた目で見られていたがアイにとってはどうでもよかった。
しかし——事態は変わってきている。
皇帝リーンハルトの誕生日を祝うパーティーで状況は大きく変わった。あの日以降、ローウェル公爵は領地へ発つと言ったっきり帝都へは戻っておらず、ダイアナはずっと屋敷に籠ったまま。兄のジェイドは妹の容態を心配して紳士クラブに顔を出していない。更にレティーシャもまた籠ったまま。公衆の面前でクリストファーに殴られた怪我はとっくに癒えている筈だが、殴られた理由や醜態を晒した恥から出て来れないというのが予想。
何日か前、大教会への寄付を目的という建前でアシュフォード家を訪れたフィデスに現在の状況やフィービーから届いた手紙を見せ情報交換をした。
その時聞かされたのがレティーシャが実父ブルーメール公爵の力を借りてフィービーを狙っている件についてだった。
『すぐに事を起こさないにしろ、今現在帝都にいるエイヴァ夫人が危険に晒されるのは間違いない。ミゲルにはアリアージュ家の騎士を使って護衛するよう既に言い付けてある。エイヴァ夫人にもちゃんと伝えているよ』
『アリアージュ様は信用に値しますか? 甚だ疑問ですわ』
『手厳しいね。フィービーに会う為に色々と改善中だから少し待ってあげて。ところでアイ、君も十分注意するようにね。君はフィービーの一番の友人だ。フィービーを少しでも傷付けたいレティーシャなら、君のことも標的に入れる。アシュフォード男爵にぼくから事情を話して君の警護を強くしてもらう。いいね?』
口調は優し気で穏やかでありながら拒否は許されない威圧感が強く、素直に応じるしかなかった。ブルーメール公爵はきな臭い噂が豊富なウィンドル子爵を使って計画を練っているとフィデスは言っていた。アシュフォード家としてもウィンドル子爵は油断ならない相手。警戒することに越したことはない。
「フィービーといえば、ミリアン様のことを思い出しましたわあ」
「ミリアン様?」
ティーポットを持って紅茶のお代わりを注ぐディアナは「ええ」と頷き、続きを語った。
「私のお兄様がよく使用する紳士クラブにほんの二、三日前ミリアン様がやって来まして。領地で療養しているフィービーが心配だろうとお兄様が声を掛けたら……」
『療養? はは、心配ないさ。フィービーは拗ねているだけなんだ。ダイアナ様を心配されるミゲル様に自分も心配されたくて、病気になったと思い込んでいるだけさ』とミリアンはディアナの兄に話していたと聞いたアイは瞬時に体中の体温が頭に集中し、一瞬意識を失い掛けた。怒りによって。
「ミリアン様のお顔が窶れておいででしたので、お兄様は無理をしているだけに見えたとは仰ってましたが……果たしてそうなのでしょうかあ」
「ど……どうなんだろうね」
これはこの後会う約束を取り付けているエイヴァに即話す必要がある。チクりだ、なんだと騒がれようが関係ない。
——ゴーランドおじ様でさえ少しは反省してるって聞くのに、ミリアンお兄様は何にも変わってない!!
また、屋敷に帰ったら即手紙を認めフィービーに見せなければならない。帝都に一時的に戻った時、変な気を起こしてゴーランドやミリアンに会うと言わせない為に。
「ホワイトゴールド伯爵が診断書を出したなら、仮病ではないでしょうにねえ。幾ら身内とはいえ、そんな真似するとは思えないわあ」
「この後、ウェリタース夫人と会う約束をしているから、会った時しっかりこのことを話せてもらうわ。ギッチギチに怒ってもらわないと」
家出の件を他者に決して知られてはならない。知られれば、ウェリタース家だって恥を欠く。前々からミリアンは実の妹たるフィービーを疎んでいる気配はあった。亡きダイアナが託した遺言を健気に熟そうとしたフィービーを父共々追い詰めたと知っても、それ以外にもある気がした。
「フィービーならきっと大丈夫よお。また、以前のように私やアイとこうやってお茶をするようになってる」
「うん。きっとそう、なるよ」
本当は……フィービーは二度と帰って来ないと知っているアイは複雑な胸中でいた。辛気臭い顔をしまいと茶菓子を頂こうとアイが選び始めた瞬間。
カランコロン
ドアが開いた。客が誰かと気にせず、春に採取された貴重な茶葉を使ったパウンドケーキか、ディアナにお勧めしたフリッテッレを選ぶか悩むアイは耳を疑う声を聞いて思わず扉の方を振り向いた。
「カフェに来るなんて何時以来かしら! ふふ、外を出歩けるって楽しいわお兄様!」
「あまりはしゃいではいけない。興奮するとすぐに熱が出てしまってダイが辛くなる」
「大丈夫よ! 心配しすぎ。今日だってケーキを買って帰るだけっていうのが不満なのに」
最後に見た時より、明らかに体調が良くなっているダイアナが兄ジェイドを連れてカフェにやって来た。あんぐりと口を開けたいのを口を押さえることで耐えるアイの向かい、ディアナも驚いた面持ちでダイアナをこっそりと見つめていた。二人がいる場所から遠くても見つからない様身体を小さくした。
「吃驚ねえ……今まで見てきたどのローウェル公爵令嬢より体調が良さそう。顔色もちょっと赤っぽいけれど、私達と然程変わらないわあ」
「し、信じられない。というか、なんでこのタイミングで同じ店に来るのよ」
折角の時間がダイアナとジェイドの登場によって台無しだ。願うのは、あの兄妹が自分達に気付かず、さっさと買い物を済ませて出て行くこと。店内で過ごす気がないのはジェイドの発言で把握済み。
耐えること凡そ十分。ダイアナとジェイドの二人は、アイやディアナに気付くことなく、目当てのケーキを買うと店を出て行った。ダイアナは店内にいたがったが体調を心配したジェイドに諭され、渋々店を出た。ほんの十分程度でも生きた心地がしなかったディアナは深い溜め息を吐いて背凭れに身体を預けた。
「こんなところでローウェル公爵令嬢に見つかったら、どんなやっかみを受けるか。見つからなくて良かったわあ」
「ほんとよ……」
「身体が弱いくせに、同じ名前というだけで突っ掛かって来るなら、その元気を他のことに回せばいいものを。途中で力尽きてはローウェル公爵令息や夫人が迎えに来て、更に嫌味を言われるのよお。倒れたのは自業自得なのに、私が彼女の体力を態と消耗させて倒れさせたってねえ」
病弱であっても一切同情出来ない存在。それがダイアナ=ローウェルという人間。
気を取り直してお茶の時間を再開しましょうと言うディアナに同意し、アイは再び茶菓子選びに入った。
両親に亡きダイアナとローウェル公爵たるクリストファーの悲恋を聞いて一つ疑問を抱いていることがあった。これはフィデスに聞いた、ミゲルがどうしてフィービーの約束を破ってまでダイアナを優先し続けてきたかを。お見舞いに行かなかったことでダイアナが瀕死になり、それらをローウェル公爵夫妻に責められトラウマになったのは理解してやれる。
けれど、フィービーとの約束を全て破っていい理由にはならない。ミゲルがダイアナに言い聞かせ折り合いをつけるべきだった。従っているばかりで現状を打破しようとしなかったミゲルがフィービーがいなくなって動いたのが腹立たしい。行動出来るならもっと早くするべきだった。そうすれば、フィービーは家出を決行することを思い止まった筈。
ただ、そこで疑問なのがクリストファーの行動。憎んでいる女が産んだ子供達を愛していないと判明した今最も不可解なのだ。どうしてダイアナを瀕死に追い込んだミゲルをトラウマになるまで責めたのか、だ。
——フィービーがミゲル様を慕っていたのは、ローウェル公爵は分かってた筈。
愛する人にそっくりな娘であっても、所詮自分の娘ではないからそこまで気を配れなかったということなのか。
亡きダイアナがクリストファーと結婚していたら、現在も生きて幸せな家庭を築けていたのだろうか。彼女との子供だったらクリストファーはどんなことがあろうと守り抜こうとしたのか。
……ゴーランドと結婚したからこそフィービーは生まれた。そうでなければ、アイは親友と出会えなかった。そう考えると人生とは複雑だ。
サンディスの屋敷に現在も残されているダイアナの寝室に立ち尽くすクリストファーは遠い昔の記憶を思い出していた。ベッドに座るダイアナの隣には、熟睡している幼いフィービーが眠っていた。小さなピンクがかった銀の髪を撫でるダイアナの瞳は、愛する娘を見つめる母のそれだった。
『——、————』
あの時ダイアナが告げた言葉は一句一句覚えている。決して忘れない。地獄の底で過ごしていたクリストファーに大きな光がすぐ目の前に現れたのだ。
『この子の名前がフィービーなのは、そういうことだったのか』
『ウェリタース家では、生まれた子の名前は当主が決める。旦那様に頼んで頼みまくって私がつけさせてもらった。この子の名前はフィービー。これだけは、絶対に譲れなかった』
健やかに眠るフィービーの頭にそっと触れたクリストファーは、起こさないよう慎重に撫でた。自身の子供にさえこうやって触れたことがなくて緊張したのを未だに覚えている。




