44話 見守る者、止めない者
客室は一人一部屋用意され、既に暖炉によって温まった室内は快適そのもの。
「お三方とも、ご昼食はまだだとお聞きしていますので今準備を進めさせています」
サンディス領に到着したのが昼の一時間前。そこから馬車で屋敷へ向かい、話し込んだ為昼食を摂るタイミングを逃していた。食事が完成次第お呼びしますと退室したテーヴに礼を述べたオルドーは背凭れにクッションが置かれた椅子を暖炉の前に移動させて座った。
気になることが多すぎる。さっきクリストファーがフィービーに向けていたあの眼。離宮で暮らしていた頃、毎日のように父が向けてくれたのと同じだった。
「ダイアナ=サンディスの子供だから……なのか?」
それだとダイアナの子供はフィービーだけじゃない、ミリアンもいる。クリストファーはミリアンの話題を出していない。今迄の内容を整理しても特別視しているのはフィービーだけ。ダイアナに瓜二つな娘だからこそ気に掛けている。これが最も正解に近い答えだ。
「……」
だというのにオルドーの心中は納得がいっていない。何故父と同じ眼だと感じたのか、その理由の先にある答えを出したくないと頭が警鐘を鳴らす。もしも出した答えが当たっていれば、とんでもないことだと。
「叔父上—」
「アルドル?」
いつの間に部屋に入っていたのか、耳付きニット帽と黒眼鏡を外したアルドルがベッドに腰掛けていた。
「ノックはしましたよ? 返事がなかっただけで」
「少し考え事をしていた」
「考え事? フィービー嬢が先代侯爵夫人と話し込んでいる時、叔父上はどこか呆然としてましたね」
「ああ……。なあ、アルドル」
一人で抱えていても別の答えは見つからない。先程クリストファーがフィービーに向けていた眼についてアルドルに相談すると目を丸くされた。
「それって……フィービー嬢が実は公爵の子供だって言いたいの?」
「確証はない。ただ、あの時クリストファー=ローウェルがフィービーに向けていたのは、愛する女性に瓜二つな娘だけという説明だけでは済まされない気がしてな」
「ふうん。おれに言われてもね」
「アルドル?」
「おれには父親が我が子に向ける視線なんてもの知りませんし、分かりません。あの時公爵がフィービー嬢を見ていたのは知ってますが、おれにはフィービー嬢を通して亡きダイアナ夫人を見ているようにしか見えませんでした」
「……」
実の息子より、妻の姪を溺愛する父の姿を見つめる小さな背中は、何時だって寂しさに満ちていた。父親の愛情を知らないアルドルにとってこの相談は禁忌だったとオルドーは失念していた。
「す、すまん。僕の配慮が足りなかった」
「叔父上が気にすることじゃないですよ」
尊敬する先帝と同じ黄金の髪を受け継いだオルドーは異母兄に疎まれ、疎む異母弟と仲良くするアルドルは父に疎まれ。同じ人間に疎まれている者同士。アルドルは不意にあることを呟いた。
「陛下が叔父上に当たりがキツいのは、お祖父様と同じ髪色を持つだけじゃありません。おれと仲良しだからです」
「うん?」
「自分には懐かないのに、叔父上には懐くのが大層気に入らないと面と向かって言われました」
「……」
絶句したオルドーに「どうしようもないでしょう?」と笑って見せるアルドルだが、横顔は幼い時と同じ寂しさに満ちていた。
アルドルが心を開かないのは、妻の姪ばかりを溺愛し、実の息子には最低限も怪しい情しか見せなかったのが抑々の原因。それを異常に敵視する異母弟に取られたからとより敵意を向けるのは違う。
「陛下にどう言われようとおれは叔父上の味方です。叔父上が子供の頃のおれに寄り添ってくれたように」
「アルドル」
不憫。この言葉に尽きる。生まれつき病弱だろうと先帝はオルドーを決して見捨てなかった。苦く不味い特効薬に渋るオルドーの為に、同じ苦味と不味さを誇るお茶を先帝は飲んでオルドーと同じ体験をしてみせた。母親代わりの皇后と共に惜しみない愛情を与えられたオルドーの視点で言えば、甥のアルドルは待ち望んだ存在なのにリーンハルトに愛されない姿が不憫でならなかった。父親代わりになろうとは思っていなかった。手を差し伸べることで寂しさの隙間を埋めてやりたかった。
「帝都にいた頃、陛下にアルドルには近付くなと言われた。アルドルは私の息子だ、お前の子ではない、だと」
「は……」
アルドルに懐かれないのはオルドーのせいだと、思考が埋まっているリーンハルトに言い返したかったオルドーだが、下手に言い返してアルドルに被害がいってはと考えると無言を貫いた。
鼻で嗤ったアルドルは口端を吊り上げているが黄金の瞳はどろりとした濁りを映していた。
「一体どの口が言っているんだか」
「アルドル……」
「陛下の大事な子供はおれじゃありません。母上の妹の娘ダイアナだけです。……何だか、ダイアナが死んでも陛下は嘆き悲しむだけでつまらないな」
不意に漏らした言葉の意味はどういういった意味を持つのか。軽く目を瞠ったオルドーはニコリと笑まれた。
「陛下と叔母上。両方にダメージを与えられる策を一つ思い付きました」
「碌でもなさそうだが一応聞いても?」
「ダイアナを熱砂の国の国王に売り飛ばしてしまえばいいんです。見目だけなら、ダイアナは彼の国王の好みど真ん中ですから」
本当に碌でもないと溜め息を吐くオルドー。しかし、リーンハルトとレティーシャ両名に大ダメージを与えられるのは確かだ。
●○●○●○
年中多種類の花を咲かせる為に作られたブルーメール家の温室でレティーシャは実父サイモン=ブルーメールとテーブルを挟んで向かい合っていた。今日やって来るレティーシャの為に用意された色鮮やかなスイーツやジュースには、まだどれも手が付けられていない。
「お前には、幸せになってもらいたいというのに。クリストファー=ローウェルなぞに嫁がせるのではなかった」
「そんなこと言わないでパパ。私はクリストファー以外の男と添い遂げるなんて絶対嫌。何が何でも幸せになってやるって気持ちで嫁いだのよ?」
愛する妻が命を懸けて産み落とした最愛の愛娘。サイモンや母の記憶があるビアトリスと共にレティーシャは溺愛されて育った。美貌に絶対の自信を持ち、手に入れられないものはないと信じる傲慢な性格に育っても愛しい娘。半月前に開催されたリーンハルトの誕生日パーティー目前でレティーシャが夫のクリストファーに頬を殴られた。話を聞いたのは誕生日パーティー真っ只中。皆、後で登場した皇太子アルドルの脅しに屈し口を閉ざしていたが、口の軽い者がサイモンに話してしまったのだ。
「レティ。お前の頼みを引き受けよう。ただ、私からも一つ条件がある」
「条件?」
「クリストファー=ローウェルと離縁するんだ」
「なっ!?」
驚くレティーシャとは対照的にサイモンは冷静だ。
「これ以上、お前が傷付き悲しむ姿を見たくない。レティ、ダイアナとジェイドを連れてブルーメール家に帰って来なさい」
「い、嫌よ! クリスと離縁なんて絶対嫌!」
「しかしだ」
「私は大丈夫。クリスと離縁だけは絶対にしない。ねえパパ、私を思うなら離縁しろなんて言わないで」
これまでもサイモンは離縁をして実家に帰って来るようレティーシャに話していた。勿論、ダイアナとジェイドを連れて、だ。表向き関係良好な夫婦を演じていたのはサイモンとて知っており、一度人の目がなくなるとクリストファーがレティーシャを顧みなくなるのも知っていた。何度も何度もクリストファーを呼び付け、時に直接ローウェル公爵邸に赴いてはレティーシャを愛するよう叱責し続けたが、あの男の回答は一貫していた。
『表向き良好な夫婦関係を見せているだけで周囲は満足しています。ブルーメール公爵、不満ならレティーシャや子供達二人を実家に連れ戻してもらって構いません。私は一切止めるつもりはありません』
レティーシャだけではない、実の子供にすらクリストファーは愛情を持っていない。下手に連れ帰ってしまえば離縁される可能性が高い。されど、離縁をさせ三人をブルーメール家に住まわせた方が幸せなのではと、サイモンはこれまでレティーシャを説得した。
その度にレティーシャは泣いてクリストファーとの離縁を嫌がった。必ず愛してもらえるようになるから、と。
「レティ……私は後悔しているんだ。いくらお前がクリストファー=ローウェルが好きであろうと、あの男は決してお前に愛情を向けることはない」
「そんなのは分からない!」
「いいや分かる。お前と婚姻して何年になる? あの男は、ダイアナ=サンディスがウェリタースの姓になり、亡くなっても尚想い続けている。お前が付け入る隙はどこにもないんだ」
最愛の妻が亡くなって娘を後妻にと勧める貴族連中を退けて来たサイモンには分かる。クリストファーが現在もダイアナを深く愛していると。
「……あの時、お前がビアトリスに泣き付き、話が現皇帝陛下や先帝にいった時に止めておくべきだった」
「な、なにが」
「お前には、愛し愛される結婚生活を送ってほしかった。私や妻のように。だが、クリストファー=ローウェルでは駄目だったんだ」
「そんなことない! 必ず、どれだけ時間が掛かっても私はクリスの心を手に入れる。手に入れてみせる!」
「レティ……」
狂気に似た執着を向けられて幸せな人間はいるか、という問いに対し、大抵は否を突き付ける。一途を通り越した執着は遠くない未来身を破滅させる危険性を大いに孕んでいる。危険な色を目に宿すレティーシャは泣きながらサイモンを説得してみせ、一旦頭を冷やすと言って温室を出て行った。
侍女に側にいるよう命じ、遠くなっていく背中を見つめるサイモンは深い溜め息を吐いた。
「レティの気が済むまでさせてやろう」
レティーシャの頼みを引き受けるべく、サイモンは後ろで控えていた執事を近付けさせた。
「オーガスタスに伝えろ。人を何人か手配しろと」
愛情を注いできた。
幸せな生活をさせてやりたかった。
幸せな花嫁にしてやりたかった。
幸せな人生だとずっと感じさせてやりたかった。
「レティの為だ。レティが幸せでいられるなら……」
手を血に染めようと生涯守り通すと亡き妻に誓った。レティーシャが幸せになれるなら、どんな手だって使ってきた。結婚して二年経っても閨を共にしないクリストファーへ焦りを募らせていたレティーシャに相談を受けた時もそう。強力な媚薬を盛り、意識が混濁するクリストファーを襲わせるように教えた。女性が男性を襲うなど破廉恥だとレティーシャは抵抗を見せたものの、このままでは白い結婚での離縁になると諭せばあっさりと抵抗を捨て去った。以降レティーシャは積極的に媚薬を使った。頻度が多いと後遺症が残る可能性を恐れ、子が孕みやすい時期を狙って三度目を実行した。そうして胎に宿ったのがジェイド。二年の期間を開けてダイアナを儲けた。ダイアナを孕む時もクリストファーに同じ媚薬を盛った。
まだ子供を欲していたレティーシャだったが、以降は部屋の階を二階から一階に変えられ夜クリストファーに近付けなくなった。ローウェル家に仕える使用人達の部屋の近くにクリストファーは寝室を移した。声を上げればすぐに誰かが来られるように。
「旦那様、本当によろしいのですか?」
「レティの為だ。レティを幸せにすると誓った。そうでないと……レティを命懸けで産んでくれた妻に顔向けが出来ない」
クリストファーに愛されない鬱憤をダイアナ=ウェリタースに瓜二つのフィービーを虐げることで晴らそうとしている娘をサイモンは止めない。
領地で療養しているらしいフィービーの居場所は協力者に吐かせるとレティーシャは言っていた。居場所が判明次第、刺客を送りフィービーを捕え、ローウェル家の地下に死ぬまで閉じ込める。ミゲルとダイアナの婚約を強行する準備はサイモンが主導して行う。クリストファーは今領地にいる為役に立たない。閉じ込めたフィービーにミゲルとダイアナの仲睦まじさを話し、絶望する様が毎日見られると思うと楽しみで仕方ないと語るレティーシャは心の底から笑っていて。
他にもやることはある。現ウェリタース侯爵夫人エイヴァと次女ジゼルの誘拐。公衆の面前で恥をかかされたことをレティーシャは根に持っており、幼い娘の前で複数の男に犯させるつもりだ。余裕ぶった顔が恐怖と絶望に染まったところを見たい、と。
「絶対に知られるな。特にフィデスには」
「……はい」
アリアージュは警戒対象に入るがフィデス程ではない。問題なのはフィデス。どこから情報を仕入れるか謎極まり、帝国で最も敵に回してはならない男に気付かれるのだけは絶対に避けないとならない。
——同じ頃、アリアージュ家。私室で幾つもの書類に目を通していたミゲルに従者が耳打ちをした。
「……気配があったか」
「はい。ついさっき届けられた報告によると屋敷を出たブルーメール公爵家の遣いがオーガスタス=ウィンドル子爵の屋敷へ行ったと」
「分かった。引き続き監視を頼む」
必ずレティーシャは生家ブルーメール公爵家に泣き付くと信じ、皇帝の誕生日パーティーが終わった翌日からローウェル公爵家を見張りを置いていた。
遂に動きを見せた。




