24話 フィービーとは反対にミゲルは
——翌朝。
「ではね、フィービー。パーティーのことは、帰って来たオルドー達に聞くといいよ」
朝日を背に浴びるフィデスは慈愛に満ちた佇まいと相俟って神が遣わした天使に見えてしまう。今日から約一月北の教会支部はオルドーを始めとした貴族籍の神官や職員が不在の為臨時閉鎖となる。
「もう諦めましょうよ、オルドー様。馬車に乗ってしまえば観念しますって」
側では、今朝になって帝都行きを拒み始めたオルドーを馬車に乗せようと奮闘するイーサンやダイアナ、トレイシーが説得を試みており、普段の姿と違って駄々を捏ねる子供みたいだと苦笑するフィービーとアズエラは同時に互いを見た。
「行って来るね、フィービー」
「うん。行ってらっしゃい、アズ」
「私の方でもウェリタース家やアリアージュ家がどうなっているか見ておくわね」
気を遣わせて申し訳ない気持ちがフィービーにはある。それを感じ取ったアズエラは気にしないでと首を横に振った。
「私が勝手にしたいだけ!」
「ありがとう」
互いの手を握った後、アズエラは未だ乗車を拒むオルドーの許へ行き、説得組に加わった。毎年のこととはフィデスの台詞。
「やれやれだよ」
「オルドー様が皇帝陛下に会いたくない気持ち、なんとなく分かってしまいます」
フィービーの場合はローウェル家の面々に会いたくないこと。そして、ミゲルと会いたくないこととなる。
「フィービー」
ミゲルは今頃どうしているのか、と考えないようにしても、ふとした時に考えてしまう。思考の沼に嵌まり掛けた瞬間フィデスに呼ばれた。
「サンディス先代侯爵夫妻への手紙は?」
「昨日に書いて速達で出しました。今日の夕刻には届くかと」
手紙には家出のことは書かず、一月後祖父母の滞在している場所に行きたい旨と訳あってオルドーも同行する旨を書いた。母ダイアナやクリストファー=ローウェルについて知りたいことがあるともちゃんと書いた。後は、祖父母がどんな返事を寄越してくれるかだ。
「手紙には、このことをお父様に報せないでほしいとも書きました」
「そうだろうね。良い話が聞けると祈っているよ。約一月程、オルドーもアズエラもいなくなる。念の為、外出は控えるようにね」
「はい」
「それと」とフィデスは昨日フィービーが被っていた鬘について言及した。
「似合っていたよ。鬘を被ったのは賢明な判断だ」
帝国ではフィービー一人しかいないと言っていいピンクがかった銀の髪はかなり目立つ。いくら帝都より遠い地にいようと人の噂というものは侮れない。元々はトレイシーの言葉を受けて鬘を被るようになったと話す。
最初の何日かは違和感があったものの、一月も経てば慣れてしまう。装着もダイアナの手伝いが不要になっている。
「フィデス司祭。オルドー様を馬車に押し込めました」とイーサンの声にフィデスは「今年は早かったね」と意外そうに呟くので例年はもっと長引くのかとフィービーは苦笑した。
二台の馬車の内、フィデスとオルドーで一台、アズエラ・ダイアナ・トレイシー・イーサンで一台の振り分け。彼等を乗せた馬車が出発した。
「お気を付けて」
今迄なら自分が見送られる側だった。
今は自分が見送る側に立っている。
馬車が見えなくなるまでフィービーは見送った。
教会支部は臨時閉鎖されても孤児院は通常通りの運営となる。人員がスザンナ、ウォレス、フィービーを入れた三人。毎年この時期は町の主婦に協力を要請しており、朝早くから子供達の相手をしてくれている。その間フィービーはスザンナに頼まれ厨房にいた。大きな鍋で沸騰しているお湯を小さな鍋に移し、それを水を入れた桶に少しずつ足していく。
「これくらいでいいわね」
手を水の中に入れ水温を確認。冬の水は手が凍り付くくらい冷たく、こうやって常に大きな鍋でお湯を沸かしながら使用している。適切な温度にすると桶を両手で持ち上げ床に置いた。
フィービーの足下には、タオルが入れてあるカゴがある。全て使用済みのタオルだ。洗濯板と洗剤も準備バッチリ。
「よし!」
きっとハンナが見たら驚くだろう。生粋の令嬢であったフィービーがタオルを洗うのだから。最初は洗濯板にタオルを擦る力が弱いとトレイシーに指摘されていたが、毎日していると力が付き、現在では綺麗に洗えている。自分で綺麗にするというのは嬉しいのだと初めて知ったのは大きな収穫と言える。
——フィービーが鼻歌を歌いながらタオルを洗っている頃、ミゲルは皇太子アルドルの私室にいた。
「おいミゲル」
何度も溜め息を吐いていると指摘されたミゲルは、無意識にしてしまっていたと気付き謝る。今日此処に来たのはアルドルに呼ばれていた為。フィービーが家出をしてもうすぐで一月半以上が過ぎる。フィデスがフィービーの家出に手を貸したと知ったのは大きな収穫ではあるが、結局居場所が分からない以上そうと言えるのか甚だ疑問だ。
「疲れてるな。昨日のジェイドのせいか?」
「いや……」
昨日はアルドルがアリアージュ邸を訪問しており、半月後にフィデスがオルドーを連れて帝都に戻る旨を伝えに来ていた時、ダイアナがまた熱を出したと使者がミゲルにローウェル家に来てほしいと伝えに来た。フィービーがいなくなって以降、一度もダイアナのお見舞いに行っていない。使者が駄目ならダイアナ自身が乗り込んで来るも、ミゲルは一切会わなかった。嘗てのトラウマが刺激され、無意識に足はダイアナの方へ行ってしまいそうになると父や母がミゲルを止めた。
「ダイアナが死んだら私のせいになるのだな……」
「それはないだろう」
ミゲルがお見舞いに来ないせいでダイアナは死の淵を彷徨った、とローウェル公爵夫妻に責められた過去を思い出す度、恐怖心が勝ってダイアナの許へ行き続けた。フィービーに泣きそうになりながら引き止められても……ミゲルのトラウマはダイアナを優先してしまった。今更後悔しても遅いのに、ずっと後悔し続けている。
「ミゲル。冷酷になれ。ダイアナ一人死んだところでお前に何の影響がある」
「アルドル……」
「従妹に対する言い方じゃないって? おれは皇族なんだ。利のある者は助ける価値があると思っている。だが価値のない者を生かしたって無駄なだけさ」
「……お前のような決断力があれば、私はフィービーを失わずに済んだのに」
「お前の場合は幼馴染という情がある」
フィービーと婚約する前は、親同士がまだ交流を持っていた為、病弱なダイアナの遊び相手として一緒に遊んだ。ミゲルにとっては両親の友人の娘程度の認識であったがダイアナは違った。ミゲルをたった一人の人として認識していた。フィービーと婚約すると当然だがダイアナとは会わなくなった。ミゲルがフィービーを好きになり、他の女の子と仲良くする気がなくなってしまったのが大きい。ある程度年齢を重ね、フィービーと二人で出掛けるようになってからだ、ダイアナがデートの当日に熱を出しミゲルを呼び出すようになったのは。
「ミゲル。よく考えろ。筆頭公爵家の娘、皇后の姪という肩書は、帝国で強い影響力を持つ」
「だが」とアルドルはダイアナには政略結婚をさせる価値がないと考えている。当主の妻が何よりも成さないとならないのは後継者を産むこと。病弱で何時熱を出して寝込むか分からないダイアナでは、出産に耐えられるどころか、子を宿すことさえ難しい。何なら、急に亡くなってしまう場合もある。
「妻は夫が不在の間、屋敷の采配を担う。従妹だからおれもあまり言いたくないが、ダイアナは正直馬鹿だ」
「……」
「これについてはジェイドもな。父上や母上の寵愛を良いことに好き勝手している」
少しでも気に入らないと感じた相手を皇帝皇后の寵愛を盾にし、ローウェル公爵家の力を使って破滅に追い込むジェイドとダイアナの評判は正直言って最悪と言っていい。フィービーを相思相愛のミゲルとダイアナを引き裂く悪女と囁くのは、ダイアナに媚を売る令嬢令息達。彼等の悪意もまたフィービーを追い詰めていた。
「今日もまたジェイドが来たらどうする?」
「アルドルの部屋まで来れる度胸がジェイドにあると思えない」
昨日使者を追い返すと今度はジェイドが単身アリアージュ家に乗り込んだ。正門前で門番に止められているにも関わらず、強行突破をかまそうとしたジェイドを止めようとミゲルは外へ出た。アルドルも。
『ミゲル! ダイアナが熱を出して苦しんでいるというのにどうして来ないんだ!』
『ジェイド。悪いが私はもうダイアナの見舞いには行かない』
『お前が来なかったせいでダイが死に掛けたと忘れたのか!?』
『忘れてなんてない。私にとって大きなトラウマとなっている。けど、これ以上ダイアナやお前達ローウェル家に振り回されるのはごめんだ』
顔を真っ赤にし、門を蹴破る勢いで止める門番を振り払おうとするジェイドはミゲルの少し後ろにいるアルドルを見るなり目の色を変えた。希望を見出したと語っているジェイドへ呆れを込めた黄金の瞳をやりながら、ミゲルとジェイドの間に立った。
『アルドル殿下! 殿下からもミゲルを説得してください。ダイアナはミゲルに会いたがっているのに、それを——』
『ジェイド。ずっと思っていたんだが、どうしてダイアナはミゲルに会うと体調が良くなるんだ?』
『そんなの、分かり切っているではありませんか。ダイアナはミゲルを慕っているんです! 好きな相手を側に置くことで不安が取り除かれ、心身が安定し、ダイアナの体調は良くなる。アルドル殿下だってダイアナの気持ちが分かる筈です!』
『いや分からん』
即答されたジェイドが絶句する間、不敵に笑ったアルドルはミゲルを指差した。
『今ミゲルには、おれの相手をしてもらっている。お前は帰って叔母上と共にダイアナを慰めてやれ』
『そんな! ダイアナはミゲルが来ないせいでずっと熱が下がらず苦しんでいるというのに、殿下には人の心がないのですか!?』
『ミゲルが来ないだけで熱が下がらないのを不審に思えよ。ジェイド、ダイアナに薬は飲ませていないのか?』
『しているに決まっています。ですがダイアナの精神的問題でミゲルが来ないと熱が下がらないと母上が——』
この台詞を聞いた瞬間ミゲルとアルドルはある確信を持った。門番にジェイドを追い返すよう指示をしたミゲルはアルドルを連れて邸内へ戻った。後ろでずっとジェイドが叫んでいたが一度も振り返らなかった。
「多分夫人はダイアナに薬を飲ませていない」
「おれもそう思う。ダイアナがお前に会いたがるのは、お前を好きなのもあるが、お前に会うと薬を与えられ楽になれるからじゃないか? もしもそうなら、叔母上はフィービー嬢とお前を引き裂く為に娘の病気を利用していることになる」
「……」
クリストファーに愛されないのはレティーシャの自業自得なのに、亡きダイアナに瓜二つなフィービーを逆恨みする精神は自己中心的にも程がある。そして、病気を利用されるダイアナもまたある意味被害者でもあると認識せざるを得ない。
「ダイアナの病気についてだが、これはあくまでおれの予想だ。ダイアナの病気には特効薬が存在している筈だ」
叔父オルドーが罹っていた病気と同じだというのがアルドルの予想。病弱であった話をオルドーに聞いているアルドルは、ダイアナも同じ病気を患っているのではと疑いを持っている。
「叔母上や公爵が把握していないとは到底思えない」
「オルドー殿下と同じ病気と知っていて特効薬を与えていないなら……公爵夫人の仕業か?」
「だろうな。はあ……フィービー嬢を苦しめたところで公爵が愛するダイアナ夫人に勝てる訳がないのに」




