2話 気持ちのない贈り物
辻褄合わせの為、二時間後裏口に待機させた馬車に乗り込んだフィービーとハンナ。正門に移動し、屋敷の前に停車された馬車から降りれば恰も外出を終え戻った体を装った。御者に視線でお礼を伝え、ハンナを連れて玄関ホールに入ると義母と異母妹のジゼルが迎えた。
「ねえ様! お帰りなさい!」
「ただいま、ジゼル」
腰に飛び付いたジゼルを抱き止め、櫛で梳かれた髪をそっと撫でると義母に顔を上げた。
「お帰りなさいフィービー」
「はい、お義母様」
亜麻色の髪を後ろに一つに纏め、明るい茶色の瞳をフィービーに向ける義母の眼差しは優しくて温かい。今日はデートで何をしたの、と知りたがるジゼルに苦笑した。本当はデートなんてしていない。した風を装っただけ。知っているのはフィービーとハンナ、ダイソンと御者だけ。
「ねえ様ジゼルに教えて!」
「ジゼル。お姉様を困らせるのではありません」
「だって!」
「ジゼルももう少し大きくなったら分かるようになるわ」
「ホント?」と目を輝かせるジゼルに笑い掛け「本当よ」と再び頭を撫でると満足したらしく、側を離れ母の側へと移った。
「ねえフィービー……本当にデートを楽しんで来た……?」
「え?」
「いえ……何だかフィービーの顔が浮かないように見えて……」
「気にし過ぎですよ。ミゲルと久しぶりにデートが出来て楽しかったです」
嘘だ。デートなんて年に二度か三度出来たら良い方だ。今年に入ってミゲルに何度デートをキャンセルされたことか。前もそう。前日、ダイアナが大きく体調を崩してしまい見舞いに行ったミゲルは翌日も快復しないダイアナを心配してデートのキャンセルを使者を遣って報せた。期待しないだけで心は軽い。軽い分――何も感じなくなってしまった。
フィービーは誰にも異変を悟らせまいと仮面を貼り付けた。この場に父や兄がいても気付かない。でも、義母は気付いてくれた。父と兄との関係で非常に微妙なせいで義母ともぎこちないが、フィービーが負担にならない程度に接してくれる。
きっと仮面の下にある素顔を義母は見抜いているのだろう。ハンナやダイソンが向ける心配した面持ちをフィービーに向けながら、この場に父がやって来て次の言葉は言えなくなった。
「帰ったのかフィービー」
「……先程戻りました、お父様」
途端、フィービーから表情が消えた。今映っているのは無。義母やジゼルに見せていた笑顔は遠い何処かへ消え去った。
「ミゲル様に失礼な態度は取っていないな?」
「はい……」
「それでいい。お前が以前、ミゲル様がダイアナ様を優先し過ぎていると言った時はこのことをミゲル様に言ってしまいそうで不安だった。いいか? ダイアナ様はミゲル様の幼馴染なんだ。下らん嫉妬は二度と起こすな」
「分かりました」
途中義母が口を挟もうとするがフィービーが目線で止め、ジゼルの方も不穏な空気に怯え母のスカートの後ろに隠れた。
亡くなった母にそっくりでもフィービーは母じゃない。亡くなる間際、父と兄を頼んだと母に託されたフィービーは二人が早く元気になるよう励まし続けた。悲しいのは自分も同じなのに、母の願いを叶える為に。そのせいなのか、母の死を悲しむ二人はフィービーを冷たく見るようになった。
心無い言葉を向けられ、挙句の果てに母ではなくお前が死ねば良かったと言われる始末。どうせ、二人は覚えていない。覚えていたらフィービーとまともに接せられない。
フィービーの返答に満足した父は義母とジゼルに向き、フィービーに向けていた冷たい表情ではなく、父親のそれを浮かべた。二度とフィービーには向けられないものでもある。
フィービーは何も言わず玄関ホールを去った。部屋に着くなり、ハンナが憤慨するも誰かに聞かれたらいけないからと落ち着かせた。
――数日後。今日は友人のお茶会に招待されているフィービーは朝早く目を覚まし、ハンナと共に支度を始めた。朝食を終え、部屋に戻ったタイミングでダイソンに手紙を受け取った。差出人はミゲル。この間のデートの埋め合わせをしたいというもの。
「……」
デート当日に来なかったミゲルは翌日先触れも出さずフィービーを訪ねた。報せもなく来るのは迷惑だとフィービーが言い放ってもミゲルは申し訳なさそうに眉を曲げるだけ。どうせデートの埋め合わせを予定したところでまたダイアナの体調が悪ければそちらを優先するに決まっている。
『済まなかったフィービー。遣いの者を急いで寄越したが君は帰って行ったと言われて……』
『……ええ。ミゲルが来ないと分かって早々に帰っただけです。あのまま、あそこにいたって時間の無駄ですから』
『……』
隠す気のない棘のある言葉はミゲルの表情を暗くさせる。理由を話そうと顔を上げたミゲルに首を振った。
『ダイアナ様の体調が悪くなったのでしょう? 分かり切っています』
『フィービー、本当に済まないと思っている。だから』
『もうデートは止めましょう。どうせ、ミゲルは約束をしたって毎回当日に来れなくなる。約束をしている意味がない』
『フィービーっ』
ああ、同じだ、とフィービーは心が重くなった。自分を責める冷たい瞳、言葉には出さないが顔には出ている。きっとこんな冷たい顔をダイアナは知らない。フィービーが向けられるのは感情のない相貌だけだ。
責める口調のミゲルとこれ以上いたくないフィービーは背を向け、客人がお帰りだとダイソンに告げ部屋に戻った。後ろからミゲルの声がするが聞きたくなくてベッドに飛び込みシーツを頭まで被った。
その翌日、また翌日、ミゲルがお詫びの品をフィービー宛に贈り、今日はデートの埋め合わせの申し出を送った。贈られた品々を全てそのままミゲルに返した為、デートの埋め合わせを思い付いたのだ。
「お嬢様。馬車の準備が整いました」
「ありがとう。今行きます」
招待をしてくれたのは子供の頃からの友人。ハンナを連れて部屋を出たフィービーは途中ジゼルと会った。「ねえ様!」と嬉しさを隠そうとしないジゼルに抱き付かれるのは悪い気がしない。お洒落をしているフィービーを見て大きな目を丸くしたジゼルに友人に招待されたお茶会に参加すると教えると拗ねた面持ちをされた。
「ジゼルもねえ様とお茶をしたいです」
「ふふ、ありがとう。今度、ねえ様と街のカフェに行きましょう? ジゼルの好きなケーキが美味しいお店を知っているの」
「本当? 絶対だよ、絶対だよ姉様!」
「ええ、絶対」
喜ぶジゼルの頭を撫で、彼女の侍女に託すとハンナを連れて屋敷の外へ出た。
ジゼルに好かれるのは嫌じゃない。寧ろ嬉しい。可愛い異母妹ともっと過ごしたい気持ちはあれど、長くいては何時か父や兄が来てしまう。もう何年もあの二人の前で笑っていない。義母やジゼルといるのは楽しくても、あの二人に笑顔を見せたくない。
それを言うとミゲルに対してもそうだ。最初の頃は少しでも仲良くなりたくてミゲルによく笑い掛けていた。しなくなったのは何時だったか、ミゲルに対し諦念しか感じなくなったのは何時だったか。
フィービーは分からなくなっていた。




