表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/47

1話 婚約者が大事なのは私じゃない



 先程運ばれた淹れ立ての紅茶を頂こうとティーカップを持ち上げ、縁に口を付けるとティーカップを傾けてゆっくりと飲む。熱い紅茶が喉を通るとティーカップをソーサーに置いた。ピンクがかった銀の髪が視界の端に映り、耳に掛けて待ち人が何時来るかを待つフィービー。心の中にはある不安があった。その不安を早く消したい。消すには待ち人が来ないとならない。

 フィービーが待っているのは婚約者のミゲル=アリアージュ。皇帝に絶大な信頼を寄せられる帝国の忠臣であり、現公爵は騎士の職に就いている為、ミゲルも幼い頃から剣の鍛錬を欠かさず行っている。一年前の剣術大会では惜しくも準優勝となった。


 今日は月に一度のデートの日。予定している時間を過ぎてもミゲルは現れない。

 心に居座る嫌な予感は当たってしまった。ショックを受けないのはもう慣れてしまったせいだ。

 紅茶を飲み干したフィービーは代金をテーブルに置き席から立った。丁度その時、此方に向かって走って来る男性を捉えるがフィービーは気にせず歩き出した。

 後ろから自分を呼ぶ声が聞こえてもフィービーは足を止めなかった。広場に待機させていた馬車に戻ると待っていた御者と車内にいた侍女ハンナがフィービーに気付いた。



「お嬢様……」

「ハンナ。今日は帰るわ。馬車を出してちょうだい」



 痛ましげに見つめてくるハンナに苦笑し、馬車にフィービーが乗り込むと馬車は動き始めた。

 向かいに座るハンナは主の代わりに涙を流した。



「またですかっ、あの男は! お嬢様のことを何だと思っているんでしょう!」

「ハンナ。怒らないで。……もういいのよ」

「お嬢様……」

「期待なんてしていなかった。ただ、決められていたから行っただけ」



 怒りを感じなくなった代わりに、諦念を感じ始めたのは何時からだっただろう。



 ――フィービーを乗せた馬車は屋敷の正門ではなく、裏口に停められた。



「お嬢様。此処からなら、旦那様達に見つからず部屋に戻れます」

「ありがとう。ごめんなさい、気を遣わせて」

「お気になさらず! お嬢様の為ならお安い御用です」



 気さくな言葉で励ましてくれた御者にお礼を述べ、ハンナと共に裏口から屋敷に戻ったフィービーは誰にも見つからないよう自身の部屋に戻った。

 ベッドに飛び込み「暫く一人にして」と言うとハンナは静かに出て行った。



「……」



 デートを当日にキャンセルされるのは今日に限った話じゃない。今まで何度もあった。

 ミゲルには大切な幼馴染がいる。ダイアナ=ローウェル公爵令嬢だ。皇后の姪で幼い頃から病弱ということもあり、周囲にとても大切に育てられた。帝国に皇女はいない為、皇后や皇帝は姪のダイアナを実の娘のように可愛がっていると帝国では有名でミゲルとは相思相愛の男女と言われている。

 フィービーという婚約者がいるのにも関わらず、だ。

 フィービーがミゲルと婚約したのは亡き母が理由だった。

 母はフィービーが八歳の時、病によって亡くなった。アリアージュ公爵夫人と母は友人でフィービーとミゲルの婚約を母親同士が強く望んだ為結ばれた。


 夜を思わせる艶やかな黒髪、美しいが氷のように冷たいアイスブルーの瞳を持つミゲルが幼馴染に向けるような笑みを――フィービーに向けた回数は一度たりともない。初対面の頃から無表情で何を考えているかさっぱり分からない。会話もまた最低限。関係が良好かと聞かれても――何とも言えない。


 本当ならダイアナがミゲルの婚約者になる筈だったのをフィービーが横取りしたと噂される始末なのも、病弱のダイアナを常に気遣い、体調が崩れたらフィービーと約束をしていてもダイアナ最優先で駆け付けるミゲルに原因があった。

 今日のデートだってそう。来れなかったのはまたダイアナの体調が悪くなったせい。使者の弁解を聞かずとも理由なんてそれしかない。

 近くにあったクッションに手を伸ばして顔を埋めた。誰もいなくても泣いている顔を隠したい。十年間培った恋心を簡単には捨てられない。ミゲルがダイアナが好きだと知っていても、フィービーはミゲルが好きだった。

 沢山努力をした。公爵夫人になる努力、完璧な淑女と呼ばれる努力、ミゲルが好むダイアナのような儚げな雰囲気は無理でも婚約者の後ろを一歩下がって貴族の男性が好む女性になる努力を。どれもミゲルには届いていないけれど。


 フィービーはこの後ハンナが様子を見に来る二時間後まで眠ってしまっていた。


 目を覚ますと心配な面持ちをしたハンナと長く仕える執事の顔が映し出された。



「お嬢様……大丈夫ですか……?」

「ハンナ……それにダイソンさんも……」



 ハンナの手を借りて上体を起こしたフィービーは時間を訊ね、あれから二時間経っていると伝えられた。



「ハンナから事情は聞いています。お嬢様がお戻りになる時間になったら、裏口に馬車を回しますので帰って来た風を装ってください」

「ありがとう」

「いえ」

「……ねえ、二人とも。私、やっぱりこの家を出るわ」



 途端、二人の表情に緊張が走った。申し訳なさで一杯になってしまう。

 ずっと、ずっと考えていた。

 フィービーの居場所は、家にも、婚約者にも、何処にもないのだ。


 八歳の頃に母を亡くして以降、父と兄との間に溝が出来てしまった。

 亡き母そっくりなフィービーを二人とも視界に入れたくないのだ。家族仲が良く、深く愛していたからこそ、悲しんでしまう為。

 母が亡くなった二年後に父は再婚した。後妻となった女性はとても良い人で、その二年後に産まれた異母妹ジゼルもとても良い子だ。よくフィービーの後ろを「ねえ様、ねえ様」と言って雛鳥のように付いて来る。甘えたで可愛いジゼルを愛さない筈がなかった。

 ただ……父と兄がいる場所では、最低限にしか接しない。あの二人の前で笑っている姿を見せたくない。


 家を出ると決めたのはもうずっと前から。口が堅く、信頼に値するハンナとダイソンに最初話した時は大反対されたが、全く変わらない状況を見続けている内二人は口では反対をしなくなった。

 何も言えない二人に苦笑し、ベッドを降りたフィービーはベッド下に隠している鞄を引っ張り出した。



「準備をもう……?」

「うん。何時でも出て行けるようにしてる」



 鞄は旅行鞄で表にピンク色のコサージュが着いた可愛いデザイン。大きさは女性一人で持てる物。中にはフィービーが大切にしている母の形見の首飾り、母が愛用していたハンカチ、お気に入りの本、路銀の足しにする宝石類、最低限の衣服。それから……一枚の栞だ。

 青い鳥が木に留まっている光景が描かれた栞は、フィービーにとって大切な宝物の一つ。渡した人はきっと忘れているだろうが。

 鞄を閉じたフィービーは二人に振り向いた。



「もう起きているわ。時間になったら、また呼びに来て」

「畏まりました」



 家出を止めたい。でもフィービーの意思を尊重したい。顔にそう書いてあるダイソンとハンナは唯々フィービーが家を出るまで心穏やかに過ごせることを祈った。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 フィービーの家は伯爵以上の家? 公爵令息との婚約が結ばれるには少なくともそれくらいは必要なはず。
義母がまともな逆パターン…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ