第八話 《無心》
無刀の柄を雪弥は鬼に向けた、宣戦布告のように。
そんな雪弥に恭吾は叫ぶ。
「おい、おい! お前、そんなんで戦えんのかよ!」
「んー、たぶん?」
「たぶんじゃねえよ! 無理だろ!」
柄だけしかない刀などどうやったところで戦いになるはずがない。少なくとも恭吾の常識ではそうであるし、雪弥の常識もおおむねそう言っている。
だが、この場に置いて、この凶器においてその常識は通用しないことを雪弥は直感的に察していた。この武器は、いや、凶器、無刀柄《無心》はこれでいいのだと雪弥は直感している。
戦えるまず間違いなく、この《無心》は。そう言える何かがあるのだ。
「まあ、やってみるよ」
「……はあ、ったく、これじゃ俺が馬鹿みたいじゃねえか。はあ、わかった、援護してやるから、何とかしろ。できるんだろ」
「うん、たぶんね」
「……不安だ」
しかし、それ以上待ってもいられない。警戒していた鬼が動き出していた。まずは手負いの方をとばかりに恭吾に向けて疾駆する。
それに向けて恭吾は火球を放つ。鬼はそれを気だるそうに払う。学習の結果は既に火球程度では足止めにならないことを告げていた。
ならば、とばかりに火柱を立ち昇らせる。鬼を囲む炎の壁を作り出す。炎を巡らせるだけなので大技よりも出しやすい。
その間に、雪弥は更に己の中にあるものを引き出そうとしていた。自分の中に浮かぶあるそれ。強い強い輝き。それでいて、何かを悔やんでいるような罪のそれを思い浮かべて、右手に持った《無心》を掲げて――
「僕は何も持っていない。
かつて、あの日、あの時に僕は全てを失った。
ゆえに、これは与えられたもの。彼女にもらったもの。
これは彼女の狂想。
それは僕に対する罪の意識。
それは僕に対する慈愛の祈り。
その狂想を抜き放つ。
狂想顕現――凶器・茨鞭《罪花》」
――言の葉を紡ぐ。
それは、自分自身の発露であり、自分へと捧げられる思いの具現。なにもないゆえに、自分が使うのは与えられたものであることは自明の理。
現れるのはもっとも近しい者の狂想。八坂由宇から与えられた狂えるほどの想い。彼女がそれほどまでに思っていたのかという事実を認識して形作る。
形は鞭、それは茨の鞭だった。彼に対する狂えるほどの罪の意識の形が凶器となったもの。彼女の心。
「使わせてもらうよ由宇」
振るう。
まるで手足のように鞭はしなり鬼へと走る。音すら置き去りにして、大気を弾かせながら、それは変幻自在にうねり地を這って鬼へと迫る。
鬼は飛び退いてそれを躱す。だが、鞭は追従する。生き物の如くうねり、音すら置き去りにして鬼の肉である鋼鉄や不定形の有機物を削いだ。
音を超えた一撃は深く深くえぐり取る。茨のとげは更に傷をつける。だが、致命傷には至らない。未だ皮膚有機体の奥の機関へは届かない。
もう一度、返す要領で鞭を振るうも鬼に躱される。鞭の使い方を知らないゆえに、効果的な攻撃ができていないのだ。そして、連撃にならない連撃は、隙となる。
そこに剛腕が振るわれた。巨大な腕、丸太のような腕から放たれる剛腕。大気を斬り裂いて、それは真っ直ぐに雪弥へと迫る。
恭吾が飛び出すが間に合わない。自身の速力ではどう考えても足りない。雪弥が死ぬ。
「雪弥!」
咄嗟に炎の壁を作り上げるが、鬼の爪の一振りで、咄嗟という気もなく、ただ時間稼ぎの為だけに作りあげた張りぼてでしかない壁は容易く破られる。一薙ぎにて炎の壁は霧散して消え失せる。
そして、そのまま剛腕を叩き付けるようにして振るう。雪弥が反応し避けるよりも剛腕の方が速い。それは容易く雪弥の身体を砕くだろう。それだけの力を内包している。
次の瞬間には赤い花が咲く。この場にいる誰もがそれを予感した。
だが――
「遅いよ」
「なっ――」
――予感は覆る。
彼は剛腕を受け止めていた。片腕で、これくらい余裕でしょうとでもいうかのように気軽な表情で。
凄まじいまでの強化だった。それだけ雪弥に対する思いが強いということ。それだけ、彼の無事を祈っているということ。深い愛のなせる業。
それゆえの結果。つまりは、必然。
そうして鬼の動きが止まったところで、空いた胴へと雪弥は拳を叩き込む。強化された拳は皮膚有機体を突き破り内部機関へと貫通させる。掴んでいた腕を離せば、鬼は吹っ飛んでいく。石壁へと叩き付けるが、それでも鬼は生きていた。
そこに飛び出すは炎の槍。爆炎を槍状に固めたそれが放たれる。それは恭吾が作り上げたものだった。
『GAAAAAAAA――――!!!』
「……くそ、しぶとい」
「うーん、堅いねえ、どうにも二人じゃ、足りないみたいだし」
しかし、鬼は未だ倒れない。
連結した同位体の経験が、鬼へと蓄積されていく。それにつれて皮膚有機体は最適化を繰り替えすのだ。それゆえに、再生する度に、皮膚有機体はより強固に、より強靭になって行く。
二人では足りない。
恭吾は威力の高い攻撃を出そうとすれば時間がかかり連発が効かない。連発に意識を割けば威力が足りない上に、敵に避けられて当たらなくなる。練度が足りていない。経験が足りない。
雪弥は手数を多くすることができるが何よりもまず練度が足りない。素人なのだ。攻撃の組み立ても出来ず連撃は連撃として機能していなかった。
鞭も十全に扱えていない。拳で殴ろうにも既に一度、掴んでから殴るというのを体験させてしまった以上同じ方法ではもう捕まるようなことはしないだろう。
「動きを止めることはできるんだけどね」
「……手数が足りねえ。俺の火力だけじゃ抜けねえからな」
雪弥には敵を止める手段がある。鞭の能力を使うことであるが、今の自分では捕まえておくのがやっとであろう。しかもぶっつけ本番、他のことをしながら、つまり攻撃をしながら捕まえておくには凶器に対して習熟が足りていない。そうなると攻撃は全て恭吾が行うことになる。
だが、それでは突破できないのはわかっている。威力の高い攻撃も溜めの間に最適化されてしまえば意味がない。先ほどまでの攻防のおかげでだいぶ最適化されてしまったことを考えれば厳しいことこの上ないだろう。残っているのは全ての力を使った攻撃のみ。
どちらも経験不足が露骨に響いている。ゆえに、あと一手。あと一人。誰かがいれば、抜ける可能性はあった。雪弥が捕まえて、恭吾が最大の威力にて皮膚有機体を剥ぐ、そして、もう一人がトドメ。その流れが理想だった。
だが、ここには二人しかいない。やはり不可能なのか、そう恭吾が思いかけた時――
「よかった、無事みたいね」
――轟雷が轟いた。
日柳翔子がそこに辿り着く、雷と共に。彼女は屋根の上から状況を俯瞰する。戦っているのは二人。
凶器を覚醒させたばかりの一般人二人。一番予想外な予想が当たるとは思ってもいなかった。相手の鬼は進化したばかりであろうろ級。ただし、戦闘を開始して幾許か、最適化が進んでいるであろうことは明白だった。
だが、問題はない。そう、問題はないのだ。彼女の目に入っているのはぼろぼろの少年たち。雪弥と恭吾。それだけで十分。
例えどのような存在が相手であろうとも、例え何があろうとも、人を救う。そのためだけに彼女は生きている。
「行きます」
ゆえに、凶器に紫電を滾らせる。
「ハアアアアアァァァ――!!!」
気合いと共に、屋根の上から壁を駆け下りる。足に紫電を走らせて、踏む込み護心刀《建御雷》を振るう。
紫電を滾らせたそれ。紫電と電熱によって淡く発光する刃は容易くろ級の皮膚有機体を斬り裂く。だが、致命傷には至らない。これがろ級。即座に回復する。
定石はそれよりも速く、何より速く斬り裂くこと。脳内のギアを一段階引き上げる。連戦の影響で、筋肉が悲鳴を上げているが、それでも人を救うと翔子は躊躇いなく速度を上げる。
轟音を轟かせながら彼女は紫電となる。
「よーし、なんか知らんけど、味方来てくれたし、やりますか」
「……黙って見ててもいいじゃないか? あいつ一人でもやれると思うぞ。相当だろ、あれ」
「いや、そうなんだけどね」
もしここで手伝わなかったらどうなるのか。
妹である由宇から絶対零度の視線を向けられながら女の子一人に戦わせたと? と言われて責められるに決まっている。
別に何か思うこともないが、それはそれで建設的ではない。妹が昼食を作ってくれなかったら、寝る時間が減る。それは不味いのだ。
「だから、助けるくらいはしておかないと」
「……おまえ、とことん尻に敷かれてるな」
「はは、嫌になるよ」
「……嘘つけ、まったく思ってないくせに」
雪弥は肩を竦めて、
「んじゃ、打ち合わせ通りに、僕が止めるから、谷田がさっさと穴あけて、あの女の子にとどめを指してもらおう」
「……だから、苗字で呼ぶなっての」
「じゃ、行くよ」
恭吾の言葉を無視して、迅雷となり怒涛の斬撃を繰り出している彼女の下へと雪弥は疾駆する。
「――! 下がって!」
「大丈夫だよ。こいつの動きとめて穴あけるから、あとよろしく!」
「――! わかったわ」
短くそう言って、《罪花》の能力を発動する。
「縛れ、自縛の鎖!」
『GRAAAAAAAAAAA――』
それは、自らを縛る自縛の鎖。地面から生じた二本の鎖が鬼の腕を縛り付けて、その動きを止める。
「谷田!」
「……だから、苗字で呼ぶなっての!」
巨大な炎の槍。今まで放っていたものよりも数倍、数十倍は巨大なそれ。最大火力のそれを鬼へと放つ。それは皮膚有機体を穿ち、内部機関を露出させた。そこに紫電が走る。鋭い刺突が内部機関を貫く。それと同時に鬼はその機能を停止し、双眸の紅は消え失せて皮膚有機体は蒸発して消え失せた。あとには内部機関の残骸だけが残っている。
いつの間にやら教団の連中は逃げ出しており影も形もなく、他の鬼もろ級が倒されたことによって再び暗がりの中へと逃げ出していた。
「はあ、なんとかなったー」
「……もう、勘弁してくれ、こういうのは」
雪弥と恭吾がへたり込む。翔子は凶器を消した。機関灯の灯りが戻って来る。それは今夜の騒動が終わったことを三人へと告げていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
叢雲士官学園理事長室。
広すぎるというほどに広いというわけではないが、理事長室の椅子というものに座っているこの部屋の主人のせいか、酷くここは大きく広いように感じてしまう。
それほどまでにここの椅子に座る漆黒の夜会服を纏った彼女は弱弱しく、華奢で細く小さい。抱きしめて力を込めれば小枝のように折れてしまいそうだと錯覚すらする。
だが、それはないだろうと、ここにいる全ての人間は思う。彼女はそんな女ではない。叢雲士官学園という鬼を殺す者を育てる機関の長がそんな弱い女なわけがないだろう。
それは間違いではなく、彼女の瞳に映るのは底なしの闇だ。光すら反射して、そこにはなにも写ってはいない。見る者全てが呑み込まれている。
喪中であるかのようなベールの奥に浮かべた微笑は怖気が走るほどに美しく、濡れたような髪はさらさらと音が鳴るかのよう。
この部屋の中で誰よりも弱いはずが、事実、誰よりもこの場を支配していた。
「それで? 教団の尻尾はつかめましたか?」
「いいえ」
鈴の如き何色も、何の感情すら籠っていない冷たい声で彼女はそう手近な人間に聞いた。
「そう、では、見つかった二人の凶器の使い手については?」
「明日、学園に呼ぶことになっています。一人は外縁部に最近住み着いた孤児、もう一人は……八咫家の生き残りです」
「あらあら、クスクスクス」
報告を聞いて、それは面白いと彼女は笑う。それに部屋の中にいる数人の者たちはゾっとする。
「あの八咫が、ねえ。クスクスクス、面白いわ、とっても。
明日来る二人とも丁重に扱いなさい。力はいくらでもあって困らないから。八咫の二の舞なんて、私はごめんですもの」
「は、はい、了解しました」
「では、今日はこれくらいにしましょう」
そう締めくくられ集まりは解散した。理事長室から出たところでようやく集まっていた男たちは安堵の息を吐いた。必要とはいえあんな少女の下にいるしかない自分たちの運命を呪いながら。あるいは、あんな少女を化け物にするしかなかった自分たちを責めながら。
「…………」
そんな男たちの様子を視ながら彼女は息を吐いて呟く。
「日柳、八咫、八坂」
新たに視界に映る三人の少年少女。血みどろにしとどに濡れた彼ら。紅い鬼。滅びはすぐそこに。
彼らを視ながら、彼女は笑みを深める。ゾッとするほどに美しく、怖気が走るほどにおぞましい笑みを浮かべて、少女はただ笑う。
「滑稽だわ、滑稽だわ。クスクスクス」
少女は、ただ、笑う。
「もし、滑稽な道化でしかないのなら――」
――全て、殺してしまおう。
そして、少女は、ただ、笑う――。