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狂想のインサニティエッジ  作者: テイク
第一章 始まり
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第四話 蒸気機関の街

 蒸気機関の盛隆と共に、世界は青空を失った。空は灰色の雲に覆われて、夜も、昼も、朝もなく暗い。朝、昼は夜ほど暗くはないがまるで黄昏のよう。機関灯(エンジンライト)が照らす街もそう黄昏に照らされたように淡く輝いている。

 ここは、重機関都市(ハイ・エンジンシティ)。最先端蒸気科学(エンジンサイエンス)学者、ここでは碩学と呼ばれる者らによって作られた高次蒸気機関に支えられた鋼鉄(クローム)蒸気(スチーム)黄昏の街(トワイライト)

 駆動する機関(エンジン)の音と噴き出す蒸気と排煙は常に街を覆い、回転する歯車の小気味の良い音が路地へ響き渡る。それは耳に心地が良く、それによって作られた動力は蒸気導管(スチームパイプ)を通って淡く明るい機関灯へと力を渡して街照らす。

 ここは日柳(くさなぎ)と呼ばれる街。最先端の蒸気科学によって作られた重機関都市。石造りの鋼鉄と蒸気と歯車にて回る街。

 朝。

 都市中央に存在する“大機関(メガエンジン)”の目覚めと共に都市は目を覚ます。それに伴って耳に届くのは近隣の“機関群(エンジングループ)”の駆動音。

 目覚めと共に“街”中に張り巡らされた蒸気導管(スチームパイプ)に蒸気が通りはじめ、熱を上げる。同時に機関を冷やす冷気が“街”にうっすらと昇って来る。

 その音は、轟音というほどではない。

 その熱は、火傷するほどではない。

 その冷気は、凍えるほどではない。

 されど慣れていなければそれは違和感となって顕著に襲う。特に、機関に慣れない者は、特に。そう、例えば、灰色雲に覆われていない蒸気機関ではなく電気機関によって生活をしていた者たちだとか。

 今日もまた、慣れずに些細な音や、些細な熱や、些細な冷気で由宇は目を覚ます。ここに来てから幾許か。とりあえずは一週間くらい。

 蒸気機関車を降りて、街の中。なんとか兄妹二人で知恵を絞り、携帯電話や持っていたいらないものをいろんな店を回って探した質屋に売って、お金を作って、外縁部に部屋を借りた。安いボロボロのアパルトメント。それから二人して働いて何とか生活している。

 一週間生活してみて、慣れてきたとはいえど、やはり音や熱や冷気などの些細なものたちは今だ目覚ましとして機能する。

 早いとわかりながらも由宇は貰いものである古い蒸気歯車(ギアスチーム)式の壁掛け時計を見る。“大機関”と数多の“機関群”が停止していた時は止まっていた時計が動き出している。

 カチ・コチと音を鳴らして、都市中央駅に存在する中央時計(セントラル・タイマー)の標準時間に調整されているそれを見ながら思う。


「不便ですね。やはり」


 夜に動力が停まるというのは不便であると彼女は思う。

 個人機関(パーソナルエンジン)でもない限り、“大機関”や“機関群”が稼働していないと機関機械(エンジンマシン)は使えない。

 宮守重工による研究開発によって日に日に個人機関の値段は安くなってきているとはいえ、まだまだ値は張る。都市外縁部に住むしかないような庶民では手が出ない。

 個人機関は貴族や金持ちなどの一部の上流階級だけの特権。

 ただの庶民は“大機関”や“機関群”に頼るしかない。それでも昔よりは遥かに便利になった。

 特に、僅かばかりの公園でゲートボールに興じるお年寄りたちは昔を思い出しては口々にそう言う。ことあるごとに。

 それでも不便に思ってしまうあたり、人の欲望とは限りないですねだとか、やっぱり向こうの方が便利だったのですねだとか、由宇は思いながら白い息を吐く。

 その間に、機関の目覚めに合わせて動き出し、せわしなく、くるり、くるりと回っていた時計の長針と短針が止まる。

 合わされた時刻は五時を半分以上回ったくらい。もうすぐ六時といったくらい。いつもと変わらない時間。


「お兄様は、もう働いているのですよね。煙突掃除、うぅ、よくこの寒さの中よく働けます。尊敬いたしますが、無理してなければ良いのですが」


 朝から、というよりは深夜から、皆が寝静まった頃に兄雪弥は働きに出る。危険な仕事。煙突掃除に。機関の停まった街の中で、寒い街の中で煙突を磨く仕事。

 賃金が高いから選んだなどと雪弥は言っていた。それだけの理由でそんな危険な仕事をするなんて、妹の心配なんて知らないのでしょうね、などとそんなことを由宇は思いながら寒さに身を震わせる。

 季節的には春ではあるが、もとよりこの日柳は春も夏もそこまで暑くならない。四季はあるのだが、機関都市では常に機関を冷却しているので冷えるのだ。更に空を閉ざす黒雲のおかげで朝は二重に冷え込む。

 部屋の中はそこまでではないものの、ボロいアパルトメントは隙間風も多く冷える。迷うことなく由宇は暖房機関(ヒートエンジン)(キー)を回す。

 壁掛け時計と同じもらい物の古い宮守重工製の初期型暖房機関。初期型だからか、音と振動が最新式に比べて遥かに頭に響く。近づけばもっと。

 しかし、温風を吐き出す暖房機関からは離れられない。個人機関のある家は常に温かいという。寒さに弱い由宇は羨ましいと思う。

 部屋が温まるまでそうしている。ただ、いつまでそうしてはいられない。彼女にも仕事がある。接客業。喫茶店の店員。一日中、朝から夜までずっと働く。もちろん寝起きのままではいけない。だから、洗面所に向かう。

 脱衣場にもなっているそこで私は寝間着を脱ぐ。そのまま寝間着は洗濯機関(ランドリーエンジン)へ。そのまま洗濯を始め、それを尻目にお風呂場に入る。小さな、けれど深い浴槽とシャワーがあるだけな簡素なお風呂場。

 時間がないから流石に浴槽は使えない。だから、シャワーだけ。由宇がお湯のひねりを回して、シャワーの前から退く。刹那、お湯が出た。

 それと同時に由宇の足に感じる火傷しそうなほどのお湯。視界が一瞬にして真っ白な湯気に覆われた。


「今日は、熱いのですね」


 最新式ではないから、シャワーはいつもおおざっぱ。熱すぎたり、冷たすぎたり。極端。

 由宇もこの部屋に来たばかりの頃はよくひっかかっていた。今では慣れたもので身体が勝手に避けるようになっている。

 お湯はしばらく出しっぱなにしておけば良い感じの温度になる。頭からお湯を被って、眠気を落とす、汚れを落とすように。

 やはり、目が覚める。芯が起きたとか、そういう感覚。朝だと、認識して。ようやく、起きたと感じる。慣れもあって由宇は朝には強いが、このシャワーの感覚だけはやめられないと思う。特に、気にせず水を使えるようになってからは。


「ふう」


 シャワーを浴びて由宇は一息付く。軽い息。

 髪を乾かして櫛で髪を梳く。

 やはり、シャワーは偉大だ。寝癖でボサボサだった髪も、簡単に元通りになる。長いその髪を乾かしてさっさと結んでしまう。そのままなのは飲食店の店員としては不適格であるから。

 それが済めばエプロンを付ける。汚れても大丈夫な本来なら職人用の黒くて大きい奴。雪弥も使うから彼に合わせてある。由宇には大きいがきつく紐を結んでキッチンへ。

 冷蔵機関(フリーザーエンジン)を覗き、少ない食材の中から幾つかを手に調理を開始する。作る料理は二人分、雪弥の分も。簡単なものを少し。昼のお弁当も一緒に。

 さっさと作ってさっさと食べてしまって。エプロンを脱いで片付けもそこそこにコートを着る。


「行ってきます」


 そう一人呟いて部屋の外へ。202号室の真鍮の鍵を閉めて、それを上着のポケットに。廊下を歩いてアパルトメントの外へ向かう。

 廊下はよく軋む。軋む床に軋む扉。軋む軋む。歩けば歩くほどに軋む軋む。この音を人はうるさいという。由宇もうるさいと思っているが、雪弥は気に入っているらしい。ただの五月蝿い音なのにと思うが、雪弥はそれがいいという。

 本当に兄がその音を好きなのかはともかくとして、慣れれば気にならなくなるかな? と今日も思いながら由宇は階段を下りて、大きくもないエントランスホールで郵便を確認する。

 何もなし。いつも通り。新聞は職場で読むので届くようにはしていない。大家のおばあさんは常々由宇に掃除に使えるからとれば良いのにというが、ほとんど部屋にいないのだから掃除もなにもないし、生活が苦しいからと由宇は断っている。

 由宇は共用の可愛くもない無骨な黒い日傘を手にしてアパルトメントを出た。時間にして八時。エントランスの共用時計を見て確認してから出たので間違いない。あと三十分で店まで行ければいいので問題なく間に合うだろう。

 外縁部のアパルトメントから日柳中央に向かう路面機関車に乗り込む。過ぎ去って行く街並みを眺めながら日柳中央で路面機関車を降りる。


「ふう、やはり冷えますね」


 降りて寒さを感じて由宇はそう呟いた。

 機関都市は冷える。大機関を運用するために、都市中に冷却用の管が行き渡っているため冷える。部屋の中や建物の中はそうでもないものの通りは特に冷え込む。特に、中央区は冷える。

 吐く息は白い。ぶるり、と身を震わせつつ通りを歩く。目指すのは商業区。

 商業区。そこは所謂商店街。いろんな店がそこにはある。喫茶店から由宇は行ったことがないオシャレなパブ、良く利用する食料品のお店や服屋も。

 また、商業区の通りには、降り注ぐ煤避けの傘を差した女性や、コートを着た人々でごった返している。仕事や学院や学校に行く者たちの通勤、通学風景を描いていた。


「変わりませんね」


 どんな世界でも通勤や通学の様子は変わらない。そこに奇妙な安堵を感じながら。ようやく歩きなれてきた通りを歩いていると喫茶店へと行きつく。裏口に回り、


「おはようございます――わぷ」


 挨拶しながら入ると何かに抱き着かれた。柔らかい何かが顔に押し付けられる。それと同時に甘い匂いが鼻孔をくすぐる。嗅ぎ慣れた匂い。同僚の匂いだ。

 女性が由宇に抱き着いている。エンプンに喫茶店の制服姿の柔らかい雰囲気の年上の女性。豊満な胸だとか高い身長だとか、由宇にないものを持っているから少しばかりうらやましいと思っている。


「あーん、やっぱり今日も可愛い。由宇ちゃん、早くうちの子になりなさいな」

「おはようございます、三上さん。お断りします」

「あーん、つれないの。良いわ、じゃあ、今日もお仕事がんばりましょう」

「はい」


 その前に個人機関札(パーソナル・カード)を専用の読み取り機関に通し出勤記録を残して制服に着替えてお店の方に出る。


「おはようございます、マスター」

「うむ」


 寡黙な男性。この喫茶店のマスター。筋骨隆々で物語の騎士のよう。それだけに制服は壊滅的にぱっつんぱっつんで似合っていない。

 仕事はあるはずであるが大抵いつもカップを磨いている。コーヒーを淹れるのだけはうまいが料理はほとほとできないらしくもっぱら料理は三上がやっている。

 店は開いたばかりであるがお客は多い。朝ごはんを食べにくる人たち。特に煤で汚れた作業服の人たち。煙突掃除屋の人たち。もちろんその中には兄である雪弥も交じっていた。

 注文を取りに行くついでに話しかけに行く。


「おはようございますお兄様、谷田(やた)さんも」

「うん、おはよう由宇」

「…………ああ」


 雪弥と共に席に座っていた彼と同じ煙突掃除人の少年――谷田はぶっきらぼうにそれだけ答える。由宇とは視線を合わせようともしないが、はたらき始めて数日、それほど悪い人ではないだろうということはわかっている。


「今日もお疲れ様でした。お怪我などはありませんか?」

「ないよ」

「……ああ」

「安心しました。いろいろとお聞きしたいのですが仕事があるので、これで。では、ゆっくりしていってください」


 話をしたいが、これでも仕事中である。ゆるい喫茶店であるが、仕事をせず話し込むのは駄目だろう。名残惜しいが注文を聞いていちいち抱きついてくる三上にそれを伝える。

 できた料理を配膳し、皿を片付けて、注文をとりにいく。それの繰り返し。はじめのうちは慣れないでミスもあったが、今では慣れたもので自然に笑顔を振りまきながらできるようになった。まあ、恥ずかしさは抜けていないのだが、それが珍しいと一部界隈では結構有名である。

 一見順調に見えるがしかし、まったく問題がないわけではない。面倒な客層がいるのだ。軍所属の者たち。そう軍人である。

 軍人とは鬼と戦う者たちのことで、一つの都市に一軍が駐留している。彼らがいなければ都市は存続できない。外界と都市を囲む堀と壁を守るのは彼ら以外にはできないのだ。

 それゆえに、軍人はプライドが高い者が多い。全員が全員そういうわけではないし、この日柳はかなりマシであると由宇は三上から聞いている。

 だが、いないわけではないのだ。特に朝方は危ない。夜勤明けで気が立っていると誰でもそういう輩になる。そういう輩は結構面倒で危ない。

 こんな風に――。


「おいおい、なにしてくれてんだよ、わかってんのかああん――!」


 コップが割れる音ともにそんな怒鳴り声が響く。


「申し訳、ありません」


 そして、由宇の謝る声が続く。それに対して軍人は濡れたぞ、どうするんだという風に語尾を荒げながら威圧する。他の二人の軍人も同じく。

 少なくない客たちは、また奴らかという風に目を背けながら思う。このあたりでは特に珍しくもない軍人たち。夜勤明けは特に荒れている奴らとして有名。それでいて、実力は高いというのだから面倒くさい連中。

 誰も助けにはいかない。軍人は強いから。由宇もされるがままだ。それが一番手っ取り早い。だが、嫌なものは嫌だった。


「……おい、やめてやれよ、そいつ嫌がってる」

「――あん?」


 いつもならば止めるのは三上の役目。マスターはあれで小心者なのだ。だが、今日は違った。聞こえるのは男の声。そう谷田の声。


「おい、兄ちゃん、俺らがなにかわかって言ってんのか?」

「……軍人だろ、知ってる。みっともないと思わないわけ? こんな朝っぱらから、幼気(いたいけ)な女の子脅してさ」

「なんだと!」


 一色触発な雰囲気。すぐにでも軍人は谷田に殴りかかるだろう。その時――。


「あらあら、楽しそうですねぇ。私が言ったことよもや忘れたわけでは、ないですよね」


 三上が笑いながらやってきた。軍人は三上の出現に露骨に、まずい、という顔。何度もここで狼藉を働き三上に追い出された口である。三上の恐ろしさは何よりも知っている。


「あ、あああ、お、覚えてる。覚えてる」

「じゃあ、どうすべきかお分かり?」

「わかってます! す、すまねえ嬢ちゃん、夜勤明けで気が立ってたんだ」


 豹変したように軍人は由宇に謝る。いつみても慣れないなあと思いながら、


「い、いえ、大丈夫です。私が落としたのがいけないんですから」


 そう言う。本当はひっかけられて落としたのだけれど。それを指摘するタイミングではない。


「すまねえ、本当に」

「はい、じゃあ、解決ね。いいこと? 私の由宇ちゃんに手えだしたらどうなるか、しっかり覚えときなさい!」


 そうやってこの場はお開きになる。


「谷田さんもありがとうございました」

「……気にすんな。俺は役に立ってねえから」

「それでもですよ。ありがとうございました」

「……ん、そうか」


 谷田は照れたように頬をかきながら席に戻っていった。由宇も仕事に戻る。


「さあ、続きがんばりましょう」


 そういう感じに朝から夕方まで仕事を続けるのだ。


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