第十六話 講義、抗議
翌々日。
編入直後の演習という無茶振りを終えた雪弥と由宇の二人は教官と三人で遅れた分の補講を受けていた。凶器と戦術論についての講義は昨日、一日かけて終わり、今日は魔術と鬼についての補講。これが終われば速攻で補講は終了である。
基本的に鬼と戦って勝てればいいのだ。そのための知識であるが、最低限でも構わない。どれが危険、あれが危険。それを覚えて、あとは実戦あるのみ。理論などはほとんど覚える必要はないだろう。
武器の使い方も、鬼についても。とにかく体験してしまうのが早い。そして、既に体験は終わっているのだから、あとは少しだけ覚えるだけでいいということ。
「は~い、それじゃあ、魔術の講義を始めますねえ。わたしは、魔術研究科の教授ですぅ。魔術研究のほかに鬼についても研究してます」
ええと、じゃあ、さっそく始めますね。魔術の基本的なことはわかりますか?」
ふわふわした空気を放っている眼鏡に白衣の女性教授。補講の教師である。碩学であるため、理論についてはこれほど詳しい相手はいない。
「はい、魔導路によって術式燃料を魔力に変換し、身体のどこかに生じる刻印式と発生による言語式によって発動する術が魔術です」
「はい、正解ですぅ。えらいえらい」
と、答えた由宇の頭を撫でる。この歳になって撫でられたことのない由宇は顔を真っ赤にして恥ずかしがるが、教授は気が付いた様子もなく撫で終えて講義を続ける。
「それが基本的な先天的な魔術ですね」
先天的な魔術。
それが由宇の答えた魔術のこと。自前の魔導路と刻印を用いた術のことであり誰しも使えるものではなく、才能に依存した技術。それを使う者を魔術師と呼ぶ。
術式燃料を増やすには身体を鍛えるのが一番であることから魔術師であっても筋骨隆々な者も多い。使える属性も全てわかっているわけではなく、遺伝性があることがわかってはいるが、どういう法則が働いているかは未だ未知の領域である。そのため、この先天的な理論的なものではないということ。
魔導路と感覚、それからセンスが大いに関係するのがこの先天的な魔術である。そして、先天的というならば後天的な魔術があるのが道理。
後天的な魔術というのは、自前の魔導路を使わない魔術のこと。より正確に言えば、使わないのは刻印である。刻印が魔術の種類を決める大きな要因となっているため、この刻印を介さなければ魔導路はただ、魔力だけを生み出す。
その魔力を機械によって再現した回路に流すことによって様々な現象を引き起こすのが後天性魔術である。大抵が魔導路の首筋のある一点に接続肢を取り付けて機関と接続することによって魔力を通し回路へと流す。その機械というのが魔導頭脳であったり魔導具であったりする。
「後天的な魔術は非常に使い勝手がいいです。魔脳であれば、自ら回路を組み立てて用途に応じた魔術を使用できます。
これによって魔術は更に大きな幅が広がったんですよぉ」
なるほど、と由宇は思う。昨日、翔子などに言われて魔脳の処理を彼女と雪弥は行っていた。埋め込み式ではない魔術処理式のもの。雪弥や由宇からすれば所謂SFマンガに出て来る電脳みたいなもので、便利であったのだがこんな機能もあったのかと驚く。
未だあることになれない、視界に浮かぶアイコンを視れば確かに、そういった機能が組み込まれていることが分かる。
「では、今からみっちりと組み方を教えるので、あ、申し訳ないんですが、雪弥さんはこれでも読んでいてください。歴代最高クラスの魔術資質、えへへへ、どんな術式を組むのか、楽しみです」
そう言って彼女は由宇に手取り足取り術式回路の組み方を教える。それはプログラミングに似ていた。
さて、一冊の本を寄越された雪弥は素直にそれを読むことにする。それは鬼に関する学術書だった。どちらかと言えば図鑑だろうか。
『猿でもわかる鬼の生態』
タイトルはそうなっている。
雪弥は何を思うこともなくそれを読み進めることにした。
鬼。それはいつごろ現れたのか、どこから来たのか定かではない鋼鉄の異形。どこにでも現れる人喰いの化け物。皮膚有機体と内部機関による鋼鉄の生物。
いつごろ現れたのか正確ではないものの、一説によれば機関文明が花咲いた頃、つまりは産業革命時代頃ではないかと言われている。その頃から、青空が段々と消えていき、闇が多く世界を覆うとしていたためだ。
その生態についてはわかっていないことが多く、わかっているのは人と機関を喰らい進化することを本能に組み込まれているということくらいである。
鬼を殺すには皮膚有機体を削ぎ、内部機関を破壊するか、一瞬で行動不能状態まで破壊することにより殺すことができる。
強さによって段階わけされており、い級、ろ級、は級、に級、ほ級、へ級、と級の七つの階級が存在する。ある段階からパーソナリティを獲得することにより多様化と個体の差別化が顕著になる。
現在確認されているのはほ級までであるが、もしその上の二つと出会ったのならば逃げるべきである。ほ級ですら第一種接触禁忌指定の鬼なのだ。それ以上となるともはや人類に勝てるものではない。
鬼は大進行というものを起こす。これは多くの鬼が集まり移動する現象の事で、その影響により都市が滅ぶことすらある。
などとそんなことが書かれていた。どうにもまだ研究段階なのかわからないことが多いらしい。
そして、結局、この日雪弥は本を読むだけで終わった。しかも、由宇はまだ終わらないのか、雪弥は彼女を置いて一人学園内を歩くことになってしまった。
というわけで、勝手に散策していると、
「ん? なんだろう」
廊下に落ちているハンカチを見つけた。ハンカチを拾う。黒い汚れの目立たないハンカチ。飾り気はある一点を除いてまったくない。
「誰のだろう」
まあ、落としものではある。これからどうしようかと考えていると。
じゃらり、じゃらり。
そんな音を聞いた。歩いて行く人影がある。
制服の袖に縫いつけられた金属糸同士が触れ合ってじゃらり、じゃらりと小さくも確かな、さながら足音の如き音を鳴らして歩く人影が。
それはアクセサリーが鳴らす音ではない。アクセサリーを制服につけることを学園は認めていないから、それはアクセサリーが鳴らす音でない。
それは勲章が鳴らす音。本来ならば肩や胸につけるはずのそれはなぜか袖につけられている。それが鳴らす音。
ただ、どこに付けられていても勲章には変わりなく、彼が勲章に見合う実力を持っているのだと知らせている。
その音は、その男の到来を伝えるものであった。
その男。第107期士官候補生の中で最も恐れられている男――三上慎也の到来を告げるものだった。
――じゃらり、じゃらり。
『おい、これ』
『み、三上だ』
音に気がついた候補生たちが道を開けていく。同期、先任、教官全て区別なく慎也に気がついた者は一様に道をあけていく。
あまりの緊張感に呼吸すら忘れている。さながら蛇に睨まれた蛙だろうか。それだけの圧が彼から放たれているのだ。
それが彼に対する様々な噂を肯定する。
曰く、「気に入らない教官を半殺しにした」
曰く、「上級生の不良集団を一人で壊滅させた」
曰く、「彼に不味い料理を出した料理店が翌週には、長蛇の列ができるほどの店になった」
曰く、「軍人ですら手こずる鬼を一人で倒した。しかも、凶器を使わずに」
曰く、「本気を出したことがない」
曰く、曰く、曰く。
そんな噂。信じられないような噂の数々。眉唾だと笑った者たちは、慎也を直接見て、その認識を改める。それほどまでに慎也が放つオーラとも言うべきものは凄まじかった。
あの第107期士官候補生次席たる熱田大和ですら、前に立つのを避けると言えばその凄まじさがわかるだろう。
誰も前に立ちたがらず、立っても震えが止まらなくなるような男。それが三上慎也という男だった。
その慎也はそんな異常な光景の中表情一つ変えずにただ歩いていく。この程度、眉一つ動かす価値はないのだろう。
まるで海を割った彼の御仁の如く、人があけた道を彼は歩く。誰も阻むものなどいない。
だが、不意に彼の足は止まる。俯き加減の視界。つまり、だいぶ下の方ばかり見て歩いていたわけであるが、そこに誰かの足が映ったからだ。
細い脚。女子だ。そこまで考えて慎也は顔をあげる。そこにいたのは見慣れた少女――穂照いずなの姿。
ビシッ! という擬音が聞こえそうな程の勢いで慎也に人差し指を突きつけて、
「勝負ですの!」
そう言い放った。
ざわめく周囲。勿論だ。無論、これがここ数か月。彼ら二人が入学してきて以来続けられていることであろうとも、慎也の覇気とも呼べる圧に中てられた中で見るとやはり驚愕する。
「……あ、なんでだ」
そして、やはりいつも通りの不機嫌そうな慎也の声。それに周囲も、無論、こうやって指を突きつけているいずなですらたじろぐ。だが、撤回する気はないのか、一歩引きながらも、彼女は続ける。
「負けっぱなしは趣味じゃありませんの」
「あ?」
気に入らないのだろう。今にも殴りかかりそうな程に殺気が漏れ出している。冷や汗をかく周囲といずな。
一触触発の空気の中、それは現れた。
「ごめん、ちょっと通してくれる?」
気の抜けた声。こんな重苦しい空気のなか、誰だ、と声のした方を見る。そこには雪弥がいた。落し物を見つけて、その前を歩いていたのが慎也だったため、彼が落としたのかもしれないと追ってきたのである。
そこまでする義理などはなかったが、妹に常々人には親切にするべきですと言われていた彼はそれを実行に移したのである。
そして、それは、血祭りになるかもしれないと候補生たちを恐怖させた。それが編入してきた雪弥だとわかるとざわめきは大きくなる。
編入学してきたばかりであれば、知らないのも仕方ない。ならば、早々に黙らせようと周囲の優しい候補生たちが動く。なにせ、一触触発の空気。もし、こんなことでその矛先がこの事情を知らない雪弥に向かっては可哀想だと。
しかし、それよりも早く雪弥は動いた。
あろうことか慎也に向かっていくではないか。
何やっているんだ! ここに集まっている候補生たちの意見は一致した。しかし、止めようにももう遅い。既に自分たちで作り上げた人の壁で作り上げた円の中に彼は入ってしまった。そうなれば否応なく慎也にもいずなにも感づかれる。
そして、またもあろうことか、雪弥の方から慎也に話しかけた。
「いやー、よかったよかった、追いつけたよ」
「あ? ……何者だ、てめえ」
関心が向くとともに雪弥に尋常ならない圧が降り注ぐのを候補生たちは見た。すぐに自分がどういう状況か理解するだろう。そう思って、されど、その予想は裏切られる。
「ん? 僕は八坂雪弥。えっと、君が落とした(かもしれない)ハンカチを届けに来ただけだけど?」
そんなものまったく気にしてないという風に雪弥は実際にハンカチを広げて見せる。デフォルメされたワニが刺繍されたハンカチだった。
慎也が確認して、確かに自分のものだったのか。それを受け取って仕舞う。
「んじゃ、僕はこれで」
それで目的を果たしたのは雪弥はさっさと、もう興味ありませんよ、と言った風に人垣へと向かう。しかし、それを呼び止めるいずな。
「ちょっと、待ちなさいですわ!」
「ん? なに?」
「なに? じゃ、ありませんわ。よくも邪魔してくれましたわね」
「邪魔?」
はて、何のことだろう? と周囲を見渡す雪弥。人垣、その中心の二人の男女。導き出される結論は――。
「――告白中?」
「なっ――!?」
こいつ死んだなと思うような一言を雪弥は吐いた。
「ななななああなあああ!! 何を言ってますの! まま、まだ、こいつにそんなことするわけありませんわ! あ、いえ、ち、ちが、ああああ!! ぶぶ、無礼ですわ! け、決闘ですわ!」
その結果なぜか、決闘をやることになってしまったらしい。
「なぜに?」
雪弥はその理由がわからない。見事にあからさまな感じなのだが、雪弥にはわからない。
「来なさいですの!」
だが、よくわからないうちに、決闘をする運びになった。しかも今から行うらしい。いずなの有無を言わせぬ姿勢に押されるままに雪弥と慎也は訓練場へと連行された。編入前にも使ったあの訓練場である。既に補修されて模擬戦の跡は残っていない。
この話は即座に学園中に広まる。この手の話はよくあることである。たいてい一学年には数人喧嘩っ早い者がいる、そして、そいつらは大抵決闘という形で模擬戦をやらかしてくれるのである。
それは、学園で数少ない娯楽となる。部活動もあるが、鬼と戦う士官を養成する学園。要するに戦闘の方がより楽しめるという血気盛んな奴らが多いのだ。良く言うと好戦的、悪く言えば脳筋ばかりの学園。
つまりだ、観客が大勢集まっているという事である、私事であるにも関わらず。雪弥と慎也は逃げるに逃げられない状況へと相成ったわけである。




