リストカッター
そしてゆっくりと、確実に口にした。
リストカッターの本名を。
「寿賀亜理抄さん」
メスを持っていた人物は亜理抄であった。
「お見事です、峰富士男さん」
亜理抄を待ち構えていたのは峰であった。
峰の表情には勝利の余韻もなく、ただ悲しげであった。
亜理抄はメスをその場に投げ捨てた。
それは抵抗をしないという宣言なのであったのだろう。
亜理抄は語りだした。
「警察がくるまでの間に貴方と心中とかは考えなかったの?」
「もちろん考えました。でも、先生と話す時間が欲しかったので」
「まだ、先生と呼んでくれるのね……私も一緒よ。心中より聞きたいことがあるの。」
そこには穏やかな空気が流れていた。
まるで普段、世間話をする時と同じような。
亜理抄は言った。
「どこで気付いたの?大きなヒントは4番目の死体を晒してから出すつもりだったんだけど」
「その前に先生、「容疑者を増やす」ていうの本当は犠牲者の居所を調べるためだったんですよね?」
「ん、そうよ?」
「そこで先生はミスをしているんですよ。宮本さんの部屋に入ったときの事を思い出してください。先生、宮本さんの部屋を物色しながら手帳を見ていたでしょ?しかも服部さんの住所が書かれた欄を確認したあとに塗りつぶして下に「安田 大地」と書いた…上手くカモフラージュしたつもりかもしれませんがバれていますよ。」
「電話しているから気付かないと思ったんだけどなぁ…」
「僕、結構目ざといんですよ。」
亜理抄は少し笑った。
峰は笑わずに言った。
「今度はこっちの番。先生、いつから僕を探偵役にするつもりだったんですか?」
「もう気付いていると思うけど…」
「ホッケーマスクの事件が半年前で僕が先生のところに勤める前ですもんね。でも、教えてください」
「雇うときからよ。正確には貴方が女装家だと聞いてからかな。美少女装探偵。何かワクワクするじゃない!」
峰はため息をついた。
しかしそれはあきれからくるものではなかった。
その時、外でパトカーのサイレンの音が鳴り響いた。
亜理抄は残念そうに言った。
「ずいぶん早いわね。時間切れ。それじゃ刑務所に入ったら面会にでも来て頂戴。待っているから」
「最後にもう一つ!」
「なぁに?こっちは一つしか聞いてないんだけど」
「何でこんな事を……」
亜理抄はぷっと吹き出した。
「ミステリーでありがちなセリフね」
「答えて!」
「漫画で人は殺せる」
それは以前にも言っていたセリフであった。
そしてそそくさと外に出て行った。
パトカーから遠藤警部補が手錠を片手に飛び出してきて叫んだ。
「寿賀亜理抄だな!殺人の容疑と捜査の撹乱の容疑で……」
「はいはい」
手錠をかけようとした遠藤警部補をスルっと避けて亜理抄はパトカーに乗り込んだ。
遠藤警部補は何かを怒鳴ろうとしたが飲み込んでパトカーに乗った。
峰は亜理抄の姿を追った。
しかし、パトカーは真っ黒なカーテンで覆われていたので亜理抄の姿は確認できなかった。
こうして日本中を震撼させたリストカッター事件は幕を閉じた。
しかし、パンダニャンのイメージを損なわれないようにと出版社やスポンサーサイドが働きかけたために事件の犯人が公になる事はなかった。
漫画をなぞった連続殺人……
それで決着付けられた。
これにて物語は終わり。
終わり?
終わり?
いや、始まりであった。
まだ、寿賀亜理抄も峰富士男も舞台の外にいるのである。
ここでようやく二人は舞台に上がる。
ようやく物語が始まる。