そう、これも不幸な事故だよ
「えぇ、宮本進はうちにいますよ。」
5社目にして宮本の勤めている出版社が見つかった。
亜理抄は安心した顔で言った。
「ようやく見つかったね、峰ちゃん。」
「いや、たった5社で見つかったのが奇跡だと思うんですが。」
受付嬢は宮本のいる部署に電話をしてくれているようだ。
「はい……はい、そうです。寿賀先生です、パンダニャンの。」
寿賀瑠々はめったに人前に顔を出さない割には顔が広い。
パンダニャンが大ヒットしたというのもあるだろうが、傍らにゴスロリの美少女が常に立っているのも噂になっている。
……どちらかというと顔が広いのは峰とも言える。
しかし、そのおかげでアポなしで来ても出版社は歓迎をしてくれるのであった。
受付嬢は電話を置いて説明を始めた。
「申し訳ありませんが、宮本は長野の方に出張しているそうです。」
そう言ってポスターを指差した。
その先には「長野秘湯ツアー」という企画の概要が書いてあった。
「戻るのは1週間ほど先になってしまうので……よろしければ携帯の番号をお教えしましょうか?」
何しろ寿賀瑠々が自分から尋ねてきたのだ。
このチャンスを潰すわけにはいかない。
最も亜理抄は原稿の持込ではなく別の目的で尋ねてきたのだが。
亜理抄は言った。
「いえ、直接お会いして話したいので、戻りましたらご連絡をください。」
そう言って亜理抄と峰は出版社を後にした。
「ふぅ……」
宮本進は長野の旅館で一人、温泉に浸かっていた。
時間は深夜。
職業柄か深夜にお風呂に入るのが習慣になっていた。
「それにしても……」
独り言をつぶやき始める。
「服部の奴、ビビりすぎだろ?」
久しぶりに服部から電話が会った。
ギャルOh!最後の日の共犯者であるあいつとは意図的に連絡をとらないようにしていた。
それがとても怯えた声で電話をかけてきたのであった。
「江田が死んだから何だってんだ!」
江田は今でも漫画家をやっているらしい。
漫画家にはファンとともにストーカーはつきやすい。
きっと、ストーカーに殺されたのだろう。
しかし、服部は譲らなかった。
「これは「雪枝瑠々」の復讐に違いない……!」
そのセリフに激怒し宮本は電話を切ってしまった。
そのため、彼は江田がどのように殺されたのかを知らないのであった。
「雪枝瑠々の復讐?あれは誰にも気付かれていない完全犯罪だぞ!」
そのためにお互いの接点がわれないようにカモフラージュまでした。
自分はまじめな編集者。
服部は失踪した編集者。
湯船に顔をつけてブツブツ言い出す。
「あれは不幸な事故。ああしなければ雑誌の休刊で疲れていた俺達の精神はどうにかなっていた。あれは不幸な事故。悪いのは不況がおさまらない世間だ。あれは不幸な…」
その時、視線を感じて宮本は湯船から立ち上がった。
周囲を見回すが誰もいない。
「……気のせいか」
温泉から出ようとした瞬間に彼の意識はブラックアウトした。
そしてそのまま目覚めることはなかった。
「危ないところだった」
リストカッターは珍しく冷や汗を掻いている。
「こいつがあの事件を事故だなんていったりするから……」
つい気持ちが高まり、気配を悟られてしまったのであった。
「不幸な事故……」
リストカッターはニヤリと笑った。
「そう、これも不幸な事故だよ。」
そしてポケットからメスを取り出した。
「宅配便でーす」
「はーい」
峰が宅配便を受け取った。
漫画家という職業柄、危険物が送られてくる可能性も低くはない。
そのため差出人の欄はよく確認してから開けるようにしている。
そしていつものように差出人を確認しているところで峰の動きが止まった。
「どうしたの?」
亜理抄が静かになった峰の様子を見に来る。
「先生……この差出人……」
差出人の名前は「リストカッター」になっていた。
品名は「おもちゃセット」と書いてあった。
亜理抄は峰を押しのけて包装を破り始める。
「ちょっと、先生!危ないですよ!」
そんな峰の制止も聞かずに箱を開けると、中から「福笑いセット」と書かれたおもちゃが出てきた。
福笑いの顔のパーツはリアルでまるで……
鼻のパーツがポトリと落ちた。
裏は赤い糊のようだ。
いや、糊でなく……
「うっげ!」
顔を青くした峰がトイレに駆け込んでいった。
亜理抄の方は冷静にその顔のパーツを見つめていた。
やがて手袋を台所から持ってきて顔のパーツを並べ始めた。
「せっ、先生、何をしているんですか?」
青い顔のままの峰がトイレから様子を伺っている。
パーツを並べ終わって亜理抄は言った。
「こいつ知っている……」
「へ?」
「調度、遠藤新作シリーズを描いていた時にストーカーをしていた奴だ。」
「いやー災難でしたね。」
数時間後、二人は警察署で遠藤警部補と話していた。
二人とも青い顔のままである。
あの後、それまで冷静だった亜理抄も堪えられなくなり、トイレに駆け込んで嘔吐した。
その勢いはすごく、先にトイレで倒れこんでいた峰のお気に入りの服にゲロがかかるくらいであった。
そのため峰は不本意ながら亜理抄のジャージを借りて警察署にきている。
遠藤警部補は咳払いをして喋り始める。
「しかし、危険物だと分かっているのに開けたのは不注意ですな。そういう場合は開けずに警察に連絡をして欲しかったのですが……ほらほら、二人とも顔を真っ青にしてせっかくの美人が台無しですよ。」
峰は口を尖らして言った。
「僕は止めたんですよー。でも、先生が聞かなくて。」
亜理抄はお茶を少し口に含んでから言った。
「そんな事よりも事件は進展しましたか?」
「おかげ様で先生が最先端を行っていますよ。ストーカーの名前……5年前に先生が通報したときのが警察に残っていますね。ストーカー……つまり今回の被害者の名前は金子 悟。ストーカーで訴えられて「今後一切近づかないこと」って誓約書を書かされてから隣の県に引っ越していたようですね。」
「金子悟?」
峰が思い出した。
「それって先生に熱烈なファンレターを出しまくっているじゃないですか?」
「!誓約書はどうした、金子悟!」
遠藤警部補は頭をガリガリ掻いて叫んだ。
「でも、先生。何も言ってなかったですね。」
「名前を知らなかったから……それに。」
「それに?」
「いや何でもないわ。」
そこで遠藤警部補がパンと手を叩いて言った。
「とにかく!これで後は足首が切られて顔がグチャグチャな死体が出てくるわけですな!ついでに顔をグチャグチャにされたパンダニャンが!マスコミにバれたらまた警察は無能扱い!」
遠藤警部補はやけになっているようだ。
亜理抄を巻き込んで今回のような事態を招いたことを後悔しているのかもしれない。
峰は気にせず口を開いた。
「でも、「安田 大地」はどんなこじ付けをするんですかね?」
亜理抄は少し考えてから言った。
「ハンドルネーム」
「えっ?」
「ずっと考えていたの。4人目がジェームスポンドでしょ?頭に杭を打ち込むよりよぽどやりやすいこじつけはないかって。」
「なるほど……でも、先生の作品のファンだからって殺されたキャラの名前をハンドルネームにしますかね?」
「別に本人が使う必要はないわよ。金子悟のパソコンからどっかの掲示板に書き込めば成立。」
「「なるほど。」」
峰と遠藤警部補が同時に声を上げた。
遠藤警部補は再び咳払いをして言った。
「と・に・か・く!今後は面白半分で余計な事をしないようにお願いしますよ!」
峰が口を尖らせて言った。
「そう仕向けたのは自分じゃない……」
「んがっ!僕は心配して……犯人は我々警察が必ず逮捕しますから!」
警察署を後にして亜理抄のマンションで二人は一息ついた。
峰はまだ納得していないようだ。
「何でぃ、あの下品刑事。利用するだけして自分には責任がありませんってか。」
「峰ちゃん、それ言い過ぎ。」
亜理抄が洗濯カゴから洗ったゴスロリ服を峰に渡す。
しかし、峰は受け取らずに亜理抄を見つめている。
「どうしたの?」
「先生、本当は犯人分かっているんじゃ……」
「どうして?」
峰は服を受け取ってから言った。
「僕は犯人が雪枝瑠々だと思います。」
「……有り得ないわ」
「どうして?先生はこの事件が「自分へのあてつけ」って言っていましたよね?誰が?何のために?雪枝瑠々は先生と喧嘩別れしたって言っていました。先生は彼女と分かれた後にヒット作を出しています。雪枝瑠々が先生へ「あてつけ」するのは有り得るんじゃないですか?」
「……」
亜理抄は黙って聞いている。
峰は亜理抄を追い詰めているようで心苦しかった。
しかし、ここではっきりしておかないと亜理抄の身に危険が及ぶかもしれない。
「先生は「容疑者を増やす」って言っていました……これって雪枝瑠々しか容疑者がいなかったからじゃないですか?自分をごまかすために。」
「……もういわ。ありがとう。」
亜理抄は何故かお礼を言い出した。
「そうね、自分をごまかしたかっただけだわ。一番有力な容疑者をね。」
「先生……」
「話すわ瑠々の事を。」
瑠々との出会いは高校時代であった。
教室の隅で絵を細々と描いていた自分。
その反対の隅で漫画を描いていた瑠々。
いつからだろうか、瑠々と仲良くなったのは。
気が付けばいつも一緒にいた。
瑠々はお世辞にも絵が上手いとは言えなかった。
ある日彼女が言った。
「あたしが原作で亜理抄が作画。一緒に漫画を描かない?」
その頃の私は漫画に興味はなかった。
でも、彼女と一緒に出来るのなら。
ペンネームは二人の名前から半分ずつとって寿賀 瑠々にした。
漫画家にはわりと簡単になれた。
でも、マイナー誌ばかり書いていたせいか中々、大ヒットとまではいかなかった……
でも、楽しかったなぁ。
しかし、その幸せな時間もあの日終わりを告げる。
ギャルOh!の休刊が告げられた。
1ヶ月前に。
遠藤新作シリーズは証拠を掴んだところで後1話となってしまった。
「後、1話でまとめるなんて……いやよ!」
その頃の瑠々の見た目はひどいものだった。
私と違って器量の良い顔をしていたのにまるで鬼のような形相だった。
それだけ漫画にかけているものがあったのだ。
最後の方は
「殺してやる……私の漫画の邪魔をするやつはみんな……打ち切ろうとするやつはみんな……殺してやる!」
そんな事を呟くようになった。
そして瑠々は失踪する。
話し終えた亜理抄の目から涙が流れていた。
「その後、私が遠藤新作のラストを描くことになるんだけど……犯人やオチを描くのは避けたわ。彼女の作品を汚すことになるもの。」
「……」
「その後、彼女抜きでヒットを出したわ。何故かわかる?」
「それは先生の方に才能が。」
「違うわ。雑誌に恵まれていたからよ。私は瑠々の原作で今の雑誌に掲載されていたらもっとヒットしていたと思っている。」
峰は否定しようと思ったがやめた。
瑠々が原作の頃の寿賀瑠々作品の方が好きであったから。
亜理抄は続けて言った。
「峯ちゃんは「漫画は人を殺さない」っていったわね?」
「……はい。」
「漫画は人を殺すよ。正確には漫画のために人を殺せる。瑠々はそういう子なの。誰よりも漫画にかける情熱があるから。」
峰は理解した。
何故、亜理抄が今回の事件に首を突っ込むのかを。
それは自分の作品への責任感ではなく止めたいのだ。
親友の行動を。