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鉄処女のリゾンデートル『冬眠除夜』  作者: 囃子原めがね
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離れ合わさり三葉の幸 3


 逃げてばかりだったが、そろそろ知るために動こう。

 義腕の左手は肘に一本食らってから駆動しない。一発でお陀仏である。

 矢の速度は時速一五〇~二〇〇km。これは一〇〇メートルを三秒から二秒で駆け抜ける速度だ。威力は義腕の折り紙つき。効力は割愛。

 一度の最大射出量は今のところ不明。時間を追って増え続け、現在は五十二本。だが、四十を越えてから増量のペースは落ちてきている。

 一度の射撃から次が飛んでくるまでが約五秒。これは五十発を溜めている場合で、一発ずつなら〇・一秒。単発は更に速く、弦に触れたと思ったら射られている。

 型のバリエーションは多い。鋭利が一度接近を試みた時、タリオは弓を水平に倒し十五本の矢を扇形に広げて発射した。今はミサイルポットのように箱型に放って空中散開させる形だ。斉射と連射の切り替えも早く、走りながらや跳びながらの射でも命中力を落とすことは無かった。森の中にいるこちらに向かって間接射撃もこなして見せた。

 タリオの運動能力は高く、警戒心も野生動物レベルだ。近づく素振りを見せただけで射撃を中断し、弓を水平にして距離を取る。追いつけないスピードではないが、連射を掻い潜りながらの条件込みだと難しい。

 おや? こいつは困ったなあ。非の打ち所がないや♪

「……ハハハハハ、笑うしかねー」

 空虚な笑いを立てて、鋭利はその場を急いで離れた。

 頭上から矢の雨が降ってきた。密度を薄くし広範囲に散布している。

 あれが全て追尾してくると思うとゾッとしない。エネルギーを感知して曲がる矢の雨はここからドーム状になって全方位から鋭利を襲う。

 ドームが整って三六〇度になる前に、鋭利は駆け出した。

 撃ち放ったばかりのタリオを目指して。

 遠くでタリオは嬉しそうに笑い、弓を爪弾く。五連射。

「……ッ!」

 疾走の中で、空を走ってくる五連の矢に鋭利は左肩を振るった。

 前に振った壊れた義腕は双節棍(ヌンチャク)のように肘から先が回り、一本目と二本目の矢の横腹を打ち付ける。内側のコードが断ち切れ、肘関節からバコンと外れて飛んでいく。

 取れた腕は三本目と四本目を巻き添えにして、視界を外れる。目前に迫っていた五本目を右手でキャッチ。鉛のように重いそれを短槍代わりに構える。

 タリオが弓を引いた。

 次の攻撃は、十本を横五本×縦二段に並べての並列斉射。

 上列は胸の高さ、下列は膝の高さといやらしい配置だ。

 鋭利は一歩を踏むたびに加速を重ね、敵との距離を縮める。

 直近に迫った十の矢尻。しかし実際に直撃する軌道はあくまで上下中央の二本だけ。

 右腕で上に構えた〈宿り木の枝〉の槍を縦一線、上の一本を落とす。下の一本は股間を抜かしていく。少し速度が緩んだが足は止まっていない。

 後ろからは木々の槍ぶすまが追い立て、前のタリオは一秒間に十発の矢を放ちながら後退していく。一度でも止まればゲームオーバー。そういう相対だ。

 地面を蹴り付けて、身体を風に変える。

「……? ……ッ、っクソっ!」

 射撃が急に中断された。これは朗報ではない。チマチマ撃っていても意味は無いと判断して、タリオが溜め始めたのだ。彼に辿り着くまで目算七秒は掛かる。

 一秒で十本。単純計算で七十本の弾幕。

 途方もない物量に足が竦みそうになるが、これは止まれば即死のデスゲーム。寄生植物に食われて死ぬのは同じだが、挑戦して死ぬか、脱落して死ぬかは大きく違う。

 鋭利の精神内で何かが裏返った。

「……ゥぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおっっっ!」

 咆哮し、踏み込む一歩はここに来て大きくなる。

 恐怖心をかなぐり捨てて、鋭利の速度は己の限界を突破してなおも上昇。

 早く撃たねば追いつくぞ、と敵に脅し付けるように鉄の風は走り。

 対する木精霊も微笑みに余裕さを滲ませて、いえいえまだ溜めるとも、と。

 恐怖に屈して半端なことをした方の負け。チキンレースの結末は数秒後には決まる。

 距離が、視線が、感情が――

 互いの吐息さえも届くように、縮まっていく。

 突っ込んでいく鋭利は、何も考えていなかった。

 どうすれば勝てるとか、どうやって裏を斯こうとか、後ろの大軍の始末とか、タリオをどう倒そうとか、そういう雑味が一切混じっていない、ただ早く走ろうという純粋な思考で身体を動かしていた。

 右足と左足を交差させていく度に、自分を縛る枷が一つずつ剥がれていくような快感。その甘美に身を浸して、脳を焦がして、金属を蕩かす灼熱となる。

 バックステップするタリオは四秒経ってもまだ発射しようとしない。五秒経ち、恐ろしく長く感じる六秒を通って、七秒に差し掛かり、鋭利が先に動いた。

 鋭く伸ばした右の貫手はタリオの顔を目掛けて。

「――ッッッッッッッ!」

 全ては一瞬のことだ。

 タリオの水平にした弓には数え切れない数の矢がつがわれている。タリオの指が生やし、並べていった寄生植物の苗たち。弦と矢筈を押さえている右手が、少しでも浮気心を起こせば暴発して、飛び散る。

 大樹の青年はコンマ一秒に満たない時間の中で笑み、右手を後方に飛ばした。解放された弦が並んだ鳥たちに自由を与えていく。

 木槍の束は空気を孕んで膨らみ、鋭利とタリオの狭間に一瞬にして広がった。

 矢の群れはただただ壁だった。射手の姿を裏側に隠す、尖った木肌の防壁。

 鋭利の貫手を届かせるには壁を越える必要があり、だがそんなことをすれば六十六匹の鳥獣が鋭利を啄ばむ。そして何もしなくても挿し木の矢は身を穿つ。

 一面の矢尻がそれぞれ牙を剥いて、鋭利を埋め尽くす。

「…………ぅ!」

 タリオの射は最上のタイミングだった。あと少しで貫かれていたのは自分の顔だったというのに、最後の時まで瞬き一つせず鋭利との距離を見据え、ギリギリで放った。

 貫手は止まらない。一つの現象と化した鋭利は止まらない。

 戦車をも貫くであろう突き込みが、矢と矢と矢と矢の隙間から伸びて、

 鋭利の指先は、タリオに届かなかった。

「…………っ!」

 代わりに届くものがあった。赤い液体である。

 伸ばされた鋭利の指、その爪と指の間から高圧で噴射された血がタリオの顔に飛んできたのだ。鉄血は形を変え、肉厚のナイフに変ずる。

 刃が木精の額に突き刺さる。

「――ッ!」

 着弾の衝撃にタリオの首が曲がる。上に回るタリオの視線はそれを見ていた。

 前後合わせて一〇〇本以上の矢の中にいる鋭利が、笑んだのを。

「見、たか……!」

 鋭利が、これから死ぬかもしれない状況下にいるのに、まるで子供のように自慢気に笑ったのは。顔をくしゃりと嬉しそうに寄せたのは。

 敵わぬと思った最強の存在に一矢を報いたと、そういうことである。

「…………まったく、お転婆さんめ」

 そして、鉄色の鬼は樹木に包まれた。


          Fe


「…………!」

 鋭利は理解出来ない現象を目の当たりにしていた。

 手始めに、飛んできた大量の矢が鋭利を目前にして軌道を曲解させた。直撃コースを逸れて矢が向かったのは仲間の矢だった。そこで他の矢と合体し始めた。幾十の矢が空中で入り乱れパズルのように組み合わさり、鋭利を囲む鳥篭を形成していった。一本一本が篭の材料として動き、各々の位置にピタリと嵌まり込む。

 その計算し尽くされた華やかな光景は芸術的ですらであった。

 建築と平行して、余った十本の矢が逆から来ていた矢の群れを撃墜していく。役目を果たした十本が墜落し、何重もの蔦と幹に囲まれたツリーハウスが完成した。

鋭利の足は止まっていた。いつどうやって止めたか自分でも覚えていない。

 箱庭の内で唖然としていると、樹の壁の一部が蠢いて出口になった。

 外に立っていたのは、頭からナイフの柄を生やした伊達男だった。

 ナイフの長さからして刃は脳にまで達しているはずなのだが、タリオはそんなこと些事であるかのように振舞い、会った時と同じように片手を挙げ、

「やあ、玉響(たまゆら)ぶり。息災かい?」

「……本当にお陰さまでね。これはどういうことだ。手心を加えやがって」

 彼の最後の一撃。あれは始めから狙うためでなく、後ろから来ていた大軍を落とし、こちらを守るための射撃だったのはどう見ても明らかだ。

 彼はあっけらかに言った。

「君も死にたくはないだろう? まだ。僕も将来有望な若者を殺したくなかった。お互いの利害が一致したからそうしたまでだよ」

「……。いや、だけどオレらは戦、っ……!」

 いいや、最早そうではない。自分らは戦ってなどいない。鋭利はタリオの弓矢にただ踊らされていただけだ。必死になっていたのはこっちだけで、この男は単に、空間の景色を一変させ、大隊を壊滅させ得る力量でもって遊んでいただけなのだ。

 端から相手にされてなかった。これ以上の屈辱があるだろうか。

 否、それすら否だ。初めから最後まで弄ばれて、果てには命を救われて。これ以上無い完全敗北を喫した自分が何を偉そうに言っているのか。

 タリオが黙ってしまったこっちを不思議そうに見てくる。

「もしや、あの日?」って真面目な顔して何言ってやがんだこのクソ野郎。

 殴りつけると受け止められて、まあまあ、と宥められた。完全に子供扱いだ。

「……オレの、負けか」

 肩と視線を落としたこちらに、そうだね、と頭からナイフを引っこ抜きながら、タリオが真摯に答える。おでこに切り傷がポッカリ開いている。

「僕の圧勝。君の惨敗だ」

「そこはしっかり容赦ないんだな……」

「良い試合だったと、僕は思うんだけどね。すごく悔しそうだね」

「ああ。……浅部の奴らじゃ相手になんないって自負があった分、所詮は井戸の蛙だったのかってな。それなりに傷心中だ」

「言っておいただろう? 西部最強だって。ってことは君は中層部の住人か。道理で凶悪的に強いと思った。僕に傷を付けれるのって極少だよ?」

「アンタが言うと嫌味を通り越して暴言だな……! オレが言うのも何だが、ナイフを頭に食らって生きてるって、何もんだよ兄さん」

「理由を求めちゃって、若いなあ。僕の脳みそ三日前から誰かに盗まれてしまって行方不明でね。斬っても斬っても再生する身体だからいいんだけど、気分も悪いしどっかで見かけたら持ってきてくれない?」

「とりあえず、当分は勝てない相手だってことが分かったよ。真人間くせえのに中身はこれって、世の中不条理だな。……何度でも言う、アンタ詐欺だ」

 まあまあ、と誤魔化すように肩を叩かれる。

「泣きたかったら泣いていいんだよ? ここなら誰も見ていない」

「馬っ鹿。アンタがいんだろ。……寝る前に、色々思い出すから良いの」

 今は我慢してて。

 そうかい、とタリオは微笑んで背中を向けた。

 タリオが数歩歩いた先に空間の歪みが生じ、黒い穴になった。

「さあて。僕の試験はこれで終了。君は見事に合格した。『亜空館』から出て仲間と共に第四地区に向かいたまえ」

「合格って、負けたのにいいのか?」

「一本目でも言っただろ? 及第点はあげられそうだって。簡単に実力を見て終わらそうと思ったんだけど、君との戦いが面白くてさ。だって引いても引いても全然当たんないんだもの。久しぶりに熱くならせてもらったよ」

「……ああ、熱くなったのは確かにな。いや、でも合格は、」

 渋る鋭利に、タリオは自分のパッカリ開いた額を指差して、告げる。

「いつか君は僕を越えるだろう。その時まで僕は大樹でい続け、この傷を残しておこう。君の成長の印になれるように。子供の未来を遮るのは大人のすることじゃない。それを思い出したからね。それに僕らで独占してたら、シリオに怒られてしまう」

「シリオ?」

「そう。盟主で《天楼族》の長。『魔天狼(フェンリル)』シリオ。第四地区の例のビルに、子供たちと一緒に彼はいる。行ってくれ。そしてできたら、彼を止めてくれ」

「阿呆。止めるのは仲間であるアンタの仕事だろ。タリオさん」

木精の目が軽く見開かれ、すぐに細められ、相好を崩す。

「……ああ、その通りだ」

 鋭利は暗闇の奥に踏み入れた。しばし滑った感触が全身を覆い、光が包んだ。


          Fe


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