離れ合わさり三葉の幸 2
「…………」
雲水は恐らく世界初の人語を用いるナマケモノと対面していた。
言葉を覚えさせるのには相当苦労したに違いない。和服を着ているがそれは飼育員の趣向だろう。妙齢の女性のように見えるが、それは自分の願望だろう。
「や~あ~。き~みが~雲水くんだね~?」
そこまで喋るのに要した時間、十秒。遅すぎて本当に鳴き声かと思った。
雲水がナマケモノの女性と出会ったのは、この空間に踏み入れてすぐだった。
穴からの墜落の後、異世界の地に我ながら惚れ惚れするタイヤ捌きで着地した雲水は、余韻に浸りたい気持ちを抑え、四方を見渡した。
そしたら殺風景な異空間には不釣合いな、布団の塊を見つけたのだ。
煎餅布団の上に、こんもりと盛り上がった毛布の山脈。
他に何もない空間、唯一の人工物に気になって雲水が近付くと、布団から先の女が出てきたのだ。モゾモゾと顔を出して、起き上がって毛布に包まった。
そしてから、餅を伸ばしたみたいな声をのったりと発したのだ。
雲水は言葉を返さなかったが、彼女は気にしないで続けた。
「よ~こそ私の『亜空館』に~。歓迎するよ~?」
「…………」
その独特の声が、襲われる前に聞いたのと同じものであることには気付いたが、つまりこの女性が敵でこちらを出し抜いた相手であることも承知したが、雲水は警戒心を起こす気になれなかった。
ギャップや驚き、というか馬鹿らしく思えてきたのだ。こんなダラけ切った、敵意も害意も持ってないような者を相手に、何を警戒する必要が? と。
頭の中で石を積むイメージを重ねて、乱された思考を組み直していく。
「……えっと、あんたが、この空間の主なのか?」
今更分かりきった質問だが彼女は嫌な顔せずに、うん~、と認めた。
「空間を造ってるのは私~。こ~見えて《天楼族》の~幹部でね~。私は~音無~。音読みで~ネムちゃんで良いよ~?」
「ネムちゃんっつーより、おねむちゃんって感じだな……」
とことん毒気の抜かれる相手だ。話していると眠気まで移りそう。
「鋭利と虚呂は……他の二人はどこにやったんだ? 人質のつもりか」
違うよ~、と首を振って、自らの動作でうっかり倒れかける音無。
「こことは別の空間で~、別の人を相手に~、試されてるんだよ~?」
「試されてるって、俺ら三人が? 消すために飲み込んだんじゃないのか」
全方位何もない空間で、出口も世界の果ても見当たらない。こんなところに延々と閉じ込めておけば勝手に精神を崩壊させるか野垂れ死にしてくれるだろう。
しかし試すということは殺す気はないのだろう。一番の懸念が消えてくれてありがたい。闇の穴に落とされた時は、死を覚悟したのだから。
だが、俺たち三人を試してどうするのだろうか。
「あっはは~。まあ私たちの中でも~、色々あってね~。試験に合格すればもちろん~、三人とも解放して~。失敗すれば~、二日くらい禁固刑で追放~」
「シンプルで素敵じゃねえか。じゃあ、さっさと済ませて出させてもらうよ。俺の試験官はどこに……って、え? もしかして、あんた?」
「そ~。私が~君の試験官なのよ~。ここから出たけりゃ~私を倒せ~♪」
「……やる気ないオーラ全開のあんたが? ……えっと、やる気ないですよね?」
つい敬語で確認を取ってしまう。あったら布団かぶって待ってないだろう。
グータラ王国の永年女王であろう彼女は得意げにほくそ笑む。
「ふふふ~。私が~、どうして君の相手してるか分かる~? ず~っと見ていたから知ってるんだよ~? 雲水くんが~、女性に手が出せなくて~、弱い者にもやっぱ手が出せない~腑抜けくんだってこと~。私は~、何と両方だっ~!」
ギクリ、と口を強張らせた。完全に自分の弱点が露見している。確かに雲水の方からこの女性に手出しはできない。自分のプライドが許さない。
あわやピンチ! かと思いきや、音無の方からも何もする気がないようだ。
それどころか眉を下げて、垂れ目に悲しそうな色を混ぜた。
「でも~、私たちも知りたいんだ~? 瀬田組のやってたやり方以外で~、私たちが生き残れる手段を~。説得してみせてよ~。私たちと~、ボスを~」
「言葉で打ち倒せ、か。あんたらも、相当立て込んでるみたいだな」
まあね~、と音無は枕に倒れて目を瞑り、寝言でも呟くように言う。
「他の同盟組織にも言えることだけど~。瀬田組に従っていれば、おおむね上手く行ってたから~、ほとんどの族員も恭順しちゃってて~。けど躊躇いを感じる人も少しはいてね~。うちのボスとか、あの二人がそうだった。でも、リーダーが訴えかけても仲間が従ってくれなければ意味の無いことで~、反感を買って仲間が瀬田組に流れてしまったら元も子もないよね~? 孤児を養いきれず街のインフラを整備する力も持たない私たちじゃ~、せめて飢え死にだけはしない外に、孤児たちを送り出す方法しか思い付かなかった~。楽な方に流されてた~。間違いだと認めた後じゃ、ただの言い訳だけどね~」
呆然として、雲水は得心が行ったように頷いた。
「……寝ていれば長台詞も頑張れるんだな、あんた」
「その代わり、いつ寝ちゃうか分かんないよ~?」
それは困るので起き上がってもらった。
どこまで話したっけ~? と布団達磨に戻った音無はおどけて、首を傾げる。
「ん~……その流れを~、大本を潰すかたちで~変えようとした~、君らが出てきた時に~思ったんだ~。私たちとこの町を~この三人に~賭けてみようって~」
「俺たちに掛ける。チームの命運が俺たちに掛かってるのか」
ゴクリ、と息を呑むと、音無が底抜けに一笑した。
「あっは~。違うよ~、他人でガキの君らに~、大事な組織と領民を~、背負わせるわけないじゃ~ん。それは私たちの仕事~。人の仕事を奪うなよ~、」
この偽善者が、と口だけ動かした。それを雲水は読み取り、頷かされる。
「チップは~、私を含めた四人の命と~立場~。君らが本物なら~協力してもらう~。そうでなかったら~私らだけで~、私らなりの手段で、片を付けるよ」
覚悟を決め終えた者の声に、雲水はビクッと背を震えさせた。
賭けていると言ったのは、言い回し上の表現ではなく本気で死ぬ気なのだ。
彼らは死んででも、仲間と民を守る気なのだ。
雲水は我知らず圧倒されていた。この数日は圧倒されてばかりだ。
それが嬉しいと肯定できるのは、自分が少しは成長した証だろうか。
柔和に、ずっと微笑んでいる音無は目元を緩ませて、問いかけた。
「さて~、たっぷりお話ししましょう~?」
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常に闘争の第一線に立ち続け、この年にして数多くの異名と伝説を持つ百戦錬磨の鋭利といえども、苦戦することはある。多々ある。頻繁である。ええそりゃもう。
基本的な身体能力は同じため、戦法にパターンがある人間と違い、それぞれが唯一の異能力を持つ鬼形児同士の戦いでは、すべてが型破り。ゆえに乱戦必至。そこを暴力で押し通すのが鋭利の必勝法なのだが、たまに遭遇する実力者相手にはそんな下手も通用せず、逆に追い詰められて苦戦する羽目になる。
そして今が、その『たまに』であった。
「……ぉおおおおおおおうッ!」
喉が叫ぶのに任せて、鋭利は思いっきり跳んだ。その直後、さっきまでいた地面に矢の雨が降り刺さり、そこ一帯を森林に変えた。
刺さるように着地した鋭利はタリオのいる方を見て、すぐさま身を翻す。
森林の鬼がすでに次の弓を構えていたからだ。
次々に飛んでくる〈宿木の枝〉の矢を初めは斬り落としていた鋭利だったが、タリオは次第にこちらを弄ぶように矢の数を増やしていった。
一本から二本。二本から五本。五本から十二本。
二十本を超えた辺りから迎撃を諦め、回避に専念した。
そして今やタリオは、五十本近くの掃射を放っている。
あまりの矢の密度に近寄れないどころか、逃げることしか考えられない。
直撃すれば肉を貫き、血を啜り、急速成長する大樹の矢。これも厄介極まりない特性だが、しかし、鋭利が苦戦していたのには矢の硬度にこそあった。
本来なら、木の矢が鋼鉄並みに硬い鋭利の肌に突き刺さるわけがない。だがタリオの矢は、木は鉄より弱いという常識を嘲笑い、剣を折り、防弾衣を貫き、義腕を壊す。
鬼の鉄と鬼の木。条件は同等のはずだ。だが、金属の優位性を消された分、鋭利の判定負けだ。敗因があるとしたら、経験差としか言いようが無い。
想像を絶する努力。渡り歩いてきた戦場の数。目にしてきた地獄の質。
年上だけに一日の長があるとはいえ、よもやこれほどとは。
「……くそっ! 何でっ中層部の化け物クラスがっ! 《八部衆》もやってねえでこんな辺境にいんだよ! もろ詐欺じゃねえか!」
昔に浅部の守護者たる《八部衆》の一人と戦い、引き分けた鋭利が叫ぶ。タリオの戦闘能力はその時の《八部衆》と伯仲しているか、それ以上だ。
鋭利の文句に、タリオは速射を続けながら、軽く返した。
「僕は凡夫でね。一般人代表として目立つのはいいけど、ああいうアイドルみたいな派手さとか権力を持つのはちょっと。分相応な小市民でいたいのさ」
「浅部の西部最強って呼ばれておいてか?」
夕立のような猛射の向こうから、彼の悪戯っ子めいた笑みが覗いた。
「森の奥地に住む賢者。そんなのも、ちゃんと相応だろ?」
「ごもっとも……!」
鋭利はこれまでに生えた林の陰に隠れて、掃射四十六本をやり過ごそうとする。
林の壁と打ち消し合って半分ほどの矢が消費されるが、残りの二十五本が鳥のように軌道を曲げて、上と左右から鋭利に食らい付こうとする。
前は樹木の列。後ろに逃げるしかない。海老のように飛び退く。矢が空中で食らい合って生い茂る。衝突を免れた十一本が再びクイックターン。鋭利に向く。
鋭利は後方跳びを重ねながら、手首から出血させて空中になびかせる。
湧き出る端から硬化していき、長い一本の棒に転じる。
鉄のレールを右脇に置き、鋭利は着地した左足で地面を抉り、急制動を掛ける。摩擦で止まるのを待たずに右足で地面を蹴りつけ、身体を前に飛ばす。
百八〇度の切り替えしを成した鋭利は、右手の空中に造られた鉄棍を手に取った。
脇を締め、十二分に溜めて、駆ける速度を倍増させ、
「……破ッ!」
木の鳥とのすれ違い様に、薙いで叩き落とす。
十一本のシャフトがへし折れて、地面に叩き落ちる。
脇を駆け抜けた瞬間、対象を見失った〈宿木の枝〉たちは一瞬だけ停滞し、それを鋭利が真横からの打撃で殴り落としたのだ。
数の多い敵はできるだけ減らして、一箇所にまとめてから叩く。最善策だ。だが、硬度が同程度ならこちらの武器も無事ではいられない。
鋼の棍棒は半ばで四十度近く曲がっている。これではもう使えない。
一度の射撃を打ち落とすたび、一つの武器を駄目にされる。
鋭利の鉄血も無尽蔵ではない。必ずどこかで尽きる。タリオの枝もそうであって欲しいが、あの後先考えない乱射具合を見ると怖くなってくる。
彼なら「僕って一万本の苗木をストックしているんだが、どう困るかい?」と軽々しく言ってきそうだ。
パワーゲームでは勝てないと、そう考えておくべきだ。
この距離を殺し、接近戦に持ち込む。鋭利に残されている手はそれのみ。
それができないのが現状だが、それは手段を知らないからだ。敵の弱点を知らないからだ。己の可能性を知らないからだ。未来に知れるかもしれないのなら、戦いを諦める理由は何処にも存在しない。




