File.00『波須町の澱』
※この物語は、ちょっとした好奇心から「ある噂」に関わってしまった女子高生たちの、逃れられない崩壊の記録です。
心理的なホラーや重たい展開が含まれますので、苦手な方はご注意ください。
それでは、彼女たちのたどる結末をどうぞお楽しみください。
「ねえねえ、みんな知ってる? 港のすぐそばにあるあの廃屋を5秒見ると、呪われるんだって」
緑と白の路面電車が街の端を縫う、波須町という小さな港町。
西日が黒板を血のように赤黒く染め上げる静かな放課後の教室に、どこか現実味のない声が溶け込んだ。
どこにでもあるような、子どもだましの都市伝説。
だが、誰もが帰り支度を止めた気だるい空間にその呟きが広がった瞬間、波須町の底に溜まった泥のような湿り気が、ひっそりと、しかし確実に私たちの足元から這い上がってきた。
この街に引っ越してきたとき、私はすべてを諦めていた。
都会の喧騒と人間関係に摩耗し、逃げるように連れてこられた見知らぬ土地。古びた路面電車がガタゴトと肋骨を揺らすような音を立てて通り過ぎるだけの、閉ざされた街。常に皮膚へ纏わりつく湿った潮と鉄錆の匂いの中で、自分の名前すらも色褪せていくような、透明な恐怖に囚われていた。
誰も私を知らない。私も誰も知りたくない。
このまま朝霧に溶けて消えてしまえばいい。そんな逃避を抱えて息を殺していた私の殻を、強引な春風のようにこじ開けてくれたのが、あの日のみとであり、ゆめであり、まつりであり、ういだった。
「ねえ、しぐれって呼んでいい? ひとりぼっちでそんなとこにいたら、海に連れていかれちゃうよ」
「これ、磯屋の特製メロンパン! 半分こ! はい、おいしいから食べて!」
「放課後、みんなで海に行こうよ! 夕日が沈む瞬間、すごく綺麗なんだから!」
太陽のように笑うみと、無邪気に距離を詰めるゆめ、みんなを優しく包むまつり、少し離れて笑ううい。
彼女たちの瞳には一点の濁りもなく、差し出された手は驚くほど温かかった。その眩しさに、何度も視界が滲んだ。
孤独だった私にとって、この4人と分け合った焼きたてのパンの匂いも、夕暮れの帰り道にはしゃいだ足音も、世界のすべてだった。この温かい平穏が、永遠に続くのだと信じたかった。
——けれど、人間の温もりなんてものは、潮風に晒されたガラス細工よりも脆かった。
あの日の放課後。
私たちは、潮風に削られた錆び付く港の廃屋の前に立っていた。
誰もが軽い冗談のつもりで、スマホの画面越しにカメラを構えていた。
「いち、に、さん、し——」
誰かが数えたカウントダウンの終わり。
廃屋の二階——黒々とした空洞のような窓の奥で、私たちが「それ」と目が合った瞬間。
ぬっと世界が歪み、波の音が消えた。
恐怖よりも先に走ったのは、冷たい確信だった。
この街の都市伝説は、暇つぶしの作り話なんかじゃない。
私たちがすがる温かい日常のすぐ足元で、底知れない闇が口を開けて笑っていたのだ。
すべての始まりは、あの5秒間。
誰も逃れることのできない、暗い海の底へ繋がる悪夢の歯車が、いま音を立てて回り始めていた。
『群青の嘘 ~港の廃屋と消えた少女~』をお読みいただきありがとうございます!
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また、別作品の1分で読めるショートホラー『隙間奇談 ~日常の「すきま」に潜む、奇妙な短編集~』も連載中です。
『群青の嘘』とは一味違う、サクッと読めるホラーとなっておりますので、こちらもあわせてお楽しみいただけたら幸いです!
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