31話 はじまりの続きが、始まる
ひとしきり二人で話し合い、しばらくこの生活を続けることにした。
僕が望んだことだけど、彼女もそうだと思いたい。
こればっかりは知りようがない。
寝静まった深夜。
僕はそっと体を起こした。
まだ、解決していないことが二つある。
これは、僕がしなくてはいけないことだ。
僕が壊した世界は、僕が直さないといけない。
一つは、僕がイレギュラーだったせいで、この世界が歪み、ズレを起こした。
そのせいで、彼女は見えない人になってしまった。
もうひとつは、真鍮の爪切りの存在。
これは、後回しでいい。
まずはじめにやらないといけないことは、彼女が普通に生きていける世界にしなくてはいけない。
たとえそれが、僕の知らない、彼女と出会わない世界でもあってもだ。
それが、朝霧めぐみの望んだ世界じゃなくても。
彼は最後まで策士だった。
僕が気づくように、露骨なヒントを残した。
図書室の空白。
36枚の絵が、37枚に増えている。
分かってしまえば、おかしなことだらけだ。
最後に、あのポスターを指さしたのは、びっくりしたけど。
それもそうか。
僕は彼で、彼は僕なのだから知っていて当然だ。
彼の作った世界。
本当はどうしたかったのだろう。
僕に……。
これ以上考えても、答えは出ないだろう。
それこそ、繰り返し、ループするだけだ。
僕はテーブルにある、金属の爪切りを手に取る。
使い方は知っている。
過去の、自分——朝霧めぐみが使ったからだ。
テコを動かし、爪が切れる状態にする。
やすりの部分に文字が浮かぶ。
『JYUNKO』
淳子さんに、この爪切りの説明をしていない。
今の彼女にとっては、どうでもいい、爪切りになっているのだろうから、心配はしない。
それはとても良いことだ。
彼女は普通に生きて、幸せになるべきなんだから。
ふと思い出して、笑みが溢れた。
「僕は、何を間違えて、奢らされてるのかな?」
それもいずれ分かること。
四つ目の、金属の爪切り。
リスポーン。
世界を終わらせ、はじまりとおわりを紡ぐ鍵として、淳子さんから受け取った。
でもそれはもう違っている。
この世界は、朝霧めぐみによって上書きされた。
だったら、答えは一つだ。
僕は爪を切った。
ぱちん。
2026年9月11日 晴れ。
文化祭が終わった。
僕が作った絵は、概ね好評を得た。
旧校舎は取り壊され、新しい校舎が建った。
近くに大型マンションが出来て、来年度の新入生が増えたときの校舎になるらしい。
人口減少が進む中で、必要なのかと首を捻りたくなるが、僕には関係のない話だ。
世界は進んでいる。
これが僕の望んだ世界。
過去の、朝霧めぐみが望んだ世界とは違う。
これから僕は生きていく。
爪切りが僕の手にある限り。
2027年5月10日 晴れ。
退屈なゴールデンウィークが終わり、世間では休みボケの真っ只中だ。
先月、無事に二年生になった。
クラスメイトたちは、新入生の勧誘で大忙しだ。
僕はというと、美術室に立ち寄っただけで、特にすることなく帰ろうとした、ときだった。
「先輩! 待って下さい!」
背後から、元気をぶつけてくる女子生徒が近づいてくる。
振り返らずとも、誰かは分かる。
「ねえ、待って下さいよ。ちょっと、先輩聞こえてるんでしょ?」
大声を上塗りする大声を出す。
周りの生徒の注目を浴びながら、僕は他人の振りをして歩く。
「もう、待ってて言ったのに」
「そうだっけ?」
「そうですよ。今日一緒に帰るって約束したでしょ?」
「あ、ごめん。忘れてた」
そっけない態度にも、彼女には暖簾になんとやらだ。
そのあふれる元気の源を知りたくなるよ、まったく。
「今日は絶対に、相談に乗ってもらいますからね」
「今日だっけ?」
「もー、やっぱり忘れてるじゃないですか。前もそうやって私を置いてけぼりにしたくせに。私ちゃーんと覚えてますからね」
彼女の声は、二百メートル離れても聞こえるんじゃないか?
今度試してみよう。
「で、先輩。今から家に帰るんですよね?」
「そうだけど」
「じゃあ、ついてきいます!」
流石にため息はまずいと思い、心の中で留めた。
彼女は、美術部の後輩。
今年の絵を担当している。
そんな縁から、僕に懐いている。
まるで子犬だ。
だけど、彼女を無碍に扱うわけにはいかない。
これは、僕のためでもあり、彼女のためでもある。
僕のポケットには、冷たい真鍮の爪切りが入っている。
触れるたび、忘れないようにしている。
それが僕に課された、責任なのだから。
了




