第238話 密林を越えて⑰
【アルク視点】
僕は武術・剣術の心得がないので、どうしても魔術で引き上げた身体能力に任せた動きが多い。そういうわけで、ヒュッポリテはすぐに僕の動きのパターンを覚えてしまい、最早剣戟なんて言うには烏滸がましいやり取りにまで成り下がっていた。
『おおおおおおおおおおおおおおッ!』
『アンタ、しつこいねッ! 遅漏も考えものだよ!!?』
僕は頭を空にして雄叫びを上げる。そしてただひたすらにヒュッポリテに向かって突っ込み、打ち負かされる。どれほど時間を稼げているかはわからない。吹き飛ばされ、膝をつかされ、躱され、地べたに這いつくばらせされ……そんな敗北の無限ループ。
泥臭く、みっともない。こんなの、僕がスイレンに見せたかった姿じゃない。だがそれでも、僕は負け続けることをやめない。
スイレンの前で恥を晒すよりも、スイレンの役に立てないことの方が、今の僕にとっては恐ろしいことだから。
『チッ、もういいさ! アンタは一旦退場しな!!!』
あまりに一方的なやり取りに痺れを切らしたのか、ヒュッポリテは離れたところから俺に何かを投げるような仕草を見せる。
『!?』
直後、僕の眼前にはこちらへと凄まじい勢いで迫る巨石が出現。すぐさまそれを叩き割ると、次は頭上から槍、足元から撒菱。
不規則かつ神出鬼没の攻撃、最初は転移魔術かと思っていたが、発動前に見せる彼女の妙な動作からなんとなく能力が見当がついた。
『物のサイズを変える力だな!!!』
既存の魔術形態のどれにも属さない効果……おそらくはルエラークの代表戦士が持っていたソロモン魔剣とか言うのと同じやつだろう。
一度小さくしたものを投げるなり撒くなりしてその後サイズを大きくするという、シンプルな攻撃だったわけだ。
——と、まあそれが判明したからといって出来ることはない。
地面に巻かれているであろう縮小された物体も、範囲が広すぎるし小さ過ぎるしで除去できない。僕に出来るのはせいぜい、ヒュッポリテが何か投げる仕草を見逃さないよう突っ込むことくらいだが……
『とっとと逝っちまいなァッ!!』
『ガハッ……うっ……』
巨石の死角を利用して接近してきたヒュッポリテの蹴りが僕の腹部に突き刺さる。
大剣でのガードもままならなくなってきた。時間稼ぎもそろそろ限界が近い。
いくら防御力が上がっても元の僕の体力は大したことがないし、ストックしていた治癒の刻印ももう無い。
『オラッ! オラッ! オラッ!!!』
『グフッ……』
追い討ちの怒涛の連撃に何とか喰らい付こうとしたけど、体は思うように動かずに結局サンドバッグにされ、膝をつく。
地面が歪んで見える、音が……自分の呼吸音以外聞こえない。血が出過ぎたんだ。
『ラアアアアアッ!!!』
まずい、攻撃が来る。
死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……
逃げなきゃいけないのに、足の踏ん張りが効かない。
ダメだ。せめて、せめて何か……そうだ、せめて反撃するんだ……!
『ッ、ああぁッッッ!!!』
今にも潰えそうな気力を振り絞って、片膝をついた体勢から無理やり大剣を振る。
今まで以上に力を乗せた。だがそれでも、振り抜いた大剣は片手で容易く受け止められた。
『腰が入ってないね!』
『ッ……!!!』
決死の足掻きは容易くあしらわれた。
最早、その事実を前に顔を顰める余力すらない。
薄れゆく意識と共に、まず最初に擬似的な魔力の鎧が解けた……その時だった。
『ンッ!!?』
掴まれていた大剣から凄まじい衝撃波が放たれ、持ち主の僕共々ヒュッポリテを吹き飛ばしたのだ。
視界が目まぐるしく移り変わっていく。
僕は何が起きたのかも分からないまま、スイレン達の方まで飛ばされたところでセコウに受け止められた。
『おい、大丈夫か……!』
返事をしようと思ったが口が回らない、声が出ない。
結局僕はその場で意識を失うのだった。
ーーー
『おい! しっかりしろ!』
腕の中で意識を失ったアルクに、セコウは大急ぎで治癒魔術をかけ始める。
『よくやったよ、お前は充分に』
あの正体不明の攻撃と本人の馬鹿げた身体能力による猛攻を捌き切るのは、恐らく自身でも難しいと理解するセコウは賞賛を送る。
しかし、スイレンの「準備」とやらはまだ終わっていない。
ここからは自分の番だと、いち早く衝撃波から復帰してきたヒュッポリテを前に気を引き締めるが——
『セコウ、アルクを頼むのです』
構えていたセコウの肩に手をかけたスイレンがその前に出る。
『なっ、準備はまだなんだろう!? 私が動けるのだからまだ——』
慌てるセコウを手で制し、スイレンは首を横に振った。
『もう良いのです。アルクにここまでしてもらって、ウチはただ座っているだけなんて出来へんのやッ……!!!』
声を荒げると同時に踏み込んだスイレンの足が大地を抉り、直後に軽い衝撃波をその場に残してヒュッポリテへと肉薄する。
『せやああああああああああああッ!!!』
流麗。舞でも踊るかなように滑らかに、しかしその一撃一撃は太鼓の激震の如く荒々しく、怒涛の連撃を繰り出していく。
『ッ!? 良いねッ! さっきよりも激しいじゃないのッ!!!』
自身をも凌ぐ勢いに血を滾らせ、嬉々として声を上げるヒュッポリテであったが、その裏に僅かながら違和感を感じる。
喉に魚の小骨が引っかかったかのような違和感。しかしそれはスイレンとの攻防を繰り返すうちに次第に大きくなっていく。
『あんた、アタイの動きを……!』
『ああ! 全部お見通しやッ!!!』
ヒュッポリテが感じた違和感、それはスイレンの防御力だ。
出会って間もない関係でありながらも、現在のスイレンはまるでヒュッポリテと長きに渡り戦ってきたかのよう。彼女の行動パターン、手癖、絡め手その全てを既に知っていたかのような様子で捌いている。
『なんならここでその槍の力を音読したろかッ!? それともそのけったいな腰帯がええかッ!!?』
『チッ、調子に乗るんじゃ……ないよッ!!!』
スイレンに押し負けまいとヒュッポリテもギアを上げ、剣戟はさらに激しさを増していく。
(アカンな……)
拮抗する戦況、それでも見切り能力の高さでややスイレンが優勢であったが、本人はこの現状に内心歯噛みしていた。
スイレンは龍脈の巫女である。
気を鎮めて精神を集中する事で龍脈に同調し、そこに溶け込んだ死者の記憶を読み取ることが出来る。
この地に於いては、ヒュッポリテに戦いを教えた者、彼女に挑み敗れた者達などの様々な記憶を読み取ることで、対応力を引き上げた。
そして、本来ならばそこから更にヒュッポリテに善戦した戦士の記憶を降霊して攻撃力を高めるはずだった。
しかし、スイレンは感情に流されて龍脈との同調を解いてしまった事で、攻撃面での強化を行うことが出来ずに、決定打に欠ける現状を生んでしまっている。
(しゃあないやん、ウチのアルクがあんなボロボロにされて頭きてもーたんやから)
なんて、1人そんな言い訳をしながらスイレンは作戦を練りはじめる。
(まず、持久戦はアカンやろ……?)
そう……持久戦に切り替えれば、むしろスイレンは敗北を避けられなくなる。
その原因はヒュッポリテが腰に巻いている帯。フィセントマーレの里に代々伝わるその魔道具が、身につけた者の身体能力を高めると同時に無尽蔵の体力を保証しているのだ。
(なんやねんあの帯ズルやろ。てかそもそもそのスケベな格好なんとかせいや、アルクに刺激が強いやろが! ……ってちゃうわ!)
いつもお喋りな父母を鬱陶しいとあしらってはいるが、彼女もまた2人の娘なのである。
それを本人も自覚しながら、ついつい脱線しかける思考を引き戻す。
何か打開策はないか、そう頭を回すもいつまで経っても妙案は浮かんでこない……がしかし、そのことに焦り始めてきたところでアルクの治療を終えたセコウが助太刀に入り、一筋の光明が差す。
内心でほっと胸を撫で下ろすスイレン。最早、威勢よく啖呵を切ったことなど忘れている。
『セコウさんに攻めて欲しいのです! そこに私が合わせるのです!』
『それは中々、新鮮だな!』
セコウが攻め、スイレンが守る。端的に方針を共有し、改めて2人はヒュッポリテに挑む。
疑似無詠唱の呪詛魔術を織り交ぜた多彩な攻撃をひたすら繰り出すセコウ。
攻撃を受け止めるだけでデバフ効果が付与される状況を嫌って、ヒュッポリテはセコウから距離を取ろうと試みるが、それを背後から挟み込む形でスイレンが阻止する。
『ッ……オラァッ!!!』
たまらずヒュッポリテは被弾覚悟で強引にセコウを潰そうと蛮刀を振り抜く。しかし、それを先読みしたスイレンが更なる強引さを持って2人に割り込み、ヒュッポリテの腕を蹴り上げて刀の軌道をズラす。
そんな紙一重の攻防がたった数秒のうちに、何十回と繰り返されていく。
最初こそ互角の打ち合いではあったが、回を重ねるごとにセコウによるデバフが重なっていき、そして徐々にヒュッポリテが傷を負い始めた。
『チッ……』
『! ここだッ!!!』
そして遂に、大きな隙を見せたヒュッポリテ。すかさずそこにセコウが決定打となり得る一撃を差し込もうとした、その時だった。
ーー改・超電磁槍ーー
ーー万物穿し暴君の矢ーー
『うっ……!!!』
『ひょえッ!!?』
同時刻、森林上空で起こったディンとリオンが放った英級魔術の衝突による余波が森を駆け抜け、セコウやスイレン、ヒュッポリテを吹き飛ばしてあと一歩という戦況を白紙に戻してしまった。
『ッ、無事かスイレン!』
『平気なのです! それよりも——』
地面を転がりながらもすぐさま体勢を立て直し、追撃に入ろうとした2人であったがそれは叶わなかった。
(消えた……)
同じく吹き飛ばされたはずのヒュッポリテの姿が見当たらない。そんなあり得ざる事実を前に、2人の思考は一瞬の硬直を見せる。
そして、それをヒュッポリテは見逃さない。
『読めてなかったみたいだねぇ、ここまでは!』
そう得意気に言って、突如としてスイレンの背後にヒュッポリテが現れる。
『なっ!!?』
『スイレン!!!!!!』
瞬間移動……否、それは選ばれしソロモン魔剣使いにのみ許される、魔剣の過剰解放。本来の非生物のサイズの大小を操作する権能を拡大し、原始レベル単位で対象を捉えることで生物すらもその範囲に修める荒技。
それを用いたヒュッポリテは突如自身らを襲った衝撃波のどさくさに紛れて小型化し、誰にも視認されることなくスイレンの背後を取ったのだった。
『終わりさッ!!!』
振り上げられていた蛮刀がスイレンへに向けて加速していく。完全な不意打ち、防御もカバーも間に合わない……が、もしこの間合いで一撃でスイレンを仕留めきれなければ、むしろ反撃を受けて再び窮地に陥ることになる。
ゆえに、それを理解しているヒュッポリテは、引き延ばされた時間の中で目の前の相手にのみ全神経を注ぐ。今の彼女ならば、確実に相手の命を刈り取れるだろう。
——第三者による介入がなかったのならば。
「白像雷閃!!!」
ヒュッポリテの刃がスイレンに到達しようとした刹那、雷撃を纏って走る閃光がヒュッポリテの体を射抜いた。
『がっ……!!?』
それは極限の集中の外側、3人とは少し離れた位置で老婆の魔術師と戦闘を繰り広げていたアセリアによって放たれた援護の一射。誰よりも情報の並列処理に長け、戦場を俯瞰していたからこそ、彼女はいち早くヒュッポリテの切り札に反応し、動くことができたのだ。
腹部へと突き刺さった小さな鉄の杭を起点に全身へと電流が流れ、ヒュッポリテは敵を前にしながら強制的に体の自由を奪われる。
『ッ! せやあッッ!!!』
すかさず剣を振り抜き、ガラ空きになったヒュッポリテに剣を振り抜くスイレン。一瞬の内に目まぐるしく変化した状況を前に、彼女は再び停止しかけた思考を本能で捩じ伏せ、放棄し、脊髄のみで動き、相手に致命傷を刻み込んだ。
『よそ見とは感心しないねぇ……』
しかしその決着の傍、もう一つの勝負は最悪の方向へと転ぶ。
「ぎゃッッッ……!」
老婆の魔術師オトレーレと一進一退の魔術戦を繰り広げていたアセリアであったが、スイレンの窮地を救うが為に割いた一手が致命的な隙を生んだ。
そして熟練のオトレーレがそれを見逃すはずもなく、的確なタイミングで放たれた岩礫はアセリアに防御のいとまを与えず、その額へと直撃した。
「アセリア殿!!!」
糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちるアセリア。
オトレーレの取り巻きを相手取っていたタイラーの叫びを皮切りに、勝負を終えたばかりのセコウ達もが駆けつけようとするが……
『おそいよ』
間髪入れず、倒れたアセリアにはオトレーレの追撃によって巨石が落とされた。
「そんな……」
愕然と立ち尽くすタイラー達を前に、オトレーレはため息混じりにポキポキと首を鳴らす。
『はぁ、最後は年寄り1人かい。まったく、ウチはいつからこうも軟弱になったのかねぇ』
そうぼやきながら杖を構えるオトレーレ。
タイラー達もそれに応じて警戒の体勢を取った……その直後だった。
『! なんだいこの揺れ……いや、この魔力はッ!!』
突如として森に響出した揺れに血相を変え、先ほど落とした巨石に向き直るオトレーレ。
その巨石には亀裂が入っており、強まり続ける地震に呼応するようにしてその隙間から魔力が溢れだし、炸裂。
「あんた、何者だい……?」
飛散する石片、舞い上がった粉塵の中に立つ女の人影に、オトレーレは問いかける。
「えー? アタシが誰かってぇー?」
やがて砂埃が収まり、姿を顕にした女。紫紺の長髪、切長の目、その巨石の下敷きなっていたはずの女性と全く同じ服装の人物は、口元を吊り上げてその問いに答えた。
「いわゆる悪魔……ってやつ?」
あと1話で終わると言ったな、あれは嘘だ。
あと2話くらい使うことになりそうだ。




