第232話 密林を越えて⑪
宿を出て、月明かりが薄らと照らす純白と緑に彩られた神秘的な街を歩く。
家があるミーミル王都は何もかもが鮨詰め状態で、あれはあれで賑やかで良いのだが、やはりこうした落ち着いた街並みはとても好きだ。
目からレーザーが出るロボットとか歩いてないだろうか、手に小さい花を持ってるアレ。一気に金曜夜の定番映画感が増してしまうな。
「……ん? どうした?」
そんなくだらない事を考えながら当てもなく歩いていると、後ろをちょこちょこと付いてきていたラトーナが俺の袖を引いた。
「ご、ごめんなさい……」
「え」
珍しい……咄嗟に溢れかけたそんな一言を喉にとどめた。
マジ喧嘩に発展した後でない限り滅多に自分から謝罪しないでお馴染みのラトーナさんが、開口一番にいきなり謝罪の言葉を口にするとは予想だにしなかった。
「そ、その……! 王宮で待機していなかったのはお世話になったスイレンを1人に出来ないからで! 伝言も何も残さなかったのは悪いと思っているけど……と、とにかくふざけていたつもりはないの!」
自身の行いに激怒する親の機嫌を少しでも取ろうとする子供のような必死さを纏いながら捲し立てるラトーナを前に、どうしていきなり彼女がこんな行動に出たのか考える。
少し怯えているようにも見えるし、ひょっとして宿を出ててから俺が喋ってなかったせいで、不機嫌の絶頂だと勘違いさせてしまったのだろうか。無言の圧力的な……?
そんなつもりは全くなかったんだけどな、もう少し口調を優しくするか。
「じゃあその格好……はともかく、あのヒーローごっこは何だったの? 俺が来るまでずっとあんなことやってたの?」
「違うあの時だけよ! 中央都市についてからはスイレンに仲間の情報を集めを手伝っててもらってて……そんな時にあの騒ぎがあったのよ! 実際、私達が割って入らなければ街に被害が出てたわ!」
「まぁ、それはおっしゃる通りで……」
それに関しては反論のしようがない。
未遂にこそ終わったが、かく言う俺もちょっとくらいなら街を吹き飛ばしても良いやというマインドだったからな。
「やり方はどうあれ、私の行動は正しいと思うの! 私だってちゃんと考えてるのよ! だから、その…………」
ここにきて言葉を詰まらせるラトーナ。
少し落ち着いてもらおうという意図もあってじっと彼女の目を見つめて次の言葉を待つ姿勢を見せるが、なせわか彼女は口を開くどころか腕を組んで仁王立ちを始めてそのまま沈黙してしまって、お互いに無言で見つめ合う謎の時間へと発展。
どうやら自分の口で言いたくないことがあるらしい……
俺は軽くため息を吐きながらも彼女を見下ろすほどの距離まで近づいて、その手を握る。
「ちゃんと口に出してくれないとわかんないよ」
隠し事はしない。そして「察して」はダメ、お互いの想いはちゃんと口に出す。
それが俺たち2人にとって最も大事な事だと伝えるも、ラトーナにはまだ抵抗があるようなのでもう一押し。
「良いよ、何でも言って」
目を逸らす彼女の顎を引き寄せて視線を戻しそう伝えると、彼女はようやく決心したように口を開いてくれた。
「……もうアセリアとくっつかないで!」
「ん? なんでアセリア?」
予想斜め上の回答に思わずポカンと聞き返すと、少し間を置いて返答が返ってきた。
「……少し見ないうちにアナタがアセリアのこと凄く頼りにしてる感じになっててこう……不安になったのよ」
「不安?」
「ええ、幼稚な私はやっぱりお荷物で、そのうち愛想尽かされちゃうのかなって……」
だから急に色々と弁明してきたのかぁ、さっきのアレは自分が頼れる自立した人間だというアピールだったわけね。
「ああもう……こんなお願いこそ幼稚だから言いたくなか——ひゃっ!?」
不貞腐れるように再び目を逸らす彼女が妙に愛しくて、徐に抱きしめた。
野宿が続いていたはずなのにふわりと香る果実の匂いと艶のある肌に驚きつつも、こうして彼女の存在を改めて確認して荒立っていた心が凪いでいくのを実感する。
「誰がこんな可愛い人に愛想尽かすのさ」
「ッ……! かっ、可愛いとかじゃなくて!」
「わかってるよ、でも俺達2人だけで出来ることなんてたかが知れてる。だから先輩に限らず、仲間にはもっと親愛や信頼を向けていきたいと思ってるんだ」
ただスペック的な意味での信頼を向けるだけでは、リオンに指摘された通り人を記号としてしか見れてない以前の俺のままだ。だから俺は、もっと周りの人間に親愛や関心も向けていかなきゃなんだと、今更ながら学んだのだ。
結果的にラトーナの要求とは真逆になってしまうが……
「……」
不服そうな表情を隠すように俺の胸に顔を埋めるラトーナ。
駄々を捏ねたり露骨に不機嫌にならないのは、やはり彼女は最後は理性で動く人間であるだけに俺の合理的な選択を排せないからだろう。
俺もそれに甘えている節があるので、我ながら卑怯で嫌になる。
「も、勿論今後は君を不安にさせないために言動には一層気をつけるよ!? 大前提として俺の1番はラトーナだから!!」
「……私が1番?」
「ああ」
「ふーん、そのうち2番や3番が出来るのね」
「やっ! そういう事じゃ——」
「冗談よ」
俺に密着したまま、上目を使っていたずらに笑うラトーナ。
月明かりがすり抜けてしまいそうな程の透明感を纏った彼女はまさに物語の妖精のようで、会話も忘れてつい釘付けになってしまいそうだ。
「……ねぇ」
笑っていたかと思うと、今度は物鬱げな雰囲気をチラつかせながら俺から目を逸らしたラトーナが、少しの間を置いて口を開く。
「なに?」
「キスして、深めの」
「え、ここで?」
「早く」
「人が来たらどうするんだよ……」
そんな俺の懸念も無視して、既に目を閉じて〝待ち〟の姿勢に入っている彼女。
流石に袖にするわけにもいかず、思い切って往来のど真ん中で堂々と彼女の唇にダイブ……
「んっ、深めのって言ったじゃない」
——そしてすぐさま浮上すると、彼女が不満げに眉を顰めながら俺の腕の中から離れた。
お前のキス顔他人に見せたくないっていうのに、全くこっちの気も知らずに……
「宿じゃダメなのか?」
「やっ、宿はダメよ。あそこは壁が薄そうだし……」
薄いって、どこまでやるつもりなんだよ。
——だがまあ確かに、ここ最近色々と溜まっていたので俺も俺で抑えられる気がしないから宿はダメだな。盛り上がり過ぎてまたジーナスさんにドン引きされるような黒歴史を製造してしまったらいかん……
「まあ、そういうのは国に帰ってからでも出来るしさ、たまにはのんびりと散歩でもどう?」
「……そうね、思えば2人で当てもなく歩いた事なんてあまりないものね。結婚してからずっと慌ただしい毎日で、国を立つ前も……あ」
思い出したように目を丸くしたかと思えば、突然真っ青になって俺の腕にしがみつくラトーナ。
「そ、その! ごめんなさい! 前に夜のことをクロハ達の前で話しちゃって! あれは度が過ぎていたと反省しているわ!」
そういえばそんな事あったな。
まあ、あれに関してはラトーナのだらしない生活態度を改めて貰うために敢えて意地悪で距離を取ってたというのが真実だが……当の本人がそれを知るはずもなく、ただただ俺が性癖をばらされて以降ずっとキレていると思ってたわけだな。
「夜のこともそうだけど、やっぱり部屋は綺麗に使って欲しいかな。ああいう散らかりって、ほっとくと少しずつ広がってっちゃうし」
「ごめんなさい、気をつけるわ」
「うんうん。じゃあ夜の散策デートといこう」
ひとまず俺の意見に理解を示してくれたようなのでお説教はここまで、俺から離れてしゅんと肩を落としていたラトーナに手を差し出す。
「……エスコート、よろしく」
ラトーナもそんな意図を汲み取ってか、俺の差し出した右手をするりと躱して義手の左手に抱きくように腕を回してきた。
また左だ。なぜだか彼女はデートの時や行為中はいつも好んで俺の義手の方に触れる。
「なんでそんなに左が好きなの?」
毎度そう尋ねてはいるが、彼女の答えは決まって同じだ。
「ふふ、秘密よ」
そう言って心底満足げに微笑む彼女は、いつかその秘密を明かしてくれるのだろうか。
そんなことを考えながら、俺はラトーナとの夜の中央都市散策を楽しんだ。
ーーー
ディンとラトーナが宿を出たのと時を同じくして、アセリアは宿の一室の戸を叩いた。
「……」
応答はない。中の男は言葉通りすでに寝てしまったか、あるいは拒絶か。
『アルク君、入りますからねー』
しかしアセリアは応答の有無などお構いなしに戸を開ける。
部屋の中には驚いた様子でベッドの上に立つアルクの姿があった。
『なっ、鍵をかけていたのに……』
『鍵の開け方はディン君に習いましたので』
ちゃっかりとノック中に氷結魔術を使用して鍵をこじ開ける準備をしていたと明かすアセリア。
アルクはその法外さと強引さに呆れて言葉を失うと同時に、追い返すことは無理だろうと悟った。
『何の用だ。こんな時間に男の部屋に1人で来るとあの亜人に勘違いされるぞ』
『前にも言いましたが、私とディン君はそう言った関係ではありませんよ』
『じゃあお前の気持ちはどうなんだ』
『…………それは今関係のない話題ですし、そっくりそのままお返ししましょう』
そんな言葉にピクリと眉を動かしたアルクの反応を見て、アセリアはそのまま畳み掛ける。
『傷だらけのみっともない姿を意中の女性に見られてしまったのはさぞ応えたでしょう。加えて自分と違ってディン君は戦士を倒している上に、スイレンさんともすぐに打ち解けていましたね』
『やめろ』
『見たところスイレンさんはアルク君を弟のように扱っていますし、たしかにスイレンさんの気持ちがディン君に向いてしまうということも——』
『やめろと言っている!!!』
怒号と共に投げられた枕がアセリアの横髪を掠めたことで、会話が打ち切られる。
静寂の中、部屋にはアルクの乱れだ息遣いだけが部屋に響いていた。
『……私が数日前に言ったことを覚えていますか?』
鋭い視線を向けてくるアルクを前にアセリアは咳払いで一呼吸置いて、再び口を開く。
以前の彼女なら萎縮していただろうが、目的のためにあらゆる手段を尽くすことにした今の彼女は毅然とした態度を貫いている。
そしてそんな彼女が放った言葉を受け、アルクの中である記憶がフラッシュバックした。
『今の俺は望んでいる姿になれない……だったな』
『スイレンさんと対等な……いえ、それ以上の関係を望んでいるなら貴方に必要なものはただ一つ、力です』
口に出して見ると同時にアルクの中で当時の怒りが再燃しそうになるも、それを見越したアセリアが即座に返答を被せて意識を逸らす。
会話の主導権はアセリアが完全に握っている。
『……だからあの亜人に師事しろと? 何年掛かっても自力で強くなる方がマシだ』
『スイレンさんだって、アルク君の歩幅に合わせてはくれませんよ』
楽観的過ぎる将来設計を語りながらアセリアの提案を鼻で笑っていたアルクだが、一転してその一言にガツンと頭を殴られたような感覚があった。
『でも、アルク君と同じような考えのせいで失敗した私から見れば、君はまだ間に合います。全てが終わってから歩き方を変えたって、辛いだけですよ』
取り繕うこともままならずに口をつぐむアルクに、アセリアはそれだけ言い残して部屋を去る。
「うぅ……」
そして足早に自身の部屋へと戻ったアセリアは端ないと自覚しながらもそのままベッドにダイブし、枕に顔を埋めながら唸り声をあげて足をばたつかせる。
もともとは、今後おそらく行われるであろうリオンの救出のためにアルクのメンタルや戦力を整えるつもりで部屋に赴いたはずだった。だが話している内に熱が入り、気づけば自分自身ですら明確に自覚できていなかった思いをハッキリと口にしていたのだ。
自分はアルクと違って間に合わない、全てが終わったあとに自分が変わっても辛いだけ、それが今まで胸を締め付けていた漠然とした負の感情の正体であるということは……
「私、やっぱりディン君のこと——」
そんな呟きは、誰の耳に届くこともなく部屋の暗闇に吸われていった。
ーーー
【ディン視点】
お散歩デートを終え、宿に着いた俺はラトーナと別れて自分の部屋へと続く廊下を歩いていた。
「ふひひ……」
いかん、ついラトーナとの時間を思い出して頰が引き攣ってしまう。こんな時間に1人でニヤニヤしながら宿を徘徊してるとか通報案件だ。別の事を考えて気を逸らそう、例えばクソウザいアルクのこととか——
「って、おいまじかよ」
噂をすればなんとやらか、廊下の角を曲がった先にある俺の部屋の前にアルクが突っ立っていた。
「こんな時間に何のようだ。悪いがリベンジは受け付けてないぞ」
いつものコイツなら食い付いてくるところだが、今回はただ静かに首を振って別件だと返すのみ。
あまりに大人しくて気味が悪いので身構えていると、アルクは俺の前に立つなり勢いよく頭を下げてきた。
「頼みがある」