第226話 密林を越えて⑤
【アセリア視点】
知らぬ間に訪れていた謎の集落、そして視線の先の大きな吊り橋の中心にあるフィールドの上で今まさに死闘を繰り広げている二人。
ガラリと変わった自身を取り巻く状況に未だ頭が追いつかずにいるがともかくまずは二人を止めなければいけない、あの吊り橋に向かうにはどういうルートを進めばいいのかも考えずとにかく足を踏み出すも——
『行ったらあかんで純人の御人。これは正当な決闘やさかい、介入は認められんのよ』
背後から突然響いた声に足を止め、弾かれた様に振り向けばそこには、黒髪と立派な角を持った長身の男性が腕を組んで立っていた。
私が今立っている崖には私が寝ていた洞窟小屋しかないので他に繋がる吊り橋のどれかを渡ってきたのだろうに、足音が全くしなかった……そんな気づきと共に警戒心を引き上げる。
『失礼ですが、貴方は……』
『おっちゃんはカタクリっちゅうモンでなぁ? あんさんらの認識で言うならぁ、この集落の副代表みたいなモんよぉ。よろしゅうね』
穏やかな様子でニカりと笑う男性を前に、肩の力を抜いて「こちらこそ宜しく」と頭を下げる。
なるほど、どういうわけかディン君達は私を角鬼族が代表の地、「スカー」の集落に運び込んだのか……
『それで、カタクリさんはなぜ私のもとに……?』
『ディンはんとアルクちゃんが決闘するゆーてなぁ? そんで一応、あんさんが休んどるこの小屋に流れ弾がいかん様に見といてくれって頼まれたんよぉ。せやからおっちゃんただのパシリや』
『そうですか、ありがとうございます。でも、どうしてまた二人は決闘を……?』
そう尋ねるも、カタクリさんは眉間に皺を寄せながら「うーん」と唸って黙り込んでしまう。
『あの……?』
『ああ、ごめんな? えっとまあ……あれよ、こういうのはアルクちゃんの口で語るべきや思てな? せやからおっちゃんが言えんのは、アルクちゃんが挑んで、ディンはんが受け入れたってとこだけやねぇ。堪忍な?』
『そうですか……わかりました。でも、せめてもう少し近くで二人のことを見たいのですが……』
『あー……それは辞めといた方がええねぇ。どうにもあの子ぉらは本気で戦う気ぃらしいねん、近づくな言われてもーたんよ。およよ……』
『えっ!? 本気で!!?』
『せや、ガチンコのマジの本気の決闘やで〜』
『そんなッ、危険です!! ディン君が本気なんて出したらこの集落ごと——きゃっ!!?』
ディン君が本気で暴れるとなれば、その余波は集落に甚大な被害を残す。
そう言おうとした矢先、激しい地震と共に轟音が鳴り響く。
『一体なにが……?』
音の主はわかる。
しかし、黒煙立ち込めるフィールドの状況が上手く把握できずに凝視していると、カタクリさんがなんとも気の抜けた声を漏らした。
『ひぇ〜……たしかにこらぁやばいな。ディンはんが一撃でアルクちゃんを吹っ飛ばしてもうたわ……ほら、あっち見てみぃ?』
カタクリさんの指す方に視線を合わせれば、フィールドから大きく離れた崖の側面にアルク君らしき人影がクレーターの中心にめり込んでいた。
『あっ、そんな……早く助けを——』
『いいやまだや、まーだ終わってへん。アルクちゃんかてそんなヤワやないでぇ? ほら!』
そう言って楽しそうに笑うカタクリさんに応えるようにして、アルク君はクレーターを更に広げる勢いの跳躍をしてリングに舞い戻っていく。
『さぁて、おもろくなってきたでぇ』
ますます笑窪を深めていく傍ら、不安ばかりが募っていく私はただ無力に二人の無事を祈るのみだった。
ーーー
『お早いお戻りで。やっぱりぶっ飛ばされるのは慣れっこか?』
『捻りのない煽りだ。バカの背伸びほど見苦しいものは無い』
戦闘は様子見を兼ねた軽い斬り合いに始まり、程よく互いの身体が温まってきた頃に一切の手加減を省いたディンによる最大出力の『岩砲弾』が放たれ、谷の集落は文字通り震撼した。
大きく吹き飛ばされることになったものの、咄嗟に大剣を盾にして深刻なダメージを逃れたアルクはフィールドに舞い戻って平常を振る舞うが、その胸中に渦巻く恐怖と混乱はいつ漏れ出てもおかしく無いと思っていた。
仮にも他民族帯の代表戦士と勝負をできるレベルの身体能力を得ているのにも関わらず、目の前に立つ男の魔術に対しては自衛で精一杯だった。
「何かの間違いだ」。アルクは荒立つ心に我武者羅にそう言って聞かせる。
自分があの小竜族の代表戦士と互角に渡り合っていた様に、この亜人もあの代表戦士とは拮抗する程度の実力に見えた。自分とこの亜人にさしたる差はない。だから、この亜人の魔術に反応できなかったのも偶然でなければおかしい、と。
『煽りってのは伝わってなんぼだろ。魔物レベルで単調な動きしか出来ないお前に配慮したんだよ。実力も正しくわからない、最適を選べないお前のオツムにな』
そんなアルクに対し、余裕綽々といった雰囲気で挑発を行うディンであるが……実際、その心境はアルク以上に平常とは程遠い状況にあった。
ラトーナの安否に関する不安、リオンから受けた言葉に対する罪悪感に似た感情……上げ出せば一つや二つでは済まないが、しかし何よりも今、彼はアルクの主張に激しく共感していながらも、それを否定しなければならない自分の立場に酷くストレスを感じていた。
『御託はいい。最適だなんだと、お前のような屁理屈屋と話していては救えるものも救えなくなる』
『自惚れも大概にしとけよモヤシ野郎、お前が動いたところで死体が一つ増えるだけだ』
怒りと嫉妬を存分に込めたやり取りを経て静寂へ、会話など無意味だと改めて理解した二人は再び武器を構える。
『ハァァァァァァッッッ!!!』
先に動いたのは開幕と同じくアルク。刻印魔術の身体強化によって爆発的に高めた身体能力による踏み込みはこの「決闘の橋」の外から試合を見守る谷の歴戦の戦士達も目を見張る速度であるが、やはりその動きの単調さもまた目立っていた。
かくいうディンもそんなアルクの一辺倒さに眉を顰めた……が、しかし。
(速い! さっきよりも……!!)
明らかに今までよりもアルクの速度が上がったことによってタイミングがずれ、ディンは剣術による受け流しを諦めて回避に専念。
そしてそれはあっさりと成功し、アルクはディンの傍を猛スピードで通り過ぎていく。
(でも刻印の上乗せか、能がないな)
そしてそんな刹那の中でディンはアルクの見せた急加速の仕組みを、彼の立っていた場所に残ったすす跡から、足裏に炎刻印で小爆発を起こしてその勢いに乗ったのだと推測して再び警戒度を下げる。
確かに速い。しかし、結局のところ魔術によって身体能力を補強する手法に留まっている時点で、アルクが近接経験に乏しく絡め手も持ち合わせていないことの裏付けに他ならない。
そう判断して、ディンは攻撃を躱されて大きく隙を晒しているであろうアルクの背を捉えようと即座に振り向く。
そして——
(なっ!!?)
振り向いたすぐ目の前に迫っていた、そこにあるはずのないアルクの振り抜いた大剣によってディンは殴り飛ばされる。
「ぐがッッッ……!!?」
無様に地面を転がることなど何年ぶりだろうというほんの少しの懐かしみを覚えつつも、ディンは流れる様な動作で体勢を立て直してアルクから距離を取ろうと試みる……が。
『ッ……!!?』
『もうその手は食わないッ!』
先ほど大ダメージを負う危機に瀕したディンの最大出力の魔術を恐れ、アルクは自身の体勢もまだ整わぬうちに強引に距離を詰めた。
アルクの選択は正しく、ディンの中で〝唯一〟突出している「魔術の威力」という能力は近接戦闘において自身を巻き込むリスクから存分に発揮することが出来ない。
問題は距離を詰めたところで並みの戦士の猛攻ならば凌げてしまうことにあるが、それにも抜け穴はある。
(エンチャントかッ……!!!)
『お前の様な闘い方をする獣族の戦士を知っている! そしてそういう奴の弱点もだ!!』
ディンは近接戦闘において、いつでも魔術を使えるように可能な限り両手を空けておきたいという意図などから、主に格闘術や柔術などを主軸とした戦闘スタイルを取る。
しかし当然、炎を纏った大剣を相手に素手で挑むわけにもいかないので、ディンは早々に剣術による戦闘スタイルを選択した。
『ッ、拳を封じれば勝てると思ったか!!』
最も得意とする戦法を続けて封じられたディンであるが、同期の中では異常とも言える戦闘経験値を持つディンはそんな自体など想定済み、剣術の腕にも抜かりはない。
確かに比較的不得手ではあるが、剣の腕がどう見ても素人のアルクに負けるはずがないと自信も込めて啖呵を切る。
事実、アルクの技量は到底ディンに及ばないし、当の本人もそれを認め難いと思いつつも理解している。
ならば何故、剣でも勝てないのにわざわざエンチャントなど行ったか。それはそもそもの前提が違うからだ。
『ふっ、エンチャントはついでだ!!!!!!』
アルクの雄叫びに呼応するようにして、大剣を包む炎は指向性を伴って炸裂し、その推進力はダイレクトにアルクの剣速となって現れる。
『うお!? って、剣に振り回されてんじゃねえかッ!!!』
自身の足裏に爆発を起こして加速した原理を応用して実現した大剣による高速剣撃、そのスピードとパワーはまさに暴走列車そのもので、格上であるはずのディンも攻めきれずにその勢いを捌くばかりで状況は膠着しつつある。
『おお、アルクちゃんは頑張るやん』
『そうですけど、あれじゃ……』
アルクの選択は最善である。
しかし最適ではなかった。
「——ここに誓いを、これより一切の奇跡を禁ず」
アセリアの予想通り、膠着状態の中で生まれたわずかな余裕を利用して発動されたディンの『禁魔領域』により、アルクの動きは途端にキレを失い、猛威は嘘のようにピタリと止む。
『ッ! 禁魔りょうい——ぐふッッ!!?』
一瞬の硬直を経て自身の身に何が起きたのかを理解したアルクは慌てて『禁魔領域』の効果範囲から出ようとするも、それを見越したディンが素早くアルクに掴み掛かり、空いた胴体に膝蹴りを打ち込むと同時に大剣を奪い、自身の後方に投げ捨てる。
『がっ……』
『驚いた、「禁魔領域」を知ってるのか。歳の割に随分と知見の広い〝魔術師〟だな』
膝をついたアルクの胸を蹴り飛ばし、倒れた彼を踏みつけながら放ったディンの言葉に、アルクは目を見開く。
『お前、なんで剣士のフリなんかしてるんだ? 刻印で無理やり身体強化なんかしてさ、そんだけの出力があるなら普通に魔術師やった方がいいだろうに……まさかスイレンってのに見栄を——』
『黙れッ! 俺の勝手だ!!』
『図星かぁ……ていうか、こうして土を舐めてるのに良くそんなことが言えるな。この先生き残りたいなら俺の助言は聴いておけよ』
『……フッ、俺はまだ負けてない!』
ここにきて子供じみた負け惜しみを見せるアルクにディンは内心ため息を吐きかけたその時、背後で鳴り響いた爆発音がそれを中断させた。
『ッ!? まず——……ぐっ!!?』
咄嗟の勘と、なによりもアルクの発言からすぐさま背後の爆発とアルクの攻撃を結びけて振り向くも間に合わず、ディンは振り向くと同時にさきほど投げ捨てはずの大剣に衝突されて背面へと倒れるように体勢を崩す。
(大剣が一人でに動いた……念力系の魔術を隠し持っていたのか!? いやそんなわけないな、さっきの音は爆発だった。炎の刻印の時間差発動だ……!!)
倒れゆく刹那にディンの行った予測は正しく、アルクはディンに組み伏せられることを想定して罠型の刻印を大剣に複数仕込んでいた。
そして現在アルクの想定通りの状況となったため、彼は踏みつけられた体勢のままディンの背後に打ち捨てられていた大剣の刻印を作動させ、器用にその小爆発を操って大剣を飛ばし見事ディンに命中させた。
『立場が逆転したな。誰の助言を聴いておけばいいって?』
体勢を崩したディンを即座に踏みつけ返したアルクは、グッと両手を握りしめて跳ね回りたくなる気持ちを必死に内心に留めながら、精一杯の演技で再度キャッチした大剣をディンに突き付ける。
『チッ……』
ディンの本領が発揮されていなかったとはいえ、確かにこの瞬間、決闘の勝者はアルクであった。
『そこまで!!! この勝負、アルクちゃんの勝ちや!!!!』
そこから間も無く、審判カタクリの声がフィールド含む谷全体に響き渡り、アルクは安堵と歓喜を噛み締めた引き攣り顔でディンから足を退け、片腕を夜空に突き上げた。
そして、そんな光景をフィールドから遠く離れて見ていたアセリアは首を傾げる。
『カタクリさん、今の声……』
『……せやね、おっちゃんが出したんとちゃうよ』
そう、審判は未だ下っていないのだ。今この瞬間まで一度も。
勝利の余韻に浸るアルクの背後で音もなく立ち上がったディンは、無防備な彼の首元に全力の回し蹴りを叩き込んみながら審判のカタクリと瓜二つの声音で嗤う。
『がッッッ……!!?!?!!?』
『油断大敵やで〜……なんつってなッ!!!』
予想だにしないタイミングからの不意打ち、加えて勝敗が喫したと勝手に判断して魔術による身体強化を解いていたアルクはそれに耐える術を持たず、一撃で意識を刈り取られ地に伏した。
『そこまでッ! ディンはんの勝利や!!!』
そして今度こそ、アルクの撃沈を持って真の勝敗は決したのだった。
ーーー
【ディン視点】
「ふぅ……」
診療部屋に運ばれたアルクをカタクリと見送って、俺は自室として貸してもらっている小屋へと戻って、微妙に硬いベッドに倒れ込んだ。
宴の片付けも終わったようで、集落全体がとても静かだ。アセリアも目覚めたそうだし、これで決闘もあんな勝ち方じゃば、気持ちよく眠れたのにと、今になってどうしようもない苛立ちが込み上げる。
ああくそ、油断してた。リオンの件で痛い目を見たっていうのに、俺はまた同じ過ちを犯した。
たしかにアルクは想像を超える奮闘を見せたが、いちいち熱くなってアイツの土俵で勝負なんかしてなければもっと楽に勝てたはずだ。
いや、決闘の理由を考えれば熱くならないのは無理かもしれないが……それでも、そんなの実践じゃ通用しない。
救えるもんも救えないってアルクの言葉も、今の俺にはあながち間違いじゃないのかな……
なんて考えていた直後、小屋の扉を誰かが叩いた。
「はーい……って、先輩?」
「……」
扉の前にちょこんと立っていたアセリアは無言で数秒俺を見つめると、ちょいちょいと小さく俺に手招きして見せた。
心なしかいつもと雰囲気が違ったので、何事かとこちらをじっと見上げている先輩に顔を近づけると……
『うむッッッ!!?』
唐突に襟を掴んで引き寄せられ、キスをされた。
人生初のモンハンです。




