第224話 密林を越えて③
「はっ!?」
「具合はどうですかディン君?」
気づけば、俺の顔をアセリアが覗き込んでいた。
視界の端に映った星空によって俺は寝ていることに気づいて、弾き出されるかのように飛び起きる。
「ここは……?」
「大森林から離れて東に位置する平野ですよ」
見渡す限りの草原と、足元の焚き火。
違う、俺は森にいたはずだ。森にいて、そこでリオンと戦ってて、俺はアイツの罠にかかって…………そこから記憶がない。
つまり俺は——
「……俺は、負けたんですか?」
「刺客から逃げていたら大きな爆発音が響いてきて、なんとかそこに向かうと倒れたディン君がいまし——ちょっと! どこに行く気ですか!?」
「森に火を放ちます」
「はい!?!?」
リオンの野郎め、人が手加減してやってたら調子に乗りやがって。
そっちがその気ならいいぜ、こっちだって手段なんか選ぶかよ。
もう容赦しない。集落があろうが知ったことか、女子供を皆殺しにしてでも引き摺り出してやる……
「邪魔……しないでくださいッ……!」
「します! 怪我も完治していませんし……それよりもまずは何があったのか説明してください!」
「そんなの森を燃やしてからでも出来ます! 放してくれないなら乱暴にいきますよ!」
「望むところです! 私、死んでも放しませんから!!!!!!」
「ッ……!」
強情にも俺の腕に絡みついて放してくれないアセリアの態度に痺れを切らして少し強めに彼女を振り払おうとしたその時、俺の足元に小さな火球が2、3発と撃ち込まれた。
「起きて早々騒がしいな」
火球の飛んできた方向に目を向ければ、その主である魔族がこちらを冷ややかな目で見つめていた。手に持っているのは川魚か?
『アルク君……!』
『なんの真似だアルク!』
『それはこっちのセリフだ。アセリアが困っているだろ、よくわからんがやめろ』
『はっ、どの口が言ってやがる。邪魔するならお前ももういっぺんぶちのめしてやろうか?』
『やってみろ。だがもっとも、今のお前は簡単に倒せそうだがな』
『なんだとこのモヤシ野郎がッ……!』
アルクの棚上げした生意気な発言が今はどうにも我慢ならず、俺は絡みついているアセリアをそのままに空いている片手で魔術をぶっ放そうとしたが……
「……!?」
突然視界が激しくブレたことで、思わずそれを中断することになった。
一瞬何が起きたのか理解できずアルクに何か仕掛けられたのかと焦ったが、遅れてやってきた頬の痛みと、涙がうっすらと浮かんだ目でこちらを睨みながら手を振り抜いたアセリアの姿が視界に入って、ようやく彼女にぶたれたのだと理解した。
「ちゃんと……まずは、ちゃんと話してください……!」
予想外のところからダメージを受けて物理的に動揺したというのもあるのだろうが、何よりアセリアが手を上げたという事実に衝撃を受けた俺は頭が真っ白になってしまい、そのまま彼女に気圧されて事のあらましを語り出すのだった。
ーーー
『なるほど、リオン君がですか……』
焚き火を前に俺が二人から離れて行動していた間の出来事を語り終えると、アセリアは深刻な表情で口元を隠した。
彼女は考え込む時にこうやって口元を隠す謎の癖があるのだが……
『あまり、驚いてはいないようですね』
深刻そうな表情とは裏腹に、リオンの名前を出した時のアセリアのリアクションは結構淡白なものだった。
『倒れているディン君を発見した時……正確には爆発の直後ですが、相手方からの攻撃がぴたりと止んだんです。敢えてこちらを見逃しているように感じましたので……』
『だからフィセントマーレ側に身内がいると推測したのか』
アルクの要約に、アセリアはこくりと頷く。
偏屈なアルクの野郎は珍しく納得した様子だが、俺はどうにもそんな考察……もとい彼女のワードチョイスが気に食わず、つい嫌味が漏れ出した。
『はっ、仲間にバンバン矢を撃ってくるアホを身内と呼ぶなんて、平民の出の俺にはわからん感性ですわ』
『む、嫌な言い方ですよディン君。気持ちはわかりますが、リオン君だって人質を取られていた場合はこちらを攻撃せざるを得なかったはずです。ましてやディン君が執拗に迫ってくるなら尚のことです』
『……百歩譲って人質を取られたとしても、アイツは先輩が思ってるより非常な決断ができる奴です。人質に固執する意味がわかりません』
そう強めに言い返すと、アセリアは何か言いたげな視線でじっとりとこちらを見つめ出した。
『……なんですか」
「ディン君、分かってるはずですよね?」
「何がですか」
「貴方は一つの可能性から目を背けていますよね」
そんな指摘を受けた事に思わず目を見開くと、こちらの図星を悟ったアセリアはさらに捲し立てた。
「確かにリオン君も戦士です。人質を無視することは選択肢に当然あると思いますが、それをしていないという事は、損失を許容できる人材ではないと彼が判断したからでしょう」
「……」
「この場合、申し訳ありませんが二番隊の方々は除外しましょう。精鋭ではありますが代えが効かないわけではありません。おそらく人質は七番隊になります」
「…………」
「ルーデルさんはあり得ませんね。死なない人間を人質に取っても仕方ないですし、それ以前に強すぎて無力化は現実的じゃありません。セコウさんは……ないとは言えませんが、リオン君よりは確実に強いのでむしろ人質を取られる側です」
人質に予想される要素は七番隊の所属であること、代えが効かない特殊な人材であること、リオンより弱いか同格であること、そして現時点で生存が確定していること……
これら四つの条件に該当するのは1人だけだ。
「ラトーナは……ラトーナは人質じゃないですよ……」
そうだ、ラトーナがあんな蛮族共に不覚を取るはずがない。それに人質がサラとかいう女の可能性だってあるじゃないか……うん、大丈夫だ……きっと。
『気持ちはわかりますが、最悪の想定はするべきです。そして次に考えるべきはいかにして彼らを救出するか、です』
『おい、ミーミル語はわからないぞ。2人で何を話していたんだ?』
目を細めながら首を傾げていたアルクに対してアセリアが詳細を魔人語で説明していく傍らで、俺は未だ荒れた心を上手く鎮められずに1人歯噛みする。
結局、その後にアルクを交えて始まった作戦会議もほとんど頭に入ってこないまま、今日はこの平野で夜を越すこととなった。
ーーー
明日になれば気分の整理もつくはずと早々に寝むるつもりだったのだが、こういう時に限って目が冴えてしま。
「眠れないんですかディン君?」
少し気分を落ち着かせようと起き上がると、焚き火に当たっていたアセリアが母のような穏やかな様子で微笑む。
「すみません……治療してもらった上、見張り番まで変わってもらったのに」
「治療はアルク君がやってくれたんですよ。私は治癒魔術が苦手ですから」
隣に腰掛けた俺に対して自身の太ももをポンポンと叩いて見せながら、アセリアは穏やかに苦笑する。
仕草の意味がイマイチわからずアセリアの目を見つめると、彼女はわざとらしく頬を膨らませた。
「膝、貸しますよ。せめて横になって体を休めてください」
「い、いや、それは、その……」
いくらアセリアとはいえ、流石に一人の女性とそこまで密着するのはラトーナに悪いからやんわりと断ろうとしたのだが……
「……? どうしました?」
そんな不埒なことなんて一切頭にないようなアセリアの純粋な視線を前にしてしまっては言うに言えず、俺はとんでもない罪悪感を必死に押し殺しながら彼女の太ももにゆっくりと頭を預けた。
薄い布越しに伝わる彼女の体温と肌の弾力……
あ、ちょっ、いやんッ! 頭撫でないで……
「ディン君のご両親のどちらかに獣人……もっと言えば彩鳥族の方はいらっしゃいます?」
「え? いないと思いますけど……何でですか?」
「前々から気になってたんです。まばらに別の色が混じっている髪というのは通常、彩鳥族の特徴ですので」
そう言って微笑みながら、アセリアはまたサラサラと優しく俺の頭を撫でる。
想像を超える包容力と、ラトーナへの罪悪感ですでに俺の内心は大混乱。
そんな混乱と緊張から目を背けるためにも、俺は必死に舌を回す。
「え、えっと……たしか父が孤児だったので龍族意外にも色んな血が混ざってたのかもしれません。けどまあ父の髪は銀一色なので断言はできませんが母型の血統は大貴族ということもあってはっきりしているのでただの遺伝というよりは父方の隔世遺伝の可能性が高いでしょうね」
「うぇっ!? あ、はい! なるほど……『カクセイイデン』というのがよくわかりませんが……まあ大体の意図は理解できました」
ああやばい、焦ってキモい喋り方しちゃった……
緊張丸出しじゃねえか、こんなんじゃまたアセリアに揶揄われておかしな空気になるじゃんよ。流石にこの体勢でそういう絡みは言い訳のしようが——
「大丈夫ですよディン君、そんなに緊張しなくても」
「……」
「ラトーナちゃんはきっと無事です。リオン君も、なんとかなります。私も頑張りますので、まずは私達に出来ることを着実にこなしていきましょう」
俺の手をぎゅっと握って、泣いた子どもを諭すような口調でそう語るアセリア。
そんな彼女の優しさを前に、見当違いな妄想を繰り広げていた俺は戒めとして頭を地面に打ちつける。
「ひゃっ!? どうしたんですかディン君!!?」
「先輩! 先輩には夢とかってありますか!!」
「うぇっ!? あ、はい! あ、ありますけど!!?」
「聞かせてください!」
現状、考えなければいけないことは盛りだくさんだ。
ー〝俺〟を知ってるか……?ー
けれどまずは、まずは仲間を知ること、信じることから始めていかなければいけない。
そう心を新たにして、俺はアセリアと語らいながら長い夜を越すのだった。
ーーー
そしてその翌日、アセリアが倒れた。
アセリアが治癒魔術を苦手としているのは七章あたりを参照するとわかりますね。
彼女はその立派なモノを支えていることから慢性的な肩こりに悩んでいて、そのためにギルドで治癒魔術スクロールを買い込んでいます。だって本来、自分でやれば無料なのにね。
ちなみにスクロールを買っているのはギルド員特典で民間の治癒魔術師を利用するよりスクロールの方が安上がりということと、自身の胸がコンプレックスなためそうした部分を赤の他人に見られたくないという思いもあります。
ギルドの設立についてや思想は面倒臭いのであんまり書きたくないです。
まあ背景は違えど指針は現代の協同組合とそう変わりありませんのであしからず。
ただ不平等な社会ですので准組合員が投票権を持ってるし、利益の追求はゴリゴリ行ってます。実情は現代のそれとは似ても似つかない形ばかりのものですね。
民主主義に近い東の共和国の方が正しく運営されそうではあります。(適当)