第223話 密林を越えて②
「リオン……!」
霧を抜けた先、枝分かれした太い幹に立ってこちらに弓を弾いている男の名を呼んだ。
「矢避けの加護」すら貫通する威力の豪弓で俺達を窮地に立たせた狙撃手の正体は、親友と言ってもおかしくない間柄の長耳族の青年だったのだ。
「無事だったんだな……!」
依然弓をつがえたまま冷やかな視線でこちらを見下ろすリオンに、俺は両手を広げてゆっくりと近づいていく。受け入れ難い現実から目を背けて、ただ思考を単純化して、仲間との再会を喜ぶだけの愚者となることを是として。
「ディン、お前は——」
「いつまでそこにいるんだリオン! 早く降りて一緒に行くぞ!」
慌ててリオンの言葉を遮る。
何を言うつもりか知らないが、聞きたくない。
きっと、その一言をこいつが喋り終えたら俺たちは——
「……そういうところだぞ、ディン」
敵になってしまう。
「ッ!!!」
その呟きと同時に放たれた砲撃の如きリオンの一矢が、コンマ1秒前に俺が立っていた地面にクレーターを刻み込む。
それを余裕を持って躱してしまったという状況に奥歯を噛み締めながら、俺は飛び退いてすぐに刻印の身体強化をオンにして戦闘体勢を整える。
わかっていた。嫌な予感……なんて曖昧なものじゃない。
リオンの魔力感知は広大で、尚且つ範囲内の見知った個人を的確に特定することができる。加えてあの弓の威力だ。
何かの手違いじゃない……コイツは、相手が俺達だと知っていながら明確な敵意を持って攻撃をしてきている。
理由はわからない。もしかしたら俺たちと逸れているうちに誰かの洗脳を受けた……なんてこともあり得る。
だが一つ確実なのは——
「なんのつもりだ!」
「自慢の頭脳で考えろよディン、近道するのは悪い癖だぞ」
ーー虚星ーー
淡白な言葉と共に帰ってきたのは大量の光の矢。
スピードは最初の一矢ほどじゃない……つまりこの矢は追尾弾。
ーー嵐鎧ーー
ーー矢避けの刻印ーー
となれば避けるのは悪手。素早く二つの防御魔術を体に纏って、降り注ぐ大量の追尾弾を一手に受け止め——
「!?」
違和感。
全方位から迫るリオンの矢が風の鎧に着弾するその刹那、魔力で形成されたその矢は手前で自ら爆発四散し、俺の周囲は大量の光の粒子に包まれる。
「しまっ——」
「遅い」
直後、俺の視界を埋め尽くすように空中を漂っていたた光の粒子は一瞬にして凝固し、光リングとなって俺の体を締め上げた。
これだ……これだから嫌なんだ。
一つ確かなこと……それはアイン同様、リオンを倒すのに生半可な手加減は出来ないというと。
敵対が明確になった以上、俺はコイツを殺す気で相手しなきゃならないのだ。
「今なら見逃しても良いぞ。アセリアと、もう一人を連れて森を出るんだ」
「そっちこそ、これが最後通告だ。馬鹿がバカなことやってないで戻って来い。でなきゃ——」
「でなきゃ殺すのか? そうだな、ディンはそういうやつだ。……いいぜ、やってみろよ。まずそっから動ければの話だけどな」
「ッ……」
リオンに煽られる裏でなんとか拘束を抜けようと魔術を使うなり身じろぐなりしてみるも、胴体に巻き付いた魔力のリングはびくともしないどころか、俺はこの場から一ミリたりとも動けないという事実が追加で発覚した。
「無駄だぞ。リングはその位置、その空間に固定してるんだ」
「そうかよ。解説どーも」
魔術ではなくシンプルな魔力操作、故に現在進行形でリオンがこのリングを形成する魔素をマニュアル制御しているということね。
そういや以前、ヴィヴィアンが俺の体を使ってシュバリエを縛るっていう似たようなことやってたわな。
「けどそれ、相当集中しなきゃだ……ろッ!!!」
かろうじて動かすことが出来た肘から下を動かしてリオンに照準を定め、左手ロケットパンチを発射する。
「えあっ!?!?」
この左手の義手の新機能を知るのはアセリアとラトーナのみ。
予想外の場所から射出され高速で接近する左手の拳を、リオンはおかしな悲鳴をあげながらギリギリで別の木に飛び移って回避する。
そしてそれと同時、俺の胴体にハマっていた魔力のリングの拘束が僅かに緩むのを感じたのを確認して、ここぞとばかりに最大の身体強化と魔力放出を行ってリングを内から破る。
「またおかしな物をッ!」
しかしすぐさまリオンから反撃の矢が飛んできたので、飛ばした義手をワイヤーで巻き取って戻しつつ、すぐさまその場から離れて態勢を立て直す。
軌道修正だ。
あの矢は下手に受けない方がいい。どんな仕込みやコンボがあるか想定し切れないからな。
ならば……いや、最初から取るべきだった手段は——
「直に叩く」
そもそも、手練れの射手相手に同じ土俵で挑むなんてアホのすることだった。
ダメだな、俺は思ったよりコイツのことで動揺していたらしい。そこも切り替えないとな。
「よし」
改めて気を引き締めると同時に、素早くその場から離脱して周囲の木々に身を隠す。
「隠れても無駄だぞ!」
たしかに、リオンなら魔力感知で俺の位置など筒抜けだろう。
だが、射線を切れるというのは大いなメリットだ。なにせ如何にリオンの矢が速くとも、曲射や追尾弾を使うとなればどうしても弾速は落ちるので、圧倒的に見切りやすい。
そんな思惑のもと追い縋ってくる矢を躱しつつ、撒きつつ、そして魔力感知で終わらないようにダミー反応を散りばめつつ、木々の陰から陰へと高速移動して徐々に距離を詰めて……
「取った」
そして最後はリオンの立つ樹を駆け上って、ついに背後に回り込んだ……つもりだったがしかし、リオンは俺の動きにちゃんと反応しており、あくまで俺がリオンの眼前に飛び出した形に止まった。
「歯ぁ食いしばれッ!!」
真正面から飛び込むことにはなったが、リオンはすでに目と鼻の先。ここからは俺の間合いだ。
リオンが迎撃として弓を引くのよりも早く、俺は拳を振りかぶりながら空中を蹴って最後の距離を詰める。
あとはこの拳でリオンの頬を撃ち抜いて意識を刈り取る。
そう、あとほんの少し近づくだけで——
「近づけば勝てると思ったのか?」
近づけば、格闘戦に持ち込みさえすれば後はなんとでもなる。
しかし、そんな幻想は俺の振った渾身の拳に対してリオンが自ら額を差し出してそれを受け止めた瞬間に消え去った。
「!?」
「つかまえたぞ」
割れた額から血を流しながらリオンはニヤリと歯を見せて、受け止めた拳を逃さないようにと俺の右手を掴みつつ自身の右手からハンドアックスを振り抜く。
「——ッ!」
動揺で反応が遅れたところに、やや人体の仕組みを無視したような速さと挙動の義手による受太刀がなんとか滑り込む。
今でこそ日常で本物の腕と変わらない動きをしているが、この義手はそもそも魔術で操作しているので念じれば人外じみた動きだって出来るのだ。結構駆動系が傷むがな……
それで受け止めたは良いが、しかし——
(見てくれ通りの怪力だな……!)
チリチリと火花を伴いながら今尚鎬を削り合う斧と剣を前に歯噛みする。
今言ったように、俺の左手は魔術で操作している分、人外じみた性能を発揮する。それはパワーにおいても同じことで、ぶっちゃけると身体強化を最大にした右手よりも左の義手の方が力が強い。
——にも関わらず、俺とリオンの押し合いは互角なのだ。
「なんだ、コソ練してたのかよ?」
「そう思うのか。残念だ」
「なんだと……?」
「お前はちゃんと仲間を見てないって話だぞ」
「……あ?」
「お前さ、レイシアの好きな色を知ってるか? アインの姉貴の好物を知ってるか? クロハの趣味を知ってるか? アセリアの夢を知ってるか?」
意図せぬタイミングで投げかけられた怒涛の問いかけに、俺は目を見開いた。
内容は何気ないもので、頭も使わない簡単な問いかけだ。
「……〝俺〟を知ってるか?」
「……」
しかし俺はその問いに答えないまま、無言の鍔迫り合いを続ける。
俺の気を引くための罠だと悟っているから敢えて乗らないとか、そんな賢い理由ではない。
ただ単に、俺は彼の問いに対する答えを持っていなかったのだ。
思えば、俺は彼らとそうした日常的な会話を交わした記憶が多くない。殆どが事務的なものだったり、その時の流れを汲んだ必要最低限のものでしかなくて……
「わからないだろうな。お前は自分とラトーナのことしか見てなかった、考えてなかった」
そんな極端なリオンこ言葉にも、俺は言い返すことができない。
友達だ友達だと思っておきながら彼らを記号としてしかとらえていなかった自分に驚愕したのと同時に、何よりそれを人に言われてようやく気づく自分の矛盾具合が心底気持ち悪かった。
「ッ!」
心に僅かに生まれた動揺が義手の力を緩めたせいか、同時にリオンがそこに付け入るようにさらに力を強めたことで、俺は徐々に押し負け始めた。
「それが悪いとはいわないぜ。でもな、今は重要だ」
押し返そうとするも、一度崩れた仰け反りかけの体勢からでは上手くいかない。
体格差もあって、こうなればもう俺が押し倒されるのは時間の問題だ。
「ッ! くそっ……!」
意地を張っても仕方ないのでバックステップで一度間合いのリセットを試みる……が、しかし——
「お前は俺を知らない。そんで俺はお前をよく知ってる。だからお前は負けるんだ」
「!?」
リオンはそれをいち早く察知して、素早い踏み込みで俺との間合いを潰してきた。フェイントをかけてからのバックステップだったにも関わらず、だ。
的確に俺の動きを先読みして潰す、そしてそれを実現するだけの弓兵らしからぬ身体能力がこいつには、ある。
誤算だった。リオンがここまで近接戦闘に優れていたとは……
「最初から言っていたぞ、俺は狩人だって。弓でしか獲物を狙わないと思ってるなら間違いだ」
「……はっ、もう勝ったつもりかよ!」
ーー疾風流•連撃剣ーー
力でダメならと、新たに剣をもう一本生成して二刀流スタイルによるスピード勝負に乗り出す。
「おおおおおおおおおおッ!!!!!」
風を纏った加速から磁力魔法陣の反発を利用した三次元的な高速移動、さらには閃光弾の目眩しを交えてここぞとばかりに畳み掛ける。
どうやらそんな選択は正しかったようで、剣戟における優勢はすぐさまこちらに逆転した。
「ッ……!」
「さっきまでの威勢はどうした! 誰が負けるって!?」
苦々しい表情で防戦に徹するリオンを前にしてこのまま押し切れると確信した俺は、さらにギアを上げる。
認め難いが、後手に回っていては押し切られかねない。だからこのまま何もさせずに半殺しにするッ……!!!
「ぐっ……ッ……!!」
段々と防御も追いつかなくなって生傷が増えていくリオン。
最早反撃の気配は無く、半ば俺の壁打ち状態が続く。
(こいつ、堅すぎんだろ……!)
しかし、リオンは倒れない。
いくらリオンが屈強とは言え、リディのように痛覚が鈍い奴、もしくはルーデルのように即座に再生できる化け物でもなきゃ、もう立っていることなんて出来ないくらいボロボロにしてるんだ。
なのにどうして、何がそこまでコイツを——
ーー超新星ーー
「ぐっ!?」
斬り合いの中、突如として俺とリオンの間で魔力の礫が爆ぜた。
俺からの猛攻に対する防御をかなぐり捨てて、リオンは突然手元で魔力の矢を生成し自分ごと巻き込んで炸裂させたのだ。
——とはいえ、俺が扱うのような火薬由来の爆発とは違ってこれの原理は高圧縮した魔力の解放だ。
かなり痛ぇが、致命傷にはならない。
リオンがそれを理解してないはずもないので狙いはおそらく目眩し、この隙を突いて一発逆転ってところか? あるいは……
「そっちか……!」
あるいは、この一瞬の隙に賭けた全力の逃亡。
木から降りてこちらに背を向けながら走り出したリオンは言うまでもなく、その後者を選んだ。
なるほど確かに、アイツは戦士じゃなくて狩人だ。圧倒的に不利となれば迷わず逃げるわな。
「アホめ」
戦術的には正しい判断ではある。
だがしかし、焦ったな。
今の戦いでわかっただろ。単純な力や小手先の技術ならまだしも、ことスピード分野は確実に俺の方が優ってる。
「悪手だろそれはぁッ!!!」
すぐさま空中に磁力魔法陣を展開し、反発による跳躍で地上のリオンへと一気に距離を詰めて追いかける。
さっきの龍脈術で魔法陣系のトラップがないのも確認済み、ラトーナでもなきゃ今の短時間で設置なんてこともできない。
少し調子は狂ったが、このかけっこでようやく王手だ。
(……ん?)
違和感。
勝利を確信しながら走りだしたその瞬間、俺は妙な引っ掛かりを感じた。
比喩とかではなく物理的な意味で、張られた糸を何本かプツンと突っ切ったような感触が足先にあったのだ。
……そう、よくある古典的なワイヤートラップのような……あ。
「! しまっ——」
リオンの罠に引っかかったことを自覚したのと、罠の作動はほぼ同時だった。
窮地によって思考が極限まで引き延ばされスローモーションになった刹那の中で、俺は進行方向の先で矢をつがえながらこちらに向き直っている最中のリオンの姿と、自分を取り囲むようにして木の上から降ってきている大量の木の実を認識する。
(確かこの木の実は……)
ランタンのような形状の植物、森、リオン……偶然にもピースがこの場に揃っていたことで、記憶の奥の奥に打ち捨てられて、ともすれば消え失せる直前だったはずのシーンが高速で思考に浮上してくる。
そうだ、この木の実の名は——
(それは『ウルフプラント』ってんだ! 気をつけろよ、その実は乱暴に扱うと炸裂して、硬いタネをばら撒くんだ)
そんなリオンのいつかのセリフが脳裏で再生される中、火薬庫に放り込まれたも同然となった俺の方に向けて計画通りとばかりにすかさずリオンの炸裂矢が放たれ、俺の視界は真っ白に染まったのだった。
おまけ「リオンの技名」
「一等星」 大砲の如き渾身の一矢、ニュートラルで特殊能力はない、とにかく速い、重い。
「箒星」 追尾する矢、威力と速度は通常より少し劣るが、風魔術との併用でカバーしている
「超新星」 爆発するやつ、「一等星」より威力が低いが、こちらの方が他の技と組み合わせられるので汎用性◯
「虚星」 定義は曖昧、ナニかしらのギミックを仕込んでる場合はこの表記に変わる。
「衛星」 周囲の空間に矢を形成してゲートオブバ◯ロンしたり、近接の守りに応用する。
そしてこれらの技は彼の意志でもう一段階〝進化〟する。
※次回は早く出すと言っておきながら一ヶ月も明けてしまい申し訳ありません、色々しんどかったんです。