第215話 魔女と鬼
「残念、これが現実だ」
開始の合図と同時に全速力でラトーナへと肉薄したリディはそんなセリフすら置き去りにして結界ブレードを振りかぶった。
最早、俺ですらマトモに対処できない最高速度を出してきたリディ。半年も猶予を与えたくせに、どういうわけか彼はラトーナを勝たせるつもりがないらしい。
大人気ない、思わずそう言いかけた時だった。
追い詰められたラトーナの姿はリディの前から消え、その必殺の一閃は空を切った。
「おいおい……」
「ラトーナ姉凄い」
「やることがぶっ飛んでるにゃ……」
ある者は言葉を失い、ある者は歓声を上げる。
「空を、飛んでる……」
かく言う俺も、リディの頭上の光景に空いた口が塞がらなかった。
信じられるだろうか、ラトーナはリディの一閃から逃れるために空へと逃げたのだ。
翼も妖精族の血も持たない彼女が、ただの人間が空中に浮遊しているのだ。
「ディンと言いさ、君達は勝負のたびに奇天烈な新技を持ってくるね」
頭上に逃げたラトーナを見上げながら、リディは今までにないほど楽しそうな声音で目を細める。
「奇天烈? ご存知ないのかしらリディアン卿。魔法使いは飛ぶのが常識よ」
月をバックにしてイタズラに微笑むラトーナは、まさに前世の創作に登場する魔女そのもの。
なんだあれ、俺の妻ってあんなにカッコよかったのか?
「なるほど、今回は結界を広げてくれと頼んだのはこの為か」
俺の隣で共に結界維持を行っているセコウが、合点が入ったように感嘆の声を漏らす。
「そのようですね」
「お前は知ってたんじゃないのか?」
「いいや、彼女には肉体鍛錬とリディについてちょっと教えただけで、あとは全部一人でやりたいからと拒絶されちゃいました」
まあ、他にはちょっとした打ち合わせをしたがな。
しかしなるほど……空中浮遊か。
ラトーナも考えることは俺と同じだな。遠距離タイプは近寄られなければ良いのだから、誰もいない空に逃げて仕舞えばいい。あとは射程外から撃ちまくるだけだ。
「ただ問題はここからですね」
「ああ、そうだな。高低差で有利を取ったところで、隊長の結界を突破できないのなら無意味だ。それに……」
「それに、何です?」
「何も空中戦が出来るのはラトーナだけじゃない」
セコウがそう言った直後、リオンやアセリア達の方から再び歓声が上がる。
何事かと結果内に目を向けてみれば、リディが空中を駆け上がり出したところだった。
「まあ、空中に展開した障壁を足場にすれば、そりゃ空でも戦えますもんね」
「この程度で勝ったつもりかな?」
「いいえ、まだよ!」
再び急接近して斬りかかるリディであったが、ラトーナは凄まじい高速飛行であっという間に彼との距離を引き離す。
速い。不安定な空中だからリディが全速力を出せないと言うのもあるが……それ以前にラトーナの飛行速度には目を見張るものがある。
いったいどういう仕組みだ?
「ステッキパージ! ブレードファンネル展開!」
術式の考察をしているうちに、ラトーナが新たなアクションを起こした。
ラトーナの言葉に連動するようにして彼女の持っていた杖が真っ二つに分裂して、ガチャガチャと変形……し……うわ凄いな。
「なんだあれ、変形したブレードも宙に浮いてるぞ。どういう仕組みだ?」
「俺にも何が何だか」
「空中に来ることぐらい読めていたわ。だからその足場、壊してあげる!」
ファンネルとはまさにその通り、空中に展開された二振りのブレードはラトーナの声に呼応するようにして、リディ目掛けて弾丸の如き速さで飛んでいく。
「うおっと危な……あぁぁぁ!?」
飛来したブレードを余裕を持って躱したリディであったがその時、突如として彼は空中でバランスを崩して地面に吸い込まれるように落下し始めた。
「何が起きてるんだ?」
「おそらくラトーナの操るブレードには『反魔の呪詛』がかけられてるんでしょう」
「あー、それで隊長の足場となる障壁を強制解除したのか」
いやそれにしても、なんだよあの杖。分裂変形してブレードになるとかカッコ良すぎだろ。
ファンネルの仕組みとか最早どうでも良くなってきたわ。
「いやなんとも……面倒くさい魔術だ!」
新たな足場を展開して何とか落下を免れたリディであったが、ファンネルは空中で旋回し再びリディに狙いを定めて突っ込んでいく。
その度にリディは別の場所に展開した足場に飛び移り、ファンネルはまたそれを追尾し……
「鬼ごっこなんてしてないで、打ち落とせばいいだろうに」
セコウの言い分ももっともだが、今回に限ってはそうもいかない。なにせ、元々ラトーナはリディにとっての天敵なのだから。
「ブレードには『反魔の呪詛』が付いてるからリディさんの結界ブレードは有って無いようなものです。なんなら他にも呪詛が仕込まれてる可能性もあるので、触るのは得策じゃないかと」
「そんな危険物を躱しながら戦うなんて考えたくないな」
全くもってその通りだ、このファンネルだけでもやばいのに、本体の方ときたら……
「あっはははは!!! もっと踊りなさい! 射的の的にもならないわッ!!!」
空中を逃げ回るリディに向けて、明らかにおかしなテンションで高笑いしながらマシンガンの如くレーザーを連射するラトーナさん。
「連射速度が前より上がってないか?」
「ですね」
魔術を無効化するレーザーによる結界の破壊。
以前はリディの結界の再生速度にラトーナの連射力が全く追いついていなかったが、どうやらその欠点は解消されたようで結界の破壊速度と再展開速度は五分五分。
ギリギリのところでリディがなんとか防ぎ切っている印象だが……逆に言えばラトーナが攻めきれていないともとれる、あまり良くない状況だ。
「隊長、そろそろ目が慣れてくる頃だろうな」
「ですね……ブレードは速いだけで動きが直線的過ぎますもん」
そんなセコウの予想は1分後に見事的中。
リディの空中での動きはどんどんキレを増していく反面、飛行するブレードは彼の動きを追いきれなくなり、レーザーの命中頻度も秒読みで落ちていく。
「とうとう当たらなくなったな……」
そこからさらに1分、遂にラトーナの攻撃は一つとして当たらなくなってしまい、セコウは勝敗を察したとばかりに視線を落とす。
セコウだけじゃない、近くで観戦しているアセリアやレイシア達の歓声もいつの間にか止んでいて、最早誰もがラトーナの敗北を見届ける状態に入っていた。
「逃げるだけじゃこの勝負には勝てないよ!」
攻勢に転じたリディからひたすらガン逃げするラトーナ。
最早リディとの距離を保つのに精一杯でブレードの操作はおろか、レーザーによる迎撃すら行っていない。
「ここらで潮時じゃないか?」
審判も兼ねているセコウはそんな状況を見かねて結果を急ごうとするが、ラトーナは無駄なことを続ける人間じゃないと言ってなんとか説得する。
一見逃げ回っているだけに見えても、彼女ならそこに何らかの布石を仕込んでいるはずなのだ。
「動いた!」
そんな中、ラトーナがようやくアクションを起こした。
「いや、正確には……」
止まった。
俺たちの近くまで飛んできたかと思えば、ラトーナは突然空中で急ブレーキをかけて追い縋るリディに向き直ったのだ。
「……?」
「——従うものよ、いざ深淵の門を越え、我が前へと現れよ!」
怪訝そうに一瞬眉をピクリと動かすリディであったが足は止めず前進。
対するラトーナは目の前まで迫ってきたリディを前に片手を突き出し魔法陣を展開。
ギリギリの間合いで展開された空色の見慣れない魔法陣から飛び出したのは魔術ではなく……
「え、ブレード!?」
「転移魔術か!!!」
操作を解除されてそこらに打ち捨てられていたはずのブレードファンネルが再び登場、目の前のリディに向けて高速射出される。
しばらく逃げ回っていたのは転移魔術の詠唱時間を稼ぐためだったようだ。
直線的な動きで距離を詰めたてきた相手に対する超至近距離からのカウンター。発生はレーザーよりも速く、バリアも貫通可能、ブレードを捨てるという行動によってその存在を意識から逸らしていたであろうリディにこの攻撃を回避することはでき——
「うおっ!?!?!?」
まさに紙一重。引き伸ばされた刹那の中、わずか数ミリ、コンマ数秒の差でリディは身を捩って二振りのブレードを躱す。
バリアの破壊には成功したものの、再構築はすでに始まっている。
「っ……!」
「終わりだよ」
カウンターは失敗、リディは体勢を崩しつつもすぐに踏み込んで一気に間合いに入る。
無防備となったラトーナは苦し紛れに呪詛魔術のトラップ魔法陣を盾にするように展開する。
しかし、すでにバリアが半分まで再生したリディには意味をなさない。
「ええ、あなたがね」
ブレード振り抜こうとするリディを前にラトーナは不敵な笑みを浮かべ、同時にフィールドを覆う結界が崩壊した。
そう、たった今交わされている最後の攻防の裏で、先ほど紙一重で回避され役目を終えたはずのブレードは、その勢いを失わぬままフィールドの端となる結界に到達していた。
『反魔の呪詛』が施されたそれは結界の術式を乱し、そして結界そのものを崩壊へと至らしめたのだ。
ーー俺の薬指の指輪が青色に発光するーー
結界崩壊の直後、場外で指輪による合図を待ち構えていた俺は予め用意していたショットガンを構え、リディに向けてぶっ放す。
いつもの『弾丸魔術』と違って、発動に一切の魔力を使わない〝ただのショットガン〟によるこの狙撃はリディの魔力感知を掻い潜り、そして『反魔の呪詛』が仕込まれたその弾丸は半壊していた彼の結界にトドメを刺す。
射程はギリギリで威力もカスだが、彼のバリアを破るには充分な能力なのだ。
「!?」
ラトーナに接触する直前にバリアを失ったリディ、今更止まれるはずもなく無防備のままラトーナが苦し紛れに展開したと思われたトラップ魔法陣の盾に突っ込んでしまう。
「っ! おおおおおおおおおおおああああああああああああッッッ!?!?!?!」
トラップに触れた瞬間、ものすごい勢いで後方へと吹っ飛ばされていくリディ。
発動したのはシンプルな『反射の呪詛』。最大出力による吹っ飛ばし力は凄まじいものとなっているが、あくまで直接的な攻撃力は持っていない。
だがそれで充分。
何せ、この試合の勝利条件の一つに『場外』がある。
加えて、二人を覆っていた結界は先ほどラトーナが破壊したのでリディを受け止めてくれる壁もないのだから……
「じょっ、場外によりラトーナの勝利!!!」
リディが場外に吹っ飛んでから5秒ほど遅れてセコウがジャッジを下す。
一瞬の間にあまりにも多くのことが起きたせいか勝敗が決したというのに歓声は上がらず、皆口を開けてポカンと立ち尽くしていた。
「おいディン!!! テメェふざけんなよっ!!!!!!!」
否、そんな静寂の中で一人声を荒らげてこちらにずんずんと歩み寄ってくる男が一人。
「なに二人の決闘に水刺してんだ!!! お前それでもラトーナの男かよ見損なったぞ!!!」
やってくるなり俺の胸ぐらを掴んで拳を振り上げるロジー。
もはや何を言っても止まらないだろうと思い、おとなしく目を閉じて拳を受け入れる準備をしかけたところで、ラトーナがそれを制止した。
「やめて!!! 私がディンに頼んだことなのよ!!!」
「あ!?」
そんな言葉を受けたロジーが俺から手を離し、ラトーナに鋭い殺気を向ける。
セコウがまあ落ち着けと肩に手をかけるがそれすらも払いのけて、ラトーナを見下ろすように彼女の前に立ちはだかる。
「てめえ、自分が何したかわかってんのか……?」
「あなたこそ、私が何をしたのかわかってないようね」
「んだとっ!?」
とうとうラトーナの肩を鷲掴みにして唸るように恫喝するロジーだが、ラトーナはそんな状況でありながら一歳怯えた様子はなく、むしろリディを睨み返すように口をひらく。
「最初に私はルールを確認したわ。お互い一撃でも当てれば当てた方の勝ち、結界の外に出たら負けだと」
「その通りだロジー。最初から助太刀を禁止するなんて文言はなかった。結界が張られているから横槍はないと鷹を括っていた隊長が悪い」
「うへ〜 全くその通りだけど厳しいねセコウは。イタタ……」
「隊長!?」
いつの間にか戻ってきていたリディに気づいたセコウとロジーが姿勢を正す。
かなり遠くまで吹っ飛ばされてたのに、もう戻ってくるとかバケモンかよ……そりゃラトーナも諦めて裏技で倒そうとするわな。
「うん、やられたやられた。単純な技巧だけじゃない、舞台度胸や型破りな戦術力も充分見て取れた」
「私は合格……ということでいいのでしょうか?」
居住まいを正し息を呑んでそう尋ねるラトーナを前に、この期に及んでリディは口をへの字にしてその合否を言い渋るが……
「いっ!?」
セコウに思い切り背中を叩かれて、やむなくと言った様子で首を縦に振った。
「……合格だ。君を俺の部下と認め、今後はディンと共に行動することを許可しよう」
「やっっっっったぁぁッ!!!」
「おわっと!?」
突然抱きついてきたラトーナを受け止めると、周囲が拍手で包まれる。
ラトーナはそれに応えるようにぐっと右腕を掲げて叫んだ。
「鬼神リディアン敗れたりぃぃぃ!!!!!」
「「「「「おおおおおお!!!!!!」」」」」
「いや負けてないからねッ!? 試合だから!!!」
かくして、鬼畜のリディアンは正義の魔女に敗れ、俺の妻は頼れる冒険の相棒となったのだった。
めでたしめでたし……っと。
補足
•合図に使われた指輪は以前ディンがプレゼントしたモノ
•ファンネルとか言ってるのは、ディンからよく前世の知識を聞き出していたから。むしろ、新技開発のヒントにするためにいつも聞いていた
束の間の安息篇 ー終幕ー