第213話 君に触れる【後編】
規約は守ったつもりです。
この作品が消えていた時は察してください。
【ディン視点(前話の二日前)】
ここ最近はストーカー……またの名をシーザーの加入によって現代魔術研でのプロジェクトが色々と急加速したこともあって大忙し、気づけばシーザーとの決闘はもう二週間前の出来事になっていた。
だって仕方ない、ほぼ全財産と同額の家を買ってしまったのだから、とにかく今は金を稼がないといけないんだもん。
ぶっちゃけた事を言うと、今現在の我が家の食費はクロハの家賃によって賄われているので、良い加減そんな情けない状況は脱しなければいけないのだ。
とはいえ流石に働き過ぎたようで、ちょうど今さっきに危うく研究室を火の海にする事態に発展しかねないミスをしてしまい、アセリアにお説教を喰らうと同時にめちゃくちゃ心配されて四日ほど休暇(強制)をいただいた。
そんなわけで途端に暇になってしまった俺は、この機会をどう過ごそうかと頭を悩ませながら学園を歩いていたのだが、ちょうどそこで出会したリオンに酒の誘いを受けた。
「お前、俺が酒に酔えないことまで忘れたのか?」
こいつの記憶力の無さに呆れ、疲れも相まってつい悪態をつきそうになったところで、リオンが自信満々そうに胸を叩いて興味深い事を口にした。
なんと、俺の体質でも酔えるかもしれない酒を見つけたらしい。俺の毒耐性を貫通する酒とか正直やばい気配しかしないが、俺は今娯楽に飢えている。断る理由がないのだ。
「案内してくれリオン」
「いいぜ、もちろんお前の奢りだよな?」
「え」
「ヴェイリル王国——」
「わかった、奢るからそれ以上何も言うな」
こいつ最初から俺にたかる気だったのか。
思わぬ出費だ、ジーナスさんに怒られる覚悟をしておかないと……
「ほら、着いたぜ」
案内されたのは、学園から結構離れたギルド街にある一際大きな建物の酒場。
中に入ると壁一面に色んな種類の酒が飾ってあって、他の店とは圧倒的に品の量が違うのだと一目でわからせてくる。
「有名な商会の直営店らしくてな、大陸中の酒が飲めるって有名なんだ!」
「その割には初めて聞いたな」
「拙もですぞ」
「まあ値段が高えってのもあるし、正直言って万人受けする酒はあんま置いてねぇから……」
要はマニア向けの店かと納得しつつ、三人で案内された卓に着く。
いつの間にか着いてきていたシーザーはマジでなんなんだろう、俺こいつにも奢んなきゃいけないのかな。
まあシーザーのことはともかく、まずは酒だ。
「おい、なんだよこれ魔物の血か?」
注文から1分と待たずに出されたジョッキに入っていたのは、緑色の液体だった。他二人が頼んだ麦酒と比較すると、余計に人の飲むものには見えない。
「お前さん知らないで頼んだのか? これはヨトヘイムの龍牙山で作られてる歴とした酒だぞ」
ボソッと呟いたつもりが聞こえていたのか、酒を運んできた店員が呆れたように色々と教えてくれた。
なんでも、龍族の里で作られる特殊な酒だそうで、酒好きの小人族が泡吹いて倒れるほど強いので、薄めて飲むものだそうだ。
「んじゃあ原液のままお願いします。金は払うんで」
「正気か?」
ドン引きの店員を説得して、酒を再度注文。
運ばれてきた原液の酒を掲げ、気を取り直して乾杯の音頭を取る。
「ええっと? それじゃ……今日も頑張ったので乾ぱーい!」
「「おおー!」」
適当な口上と共に杯を勢いよく煽る。
喉をマグマが伝っていくかのような感覚に思わず咽かけるも、なんとか気合いで流し込む。
ああなるほど、たしかにこれなら酔えるかもしれない。胃を中心に血流が回り出すかのような感覚と共に、そんな期待が全身をめぐり、思わず声を上げる。
「もう一杯!」
「お、効きそうか!?」
そんな俺を見て、リオンは心底嬉しそうに顔を綻ばせた。
酒という娯楽はもう諦めていたが、これはリオンに大きな借りが出来てしまった。
何かお返しをしたいが……あれ、よく考えたら俺、リオンのことよく知らないな。かれこれ5年ほどの付き合いだというのに、こいつについて浮かぶことと言ったら……
「あ、そういやあの人とはどうなったんだ? ほら、あの……あれ、炎の魔剣使い!」
「ああ、サラさんね」
そうそう、そのサラとかいう人に大してリオンは好意を寄せていたが……この2年で何か二人の間に進展はあったのだろうか。
「あの人は夢を叶えて、この国の近衛騎士団に入団したよ」
「いや、そうじゃなくて、恋愛の方は?」
焦らすような口ぶりに少し苛立ちを覚えて直球に尋ねるも、リオンは力なく首を横に振った。
「あ、すまん……」
「気にすんな、種族とか身分から目を逸らした俺が馬鹿なんだ。あんだけ里で口酸っぱく言われてたのにな」
「里でそういう話をされるのか?」
「おう、親が子供の寝かしつけに語る伝承なんだけど、純人族に恋した妖精族の話でさ、先立たれた後の長すぎる余生に耐えられなくて似た女を探しては結婚してを繰り返すんだけど、妖精からすればみんなすぐ死んじゃうもんだから、とうとう狂って最初の妻のことも思い出せなくなって彷徨う亡霊になっちまう、ってな?」
「……」
「どうした?」
「ああ、いや、なんでもない」
リオンの話を聞いて、ふと自分のことを考えた。
三代遡っても長耳族の血統持ちがいないのに、俺の体には歳を重ねるごとに長耳族の特徴が顕著に現れてきている。
おそらくこの謎にはヴィヴィアンが絡んでいるのだろうが……それはひとまず置いておき、重要なのは俺の寿命だ。
妖精のドリュアスは俺の魂が精霊に近いとか言ってたし、もしかしたら俺はリオンや妖精達のように数千年を生きるのかもしれない。
……俺も、今の話にあった妖精のように大事な人を看取った後は永遠に近い時に取り残されるのだろうか。
そう考えると、なんだか——
「そ、れ、よ、り、もだ! お前はどうなんだよディン!」
「んえ? ごめん聞いてなかった」
「だからよ! 新婚生活はどうなんだ? それはもう毎日熱い夜を過ごしてるのか〜〜?」
「お前そんなキャラだったか? なんかロジーに似てきたぞ」
「っせぇ〜! はぐらかすなよぉ! 俺らだっていい歳なんだからそれぐらい話すわ!」
年中カブトムシとかザリガニの話してそうな奴から急に生々しい話題をぶっ込んできた違和感には思わず眉根が寄ったが……どうやらこいつ、一杯目にしてもう酒が回っているらしい。
「まあ順調というか、良好だと思う。たまに一緒に出かけたりするし」
「それは良いことですな。して、お子様はいつ産まれるご予定なのかを知りたいですぞ」
「あー、まだそういうことはしてないから未定かな」
「「え?」」
「え、俺なんか変なこと言った?」
「いや、まだしてないって本当か?」
それがなんだと聞き返すと、リオンとシーザーは目を見開いて一瞬顔を合わせたかと思うと、馬鹿でかいため息を吐いて俺に呆れたような視線を向けてきた。
「失礼を承知で尋ねますが、ディン師は不能ではありませぬな?」
「いや違うわ! 抱いてないのはもっと別の理由だよ!」
「どんなだよ」
こっちにだって色々あるのに不躾にズケズケ踏み込まれて苛立ったことに加え、酒が回り始めていた事もあって俺は馬鹿正直にその問いに答えていた。
14歳での出産は危ないんじゃないかとか、俺とラトーナは血縁がかなり近いから子供に何か悪い影響があるんじゃないかと心配事を打ち明けたわけなのだが……
「ディン……お前、ありえねぇわ」
「こればかりは同感ですな」
なんと全てを軽く一蹴され、それどころか結構真剣に怒られた。
「師よ、これは信仰など関係なく、結婚とはそういった悩みを全て飲み込んだ上で子を成す為の誓いを結んだ証なのですぞ?」
「そうだぞお前。それを結婚してからあーだこーだ言うなんて、相手に失礼にも程があるだろ」
前世との常識の違いなどはあれど、たしかに二人の言うことはまごうことなき正論で、俺は今になってようやくラトーナを不安にさせているかもしれないことに気づいた。
……いや、それどころかよく考えれば俺、自分からあの子にキスしたことあったっけ? スキンシップは全部向こうからじゃないか……?
「まずい……え、まずいよな。どうしよう俺、え? どうするべきかな……?」
思い返せば思い返すほど芋蔓方式で脳裏に失態が浮かび、気づけば酔いは完全に覚めていた。
そのせいか不安は際限なく膨れ上がってしまい、情けないことにもはや俺一人ではどうするのが正解なのか分からなくなってしまった。
それでどうにか藁にもすがる思いで二人に助けを求めてみたが、返ってきたのは残酷な言葉だった。
「そこはお前が自分で考えなきゃダメだ」
「ええ、今からでも師は先ほど打ち明けたお気持ちを整理する必要があると思いますぞ。己が焦燥を払拭したいが為にラトーナ氏と交わろうとするのは、穢すことと同義ですぞ」
「うっ……わかったよ。とりあえず、今は飲むわ……」
たしかに納得は出来たものの、だからと言ってそんなのすぐに出来るわけじゃない。
とにかく今は前に進む気持ちだけを整えよう。そう思って三杯目の酒を一息で飲み干した。
「ああそうだな、飲め飲め!」
「良い飲みっぷりですな。拙も負けいられませぬ!」
何処か頼りなさげに見えたリオンと変人のシーザー。
しかしリディやセコウとはまた違った形で背中を押してくれる存在に俺は心から感謝した。
ーーー
そして現在、俺はラトーナと共に宿の部屋へと続く廊下を歩いている。
今日一日のラトーナの行動や気合いの入り方、そして今向かっている場所を考えれば彼女の気持ち、そしてらこれから起こるであろうことは考えるまでもなくわかる。
あえて下世話に言うなら、本番ってやつだ。
「……」
緊張しているのか、酷くぎこちない様子で俺の前を歩く彼女の背を前に、俺は自身の足取りが重くなっていくのを自覚した。
これは自責か、さながら連行される囚人の気分に近いのかもしれない。
もちろん、決してラトーナとそういうことをするのが嫌なわけではない。むしろ部屋に入った途端に押し倒してもいいくらい。
(お前、それで良いのか……?)
ふしだらな妄想を始める俺の頭をガツンと殴るようにして、胸の奥底にある不安が再び込み上げてくる。
リオン達にはラトーナの体の負担がなんだとそれらしいことを言ったが、多分それだけじゃない。
俺はまだ、俺の中に漠然と渦巻くラトーナと行為に至ることへの抵抗を振り払うどころか、その原因すら掴めていない。
くそ、意味がわからない。
目の前を歩く女をもう一度見ろ。
スタイルは良くて、顔も笑っちゃうほど綺麗で、気も合うし、俺のことを一途に思っていてくれて……一体何が不満なんだ。
こんな最高の女性、前世じゃ考えられないくらい高嶺の花だろう?
そんな彼女と家庭を築ける……築け……
(あ、そうか……そういうことか……)
「着いた。この部屋ね……えっ、ちょ!?」
着いて早々、俺はやや強引にラトーナの手を引いて部屋に入る。
そして扉に鍵をかけると、部屋の明かりも灯さずにラトーナを抱き寄せて歩き出す。
「ちょっ、えなに……ひゃ!?」
慌てふためくラトーナを無視してベッドに優しく押し飛ばし、その上に俺は覆い被さった。
「ディン……?」
「ごめん、ずるいことしてたよね」
薄暗い部屋にベッドの埃が舞う中で、身を窄めて目を白黒させているラトーナの頬を撫でる。
さっきまで俺をエスコートしようと毅然と振る舞っていた彼女は近くで見ると小さくてか細くて……でもそのギャップが愛おしい。
もうあんな不安なんてくだらない、それよりも俺は彼女の思いに応えたくなってしまった。その覚悟を決めたのだ。
「子供が産まれたら二人きりの関係ってわけにもいかないじゃん? ほら、俺たち色々とすっ飛ばしてきちゃったから、もう少し二人だけの生活を楽しみたいって思っちゃっててさ……」
「……だから、私を抱きたくないの?」
「いやずっと抱きたかった。てか今もギリギリ。何ならもう押し倒してるうべっ!?」
悲しそうに目をウルわせる彼女の言葉を慌てて否定するも、まだ喋り終えぬ内にラトーナは俺の頬を両手でぶにゅっと挟み、キュッと眉根を寄せて唸るように声を上げた。
「じゃあ早くそう言いなさいよ……! そしたら私だって頑張ったのに……」
「え? な、なにを……?」
「それはこう……妊娠しないように気合いを入れるとか、かしら?」
「いや根性論かよ」
こんな時に冗談を言うラトーナに思わず笑ってしまい、彼女もそんな俺を見てクスクスと笑う。
「ふふふっ……!」
「はははっ……!」
二人の忍び笑いが重なる中で、ふとラトーナと目が合う。
気づけば俺は、その瞳に吸い寄せられるように彼女に深いキスをしていた。初めての、俺からのキスだ。
「ぷはっ……はぁ、はぁ……」
ギリギリのところで口を離し、互いに息を乱したまま無言で視線を絡ませ合う。
汗ばんで少し湿った金髪と、頬をやや紅潮させながら肩で息をする彼女の妖艶さを前に、視線はその瞳に固定されたまま無意識に俺の右手だけが彼女の正中線をなぞって下腹部へとゆっくり向かっていく……
「っ!? 何よ……抱かないんじゃなかったの……?」
そしてそんな指使いに肩をビクリと震わせたラトーナが、それを隠すように小悪魔的な笑みを浮かべて俺を煽る。
俺の中で何かが弾ける音がした。
「あっ、優しく……きゃっ!」
もはや言葉を返す余裕もなく、俺は本能のままに君に触れるのだった。