第208話 披露宴
忙しい時ほど時間の流れは早いもので、家が完成してから既に一週間ほどが経過していた。
「ええと、本日はお集まりいただきありがとうございます」
とりあえず目下のタスクであった披露宴準備を終えてついに本番。
会場は我が家の客間であり、俺は今、ラトーナと共に出席者達の前で開会の挨拶を始めていた。
「えー、ここに至るまで多くの方のご協力、そしてご迷惑をおかけしてまいりました」
普段は騒がしい連中なだけに、こうして無言で聴きいられると結構緊張してしまう。
だが問題ない。挨拶は昨日から考えてちゃんと暗記してきたからな。
「これからもご迷惑おかけしていく事になるかも知れませんが、それを上回る恩を二人で返していけたらなと思っていますので、皆さんとはこれからも良い関係を維持していきたいです」
改めて、ここに至るまでに多くの人に助けられた。
ラトーナと二人ここに並んでいる事だけじゃない。俺自身がこうして無事に立っていられること自体が、奇跡の連続の結果なのだ。
「まあ堅苦しい挨拶はこれくらいに致しまして、俺と妻の、そして皆さんの未来に乾杯いたしましょう!」
そう言ってグラスを掲げて、一同一斉に乾杯を交わす事で披露宴は幕を開けた。
ひとまず挨拶も噛まずに言えたし、開幕は上々と言ったところかな。
「やあ二人とも、改めてご結婚おめでとう」
乾杯を境に出席者達が思い思いに料理を手に取り始めたところで、最初に挨拶に来たのはこの中で一番身分の高いマルテ王子だ。
「ありがとうございます」
「お忙しい中でのご出席に、心からの感謝を」
第二王女派であるリディに付く俺と、敵対する第一王子派閥の筆頭マルテ王子。敵の大将とも言える彼をよくもまあ招いたなと周囲は驚くかもしれないが……正直俺自身も驚いている。
こっちとしては敵以前に、恋愛相談やらなんやらと色々と世話になったからせめてもの礼儀で形式上招待状を送ったわけだが、まさか本当に来るとは思わなかった。
彼は俺が敵対派閥のスパイである事を知っていたし、なにより彼の敵であるリディなんかも出席する旨を記載しといたから、彼の慎重な性格からしてこんな敵の巣窟にむざむざ飛び込むような真似はしないと思っていたのだ。
「そう畏まらずともいいさ、親友の結婚式に顔を出すのは当然さ」
敵地のど真ん中でありながら、護衛の一人も付けずに堂々と振る舞う王子。
額面通りに受け取れば、今回は政治的な意図は無く純粋に友として出席したという風に取れるが……『親友』なんて呼んで特別視していることを強調したことからも、『今の自分に何かあれば不利益を被るのはお前らだ』という意味合いが強いのだろう。
こちらとしても、大義名分無しに王子に危害を加える事は出来ないからな。
「親友とはまた、身に余る光栄です」
「謙遜しないでくれ、君には色々と助けられたからね。それより、土産の酒はどうだい? アスガルズ神聖国南西部の山脈で作られた最高級品を用意したのだけども……お口に合ったかな?」
この人は俺が酒に酔えないことぐらい知っててもおかしくないから、正直嫌味かと勘繰ってしまうが……
いや流石にないな、他の出席者のことも考えてのセレクトだろう。
ここは俺にわかる範囲での賛美を贈るとしよう。
「それなりに高い酒を嗜んでいたつもりですが……世界の広さを知りました。これほどまでに輪郭のハッキリとした香りを放つ酒は始めてです。さながら、農園にでも転移した気分ですよ」
「そうですね。王都で手に入る最上級のお酒を仰いでもせいぜい頭に過ぎるのは裸婦の絵画ぐらいですが……この一口からは雄大な自然に身を投げ出した時のような解放感を得られました。空に溶け込む白銀の山々から吹き下ろす風や清涼なる川のせせらぎ、そこで果実を積む農家とその傍で駆け回る子供達の喧騒が——」
「ら、ラトーナさん……?」
「はっ!?」
なんだか急に語り出したラトーナの肩をそっと叩くと我に帰ったようで、彼女は顔を真っ赤にして口元を隠した。
軽くふざけたら思いの外ノってしまったのだろうが、早くも妻のキャラ崩壊に動揺を隠せない。
「あはははは! 実に素敵な詩だ。社交会で凡庸な常套句ばかり並べる者達に聞かせてあげたかったよ! 手土産も気に入ってもらえたようだし、後が詰まっていそうだから僕からの挨拶はこれくらいにさせてもらうよ」
なにやら満足そうにして喧騒の方へと戻っていく王子。
持ち前のコミュ力もあって、その後は周囲に違和感なく溶け込んでいく。所々引っかかる言い回しはあったが、純粋にパーティーを楽しむつもりのようで一安心。一つ山場を越したな。
「ラトーナに詩の才能があったなんてね」
「次にその話をしたら、これからの生活で貴方は一人で寝る事になるでしょうね」
「大変失礼いたしました」
と、そんなやりとりをしていたら次の挨拶がやってきた。
「久しぶりであるなディン•オード! 此度の祝宴に招かれた事、友として光栄に思うぞ!」
「お久しぶりですねトリトンさん、リッシェ家の一件以来ですか?」
やかましいほどによく通る声と共にやってきたのは、フィノース•リニヤット家当主のトリトン。彼はその立場もあって王子同様多忙なことや、態度の割にサバサバした性格から今回は断られると思っていたので、素直に嬉しい。
「以前は少女と見紛うほどに威厳が無かったが……随分と精悍な顔つきになったな!」
いちいち余計な一言を足しつつも、トリトンはポンポンと俺の肩を叩く。
思えば見上げるばかりだった彼の顔も、いつの間にか目の前にある。彼もなんだかそのことが嬉しそうだ。
「トリトンさんは少し老けましたね。ご子息は健在ですか?」
そう、実はこの男、妻子持ちである。
いやまあ、貴族で二十一歳ともなれば当たり前の話なんだが……ノンデリKYのこの男に限ってはどうしてもその事実を脳が処理しきれない。
ロジーなんかはこの事を知った日には丸一日ショックで黙り込んでいたくらいだ。哀れ独り身。
「はは此奴め、言うようになったではないか! 貫禄がついたと言え貫禄が!」
「よっ、次期当主!」
「全く、相変わらず調子の良い奴だ! ……まあいい、それよりも挨拶が遅れてしまったな、私はトリトン•フィノース•リニヤット、フィノース家の次期当主だ!」
他愛も無いやり取りを俺と交わした後、トリトンはラトーナの方に体を向けて軽く腰を折ってみせた。
「ご丁寧にありがとうございます。ディンの妻となりました、ラトーナ•オードです」
元四大貴族というだけあって、フィノース家であるトリトンに少し警戒の色を見せつつも、ラトーナもぺこりと頭を下げた。
俺としては、この二人の絡みはどうなるか予想できなかったため、かなり興味があったのだが……
「此奴は世間からの評価こそ高いが、何かと至らぬ男だ。貴様が支えてやるといい! これは手土産だ!」
しかし期待は外れ、特段面白い掛け合いもなく、トリトンは祝いの品を渡して去っていった。
ちなみに内容は高級なお茶だったので、ラトーナは喜びながらトリトンのことを出来る男だと評した。まあ実際、仕事は出来る奴だからな。仕事は。
そしてその後も挨拶は続き、ジョージ学長とアセリアの研究室メンバー、リディ達騎士団メンバーとの軽い挨拶を済ませ、最後は俺の同期達がやってきた。
「おめでとさん!」
リオンはシンプルにそれだけ伝えると、故郷に伝わるという祝福のまじないをかけてくれた。
「おめでとにゃ」
そして次はレイシア。俺はヴェイリルの一件で彼女の逆鱗に触れていることもあって、どう接していいのかわからない。正直に言うと話すのが怖い。
「レイシア……えっとその、ごめん。このお詫びはいつか——」
「お詫びなんて表現はやめろバカ。まるで結婚が悪いことみたいに聞こえるにゃ」
「あ、ああ……そうだな」
「これは貸しだから、いつかちゃんと返せにゃ。それとラトーナ」
「なにかしら」
「お茶会、また誘ってくれにゃ……」
照れ隠しなのか、すぐにそっぽを向いて去っていくレイシアと入れ替わりに、アンカーのクロハがやってきた。
「おめでとう」
淡白な物言いではあるが、その表情は昔と比べれば歴然、年相応の女の子って感じの笑顔がそこにある。
「ありがとう。ていうかクロハ、お前いつの間にか背が伸びたな」
再会してからかなり経ってるが、あの時はそういう事に気が回っていなかった。
ちびっ子からお姉ちゃんくらいにはグレードアップと言ったところだろうか。なんとも感慨深い。
なんて思いつつクロハの頭を撫でたが、すぐさま鬱陶しそうに払い除けられてしまった。
いけない、年頃の女の子にこういうことすると嫌われてしまうな、以後気をつけなくては。『ディンの洗濯物と一緒に洗わないで!』なんて言われた日には、俺は立ち直れる自信がない。
「……ねえ、ディンは今幸せ?」
今更身長の話をする俺に呆れたのか溜め息を漏らしつつも、クロハはそんな問いを投げてきた。
全く予想もしない質問だったものだから、少し面食らってしまった。
「そうだな、幸せだ。クロハはどうだ?」
奴隷であったころの苦しみ、母親の仇への憎しみ、母親を助けなかった俺への憤り、なにかと抱えているものが多いクロハだが、果たして彼女は今の生活をどう思っているのだろうか。
「わかんない。でも嫌じゃないよ」
「そうか」
クロハもいつかは結婚したりするのかな、だとするならバージンロードで隣を歩くのは俺でありたいと願うのは贅沢だろうか。
いや贅沢だな、俺にその資格はない。
「クロハ、お前好きな子とかいないのか?」
ラトーナに肘で小突かれたが、なんとなく聞かずにはいられなかった。
いけないな、ウザがられないようにしようと決めたばかりなのに、早速父親にやられたらうざいことランキング殿堂入りの行為をしてしまった……
だって気になるんだもん、どこの馬の骨とも知らんやつにクロハを任せる訳にはいかないんだもん……
せめてルーデルの本気腹パンをくらって立ってられるくらいの男じゃないと認めないもん……
「いない」
しかし、そういった心配は杞憂だったようで、まだクロハにそっちの気は無いようだ。
なんとか鬼族だっけか? ラーマ王曰く、クロハの種族は寿命が長いそうなので焦ることもないのだろう。
「家族がいるんだから、無茶しちゃダメだよ」
「俺は無茶なんてしたことない゛ぃっ!?!?」
冗談のつもりで言ったが、ラトーナとクロハの二人から同時に蹴りを入れられてしまった。
「……わかったよ。肝に銘じておく」
「なにかあったらちゃんと私を頼って。改めておめでとう、これあげる。二人とも手を出して」
「え?」
クロハに促されてラトーナと二人手を差し出すと、彼女はその上におかしな形の果実を重ねてきた。
「あの時も一緒に食べたね」
クロハがイタズラな笑みを浮かべると、ラトーナがハッとしたように目を見開いた。
「そう……アナタがあの時の子だったのね」
あの時、ラトーナのそんな言葉でようやく合点が入った。
この変な形のフルーツはあれだ、昔ディフォーゼの屋敷にいた頃にラトーナとお祭りに行って、そこで見つけた迷子の魔族の女の子(当時脱走中のクロハ)を助ける過程で食べたものだ。
俺達二人にとってはほんの些細な出来事で、今の今までそんなフルーツのことすら忘れていたが……なんとも奇妙な縁だな。
「私、記憶力は良いんだ。だから初めて会った時、ラトーナお姉ちゃんがあの時の人だってすぐわかったよ」
「そう……でもそれならもっと早く言いなさいよ。それこそ会ってすぐの時に」
「それはなんかズルいから嫌だった」
「……それもそうね、英断よ」
何やら二人だけの会話が進んだ後は、他愛もない話に路線が切り替わった。
今回みんなに振る舞った料理はどれも気合を入れていたのだが、クロハはその中でも特にハンバーグが気に入ったらしい。
なんとこの世界、ハンバーグの概念自体はあるのだ。と言っても、一般的にメジャーというわけではなく、一部の冒険者や狩猟民族が作るという感じだがな。なのでジーナスさんにこれを作ってもらう時は説明に苦労したものだ。
「他の料理も全部美味しいよ」
「ふふん、なんたって俺の監修だからな」
幼い頃から、某化学調味料絶許漫画を読んで育ってきた俺だ。前世じゃ自炊してた時期が長かったこともあって飯にはそれなりにうるさいつもりでね。
こだわりの厨房をフルに活かした品々は、現代に比べれば……少し、いや結構劣るが、こっち基準なら絶品の目新しい料理ばかりだろう。
「じゃあ私はもっと食べてくる」
「おう」
話もキリが良くなってきたところで、クロハはフンと鼻を鳴らして意気込みながら料理の方にすっ飛んでいった。
なんか、今まで一番彼女とはスムーズに話せた気がする。過ごしてきた時間のおかげかな? とにかく料理のおかげでないことを祈ろう。
「披露宴、準備には苦労したけど順調ね」
挨拶もひと段落したので賑やかな会場を眺めていると、ラトーナが隣でぼそりとそう言った。
「アナタがジーナスをこき使い始めた時はどうなることやらと思ったわ」
「俺も、ラトーナが買い出しの品を間違えまくった時は嫌な未来を想像したな」
互いにムッとしたのち、笑みを溢す。
ああ……こういう、ちょっとしたやり取りから得られる満足感というのは、存外バカに出来ないものだ。なんならこの一瞬のためだけに、俺は今まで頑張ってきたのかもしれないとすら思える。
「まあでも、たしかに良い披露宴になったね。欲を言えば父さんや母さんも呼びたかった」
他にもアーベスやシュバリエ、ラーマ王だったり、あと一応ヴィヴィアンなんかも呼びたかったが、距離が離れすぎていたり所在がわからなかったりで叶わなかった。
その点を除けば、最高の形と言えよう。このまま何事もなく順調に——
「やっ、やめてください!!!」
なんて思った矢先、客間に女の怒声が響き渡った。
誰かと思って声のした方に目を向けてみれば、そこには口元を押さえているアセリアがいるではないか。話し相手はレイシアか、態度を見るに、思った以上に大きい声を出してしまって自分でも驚いているのだろう。
「どうかされましたか?」
俺が近寄るなり、まるで悪戯がバレた猫のようにそそくさと逃げおおせるレイシアと、方やビクりと肩を揺らすアセリア。
どうやら本当に何かあったようだな。
「ああディン君ごめんない、なんでもないですよ」
「えっ、でもレイシアが何か粗相をしたとか……」
「大丈夫です、本当に。お騒がせしてすみません。もう解決しましたので」
アセリアが頑なに俺の介入を拒んだので、それ以上追求することは出来ず、ひとまずレイシアに騒ぎを起こすなと注意だけして事なきを得た。全く、アセリアにあんな声を出させるって何したんだよ。
とまあ、一瞬不穏な空気が漂ったものの、その後の披露宴はツツがなく進行していった。
結婚ムードに当てられたのか、リディの腕に纏わりついてアプローチを図るルーデル。その傍で酒をガブガブ浴びるロジー。
クロハと大食い対決を初めて負けるリオン。
今回呼ばれた有力な商人といつの間にか仲良くなっていたセコウ。
急に意気投合して楽器の演奏を始めるトリトンとマルテ王子。
眺めているだけのこちらとしても、中々飽きないものだった。
そして最後は、泥酔したロジーがトリトンの伴奏に下手くそな歌をつけて唄い始めたところで喧嘩が始まり、その仲裁ついでにお開きとなった。
ーーー
時間は移り、披露宴の片付けも終わった夜。
昼間の残り物を夕食として食べたあと、入浴を済ませた俺とラトーナは寝室のベッドに飛び込んだ。
「「疲れた……」」
俺もラトーナもあまり騒がしいのは得意じゃない。これでも社交場慣れしている方だったのだが、主催ともなればまた違う疲れが出てくるものだな。
「でもあれね、毎日お風呂に入るという文化も案外良いものね。なんだか心地よいわ」
「まあ正直、毎日入るの面倒だけどね。日本でもそういう人の方が多かったよ。ほら、頭貸して」
「ん。じゃあいつものお話お願い」
手招きすると、ラトーナがズイズイとベッドの上を移動して、俺に体重を預けて頭を差し出してくる。
これがベッドに上がってからの恒例行事。俺が彼女の髪を解かす間に前世日本の話をするのだ。テクノロジーだったり、文化だったり、物語だったり、日によってそれはもう色々だ。
魔力の存在しない世界の話はまさにファンタジーのようで、ラトーナはそれを一日の締めくくりとして酷く気に入っている。
そしてご機嫌モードの彼女は少し甘えん坊になるので、俺にとっても至福の時間だ。
「——はい、おしまい」
今日は地球人類の兵器の変遷を語ったところで一区切り。
部屋の明かりも消して、揃って布団に潜る。
「今日のパーティー、できて良かったわ」
「改めてどうしたの」
「貴方がどんな人達と旅をしてきたのが見れたからよ。楽しいことばかりじゃなかったろうけど、私もあんな人達と旅をしたかったわ」
昼間の様子を思い浮かべているのか、遠目をしてそう言うラトーナの手を握った。
「これからしようよ、ラトーナも一緒に。もう自由なんだからさ」
そう提案すると、ラトーナは静かに微笑んで、俺の頬にキスをした。
「そうね、おやすみ」




