第203話 伝えたいこと
目が覚めて最初に視界に映ったのは、ラトーナの顔だった。
そうか、この暖かくて柔らかい感覚は彼女の膝枕か。ありがたや……願わくば素足を堪能したいところだった。
「ここは……?」
見たところ、またもや知らない天井だ。
「城の診療所よ。貴方が急に倒れたものだから、ランドルフが運び込んでくれたの」
そんな問いに、ラトーナは俺の頭をそっと撫でながら答えた。
何だこのプレイ、新たな境地に目覚めそうだ。
「へぇ、アイツがねえ……」
まあプレイはさておき、そういえば地下牢から出る時も世話になったな、癪だがあの革命家には後でしっかりと礼を言おう。
「疲労と貧血ですって。腕以外は治療が済んだけど、疲れは完全に取れないだろうからしばらくは寝ていろとのことよ」
やっぱり無くなった左腕は戻らないか。
たしか欠損しても取れた部分の腕があれば超級魔術でくっつけられるらしいが……俺の場合は粉々の肉片になっちゃったから、英級……もしくは災級治癒魔術じゃないと治らないってことかな?
でも災級どころか英級治癒魔術師なんて会ったこともないから、もう治らないって考えた方が良いのかもしれない。
後悔はないが、この先凄い不便だな……
「わかった……あ、そうだ。アインやリオンはどこ?」
それより、世話になったといえばあの二人もだ。
俺が倒れたあと、彼らはどうしたのだろう。
「街の宿に戻ると言って城を出て行ったわ。調子が良くなったら戻ってこいですって」
「そう……ていうか、俺どのくらい寝てた?」
「三時間ほどかしら? ぐっすりよ」
「その間ラトーナは何してたの?」
「ずっとこうしてたわ」
慌てて体を起こした。
三時間も膝枕をしていたとなれば、足が痺れるだろう。悪いことをしたな……
「ごめん、疲れてたでしょ? 今治癒魔術をかけるから」
「いいわ、このくらいのことで」
「まあそう言わず」
遠慮するラトーナを押し切って治癒魔術をかける。
彼女は普段我儘だが、変なところで遠慮がちになる。痣でも出来てしまっては大変だしな。
「……ありがとう、来てくれて」
ベッドに腰掛けたラトーナの足に治癒魔術をかけ終えると、彼女は照れ臭そうに足をぶらぶらと揺らしてぼそりと呟いた。
「あの時、君の心の声が聞こえたから」
そう、あの日……ラトーナが俺の前から去った二年前のあの時、彼女は口で俺を突き放す反面、心で『助けて』と訴えかけてきた。
たったそれだけ伝えられて、当時は結婚式の存在を知るまで何をどうすれば良いのか理解できずに苦悩した日々を思い出す。
まあそれはさておき、だ。
「でもあのやり方はよくないと思う」
ディフォーゼから俺を庇いつつ助けを求めるためにそうした……といえばそれまでだが、それは俺が『読心の加護』を発動しているのが前提条件だ。
「もし俺が君の力を上手く発動できてなかったら、どうするつもりだったんだ」
そもそも、譲渡直後でああして発動出来ていたことが奇跡なんだ。
実際、力の存在に気づいたのはその時彼女の声を聞いたのが初めてなんだから。
「……貴方が心を読めなかったのなら、諦めるつもりだったわ」
ラトーナは俯いて腕を抱きながらそう言った。
そして声を震わせながら、続けた。
「貴方を危険に晒したくなかった……本当は、あの時力も渡さずに消えるつもりだったのよ」
拳を握って肩を震わせる彼女の太ももに、水滴が一滴、二滴と落ちた。
「なのに……! 貴方が我侭で良いって言うから! 諦められなくなっちゃったのよ……!」
自分の中で抑えていたものが溢れ出したのか、顔を上げた彼女は鼻先を赤くしてボロボロと涙を溢していた。
すぐに彼女を抱きしめると、ポカポカと背中を叩かれた。
「こんなボロボロになっで……なによ! 自分が一番大事なんじゃながっだの!」
「……大事だよ」
でも、一番が一つだけとは限らないだろう。おかしな話だがな。
「さっき倒れた時、すごいびっくりしたんだがら! 死んじゃっだがもっで……!」
「ごめんね」
「わ、私のせいでっ……ディンが死んじゃっだら私っ……うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁんん!!!」
とうとうラトーナは声を上げて泣き出した。
今まで何度か喧嘩して泣かせてしまったことがあるが、こうして子供みたいに泣き喚く彼女は初めて見たので少し驚いた。
そして同時に、俺はそれだけ彼女を不安にさせてしまったのだと、己の無力さを痛感した。
結局、身一つで彼女を助けることもできなかったしな。
「ごめん、ごめんな……」
ーーー
ラトーナはしばらく俺の腕の中で泣き続けた。
今まで自分を抑えて、年齢に見合わぬ振る舞いをしてきた反動が来たかのように泣いた。
そして十分ほどが経過した頃か、ようやく彼女は落ち着いた。
「よしよし」
「子供扱いしないで」
頭を撫でたらその手をピシャリと跳ね除けられた。
子供扱いって、だって俺らまだ十三……いやもう十四か。
ついこの間まで九歳だった気がするのに……あっという間だな。
って、いやいや違う。
俺が考えてたのはそんなことじゃないだろう。
「ラトーナに二つ、伝えなきゃいけないことがある」
ラトーナがしっかりと胸の内を語ってくれたのだから、俺も良い加減自分の秘密を話さなければならない。
「なに?」
「あ、あのさ……えっと、なんて言えばわからないんだけど……」
いざ説明しようとすると、言葉に詰まる。
前世の記憶があるなんて、そのまま言って伝わるのだろうか。
いやそれ以前に、キモがられたり幻滅されたりしないだろうか。よくも騙したなとか言ってぶん殴られたら、俺はもう立ち直れない気がする。
「なによ」
「あ、あれだよ。ほ、ほらその、き、記憶がね……? あると言いますか……」
言え、言うんだ俺。じゃないと次のステップに進めな——
「ああ、前世の記憶がどうとかってやつね?」
「ふぁっ!?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
聞き間違いだろうか、今、前世の記憶って言った?
「え、知ってたの……?」
「ええ」
「いつから……」
「出会って二週間くらいの時かしら」
めっちゃ最初じゃん。
もう、初期も初期じゃん。
いやまあ、もしかしたらバレてるかもとは思っていたけど……
「え、よく平然と絡んでたね……気味悪くなかった?」
「前世の記憶を引き継いで生まれてくる『神子』の存在は本で知ってから、特に驚くことはなかったわ。貴方は別の世界から来たから『神子』とはちょっと違うのだろうけど……まあ珍しい毛色の猫に会ったようなものね」
「猫って……」
何か凄い軽く認識されてるな……
でも気持ち悪がられるより良いか。
「そんなことを伝えたかったの?」
「うん。それとあと一つ」
「なに?」
首を傾げる彼女の前で片膝をつき、その手を取る。
「ラトーナのことが好きだ。結婚してほしい」
今度は言葉に詰まらず、真っ直ぐ目を見て伝えた。
こんな他所の城の病室で、ムードも捻りも何一つないけれど、今伝えたかった。
もたもたしていては、また彼女がどこかに行ってしまう気がしたのだ。
「家もないし金もあんまり残ってないけど……この先色々苦労かけるかもだけど、最後は絶対満足して死ねるような人生にするって約束する。だからずっと隣にいてほ——うぉっと!?」
ラトーナに飛びつかれて、二人揃って床に倒れ込んだ。
重なる彼女の体から、激しい鼓動が伝わって来る。
「好き……私だって好き……」
「それは、オッケーと受け取って良いのかな……?」
そう尋ねると、ラトーナは俺の胸に顔を埋めたままこくりと頷いた。
ラトーナと結ばれた。その事実を前に、言葉に出来ないほどの喜びが込み上げてきて思わず頬が緩んだ。
「おめでとう」
「ふへへ、ありがとうございます」
ほら、頭上から祝福の声が聞こえた。
おお、神も俺達の結婚を……
「きゃっ!? ラルド叔父様!?」
「えっ!?」
悲鳴を上げて飛び上がったラトーナに釣られて俺も飛び起きる。
本当だ、部屋の入り口にラルドが立っているではないか。
なんだよ全然神の祝福じゃなかったわ。アラサーの祝福だったわ。子供は救世主になるかと思ったのに……
「いつからいたんですか……」
「…………今きた」
なんだその不自然な間と、付き合いたてのカップルみたいなセリフは……
え、どこ? まさか前世云々の話も聞かれてた?
「なんの御用で、しょうか……」
恐る恐る尋ねると、ラルドは頭をぽりぽりとかいて言った。
「お前と話に来た」
ーーー
病室のベッドにラルドと二人、並んで腰掛ける。
ラトーナは気を遣ってくれたようで、一旦部屋を出て行った。
「「……」」
そこからかれこれ五分、会話は一度たりとも交わされないまま、静寂が続いている。
ラルドは未だ喋る気配も出さぬまま虚空を見つめているようなので、諦めて俺から切り出した。
「その、さっきはありがとうございました。父さんが来なきゃ今頃あの金鎧に殺されてました」
「ああ」
「どうして急に助けてくれたんですか?」
最初に会った時は問答無用で俺を気絶させられたが……一体どういう風の吹き回しなんだか。
「言ったままだ」
「えっと、晴れ舞台がどうとかって?」
「そうだ。俺も、ああしてディフォーゼの家に殴り込んだからな」
「ああ、そうでしたね」
ヘイラとの結婚が認められなかったから、木刀片手に正面からディフォーゼ家にカチこんだ話な。
今思えば、あれほどの精鋭魔術師が揃っている家に乗り込んでよく勝てたなとは思う。特にあの爺さんだ、あれはヤバかった。
少し話がそれたが、要は過去の自分に重なったから助けてくれたわけね。
「お前はこれからどうするつもりだ」
「えーっと、今日のうちに宿に戻って、数日後にはミーミル王国に戻るためここを立ちます。リディが戻ってこいとカンカンに怒ってるんで……」
「そうじゃない。アインのことだ」
「あ、そういう……えっと、アインとは友達のままでいることになりました……」
何で罪悪感を覚えてるんだ俺、もう終わったことだろう。
良い加減気持ちを切り替えないとアインにもラトーナにも失礼だろうが。
「そうか」
ラルドは特に表情を変えることもなく、そう一言だけ返した。
怒られるかと思ったけど、少し予想外……いや、そんなことないな。この男は結構放任主義だ。正直子供にも興味があるのかないのか、イマイチわからんしな。
「帰りにアデイユ領を通るなら、ディフォーゼの屋敷に寄れ。母さんがお前の顔を見たがってる」
「あっ、はい……」
そうか、ヘイラともかれこれ五年近く会ってないもんな。心配をかけていると聞くし、なんかお土産でも買っていこうか。
「でも、俺屋敷に入って平気ですかね?」
「問題ない。アーベスが許した」
アーベスが許したね……そう言えばあの人はこの国に来ているのだろうか、式場には見かけなかったが……
ああでも、ラルドがいるならいるか。
「いやでも、アーベスさんの一存じゃ……」
「当主のアイツが言ってるんだから平気だ」
「え、アーベスさん当主になったんですか!?」
「クソジジイがさっきの戦いで死んだからな。息子のアイツが引き継いだ」
あっ、そうか。
そもそも当主のスペクティアを殺ったのは俺達じゃないか。そりゃそうだ。
でも殺したことは黙っておこう……なんかバレてなさそうだし。
「わかりました、帰りに寄ることにします。父さんはこの後どうされるんで?」
「俺はしばらく残る。アーベスが色々やる事があるそうでな」
「そうですか。伝言があるなら預かりますが」
「ない。じゃあな」
淡白にそう言うと、ラルドはベッドから立ち上がって部屋の出口に手を掛け、最後に『じゃあな』とだけ残して瞬間移動か何かで消えてしまった。
「早いなぁ」
病室にポツンと一人残されて、真っ先にそんな言葉が出た。
一応俺たち親子なんだけどな、もっと積もる話とか無かったのか……なんかサバサバしすぎじゃないか?
まあでも、前会った時みたいにギスギスはしてなかったからそれだけで良いか。
うん、ラトーナの話じゃラルドは口下手だと言ってたしな。
「ん〜ッ! さて、帰るか」
ベッドから立ち上がって背筋を伸ばす。
身体もだいぶ良い感じだし、ラトーナを連れてクロハ達の宿に戻ろうか。
みんなにも、色々とお礼を言わないとな。
ーーー
「うおえぇぇぇッッッ!!!!」
宿に戻った後、すぐさま俺達は帰り支度を始め、その翌朝にはミーミル王国に向けてヴェイリル王国を北上し始めた。
「それにしても、随分慌てて帰るんだな」
「王政が滅びたわけだからにゃ。いかに行政の系統に乱れがなくとも、国民は混乱に陥ってしばらくは治安が悪化するにゃ」
「おぇぇぇ……」
「他にも、この機を狙ってミガルズ共和国やアスガルズ神聖国が攻め込んでくるだろうから、軍備増強で物価も上昇するでしょうね。道中で買う食糧が高騰する前にさっさと帰ろうという、レイシアの合理的判断よ」
馬車の荷台から青空を眺めながらそう口にすると、レイシアが溜息混じりに応え、ラトーナもそれに頷いてツラツラと語り出した。レイシアが満足気な顔をしているので、御名答なのだろう。
さすがミス•クレバーとミセス•クレバー、色々と通じるところがあるらしい。
「うっ、うぷっ! おえええええええ」
「ランドルフのやつ、そんなとこに残ったのかよ……」
今回は色々世話になったアイツだが、どうやら学園には戻らないらしい。
まあ元々人質的な立ち位置で学園に入っていたので王国が滅びた以上その義理もないらしい。
ラトーナ達の言う問題のために、これからは革命の旗頭として東奔西走するのだろう。
「寂しくなるだろうにゃ。おみゃーに事あるごとに突っかかってきた奴が居なくなるのは」
「いや別に、俺はアイツそんな好きじゃなかったからどうでも良いかな。むしろ寂しいのは……」
「……もうアインのことは忘れろにゃ。死んだわけじゃないんだし」
そう、アインは俺達と共に帰らない。
彼女は昨日の深夜のうちに、置き手紙一つを残して宿を立ってしまったのだ。
なんでも、自分で色々見つめ直すことが出来たので、旅に出るそうだ。
絶対嘘だ。
どう考えても俺のせいだ。
だってもし俺がアインだったら、自分が好きな男と別の女との結婚生活なんか見たいはずがない。
俺が彼女の——
「……私が、彼女の居場所を奪ってしまったのね」
俺がまさに言おうとしたことを、隣に座るラトーナが口にした。
慌てて彼女の肩を抱き寄せて、そんなことはないと首を振る。
「悪いのは俺なんだ。きみが責任を感じることはないよ」
「そもそも一夫一妻なんて決まってるのはヨトヘイムやヘルイム王国くらいにゃ。おかしいのはアイツにゃ」
「そう……かしら……」
「おろろろろろろろろおぇぇぇぇ!!!」
「ああもう! さっきからうるさいにゃ筋肉ゲロエルフ!!!」
しんみりした空気にも構わず馬車酔いで吐き続けるリオンを、レイシアが容赦なくぶっ叩いた。
「汚いし馬車から捨てようよ」
クロハに至ってはかなり酷い対応だ。
ゲロ音のせいで昼寝ができなくてイラついているらしい。
「……ぷっ、ふふっ、あははははははは!!!」
だがそんな様子を見ていたラトーナは、腹を抱えて泣き笑いし出した。
アインの手紙を読んでからと言うもの、かなり思い詰めているような表情を見せていたが、ようやく笑ってくれた。
やるじゃないかゲロエルフ。
「リオンこっち来い、治癒魔術かけてやる」
「おお……珍しくディンが優しい……」
「ちょっとした礼だ。一千万ギルな」
「うぅ…………出世払いで」
そうだな……アインは去ってしまったが、死んだわけじゃない。レイシアの言う通り、また会うことも出来るだろう。きっと強くなっているだろうから、俺も負けないように一層修行を重ねよう。
そしてラトーナが戻り、結婚することも出来た。きっとこれから、あんなことやこんなことも……
うん、上出来ではないだろうか。
きっとこれから仕事の問題だったり、子供の問題だったり、色々苦労することになるんだろう。
ここに来るまでにたくさんの他者を踏み躙ったそのしっぺ返しが来ることもあるだろう。
それでも何故か、今の俺なら大丈夫な気がする。
決して無敵の強さがあるわけでもないし、前世と比べて真っ当に変わったとは言い難いが、それでも確かに俺は成長していると思う。
なにも、前世の悪いところを治すのが成長とは限らない。俺が目指していた精神性を持つアルバートは死んだわけだしな。
ここは前の世界とは違うのだから、また違った方向に進んでいけば良いのだ。
今度こそ、正しいを突き通して生きていけるように、全力で。
本来、第二の人生などありはしないのだから。
ヴェイリル事変 ー終幕ー
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
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それでは。




