第22衝 罰一の鑑連
主人の離縁を伝えさせられるというのに、書状一つ渡してくれない鑑連、上機嫌に呟く。
「御先代からの宿痾はこれで全て片付くというもの……クックック」
悪鬼面の主人を見て、ここまで無慈悲になれる人もそうはいない。何が、彼を、そうさせたか、とついに感慨深い感情を胸に宿す備中であった。
入田家から入った妻を、鑑連は離縁するのである。しかも離縁を自分で言い渡すのではなく、近習の口から伝えさせるという冷酷なやり方で。確かに子供ばかりか会話もなく、夫婦仲は冷え切っていた。入田家が逆徒として追放されている以上、戸次家に全く利益を齎さない縁組であるのは確かだ。だが、と備中は思う。
「入田家没落は殿が仕組んだ事ではないか。父が処刑され、兄弟が豊後を去った今、奥方様にとっては頼れるのは殿だけだったろうに……」
しかし、だ。同情してどうなる。どうもならん。ならば指示通り、処理するのみか。
「と、殿のご意向をお伝えいたします」
騒がず、喚かず、泣きもせず備中が言葉を聞いた奥方は、静かに承知した。その振る舞いは今を生きる婦人の鑑だ、と感動を深める備中。そして、入田の方は鑑連の帰還前に、寂しく館を去った。
「哀れだな……あの人は何処へ行くのだろう」
僅か一人の侍女と共に去りゆく女性の背は、胸が切なくなるほど頼りなげであった。この事を、森下備中は死ぬまで忘れられなかった。
御台所不在の戸次邸。彩りや歓声、生の気が失せた様に、備中には感じた。夕暮れは孤独を煽っているかのよう。
「……」
森下備中、ふと弾かれたように走り出した。主命も重要だが、同じ様に、もしくはそれ以上に尊重せねばならない事もあるのであるまいか。
―それは天道の徴である。
ふと、そう宣う石宗の顔が脳裏に浮かんだ。それが天道であるならば、懸命に走るこの先に何が待っていようが、胸を張って生きていけるのではないか。
日の沈む前。備中は府内の東郊外で入田の方に追い付いた。
「奥方様……」
だが、もうその名に相応しくない、と顔を隠した奥方に代わり、侍女が間に立つ。
「では入田の方様。こちらをお持ちください」
備中は金の入った袋と菓子の入った袋を侍女に渡す。
「と、殿からの御餞別です」
本当は自分の財布の有金なのである。菓子も、自分で食べてみたかった南蛮渡来の金平糖だ。これが備中にできるせめてもの施しの限界であった。
戸惑っていた侍女であったが、入田の方が備中を向き、幽かに微笑んだ。礼を述べている様子だ。
あれこれ余計な言葉は不要だろう。口が達者な性分でもない。一言、どうかお達者で、と備中は強い調子で息を発すると、そのまま背を伸ばして府内へ向け歩み始めた。
入田の方には兄がいる。すでに大友家を追放されているが、きっとどこかで健在なのだろう。あの道を強く歩み、兄を頼って行けば、まだ生きていける。そうではないか。今よりも幸福になれるかもしれない。同情も不要だ。ある日突然父を殺され、実家の名望失墜し、嫁ぎ先で腫れ物のように扱われるよりずっと良い事ではないか。
ここまで懸命に後ろを振り向かずに町の方へ歩んできた森下備中、強い武士ではないから、後ろを振り向いてしまう。もう、入田の方が見えるはずもないのに。
夜の漆黒をしばらく見つめていた備中は、また戸次邸への帰路についた。




