第1章・列車と炎
車内は明るく照らされていたが、不思議と静まり返っていた。
散発的な会話の声はごく小さく抑えられ、多くの乗客はただスマホを見つめたり、座席にもたれて目を閉じて休息を取ったりしていた。
荷物は棚に整然と並べられていた。
電子広告画面には、大阪の観光や商業広告が次々と映し出されていた。
JRの列車は微かに揺れている。
車輪がレールを転がり、低く均一な音を立てている。まるで、決して止まることのない機械的なリズムのようだ。
私は荷物を引きずりながら車内へ進み、その間、携帯電話を耳に当てた。
スマホの画面には、先ほど署名を終えたばかりの電子契約書のページが表示されたままだった。
一番下には自分の名前が記されている。
山崎与二
「もしもし、うん、僕だよ」
「安心してください。今回の交渉は順調で、契約はすでに締結済みです。」
電話の向こうから、すぐに母が安堵したような声が聞こえてきた。
「そうよ、そうよ、わかってるわ。」
私は声を潜めて笑うと、窓際の席に座った。
「大阪には二日ほど滞在してから戻ります……何か持って行きたいものは? いや、家には何でも揃ってるから、ただ自分で何か買って帰りたいだけなんです。」
窓の外の夜景がゆっくりと後退していく。
遠くの山影がガラスの外をちらりと通り過ぎていく。
車内は相変わらず穏やかだ。
あまりにも馴染み深くて、ほとんど意識することさえないほどだ。
「兄貴は戻ってきたか?」
うん、それならよかった。会社を彼に任せてからずっと順調だったじゃないか。
私は窓の外を過ぎ去る夜景を見つめ、微笑んだ。
彼がいれば、君たち二人も少しは楽になるだろう。
「わかったよ、わかった。」
電話の向こうでは、まだ何かをべらべらと話しているようだ。
しかし、私はふと気が散ってしまった。
無意識に視線を窓の外へ向けると、
いつの間にか空は暗くなっていた。
遠くで。
大群の鳥たちが、突然森の中から飛び立った。
飛び立つ方向はバラバラだ。
まるで何かに突然驚かされたかのようだ。
私は少し呆気にとられた。
胸が妙に締め付けられるような気がした。
言葉にできない不安が、突然胸の奥からゆっくりと込み上げてきた。
理由はない。
それでも、息が詰まりそうなほど重くのしかかってくる。
「……大丈夫、私が考えすぎただけかも」
私は小声でそう呟いた。
電話の向こうを慰めているのか、それとも自分自身を慰めているのか、自分でも分からなかった。
電話を切った後。
車内は再び静けさを取り戻した。
誰かがそっと新聞をめくっている。
誰かが座席にもたれかかって眠り込んでいる。
頭上から、落ち着いた放送が流れてくる。
「次の駅は――」
放送が途切れた。
突然、一瞬の沈黙が訪れた。
その直後。
チン――
車内放送が再び鳴り響いた。
ただ、今回は明らかに口調が慌てたものになっていた。
「瀬戸内海地域で地震が発生し、小規模な津波の恐れがあります。列車は緊急停車いたします。乗客の皆様は係員の指示に従い、秩序を持って臨時避難場所へ移動してください――」
車内にようやくざわめきが生まれた。
「地震?」
「本当かよ?」
「津波?」
イヤホンを外す人もいた。
電話をかけ始める者もいた。
相変わらず呆然とした表情でその場に座り続けている者もいた。
列車が減速し始めた。
窓の外で、それまで滑らかに後退していた夜景が次第に止まっていく。
私はふとスマホに目をやった。
電波が途切れ途切れだった。
画面の右上隅が絶えず点滅している。
ますます居心地の悪い感覚が、じわじわと湧き上がってきた。
何かがおかしい。
どこがおかしいのか、はっきりとは分からない。
ただ、何かがおかしいのだ。
列車はついに臨時駅に停車した。
係員が手を振りながら人々を誘導していた。
「慌てないでください!」
「シャトルバスで皆さんを岡山市へ避難させます!」
夜風がホームに吹き込んだ。
空気にはかすかに湿った土の匂いが漂っていた。
遠くの山林は真っ暗だった。
私は荷物を引きずりながら、人混みに続いてシャトルバスに乗り込んだ。
車内の雰囲気は明らかに重苦しかった。
地震について小声で話し合う人もいた。
スマホのニュースを何度も更新する人もいた。
運転手は年配の男性だった。
バスを発進させながら、後ろに向かってこう叫んだ。
「皆さん、ご安心ください。私はここで30年も運転していますから、大丈夫です。」
そう言って、彼は笑った。
「でも不思議だな。この辺りで、これほど長い間、津波の話を聞いたことがほとんどないんだ。」
誰も返事をしなかった。
バスはゆっくりと山道へと入っていった。
窓の外はますます暗くなっていった。
山々が押し寄せるように道路の両側に迫ってきた。
その時――
ドーン!!!
頭上から突然、轟音が炸裂した!
バス全体が激しく揺れた!
「ああ――!!!」
悲鳴が瞬く間に車内を切り裂いた。
私は全身を前方に激しく投げ出され、額を座席の縁に強く打ち付けた。
次の瞬間。
外からさらに恐ろしい轟音が響いた。
まるで山全体が崩れ落ちているかのようだった。
砕けた岩が降り注ぐ!
ガラスが炸裂する!
土埃と泥が車内に猛烈な勢いで押し寄せてきた!
泣き叫ぶ者。
必死に後ずさりする者。
助けを求めて叫ぶ者もいた。
世界は完全に大混乱に陥った。
私はほぼ本能的に頭を抱え、座席の脇に身を縮めて固まった。
耳元には轟音ばかりが響いていた。
どれくらいの時間が経ったのか。
音はようやくゆっくりと止んだ。
残ったのは、途切れ途切れの泣き声だけ。
そして、荒い息遣い。
私は辛うじて目を開けた。
世界は不気味なほど静まり返っていた。
腕に鋭い痛みが走った。
下を向いてみると。
すでに数か所、切り傷ができていた。
服も血まみれだった。
自分のものなのか。
それとも他人のものなのか。
「……まだ生きてる。」
私は歯を食いしばり、歪んだドアからゆっくりと這い出した。
夜風が顔に吹きつけた。
空気は埃と土の匂いで満ちていた。
外は荒廃していた。
山が崩れ落ちている。
道路は断絶している。
遠くには、かすかに燃え盛る炎が見える。
それ以外には。
何もない。
サイレンの音もない。
救助の気配もない。
街の明かりもない。
あるのは風の音だけ。
そして漆黒の山林。
その場に立ち尽くしていると、突然、極めて見知らぬ感覚が湧き上がった。
まるで――
世界全体が突然、空っぽになったかのようだった。
遠くに。
古びた小さな祠がぼんやりと見える。
炎の光が微かに揺らめいている。
私はそこを数秒間見つめた。
結局、重だるい体を引きずりながら、一歩一歩、そこへ向かって歩き出した。
————————
意識が途切れ途切れになり始めた。
いつ倒れたのかも分からなかった。
目を覚ました時。
空はすでに薄明るくなっていた。
耳元に低い話し声が聞こえてきた。
「おい、若者、起きろよ」
誰かが私の頬をポンポンと叩いた。
私はハッと目を見開いた。
二人の男が目の前に立っていた。
粗末な服を着て。
ズボンの裾は泥まみれ。
腰には薪切り包丁が差さっている。
彼らは極めて奇妙な目つきで私を見つめていた。
まるで何か危険な物を見るかのように。
「……ここはどこだ?」
私は無意識に口を開いた。
すると二人は顔を見合わせた。
そのうちの一人が声を潜めて言った。
「阿吉、こいつの着ている服、妙に古風だな。」
もう一人はしゃがみ込み、私の上着を引っ張った。
「こいつ、この辺りの人間には見えないな」
「最近、あちらの山の方、落ち着かないらしい……」
まさか、三村家から送り込まれたスパイか
私は一瞬、呆気にとられた。
日本語だ。
でも、どこか違う。
妙な感じがする。
東京のようでもなく、関西のようでもない。
私がこれまで耳にしたどの方言とも違う。
発音の中には、明らかに古風な響きさえある。
まるでテレビドラマの時代劇の台詞が、突然現実になったかのようだ。
私はなんとか体を起こした。
「待って、私は――」
言葉が終わらないうちに。
その男は突然、一歩後ずさった。
表情が一瞬で警戒色に変わった。
「とりあえず縛っておけ!」
場の空気が一瞬で変わった。
もう一人の男はすでに棒を手にしていた。
胸がざわついた。
おかしい。
まったくおかしい。
これは救助隊じゃない。
撮影クルーでもない。
ましてや、私が知っている現代社会などではない。
私は無意識に後ずさった。
頭の中は混乱していた。
辺鄙な山村?
悪戯?
撮影現場?
だが、あの連中の服装、訛り、目つき――
まるで演技のようには見えない。
「捕まえろ!」
棒が猛然と振り下ろされた!
私はほぼ本能的に身をかわし、振り返って神社の門を飛び出した。
足が滑った。
泥の中に転げ落ちそうになった。
山道はぬかるんでいた。
朝霧が立ち込めている。
風が林の間を抜け、冷たい湿気を運んでくる。
背後から足音がどんどん近づいてくる。
「逃がすな!」
「追え!」
私は必死に山の上へと走った。
呼吸はどんどん乱れていく。
心臓は破裂しそうなくらい激しく鼓動している。
頭の中には、ただ一つ、極限まで混乱した考えだけが残っていた。
――この世界、おかしい。
いや。
もしかすると。
私の元の世界が、もう消えてしまったのかもしれない。
風の音が耳元を掠める。
遠く。
朝霧の中を川がゆっくりと流れている。
灰白色の空の光が水面に映っている。
山並みも霧の中から少しずつ姿を現してきた。
かすかに。
山頂で人影が揺れているのが見えるような気がした。
それとも、ただの錯覚なのかもしれない。
じっくりと見極める暇などなかった。
なぜなら今、
そこが、私が逃げられる唯一の方向だったからだ。




