第2話 不器用な距離
翌日のお昼休み。
約束通り、私は詰所の裏にある小さな庭園へと向かった。
そこは普段、激務に追われる騎士たちがめったに立ち寄らない、隠れた穴場スポットだ。
そこに、約束の15分前だというのに、すでにガチガチに緊張した面持ちでベンチに腰掛けているアレクセイの姿があった。
……というか、彼の前にあるテーブルには、すでにすっかり冷めきって湯気の消えた紅茶のカップが二つ。
おまけに、緊張のあまり彼が何度も座り直したのだろう、制服のズボンには細かいシワが寄っていて、ベンチの周りだけ不自然に土が踏み固められている。
「お待たせしてしまいましたか? アレクセイ様。」
「あ、エリーゼ殿! いや、今来たところだ! ま、全く待っていない!」
私が声をかけると、アレクセイ様は弾かれたように立ち上がった。
姿勢を正して敬礼しそうな勢いだ。
今来たと言いつつ、冷えた紅茶がすべてを物語っているのだが、本人が必死に言い張る姿がなんだか微笑ましい。
相変わらず、私と視線が合うだけで耳の根元まで赤くしている。
本当に初々しいというか、女性が苦手なのだわ。
「席を空けておいた、どうぞ!」
彼が手招きしてくれたベンチの机の上には、王宮お抱えの高級菓子店の紅茶とクッキーが綺麗に並べられていた。
アプリコットジャムがのったクッキーと、ミルクチョコレートがのったクッキーの2種類の詰め合わせ。
事務方の安月給ではまず口にできない上に、入手困難でコネが無ければなかなか口にすることができない代物だ。
お茶が冷めてしまっているのを察したのか、彼は慌てて魔法具の温熱器を起動させている。
「わあ、美味しそう。ありがとうございます。でも、書類の書き方を教わるだけなのに、こんなに気を使わせるような真似をなさなくても……。」
「い、いや! 君の貴重な時間を奪うのだから当然だ! それに、君が、甘いものが好きだと小耳に挟んだから……口に合えばいいのだが。」
緊張のあまり、クッキーを掴む彼の手がわずかに震えている。
けれど、私がお茶を一口飲んで美味しいと微笑むと、彼はまるで世界を救った大英雄のような、弾けるような笑顔を見せた。
それからの時間は、驚くほど穏やかだった。
アレクセイ様は不器用ながらも、私を退屈させまいと、士官学校時代の過酷な訓練の話や、故郷の領地での話を一生懸命に話してくれた。
……あれ? 事務仕事の質問はどこへ行ったのかしら。
解けない数式の話をするように大真面目な顔で、けれど楽しそうに自分の生い立ちを話してくれる初々しい姿勢は、見ていて純粋に微笑ましい。
私の知っている男性という生き物は、もっと傲慢で、自分勝手で、女を自分の引き立て役としか思っていない生き物だったはずなのに。
「エリーゼ殿は、本当に聞き上手だな。書類の処理も手際が良いし……君と話していると、その……すごく落ち着くんだ。」
「それは良かったです。私も、アレクセイ様とお話しできて楽しいですよ。士官学校の話も、とても新鮮です。」
「……あ。あの、その……。」
急にアレクセイ様がもじもじとし始め、膝の上で拳を握りしめた。
「お願いなのだが、『アレクセイ様』ではなく……『アレクセイ』と、呼び捨てにしてほしい。駄目だろうか?そして、私も呼び捨てで呼んでもいいだろうか?」
上目遣いで、縋るように私を見つめてくる。
普段は大型犬のようなのに、こういう時だけずるい捨て犬のような顔をするのだ。
(なるほど。士官学校出身のエリートと、私。身分の壁を感じさせないように、同僚としてもっと親しくなりたいという彼なりの配慮ね。なんて素敵な気配りができる方なのかしら)
「……じゃあ、アレクセイ。」
「っ……! ああ、うん、それで十分だ……! ありがとう、エリーゼ!」
嬉しそうに顔を上気させる彼を見て、私の胸の奥がチクリと痛んだ。
こんなに真っ直ぐで、私を頼れる同僚として慕ってくれている素直で誠実な男の子。
でも、彼はまだ何も知らない。
私が、彼には決して言えないような重大な過去を隠していることを。
――いつか、私がバツイチだと知ったら、この純粋な敬愛も消え去ってしまうのかしら。
そんな少し冷めた予感を胸の奥に抱きながらも、私は彼の差し出す優しい時間に、ほんの少しだけ甘えてしまっていた。




