16話
由希とまひろは知啓から聞いた研究所に訪れていた。
大学病院さながらの敷地に、いかにも研究施設といった感じの白色の建物が佇んでいた。
まひろが例によって勇敢に中へ進んでいくのを由希が追った。
駅の改札のような通用ゲートの横に、来客用の受付が見えてきて、警備員らしき男性が二人の存在に気付いた。
その視線を無視してまひろがゲートに向かっていく。
挙動不審な由希にまひろが小声で話しかけてくる。
「堂々としているのが大事」
「お、おう」
警備員の視線を感じながら由希もゲートに進み、二人はカードキー差し込んだ。
ゲートが開き、まひろと由希は中に入る。
由希が思わず呟いた。
「い、行けた」
「そりゃ実際に働いている職員のカードキーなんだから当たり前」
「それは、そうだけどさ」
「とはいえ、同じ人物のカードキーを同時に使えてしまうのは、お粗末と感じざるを得ないわね」
由希が持っているのは、昨日の晩に知啓から受け取ったカードキーで、それをまひろの能力で複製したものをまひろが使用している。
まひろの能力が優秀なのか、同じ人間が二人はいることを想定していないセキュリティが情弱なのかわからなかった。
なにはともあれ、由希とまひろは研究所に侵入することに成功した。
とりあえずの順調な流れに由希が胸をなでおろしていると、前を歩くまひろが何かを手渡してきた。
「なんだこれ?」
「白衣よ」
「は?」
「研究所と言えば白衣」
「お、おう」
「これを着れば、怪しまれないわ」
「そ、そういうもんか」
由希はその提案に半信半疑だったが、さきほど実際にカードキーの認証を突破したまひろがいうのだから異議を唱えず従うことにした。
白衣を着用した二人が歩いていると、前の通路から職員らしき一人の男性が現われた。
「いい?堂々としているのよ」
「ああ、わかった」
内心を見透かしたようなまひろの注意に、由希は頷いた。
距離が縮まると同時に、職員と目が合った。
由希は内心で、自分が職員の一人という自己暗示をかける。
俺は職員。俺は職員。俺は職員。
まひろが振り向き、頷いた。
由希も頷き返した。
いける――
「君たち何してるの?」
その職員が訝声をかけてきた。
「……だめじゃねえか!」
「これは……想定外」
「どうかしたのかい?」
「いえ、そのなんていうか」
「誰かの知り合いかな?」
壮年の男性の研究員で、その職員はどこか孫をみるかのような穏やかな視線を投げかけていた。
由希はとなりのまひろの眼が不敵に光った気がした。
「雛月知啓さんの知り合いです」
「へえ、何しにここへ?」
「知啓さんに頼まれごとをしてるんです」
「ほう。偉いねえ」
職員の優しさに微塵の罪悪感も感じていないように、まひろは平然と言葉を重ねていった。
「それにしても、何で白衣きてるの?」
その質問に由希は愕然とした。まひろの発想はただ疑惑を集めるだけのものだったようだ。
しかし、それに対するまひろの答えに由希は再び衝撃を受けた。
「知啓さんの趣味です」
「は、はあ!?」
抗議しようとする由希に、まひろが目線で制してきた。
「あの人はいつも会う時は白衣を来るように言うんです。今日もちゃんと白衣を着て行ったか後で確認するというふうに言われていまして」
「そ、そうなんだ……へえ、知啓さんがねえ」
口から出まかせが平然と出てくるまひろに、由希はもはや畏敬の念すら覚えた。
「まあ、そういうことなら手伝うよ。何か探しているのかい?」
「ここ最近で、小さな子供が出入りはしていませんでしたか?」
「子ども?うーん」
「知啓さんの娘さんの友達なんです」
「うーん、ごめん、僕にはわからないなあ」
「そうですか、それでは……」
まひろは重大なことを喋るというように一瞬間を開けて、
「超能力について何かご存じないですか」
「ちょ、超能力?」
突然の単語に職員はあからさまに驚いたようだったが、何か思いついたかのような顔になった。
「……これは、噂なんだけど、最近その超能力の研究で一人の女の子が研究所に入れられたと聞いたよ。なんでもすごくひどい実験をするみたいなんだ」
職員の話に、由希は心の中にざわめきが生まれるのを感じ、まひろが聞き返すよりも早く口を開いた。
「それは、どこで行われると噂されてるんですか?」
「この奥の予備研究室って場所だけど……いや、ごめん。その……そんなに真に受けないでね、単なる噂だからさ」
大人しかった由希が急に問い詰めるような口調になったから、男性はバツが悪そうに答えた。
「いえ。でも、すごく面白い話でした。お仕事の邪魔してすみません、直ぐに用事は終わらせて帰りますので」
「ああ、じゃあ知啓さんによろしくね」
言いながら職員は笑顔で去っていった。
由希とまひろは頷いて、目的の場所へ歩き出した。
知啓はそれなりに高い階級を持っていたようで、予備研究室にはカードキーで入ることができた。
中に入ると、先ほどまでと比べて人気がなく、なおかつ妙な匂いが鼻を突いた。
「薬剤の匂いね」
鼻を鳴らしながら、まひろが続けた。
「それに……血の匂いが混じってるわ。あの職員が言っていた噂というものは、与太話と言って笑えるものではないようね」
「そんな……」
「助けるために来たんでしょう?」
「……ああ」
咎めるようなまひろの声音に、由希は一瞬でも弱気になった自分を恥じた。
この施設は可視性をあげるためなのか、部屋の扉に中を見渡せる大きなガラスの窓が取り付けられていた。
その扉の一つから見える、部屋の中の様子に由希は目を疑った。
中学生くらいの少年が、下着一枚で両腕を鎖で壁に繋がれた状態で膝をついていた。彼を囲むように研究員たちが数人、メモを取ったり、機材を手に取ったりしていた。
徐に一人が少年に近づき、注射のようなものを少年の腕にさした。
少年は大きく痙攣したと思うと、ぐったりと倒れてしまった。その様子を研究員たちは何の感慨も抱かないでメモになにやら書き込んでいた。
「何だよ……これ」
「完全に異常ね」
「早く奏を探さないと」
「しかし、手がかりがないわ。さっきみたいな偶然はもう期待できない」
「どうすれば……」
「いやあああああ」
不意に、通路の曲がり角の向こうから大きな悲鳴が聞こえた。その悲鳴は徐々に近づいてくるようで、由希とまひろは慌てて通路の陰に隠れた。
やがて通路の奥から、小さな少女を抱え上げた研究員が現れた。
「あんな風に無理やり連れて行くなんて……」
非人道的な行いに、由希はまたぞろ不快な気持ちになったが、少女の顔を見てさらに衝撃を受けた。
奏だった。
「あいつら……」
「待って」
思わず飛び出そうとする由希の白衣をまひろが掴んで制止する。
「ここで飛び出したところで、どうやって助けるというの」
冷静なまひろの指摘に由希は口を噤むしかなかった。
「超能力者に実験を行っているという噂が本当であった以上、超能力者に対処するシステムも用意されているはずよ」
言いながらまひろは奏を抱えている研究員を指さした。由希が視線で追うと、研究員は腰のあたりに何かボタンのようなものを持っていた。
「恐らく警報を知らせるスイッチね。何か不測の事態が起きた時にあれを押すことで武装した警備兵が集まってくるはず」
「武装なら、俺たちが何とかすればいい」
「無理よ。超能力者は人間よりも身体能力に優れているとは言っても、まともに銃弾を浴びて無傷でいられるほどではないわ。それに加えて私の能力は武器を使える程度で大勢の人間に対しては圧力をかけられるものではない。由希の能力についても未知数な部分が多い以上、あてにはできない」
由希は必死で反論した。
「建物を破壊して、逃げ道をつくれば……」
「私たちだけが逃げるならそれもいいかもしれない。でも、今は奏を助ける必要がある。銃撃に巻き込まれたり、破壊したがれきで彼女が傷ついたらどうするの?能力の状態が不安定なら、死んでしまうことも覚悟しなくちゃいけない」
「それでも……っ!」
確かにまひろの言っていることは正論だ。今自分がするべきことはなんだ。それは、奏を見捨てることなのか。いや違う。
なら、どんな状況であったとしても、引くだけは考えられない!
「由希っ……!」
まひろの制止を無視して由希は物陰から飛び出した。
突然の闖入者に研究者は目を丸くし、固まっていた。
代わりに、抱えられている奏が由希の方を向いた。
「お兄……ちゃん?」
「奏、助けに来たぞ」
「え?」
「な、何だ君は。それに、どうやってここに」
ようやく放心から抜け出した研究員がまくしたてた。
「その子を、放してください」
「何を言ってるんだ。いいから、早く出ていきなさい」
その研究員の聞き分けのない子供を諭すような口調が業腹だった。
「いたずらで入ってしまったんだろう?今なら親御さんや学校にも連絡しないであげるから」
「ふざけんな!」
「なっ!?」
「お前は……お前たちはこれからその子に何をしようとしてるんだ」
「君には関係ないだろう」
「自分たちの研究のために、利益のために、その子に実験をしようとしているだろ!」
「はあ……まったく」
由希の言葉に反論はせずに、その研究員は由希の方に近づいてきた。
研究者らしい白衣を着た風貌から想像できなかったが、非情に屈強な体格で、太い腕を由希に向かって伸ばしてきた。無理やり引っ張って連れ出すつもりなのだろう。
由希はその手を振り払った。
「このガキ!」
研究者は敵意をむき出しにして掴みかかってきた。その鬼気迫る形相に、由希は意識を集中させた。
「な、なんだ!」
リノリウムの床が大きなひび割れを起こし、研究員はその割れ目に足を取られて体勢を崩した。
その様子を見て、由希は自分が能力を使えるようになってることを理解した。
その理由は、想像がついた。奏を、助けたいという意志があるからだ。
奏が男の腕から解放された。
「奏、こっちだ」
由希の呼びかけに奏が駆け寄ってきて、小さな体を由希は受け止めた。
「お兄ちゃん、怖かった……怖かったよう」
「もう大丈夫だ」
震える奏を由希は抱きしめた。ようやく取り戻したそのぬくもりを由希はしっかりと確かめた。
そんな由希の耳に、突然大きな電子音が届いた。
「な、なんだ」
「お前たち、もう冗談じゃすまないぞ。ここから逃がすわけにはいかん」
由希が声の方向を見ると、先ほどの研究員が手にスイッチを持っているのが見えた。
警報のスイッチを押されたのだと、由希は理解した。
「由希!こっち!」
呆然とする由希に、まひろが呼びかけた。
まひろはいつの間にか通路の奥の方へ移動していた。奥には非常口のランプが灯っている。
「奏、走るぞ!」
「うん!」
不快な警報音を聞きながら、由希は扉に向けて走り出した。




