別離2
大きなマンションの一階は広い駐車場で、賢はそこへ車を乗り入れた。
「ここ、どこ?」
和泉の問いには答えずに賢は車椅子を下ろした。
和泉は左足を出して地面につけた。
座席を支えに「よいしょ」と立ち上がろうとしたのだが、賢がひょいと抱き上げて車椅子に乗せた。
駐車場からエントランスへ入るがどこにも段差がなく、車椅子でもスムーズだ。
エントランスは広く豪華で、ソファにテーブルも置いてある。
エレベーターに乗り、賢は十五階を押した。
音もなくエレベーターは十五階まで、上がって行った。
「下の階は四部屋づつだが、最上階は二部屋だけだ」
と賢が言った。
「ふうん。じゃあ、随分と広い部屋ね」
「そうでもないさ」
エレベーターを降りるとすぐ角部屋の表札が和泉の目に入った。
「表札が土御門だ」
「ああ」
賢は和泉の車椅子を押して廊下を歩き出した。
二戸分の部屋を通り過ぎて、また玄関のポーチがある。
「え、ここも表札が土御門じゃん」
「ここが新居になる。俺達の」
と賢が言った。
「ちょ……と、待って」
玄関ポーチのサッシを開けて、中へ入る。
賢が玄関の鍵を開けた。
ドアの向こうはマンションとは思えない広い玄関だった。
中には別の車椅子が置いてあって、賢は和泉をそれに乗せかえた。
リビングも素晴らしく広かった。
高級そうなテーブルにふかふかしたソファ。
「どうしてもう一軒も土御門なの?」
と和泉が聞くと、
「同じフロアに他人がいると嫌だろ?」
と答えた。
「そんな理由で? って、この階は全部賢ちゃんが買ったって事?」
「そうだ」
どんだけ金持ちよ、と和泉は思った。
「隣は仕事部屋に使うから問題はない」
「……そう」
賢が抱きかかえようとしたので、和泉は自分で立ち上がろうとした。
「自分で立てる」
車椅子から立ち上がって、ソファに移り座る。
賢は向かいのソファに座り、
「で?」
と言った。
「どういうつもりだ」
「どういうって……結婚するつもりはないわ」
「……」
「賢ちゃんには黙って退院しようと思ってた。お父さんが四国の徳島に移り住んだから、そっちへ行こうと……思って」
「俺が探せないように、ご丁寧に名字まで変えて、か」
「そうよ。四国は土御門少ないでしょ。探そうと思えば変わった名字だから、すぐに見つかると思って」
「両親に離婚までさせてか!」
「そうよ」
だから、今は土御門和泉ではなかった。
両親が離婚し、和泉は父親の姓に入った。
吉田和泉、これが今の名前だ。
賢から離れる為には土御門を捨てるしかなかった。
土御門という名前は好きだった。だが、もうどうしようもなかった。
「そんなに嫌か、俺と結婚するのが?」
足が不自由でなかったら、とか、好きだけど結婚は出来ない、とか、足手まといになりたくない、とか、そんな下手な事は言いたくなかった。
もし賢が土御門でも下っ端だったら、少しは違ったと思う。
賢の奥さんだけなら出来たかもしれない。
でも違う。全然違う、と和泉は思う。
賢の奥さんは賢と一緒に土御門を背負わなければならない。
足が不自由な和泉では、一緒どころか賢の重荷になるのは違いない。
いつかきっとそれが賢を苦しめる。
賢は和泉の事を嫌になるだろう。
だけど、優しいからきっと一生愛してくれようとするだろう、と和泉は思った。
「土御門の当主の奥さんなんて嫌よ。知ってるのよ。婚約した時点で奥様教育が始まるんでしょ。たくさんの習い事させられて、自由になる時間なんて少しもないって聞いたわ。美登里さんみたいに、子供の頃からそんな教育やしつけをされてきたならともかく、あたしなんか絶対無理でしょ。着付けさえ出来ないのよ、あたし。それに結婚したら、すぐに子供を作らなくちゃならないっていうのも。絶対に男の子を生まなくちゃいけないって聞いたわ。しかも子供に霊能力がなければ、分家の子供と取り替えられるって聞いたわ。そんな人生、絶対に嫌よ」
(賢ちゃんに、嫌われなくちゃ。
ああ、もういっそ、世界中の人に嫌われればいい。
そうしたら、賢ちゃんに嫌われるって事がそんなにつらくないんじゃないかしら。
好きだけど結婚はしない。
そんなあやふやな言い方はしない。
もう、ばっさり、切って捨てられるしかない。
捨てられるのは私の方だ。
ああ、でも賢ちゃんの事が好き。
いつのまにこんなに好きになったんだろう。
いっそ、こんな気持ちに気がつかないでいたかった。
そうしたらもう少し、悲しくなかったんじゃないかな)
「そこまで言うなら、少し時間をやる」
と賢が言った。
「時間なんていらないわ。もうお別れしましょって話よ」
「実際、一族の反対を押し切ってまで賢ちゃんと結婚してもあんまりあたしにお得感がないんだけど」
「そこまで賢ちゃんの事、好きじゃないもん」
「その上、修行とかするの面倒くさいから嫌だし」
だが賢は少しだけ笑って、
「お前の頭、まじでザルだな」
と言った。
「はあ? 何よ、失礼ね!」
「俺、和泉の考えてる事は大体分かるって言わなかったか?」
「……」
「俺の事が好きだって思っただろ?」
「お、思ってないわ! むしろ嫌いよ! デブの上に、二十年もストーカーなんてキモイのよ!」
「そこまで言う」
「……もう勘弁して。賢ちゃんと一緒には前へ進めないの。ごめんね」




