危機なんですけど……
和泉はキッチンのシンクの前に立っていた。
コーヒーメーカーに水とコーヒーの粉をセットして、ぽこぽこと水が落ちるのを見ていた。
「もう帰りたいよ」
キッチンの窓の向こうは少し明るくなってきている。
朝が来たのだ。
だが雪が激しくなってきているようで、ばんばんと窓を叩く風の音が凄い。
冷蔵庫を開けてみると、誰が誰に食べさせるのか大量の食材が入れてあった。
冷凍された肉の塊もある。酒やワイン等の飲み物も十分に用意されていた。
コーヒーが湯気をたててよい香りをさせている。
カップに注ごうと、食器棚の方へ振り返った瞬間。
「ひっ」
目の前に振り袖の娘が立っていた。
だんだんと娘の姿形がはっきりとしていっている事に和泉は気がついた。
最初はやせ細って乱れた髪の毛から口元しか見えなかったのだが、今度は素晴らしく美しい黒い髪の毛を大きなリボンで結んでいる。
くっきりとした目鼻立ちにきりっとした口元が意志の強い娘だと告げている。
どこかで見たという記憶はあるのだが、和泉にはそれが思い出せないでいた。
「もうおしまいね」
と娘が言った。凍るような冷たい声だった。
「何がおしまいなの?」
恐怖もあるが、怒りもある。
何故、この娘が賢に見えないのかという疑問もある。
「何故、あたしにだけしか見えないの? 賢ちゃんも十二神も、なぜあなたが見えないの」
フフフと娘が笑った。
「目をつむっているから」
「目を?」
「和泉、あなたはもうおしまい。ああ、楽しい」
娘が近づいてくる。すぐ目の前にいる娘がすすすっと和泉に近づいてくる。
「やめて……」
「ふふふ」
娘が近づいてくる。
娘が近づいてくる。
娘が近づいてくる。
娘の手が和泉の手に重なった。
腕が、肩が、首が、顔が、頭が、身体が、重なった。
娘は完全に和泉と重なった。
「やめて! やめて! やめて!」
「もしもし、賢兄?」
「ああ、仁、どうした? こんな時間に」
「それがさぁ、靜香おばさんが入院しちゃってさ」
「靜香おばさんが?」
「そう。正月からこっち何か調子悪いみたいに美登里ちゃんが言ってたんだけどさ」
「そんなに悪いのか?」
「いや、詳しい事はまだ分からないんだけど。一応ね、万が一の時はこっちに戻ってきてもらわないとなんないから」
「ああ、分かった」
と言ってから、賢は持っていた携帯電話を持ち替えた。
「どう? 仲良くやってるの? 和泉ちゃんと」
「……仁」
「何?」
「俺に見えないけど、和泉にだけ見える者がいると思うか?」
「え? 何それ」
「和泉が振り袖姿の娘がいるって言うんだ。俺には見えない。十二神も反応しない」
「え、賢兄に見えないんじゃ、和泉ちゃんの気のせいなんじゃない? 別荘に?」
「ああ、だけど、この間、うちでも見たと言うんだ」
「うちって、うち? 土御門家で? それはあり得ないんじゃ」
「そうだろう? だけど、絶対にいるって言うんだ。だが、どうしても俺には見ないし感じない。この建物の中には霊の類はいないと言っても納得しないんだ」
「ふーん、和泉ちゃん、ちょっとまいってるんじゃないの? 精神的に不安な時には霊能力がどんな風に作用するか分からないよ。和泉ちゃんは修行してないし、見鬼としての才能がどういう風に感情に影響するかは人によるじゃん……それに、和泉ちゃんあれだろ? 再の見鬼だろ?」
「知ってたのか」
「多分そうかなってくらいだけどね。賢兄の近くにいる事で、賢兄の能力に和泉ちゃんの能力が引き摺られる心配はある。一度、精神修養の修行に参加させたら?」
「ああ、そうだな」
「うちで見たっていつ?」
「この間の廃教会跡の時だ」
「ああ、和泉ちゃんのウエディングドレスの時ね?」
「そうだ」
「あ、そういえば、あの時も誰か入院したよな?」
「入院? 誰が?」
「えーと、敬之助おじさんのおばさん。今も意識不明で入院中。もう駄目らしいよ。割と元気な人だったのに、急にだってさ」
「そうか」
「最近、何か嫌な事が重なるよね。加奈子も家を出てしまったらしいし」
「加奈子が?」
「うん、賢兄、知ってた? 加奈子が人身事故を起こしてたとかいうの」
「ああ」
「それのお金の問題で親にも怒られて、家出しちゃって、今どこにいるか分からないらしいよ。正月に賢兄の嫁さん候補にどうと言ってたけど、金目当てだったらしくて。美登里ちゃんがそれを調べ上げてね、加寿子おばあさんにそれを突きつけて、賢兄の花嫁候補から加奈子は消えた。まじ美登里ちゃんて使えるよ。それに絶望したかどうかは知らないけど、行方をくらましちゃったらしい。まあ、どこかでまた霊能力使って一儲けするだろうけどね。なんか逞しそうだし」
「ああ」
電話を切ってから賢はしばらく考えていた。
仁の言う事はもっともだった。
和泉がまいっているという考えは自分にはなかった。
自分の能力に引き摺られて、和泉にどんな作用があるのか分からないというのもうなずける話だ。
「俺は……未熟者だな」
そうつぶやいてから賢は立ち上がった。
その瞬間、「ケーーーーーーーン」という橙狐の悲鳴が賢の耳に届いた。




