和泉と恋の迷宮
賢が悪霊を消滅させたと安堵したのもつかの間、賢の秘書の田所が走ってきて賢に耳打ちをした。
「ばあさんが? まじか」
「どうしたの? 賢ちゃん」
と和泉が聞いた。
「うちのばあさんが倒れて救急車で運ばれたらしい」
「え?! 加寿子伯母様が? 大変じゃない!」
しかし自分は一族追放を言い渡された身だ。
賢について行くわけにはいかないだろうと和泉は思った。
賢も、
「田所、和泉を家まで送ってやって。和泉、電話するから」
と言った。
「うん」
「和泉さん、どうぞ」
と言われ、和泉は田所について歩き出した。
「あの、駅までで結構です。田所さんもいろいろ忙しいでしょうから」
と和泉が言うと、
「何をおっしゃいます。お家までお送りしますよ」
と田所が言った。田所は四十代後半で真面目な男だった。賢が幼い頃からの世話役であり、秘書である。子供だった和泉も何かと世話をやいてもらった思い出がある。銀縁眼鏡で七三頭、いつも紺のスーツの銀行員のようなイメージがある。
「でも…今、住んでるの北陸なんですけど」
「え?!」
「だから、新幹線で帰ります。田所さんも用事あるでしょう?」
「分かりました。では」
和泉は田所の車に乗り込んだ。
賢に陸、それに現当主の雄一は別の車に乗り込み、出発しようとしていた。
屋敷にはまだ土御門の人間がうろうろと後片付けをしていた。
これからこの屋敷の人間には目玉が飛び出るほどの請求書がくるに違いない、と和泉は思った。
「歌舞伎役者って儲かるのかしら。これだけ大きなお屋敷を構えるんだから祈祷料もへでもないか」
「そうでもないですよ。泣きついてくる時にはいくらでも払うと言いますがね、実際、事が終わるとね、出し渋るのが人間ですよ」
と田所が苦笑しながら言った。
「そうなんですか?」
「ええ、土御門の人間は身体と精神を削って戦っているのにね。和泉さんも見鬼だから分かるでしょう? 本物の悪霊の怖さが」
「ええ」
「でも、本当に怖いのは人間かもしれないですね」
和泉が駅に着くとさらに賢の第二秘書の望月がいて、和泉に新幹線のチケットと弁当をくれた。
「あ、あら、すみません。お弁当まで」
恐縮しながら受け取り、和泉は新幹線に乗り込んだ。律儀な秘書二人が動き出すまで窓の外にいたので、和泉はあくびをするのを我慢した。
やがて新幹線がホームを離れると、和泉はすぐに眠りについた。
「電話するから」という賢の言葉を思い出して、少しばかり幸せな気分に浸りながら。
「ただいま」
和泉は部屋のドアを開けた。
「な、何これ」
玄関付近に物が散乱している。
靴箱も開いて、中から靴が飛び出していた。
「和泉…」
顔を腫らした母親が奥から這い出て来た。
「どうしたの!?」
「和泉、お前はやっぱり東京に戻りなさい」
と母親が言った。顔は腫れて青あざになっている。腰をどうかしたのか立ち上がれない様子だ。
和泉は奥の居間の方へ駆け込んだ。
「お父さん! おじさん!」
居間には父親とその兄がやはり蹲っていた。
「どうしたの?!」
「すまん、和泉ちゃん、まさかあの男がここまでするとはわしも思うておらんでな」
「まさか、地主さんのとこの?」
「ああ。どうしても和泉ちゃんを嫁にもらう、言うてな。きかんのじゃ」
和泉の父親は北陸の田舎を出ている。今もそこで兄が農業を営んでいて、土御門本家を飛び出した和泉達はその兄の家へ避難した。だが田舎というのはただでさえ、若い人間が不足している。さらに若い娘も不足している。四十代五十代の独身男性など珍しくないのだ。父の兄の家へ身を寄せた和泉は格好の獲物だった。
翌日から見合いの話がどんどん持ち込まれ、何十人もの釣書が集まったのだ。
その中でも大地主の息子、四十五歳、ハゲが圧倒的に権力が違うらしく、他者を押しのけて和泉嫁取り作戦の第一位に輝いたのだが。
和泉の両親や伯父が断っても断っても駄目だった。上から目線で物を言う。
今日からでもすぐに家に来て、農業と家事と祖父母の介護をすぐやれ、さあやれ。
跡継ぎを生め、女はいらん、男だけ生め、という非常識さ。
「和泉、今、戻ったとこだけど、すぐに賢さんの所に戻りなさい。あんたの姿を見たら、何するか分からないわ。今は警察に連れて行かれてるけど、すぐに放されるわ」
「う、うん、でも、お母さんやお父さんは?」
「今すぐにってわけにはいかないけど、私達もまた引っ越す事になるわね」
「すまんな、喜美ちゃん」
とおじさんが言った。
「いいえ、私達こそ…すみません。余計な騒動になってしまって」
和泉は少々の身の回りの物を持って再び家を出た。
行く場所もない。仕事もない。
「あ、そうだ。ドーナツショップにやめるって連絡しなくちゃ…」
あの三百円の彼を霊道へ誘った罰が当たったんだろうか、と和泉は泣きたくなってしまった。自分が無職、ホームレスになってしまったではないか。
「どうしよう…」
夕暮れ近く、ごとごとと揺れるバスで再び駅に向かいながら和泉は途方に暮れた。




