賢ちゃんと和泉と過去との決別3
賢の方に目をやると、こちらにも式神という物が出現していた。こちらの式神も鳥の形をしていたが、真っ黒で黄色い嘴で鋭い目をしていた。獰猛な猛禽類の鳥だ。白露よりもさらに大きく、派手に戦っていた。嘴から光る雷を発して大きな悪霊に挑んでいる。
「行こう、和泉ちゃん」
賢に背を向けて陸が歩き出したので、和泉もついて歩き出した。賢と仁に押され出したのか、悪霊はもう和泉達を追ってはこなかった。
「陸君、私、子供の頃にあの悪霊に襲われたわ」
「うん」
「今みたいに三人が助けてに来てくれたわよね?」
「うん」
「その時、賢ちゃんが酷い怪我をしたの?」
「うん」
「私、よく分からないわ。どうしてまた悪霊に襲われるの?」
「理由なんてないんだよ。あいつはただの悪意だから」
と陸が歩きながら答えた。
「悪意?」
「そう、子供の頃に和泉ちゃんがたまたま遭遇してしまった悪霊。あいつは相手は誰でもいいんだ。ただ、目についた人間を襲う。でも、そこに俺達がいた。俺達はまだガキだったけど、一応土御門の子供だった。子供だから三人寄ってもたいした力はなかったけど、それでもあいつを追っ払うくらいは出来た。まー兄が命をかけたからね」
「賢ちゃんが?」
「うん。悪霊はその時によって違う姿で現れる。女の姿だったり、犬の姿だったり。その存在意義すら持たずに、ふらふらと浮かんでいる。ただ、ただ、生きている人間を襲う、食らう、それだけを目的とした悪意の固まりなんだ。中には悪霊同士が出会い、喰らいあって巨大化する場合もある。今、まー兄が戦っているやつも昔に比べてでかくなったよ。さんざん、人間や他の悪霊を喰らったんだろう。中には人間と意志の疎通を図ろうとする悪霊もいる。悪戯に人間の体内に入って体を乗っ取ろうとする質の悪いのもいるんだ。和泉ちゃんを襲ったのはそういう奴だった。一時、和泉ちゃんはやつに体を乗っ取られた。俺達はもう駄目だと思ったんだ。でも、まー兄が自分の体を犠牲にして、自分の体内に悪霊を取り込んだ。すごい戦いだったよ。でも仕留めるとまではいかなかった。追っ払うのがせいぜいだった。まー兄は一ヶ月も意識不明で生死の境をさまよったんだ。今でも体中に酷い傷が残ってる」
「あたし……のせい?」
そうだ、聞かなくても分かっている。酷い怪我どころではない。賢は死にかけた。どうして今まで忘れていたんだろう。和泉は忘れていた過去を思い出した。
和泉は悪霊に体も意識も乗っ取られた。
和泉自身が悪霊となって、賢を傷つけたのだ。
「和泉ちゃんのせいじゃない。それに和泉ちゃんが忘れているなら、絶対に和泉ちゃんには言うなって、まー兄には言われてるんだ。和泉ちゃんがつらい思いをするからって、でも、俺はそんなまー兄の気持ちを和泉ちゃんに分かってほしかった。俺が言うことじゃないけど、まー兄は和泉ちゃんをずっと大事に守ってきたんだよ」
「陸君」
「和泉ちゃんはあいつに目をつけられてた。和泉ちゃんみたいに、自衛は出来ないけど土御門の能力に優れた見鬼は悪霊の格好の餌食なんだ。だから再び襲われるかもしれない。だから、だから……まー兄はね……ずっと和泉ちゃんの側に……俺……しゃべりすぎた。また仁兄に怒られる」
そう言ってから後、土御門本家に着くまで、陸は黙ったままだった。
本家のリビングでは雄一と朝子、和泉の両親も来ていた。悪霊に襲われたという事件はすでに耳に入っているらしく、緊迫した場面だった。
そして加寿子は車椅子に座ったままの姿で厳しい顔で和泉を見た。
沢がワゴンに飲み物を乗せて運んできた。
その場にいた人は和泉が無事だった事を喜んでくれたが、加寿子だけは、
「またお前かえ、和泉。お前は何度本家に迷惑をかけたら気が済むのだね」
と言った。
加寿子の怖さは静香の比ではない。陸や現当主である雄一でさえ何も言葉を挟めないのだ。雄一に代替わりしても、次の当主候補が育っても加寿子の支配力は緩まない。土御門本家も分家も皆がこの人を恐れていた。
今は離れで暮らしているが、母屋にいた頃はパジャマで家の中を歩くなんて考えられない事だった。三兄弟も朝起きたら、すぐに洋服に着替えて身支度を整えてでないと顔を合わせられないと言っていた。いつでもきりっとした表情できちんと着物を着て、一分の隙もない加寿子はいつでも戦闘態勢をとっているみたいだった。
「すみません」
和泉はそう言うのが精一杯だった。
確かに、賢ちゃんには迷惑をかけた。迷惑のかけっぱなしだ。
「それで首尾はどうなったのだね」
加寿子が陸の方へ聞いた。
「まー兄は今度こそ仕留めると言っていたし、賢兄と仁兄の二人がかりならもう終わっていると思うけど」
と陸が答えた。
和泉は一杯のお茶が欲しかったけど、誰も勧めてはくれなかった。沢が並べたティーカップから昇る湯気を見つめていた。
「そうかい。あの子のやる事だ、抜かりはないだろう。だが、和泉、お前は本家からは遠い末端の土御門のくせに妙に霊に懐かれるね。始末の悪い悪霊ばかりに憑かれて、困ったもんだ」
和泉は何も言えずに、ただ黙っていた。
「お前は本家にとってよくない存在だ」
その言葉は衝撃波となって和泉の頭の先から足の先までを貫いた。
足が震えてがくがくした。
何も言えなかったし、一言発しただけでも涙が出るだろうと思った。
「雄一、よそに土地を買ってやりなさい。お前達はこの本家から遠く離れた場所で暮らしなさい。仕事ならいくらでも見つけてやるよ。いいね」
と加寿子がそう言った。理不尽な、とは思ったが、和泉は何も言い返せなかった。和泉が悪霊に目をつけられ、賢に怪我をさせたのは事実だったからだ。
雄一が、
「お母さん、それはいくら何でも。因縁のある悪霊は今回、賢が祓っただろうし」
と言ったが、加寿子は容赦なかった。
「悪霊というものはいくらでもわいて出る。それを祓うのは我々土御門の使命さ。賢さんが和泉をどう思ってようが、本家の使命に差し障りのある人間はいらないのさ。いいね。本来なら、あの時に一族から出すべきだったんだよ。それが、雄一も朝子もが反対するから側に置いておけばこの始末だ」
両親はただ頭を下げて、
「申し訳ありませんでした」
と言った。
そこでやっと分かった事がある。
どうしていつも両親が卑屈なまでに本家に頭を下げて、家来のように働くのか。それは贖罪だったのだ。本家の跡取りに傷を負わせた事への償いだったのだ。
「すみませんでした」
と和泉はもう一度言った。そして、早く帰りたかった。よそに放り出されるのならそれでいいから、早くこの場から去りたかった。