祈祷祭
よく晴れた日だった。
空は高く、通る風は秋の匂いがする。
和泉は一睡も出来なかったが、顔を洗い綺麗に化粧をして身支度を整えた。
「さて、行くか!」
「大丈夫か」
と赤狼が言った。
「うん、終わったらたらふく甘い物でも食べるよ。赤狼君にもケーキ焼いてあげるね」
和泉の笑顔は優しかったが、無理に笑顔を出そうとする姿が痛々しかった。
だが別れを選んだのは和泉だった。
それに耐えるのは自分自身しかない。
傷ついたのは和泉ではなく賢だという事も自分で分かっている。
和泉は一人で前を向いて、足を引きずって歩いて行くしかないのだ。
城跡内、正門の前庭に拵えられた祈祷の壇は神々しく清楚であり、束帯装束を身につけた賢が中央に進む。四方には竹をたて、しめ縄を張り巡らしてある。弟でもあり優秀な弟子達でもある仁、陸が賢の後から壇上にあがり、賢を守るように賢の背後に立った。中央に立つ賢が御幣をささげて祈りを始めたのは朝の八時を過ぎた所だった。
賢はずいぶんと沈んだ様子だった。
その背後にいる二人も御幣を手に緊張した面持ちで前方を見据えていた。
祈祷の壇より少し離れた場所には、当主である雄一や美登里もいた。それ以外にも弟子達がパイプ椅子を並べて座って、じっと祈祷の様子を見ていた。反対側には招待客と称した、官公庁の者達がいて、その中に車椅子の和泉がいた。警護は物々しく、城跡公園内に実力のある陰陽師達がずらりと並んで警戒していた。
賢の祈祷は続いた。
初秋の日差しはからっとしており、そして時折に吹く頬をなぜる風も心地よい。このような日に悪霊調伏など、と誰もが思うような天候であった。だが、賢の祈りは続き、それを見守る大勢の緊張感が徐々に高まる。
紅葉の木、そして庭に蒔かれた白い砂利、青空、気持ちのよい風、だんだんとそれらが別世界の絵を見ているように感じるようになった頃、賢が突然に立ち上がり、
「来るぞ、皆の者、心せよ。怨敵を今こそ調伏せしめん!」
と言った。
和泉ははっとしたような顔で賢が御幣でさした空の方向を見た。確かに黒い雲が一筋立ちのぼり、それは徐々に大きくなった。
青空だった空が一変して真っ黒になった。
その中に黄金色の稲光が走る。
稲妻が走った後にぶわっと黒い物がわき起こった。
顔だ。
黒い雲一面の顔だ。
小さな顔が何百もくっついている。
やがてそれは合体し始め、一つの巨大な顔になった。
「ケケケケケ」
と巨大な顔が笑った。
和泉の横に座っていたスーツ姿の男が、「うわっ」と叫んだ。
「な、何だあれ」
官公庁の職員が仕事で参加していた。
ただの儀式で、何時間かここに座っていればいいと思っていた。
だが賢を初めとして土御門の陰陽師達が集結したこの場では、様々な霊気が渦巻いている。あまりにも濃厚な霊気に触発され、霊感のない者でも視えてしまうのだ。
渦巻く霊気や、悪霊達の吐く怨念、恨み、震え、泣き声、悲しみ、悪意等が交差する。
たまに悪霊が「ケケケケケ」と笑う以外は人間は声を出さずに静まり返っていた。
賢が来て、仁、陸が揃えば、大抵の悪霊は敵ではない。
三人以外にも、応援で警護の陰陽師が多数来ていた。
今回の城跡の悪霊達も活性化したとはいえ、この人数の陰陽師相手ではとても勝ち目がなかった。だが緊迫したその場の雰囲気と目に視えてしまった悪霊に、官公庁の職員が驚いて立ち上がった。その声に悪霊の大きな顔がしゅっとこちらを向いた。
ぎろりと職員を睨んでいる。
賢の声が大きく張り上がり、悪霊は苦しそうに呻いた。
しかし、悪霊は抜け穴を見つけたようだった。
陰陽師達の発する悪霊を祓う霊気の充満する中で、突破できそうな箇所。
一般人が紛れている。恐ろしそうな顔で、引きつった表情で悪霊を見上げている。
その横には好物の滋養となる霊気を感じる。
祓いの気はなく、ただ慈しみを感じるだけの霊気だ。
穴はあそこだ、と巨大な悪霊が舌なめずりをした。
あの人間を食って、滋養の霊気を吸い取れば更に巨大化できる。
そう考えた悪霊は大きく膨らんで、和泉の方へ飛びかかろうとした。
だが、それは賢が許さなかった。
「吐普加身依身多女……」
「寒言神尊利根陀見……」
「波羅伊玉意喜ヨ目出玉……」
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!!」
賢の発した強い気は長く太いロープのように悪霊の身体を縛り付けた。
和泉に襲いかかろうとした悪霊は極上の獲物を前に賢の思念の縄に絡め取られ、ぎちぎちに縛られ、それから逃れようと必死で暴れた。
賢と仁、陸が発する悪霊を調伏する呪言がさらに悪霊を苦しめる。
だが、限界がくる。
長い時間の戦いに力尽き、やがて悪霊はその姿を小さくしていった。
溶けてなくなるようにゆっくりとその姿が消え初め、誰もがほっと息をついた。




