37、遺される痛み
「王族暦……」
「……ガイ?」
「うわぁ!?……あ、姫さま……」
庭師のチャドと一緒に草むしりをしていたガイにお茶にしようと誘いに来たオーレリアは、ガイがぼんやりしていることに気付いてガイの隣に並んで屈んだ。
「何か悩んでいるのか?」
「あ、ええと……」
オーレリアはゆっくりと待った。ガイの綺麗な紅い髪が風に揺れる。
(柔らかそうだな)
つい、誘惑に負けてガイの髪を撫でる。
「あの、姫さま………?」
ガイが固まっていることに気付かず、オーレリアはきょとんとしている。完全に無意識の行動で、無自覚なオーレリアであった。
「ん?」
「………」
ガイは脱力した。
ガイは少しだけ逡巡したあと、コホンと咳払いし、そっとオーレリアに向き合うと慎重に口を開いた。
「あのな、姫さま……。俺たち、ずっと自分の年齢を誤魔化してると思ってたんだ」
「ん?どういうことだ」
「俺……俺の母さんも、王族暦とか知らなくて……。俺とニーナはやけに成長の遅い子供だと思われてた」
「……!」
「俺たちは実は……外の国から来たんだ。多分母さんはリオンやトールと同じで。でも、俺とニーナはなかなか大きくならなくて」
王族暦とは黒曜国のみに存在する暦である。北海の孤島と言われる黒曜国は長く他国の侵入を拒み独立国家として存在してきた。交易もない。
故にこの国は神秘の国と言われている。
大陸の人間からは神の島、あるいは流刑地とも云われ本当に存在するのかすら疑う者もいる。
大陸と黒曜国の間は氷の浮かぶ冷たい海に阻まれ、島は断崖絶壁に囲まれており上陸が容易ではない。上陸できたとしてもいきなり山越えを余儀なくされ、その上竜が襲ってくる入国最高難度の国なのである。
それでも運がいいのか悪いのか、何らかの奇跡が起きてこの国に辿り着く者もいるのだ。
「ガイは外つ国から来たのか」
「あんまり覚えてないけどな」
ガイは軽く笑う。
恐らく父親が魔力を持っていたのだろう。
母親が何故黒曜国へ渡ったのかは今となっては分からないが、周囲から異質に思われていた自分のせいだとガイは思っている。
「思えば母さんは……、この国に来て、初めて王族暦の花火を見た時から俺たちの年齢を王族暦に合わせて数えることにしたんだと思う」
黒曜国では王族暦は王族の一年に合わせて666日ごとに新年の祝いの花火を打ち上げる。
通常の暦は平民暦で通っており、平民はこの日に限り、王族の暦を祝うのだが、殆どの平民はその意味をよく知らず、王族や貴族の寿命を知らない。
彼らはあまりにも雲の上の存在だからだ。
王族暦の祝いは神に祈ることに似ている。
平民は実際に王族がこの暦通りにゆっくりと成長するなどとは知る由もないのだった。
「ガイ」
オーレリアは膝立ちでぎゅっとガイの頭を抱きしめた。
「よく無事に辿り着いたな。ニーナも……生きててよかった」
「――姫さま……」
オーレリアは胸の奥に渦巻くこの気持ちがなんなのかよくわからない。ただ、胸が震えるのだ。
(ガイ、辛い思いをしていたのだな)
周りから異質な子供と思われて。国を追われたのだろうか。外つ国に居場所を失くしたのだろうか。
母親もガイ自身も理由を知らず。それは歯痒いことだろう。切ないことだろう。
「ガイは、この国に来たくて来たわけじゃなかったかもしれぬが……妾は……ガイと逢えて良かったと思っているぞ……」
ぽとぽとと雫が目から零れてしまう。オーレリアは涙をガイに知られたくなくて片手で乱暴に拭う。
「姫さま」
オーレリアの腕の拘束が緩んだので、ガイはそっとオーレリアの腕を取った。乱暴に拭ったので目元が赤くなっている。
「姫さま泣かないで。ああ、擦っちゃだめだ」
泣くなと言われてもオーレリアの瞳からは涙があとからあとから湧き出てくる。
「……姫さま。俺も、姫さまと逢えたこと、すごく嬉しいよ。この国に来て良かったって思ってる」
涙を拭ってあげたいけれど、草をむしっていたのでガイの手は土まみれだ。
「俺に魔力があることも、良かったって思ってる」
だってオーレリアと同じ時間を生きられるのだから。
*
母親が生きている間に知ることが出来ればもっと良かったけれど。
(母さんに肩身の狭い思いをさせずに済んだのに)
それでも母親は最後まで子供たちを慈しんでくれた。優しい母親だった。
(母さんが老いるのが早かったのは、俺たちのせいで苦労したからってだけじゃなくて……種族のせいだったのか)
そのことがガイの負い目を優しく癒した。
同時に、残される苦しみが胸を切なく焦がす。
*
ガイの魔力量は多い方だとエリスやアーネストから聞いている。
(今までの成長速度も……多分そんなに姫さまと変わらない……)
侯爵家程度の魔力量はあるのだと思う。
それでも、王族と侯爵家以下の貴族とでは寿命が違うという。
(王族は……別格なんだな……)
姫さまよりも先に逝くことは間違いない。
(姫さま)
優しい姫が泣くのは見たくない。
思わずガイはオーレリアを抱きしめていた。
*
まだずっと先のことかもしれないけれど、ガイとニーナはオーレリアを遺して先に逝く。
(姫さま、泣くだろうな)
何もしてあげられない。それが切なかった。
でも今はまだ、ガイは側にいられる。言葉を伝えられる。
「姫さま、どんなことがあっても俺はずっと姫さまの側に居る。俺は姫さまのものだから。たとえ死んでも心はずっと姫さまを想っているよ」
「……し、死ぬとか言うな……っ」
オーレリアの身体がびくりと震えた。ガイは何も言わず、オーレリアを強く抱きしめた。
(どうかこの温もりを覚えていてほしい。いつか俺たちがいなくなった後も)
*
寿命の長い王族は青年期も長い。二十代前半で身体の成長が止まり、平民暦で換算すると250歳近くまで青年期となる。(王族暦の寿命は150歳、青年期は137歳頃まで)
反対に平民はずっと老い続ける。青年期は短い。
オーレリアはエリスから教えて貰いながらまた泣いた。平民の一生はユキネズミ(※寿命1年)の一生並に短い。
本日は天気も良いのでテラスにてお茶を飲みながら、ティータイムの雑談の様な形の授業である。
「短すぎるのではないか……?」
「リア。俺の知る貴族は寿命の違いを知っても、殆どの者は『そういうもの』だと納得して終わりです。場合によっては短い命を馬鹿にする者すらいる。貴族と平民の間には高い壁があってその多くは交わらない。商人や使用人の中に平民がいても、彼らがいつの間にか入れ替わったところで気付かない。そういうものでした」
エリスはオーレリアの涙をハンカチで拭いながら穏やかに言葉を紡ぐ。
「王族でありながら貴女は彼らを『友』だと思う。……だから哀しいのですね」
それはエリスにとって不思議な感覚だった。
「当然だろう……っ。同じだと思っていたのに、寿命が違うなんて思わないだろう……」
オーレリアとて、ガイやニーナ、リオンやトールと出会わなければ、ここまで哀しいとは思わなかったかもしれない。ガイやニーナと出逢い、その先にリオンとトールとの出逢いがあった。
「ガイとニーナは貧民街で見つけたが、……魔力量は多い。エリスと同じくらいの寿命はあるのだろう?」
「そうですね。彼らは伯爵位の者たちよりも上位でしょう」
「……不思議だな。ガイは外つ国から来たと言っていた。外つ国では、成長の遅い子供は奇異に見られていたようだ」
「外つ国ですか。それは……」
ガイとニーナの出自に関しては、恐らく貴族の落とし胤だと推測していたが、調査は行き詰まっていた。
黒曜国から国外に渡った者がいたのだろう。それ以外の可能性は――。
思考の海に沈みかけたエリスの手に温かい小さな手が重なる。
「エリス?」
オーレリアの声にハッとして、エリスが物思いから醒めると、目尻にまだ涙を溜めながらも、心配そうに自分を見上げているオーレリアに、ふっと胸が温かくなった。
エリスはそっとオーレリアを抱き上げると長椅子に腰を下ろした。
オーレリアの背中を宥めるように優しく撫でる。
「…………俺は貴女が哀しむのが辛い」
それは今まで感じたことの無い痛みだった。基本的にエリスは他者に無関心だ。エリスは他者の痛みを自分の痛みのように感じる日が来るなど想像したこともなかった。
「リア。平民の70年は我々にとって約39年。短いと感じるかもしれませんが、大切なのは長さではありません。貴女が彼らを大切に想う分、彼らは幸せを感じるでしょう。その逆も然り。互いに短い時間だと分かっているからこそ、その限られた時間を大切にすればいい」
今でもエリスにとってリオンやトールの寿命は自然の摂理で、仕方のないことだと分かっているし「そういうもの」としか思えない。
けれどオーレリアがそのことで悲しむのを見ると胸の奥が切ない。
彼らに長生きさせたくなる。
(まぁ、平民ではせいぜい健康に気を付けさせるくらいだが)
彼らはオーレリアが付与したお守りの魔石を持っているので、流行り病にもかからないし事故も回避できる。
(食事によって健康状態も変わる。マージに気を付けさせよう)
寿命より早く死なないようにしなければ、エリスの可愛い姫が泣く。
他にも良い案がないか、平民の延命研究についての課題と研究方針について検討し、高速で今後の予定を組立てるエリスであった。




