3、エリス――銀青――1
黒曜国では家の名はその家が代々受け継ぐ瞳の色を名乗る。
言い換えると、その家が受け継ぐべき色の瞳を持たない子は後継者になれない。
黒曜国の国名が示す通り、王家の色は漆黒。
国王は艶やかな黒髪に漆黒の瞳の持ち主の美丈夫だ。オーレリアは王妃譲りの碧眼のため王位継承権は持たないが、国王は最愛の王妃によく似たその碧を愛していた。
王弟が興した公爵家は黒の公爵家と呼ばれる。
現王家には既に漆黒の瞳を持つ王太子――オーレリアの一番上の兄――やその弟王子がいるので順位は低いが漆黒の瞳を持つウィルフレッドにも王位継承権がある。しかも髪も黒いため双黒と呼ばれる彼は濃い灰色の髪の王太子よりも王に相応しいと噂されている。
そのくらいこの国では纏う色彩が重要なのだった。双黒のウィルフレッドがオーレリアへの生贄とされたのはある意味人気のあり過ぎる彼を宮廷から遠ざける狙いも少なからずあった。ただしそれは王にとって王太子への表向きの配慮であって、実態は溺愛する末っ子のオーレリアのために優秀な彼を付けた、王の愛情とウィルフレッドへの評価の高さを示している。何より当のウィルフレッドが王位に興味がないのを見抜いていたためでもあった。
青の侯爵家のエリスはその名が示す通り海のように青い瞳の持ち主だ。髪は母親譲りの銀色。癖のないサラサラの銀髪は肩甲骨辺りまでの長さで、結わえられず梳き流されている。
幼い頃から神童と謳われ、十歳になった今では既に大学院を修了している。
怜悧な青眼はどこまでも見通していると言われ、その瞳に見つめられると心を読まれそうだと恐れられてもいる。
そんなエリスに王が下した命令は離宮の王女の家庭教師。
エリスは気乗りがしなかった。
子供相手の家庭教師など退屈極まりない。自分でなくてもいいはずだと思う。
けれど王命に背くことなど出来るはずもなく、彼は馬車に揺られること三時間の苦行に耐えて離宮を訪れた。
エリスの乗った馬車が離宮の門を潜り抜ける瞬間、何かが門の脇から外へ飛び出した。
「…………?」
エリスは動物だろうかと目を眇めたが馬車はそのまま通り過ぎようとしていた。
「止まれ」
エリスが御者に声をかけると、御者は訝しみながらも馬車を止めてくれた。
「……建物まではもう少し距離がありますよ」
「……わかっている。何かが門を通り抜けた。確かめてくれ」
「?はい」
護衛の騎士と門番が捕まえたのは黒髪の少女だった。
「無礼者!手を離せ」
「―――」
エリスは瞠目した。
豊かに波打つ黒髪、綺麗な碧眼、透き通るような白い肌、可愛らしい小さな唇。纏うドレスは地味な色合いだが一目で絹と分かる光沢を湛えている。
誰に紹介されなくとも明らかに離宮の主、オーレリア王女だとわかった。
そこへ近衛の制服を着た少年が駈け込んで来た。
王女は面倒そうに眉を顰めた。
「姫さま!勘弁してくださいよ」
「そなたが連れて行ってくれぬから妾は一人で行くのだ」
「無茶ですって。馬車で一時間半の距離ですよ」
「ふん、そうか」
「って、場所も知らなかったんですか!?」
「知らぬ。方角はどちらだ」
「!言いませんよ!!」
「…………王城の方角であろう。ウィル兄さまの馬車が帰る方」
「!!!……さ、さぁ?違うかもしれませんよ?」
「………………。そなた、正直者だな…………」
六歳児に気の毒そうな眼差しを向けられている近衛だった。
エリスはこほんと咳払いした。完全に自分の存在が空気扱いだ。
オーレリアが今気付いたというようにエリスに顔を向ける。
「……そなたは」
「……失礼ながらオーレリア王女殿下とお見受けいたします。お初にお目にかかります。青の侯爵家が嫡男、エリスに御座います。僭越ながら殿下の教育係として任ぜられ、こちらへ参りました」
エリスはにっこりと微笑み丁寧に膝を折ってオーレリアに挨拶した。
オーレリアは教育係が随分と若いことに僅かに片眉を上げて驚きを表してエリスを見つめた。
「妾の教育係?」
「左様に御座います」
「…………こどもではないか」
その発言はその場にいる者全員の正直な感想だった。コリンも門番も驚いたようにエリスを見つめている。エリスはそんな視線に慣れているのか、口元に笑みを浮かべるのみで特に反論もしない。けれどその笑みは皮肉気だった。
「これでも大学院まで修了しております」
その言葉に再び全員が驚きの眼差しを向ける。
「……殿下はどちらへ参られようとなさっておられたのですか?」
コリンは殺気を感じてぶるりと震えた。笑顔のエリスから黒い気配を感じるのはきっと気のせいだろう。言外に自分との約束がありながら、とオーレリアを責めているように感じるのは。
(いやいやいや、畏れ多くも王女さま相手にそんな)
コリンは嫌な推測を振り払うように首を振る。
オーレリアは何も感じないのか、あっさりと答えた。
「貧民街だ」
「!?」
オーレリアの返答にエリスは瞳を見開いた。その答えは予想外だったようだ。
「…………貧民街、ですか」
オーレリアは頷いた。
「…………何故、とお聞きしても?」
エリスの問いにオーレリアは真っ直ぐにその青い瞳を見返して言った。
「…………妾はそこがどんな場所なのか知る必要があるのだ。ある者から気に掛けるよう言われたのでな」
「それは殿下にとってとても大切なことなのですね?」
「そうだ」
「………………………………」
エリスはしばし何かを思案するように顎に指を当ててオーレリアをじっと見つめた。
「…………では、私がお連れしましょう」
「!?」
「まことか!」
コリンが声にならない悲鳴を上げる。オーレリアは喜色を浮かべてエリスに近付いた。
「エリスさま!いけません、そのような」
「殿下の学習のためです。…………よい勉強になるでしょう」
「ちょ、待ってください!」
慌てるコリンをよそに、エリスは自分が乗って来た馬車に乗るようオーレリアを促す。王女が馬車に乗り込んだのを確認すると素早く扉を閉めた。そしてコリンに目を向けると見極めるように彼の全身に目を走らせた。
「…………殿下の願いを無視し続けるのは得策ではありません。いつか殿下は本当にお一人で飛び出しかねない。ならば一度叶えて差し上げるべきです」
「ですが!……それならきちんと警備態勢を整えて」
「それでは恐らく殿下の願いは叶えられないでしょう」
「…………!」
王女の正式な公務として赴けば、立派な護衛が付けられ、安全を確認した上で綺麗に掃き清められた「貧民街」を訪れることになる。それは悪いことではない。王族が最下層の民を気に掛け、施しをすることでいくらか彼らの命を繋ぐことにはなるだろう。
だがそれでは物足りないとエリスは考えた。上辺だけの施しで終わってしまう。王女自らが貧民街へ行きたいと申し出たのだ。ならばその真の姿をしっかりと見て頂こう。
思わず口元が緩みそうになるのを意志の力で押さえつけて、エリスは冷厳な目をコリンに向ける。
「……雷光のコリン」
「……!なんで」
「一見華奢な少年なのに凄腕の剣豪がいると聞いたことがあります。貴方ですね」
エリスの口調は問うものではなく断定だった。
「貴方がいれば護衛は十分です」
「…………っ」
そしてコリンの返事も待たずにさっさと馬車に乗り込む。
コリンはくしゃくしゃと髪をかき上げた。
「いくら俺が強くてもですねぇ、例えば何十人もの盗賊に襲われればさすがに」
「乗らないのなら置いていきます」
馬車の小窓が開いてエリスが告げ終わるや否や、馬車は動き出した。
「うわ!待ってくださいよ!」
コリンに拒否権などなかった。コリンは慌てて御者台に飛び乗ったのだった。




