16話「英雄の末裔」
「──と、なるのでこの時代では水の魔法よりも風の魔法が重宝されることになり、結果として風魔法が広く研究され、注目を浴びるきっかけとなった出来事です」
静まり返った教室の中、俺は教壇に立ち、チョークを片手に黒板へと見慣れない文字を滑らせていく。
この世界の言語で書かれた歴史的な用語や年号が、白い線となって次々と刻まれていく。
コツコツ、という乾いた音が規則正しく耳に残る。
その音に混じって、微かに聞こえるのは椅子の軋む音や、紙をめくる音、そして――視線。
背中に、じわりとした感覚が張り付いている。
振り返らなくても分かる。
教室にいる生徒たちの視線が、今この瞬間も俺の背中に集まっていることを。
(……落ち着け、落ち着け俺)
まだ子供とはいえ、相手は全員女子。
これまでの人生で、女の子からこんなにも注目を浴びる経験なんて一度もなかった。
――いや、単純にモテなかっただけだろ、という冷静なツッコミは今は無しだ。
教室には、ほのかに甘い匂いが漂っている。
香水なのか、洗い立ての制服の匂いなのか、それとも単に“女子中等部”という空間そのものの匂いなのかは分からない。
ただ、その中で俺は必死に「教師」という役を演じていた。
俺が頼れるのは、副校長から譲り受けたこの魔法の眼鏡だけだ。
レンズ越しに映し出される補足情報や要点を拾いながら、なんとかそれらしく授業を進めている。
(一応、立場上は偉そうなこと言ってるけど……)
内心では冷や汗が止まらない。
(俺からしたら、全然知らないことばっかりなんだよな。この眼鏡が無かったら、完全にアウトだった)
言っている内容の半分以上は、今まさに眼鏡から読み取っている知識だ。
むしろ俺自身が、この世界の歴史や常識を“受講している側”と言っても過言ではない。
そんなことを考えながら、最後の一行を書き終えたところで――
「先生、質問いいですか?」
一人の生徒が、控えめに手を挙げた。
「は、はい。なんでしょうか?」
少しだけ声が上ずったのを自覚する。
慌てて咳払いをし、姿勢を正す。
(落ち着け……こういう所で挙動不審になると、余計に怪しまれる)
心の中で一呼吸置いた、その直後。
「今説明してた風魔法って、五大英雄が使っていた『古代消失魔法』の一つですよね?」
その瞬間、教室の空気が微かに揺れた。
「ひょっとして……先生、その魔法、使えたりするんですか?」
ざわっ、と音が立つ。
「ちょっと、何聞いてるのよ」 「いくら天才って言われてる先生でも、流石にそれは無いでしょ」 「でもさ、昨日の件もあるし……ひょっとしたら可能性あるんじゃない?」
――な、なんだ?
ついさっきまで穏やかだった教室が、急にざわつき始める。
期待と好奇心が入り混じった視線が、一斉にこちらへ向けられる。
(まずい……)
何がまずいのかは、考えるまでもない。
この流れは、確実に“危ない方向”へ転がり始めている。
しばらく状況を把握しきれず固まっていると、凛とした声が教室に響いた。
「皆さん、お静かに!」
声の主はリディだった。
委員長らしく、教室の中央でパン、と小気味よく手を叩く。
「まだ授業中なのですよ。先生もお困りしていますわ」
一度は収まりかけた空気だったが――
「えー、でも気にならない?」 「委員長だって知りたくないの? 昨日の先生、見たでしょ」 「聞くだけならいいじゃない。これも授業の一環よ」
そんな反論に、リディは一瞬言葉を詰まらせる。
「う……そ、それは……」
視線を逸らしながら、少しだけ頬を染める。
「……私も、全く気にならないと言えば、嘘になりますけども……」
どうやら本音では、彼女自身も興味があるらしい。
商家の娘という立場もあってか、未知の情報への探究心はかなり強いのだろう。
そのやり取りの最中、俺は誰にも気付かれないよう、そっと眼鏡の機能を起動させる。
先ほど話題に上がった『古代消失魔法』という単語を、千里千算眼鏡で検索する。
――表示された情報が、視界の隅に流れ込んでくる。
『古代消失魔法』
1000年以上前、まだこの世界が龍族に支配されていた時代。
五つの大陸に存在した最高位魔道士――通称『五大英雄』が使用していたとされる魔法体系。
その力は、現代の一般魔道士の魔法とは比較にならないほど強大で、
しかし何故か継承されることなく、歴史の闇へと消え去った魔法である。
(……『五大英雄』に『古代消失魔法』そんな凄い人物や魔法が……)
思わず喉が鳴る。
(でも、なんで失われたんだ? これほどの力があるなら、誰もが欲しがるはずだろ……)
疑問が次々と湧いてくるが、考え込む暇は無かった。
「それで先生、どうなの!?」
生徒の声が、現実へ引き戻す。
教室中の視線が、完全に俺へと集中していた。
リディも、場を収めきれないと悟ったのか、半ば諦めたような表情をしている。
「ど、どうなのって言われても……」
当然使えない、言うまでも無い。
俺には魔力すら無いんだ。初歩魔法どころか、魔法そのものが使えない。
――だが。
(……この魔導書は、どうなんだ?)
昨日の出来事が、嫌でも脳裏をよぎる。
伝説級のドラゴンを召喚してしまった、あの異常な現象。
もしあれが可能だったのなら、この『古代消失魔法』とやらも――
(いや、考えるな)
ここは無難に切り抜けるしかない。
「う、うーん……『古代消失魔法』は、受け継がれていないからな。いくら俺でも、流石に使えないよ」
そう言ったはずなのに。
「えー、本当に?」 「でも試したら案外出来るんじゃない?」 「確かに……先生なら……」
納得していない声が、次々と上がる。
教室の空気が、再び熱を帯び始める。
(このままだと……また魔法を見せろって言われる)
それだけは避けたい。
必要以上に“力”を見せるのは危険だ。
黄色い声が飛び交い始めた、その瞬間。
ガラッ。
教室の扉が音を立てて開いた。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
――同じクラスの生徒であり、
そして俺と同じ学生寮に住む人物。
クルル・シルフェルだった。
「あ、シルフェルさん……」
つい先ほどまで騒がしかった教室が、まるで誰かが時間を止めたかのように静まり返った。
ざわめきは一瞬で霧散し、空気だけが不自然に張りつめる。
クルルはその場で立ち止まり、視線だけを静かに巡らせた。
教室の隅から隅まで――誰とも目を合わせないまま、黒板に書かれた文字にほんの一瞬だけ視線を落とすと、すぐに逸らす。
そして何事もなかったかのように、自分の席へと歩き、音も立てずに腰を下ろした。
「……ご、ごめんなさい先生。私たちも、ちょっと調子に乗っちゃって……」
先ほどまで俺を囲んでいた生徒たちは、まるで示し合わせたかのように席へ戻っていく。
熱気はすっかり失われ、代わりにぎこちない沈黙が教室に残った。
(……この子が来た途端、空気が変わったな)
しかも、彼女は確か――俺たちと同じタイミングで寮を出たはずだ。
それなのに、どうして今になって授業に?
(……いや、それを言うなら、授業前に気づけよって話なんだが)
自分の不甲斐なさに小さく息を吐き、残った疑問を胸に押し込めて授業を再開する。
――やがて。
リーン、リーン、と大きな鐘の音が響き渡り、午前の授業の終わりを告げた。
生徒たちは一斉に立ち上がり、それぞれ昼食へと向かって教室を後にしていく。
(ふぅ……なんとかやりきったな)
俺も遅れまいと教室を出ようとした、その時だった。
「……先生」
背後から、控えめな声がかかる。
振り返ると、そこに立っていたのはクルルだった。
「今日の授業……」
「あ、ああ。途中からだったから、分かりづらかったかな?」
そう言うと、彼女は小さく首を横に振った後、静かに俺を見つめてこう言った。
「先生は……『五大英雄』のことを、どう思ってるの……?」
予想外の問いだった。
「え……? 五大英雄?」
一瞬言葉に詰まる。
知識としては知っている、まぁ今さっき知った事ではあるが……当然深く語れるほどではない。
「……もちろん、凄い人たちだと思ってるよ」
我ながら、曖昧で逃げ腰な答えだと思ったが、ここで無駄に魔法の眼鏡の知識や意見を述べるのはよくないとも感じていた。
するとクルルは、その返答を疑う様子も見せず、
「……そう」
それだけを口にして、静かに背を向けた。
(……なんだったんだ、今の)
去っていく小さな背中を、俺はただ見送るしかなかった。
すると今度は、後ろから別の声が飛んでくる。
「先生、そんなとこでボーッとしてたら、食堂すぐ混んでまうで?」
振り向くと、ミラルトが肩をすくめて立っていた。
「ああ、いや……同じ寮の子と、少し話しててな、ほら、黒髪の背の小さい……」
「もしかしてクルルか? ほー、珍しいこともあるもんやな」
「……珍しいのか?」
「せやな。あの子、自分から人と関わること、ほとんどないからな」
少しだけ声を落とし、ミラルトは続ける。
「まぁ特別な血筋やしな。ウチら一般人とは、住む世界が根本的に違うんかもしれん」
「血筋……? そんなに凄い家の子なのか?」
俺の問いに、ミラルトは驚いたように目を丸くする。
「先生、校長たちから何も聞いてへんの?」
そして、さらりと告げた。
「クルルはな、超名門シルフェル家の娘や。先祖は『五大英雄』の一人、グロリアス・シルフェルや」
――五大英雄。
つい先ほど耳にしたばかりの言葉が、遅れて頭の中で繋がる。
「……え? それって、まさか……」
「そのまさかや。クルルは英雄の末裔の一人やで」
「……マジかよ」
「それでその実力もな、血筋に恥じへんくらい凄い。大人の戦闘魔導士と同等、下手したらそれ以上や」
そう言って、ミラルトは俺の表情を見て苦笑する。
「それから、先生も不思議に思ってたやろ? クルルが途中から授業に出席してたこと」
「ああ……確かに」
「アレはな、仕事で遅れてるんや」
「仕事?」
「クルルはその実力もあって、もう学園の外で依頼を受けることも多いんや。学園側もそれを認めてる」
軽く両手を上げ、やれやれと続ける。
「そんな事情もあってな。あの子はクラスでも、ちょっと浮いてしもてるんや」
「……本人は?」
「さあな。気にしてない、って顔はしてるけど」
(――本当に、そうなんだろうか)
その言葉が、妙に引っかかった。
「ま、先生も生徒のこと、ちゃんと知っとかなあかんで?」
そう言ってミラルトは手を振る。
「ほなウチも行くわ。遅れたら飯なくなるしな」
「ああ、ありがとう」
一人残され、俺はさっきのやり取りを思い返す。
『五大英雄』について尋ねた時の、クルルの瞳。
感情を隠したまま、それでも僅かに揺れたように見えた、あの一瞬。
俺は人の心を読むような特別な力を持っているわけじゃない。
ただの思い過ごしかもしれない。
――それでも。
(……何かを、抱えている気がした)
理由も確証もない、そんな感覚だけが胸に残っていた。




