氷の聖女編2
見知らぬ女官に先導され、クラリッサはジェレマイアとともに、ゼルコバ宮からリンデン宮へ移動する。マティアスは今後について詳しい説明を受けるということで、国王の側近の一人と別室に行ってしまった。
リンデン宮は先王とその妃、末の姫、そしてマティアスたちの祖母にあたる“先代様”が暮らす場所だ。また、最奥の宮にいた女官の多くはリンデン宮へ異動となっている。クラリッサにとっては敵ばかりの場所。せめてアーシェラだけでも連れていきたかったが、いまのところそれも叶わない。
「そうあからさまに嫌そうな顔をするな」
国王みずからが案内する必要があるのか、クラリッサには疑問だ。
昔のように少し先を歩くジェレマイアに、簡単に心を読まれてしまった。ちらりと振り返っただけの彼に気持ちを悟られたことは、完全な失態だ。
「そのようなこと、ございません」
引きつった笑みを浮かべてクラリッサがごまかすと、ジェレマイアは呆れたように少しだけ口の端をつり上げる。
「ならばよい。聖女が滞在するのは、第一王子だったころのウェイバリー公が使っていた部屋だから、心配する必要はない。夜になれば公も戻るはずだ」
「マティアスが使っていたお部屋なのですか……?」
かつてマティアスが暮らしていた場所。クラリッサが興味を持つのは自然なことだ。彼女はぱっと表情を明るくする。
「あの、しばらくお世話になるのでしたら、先の王妃様や姫君にご挨拶しておきたいのですが」
本音を言えば、できるだけ関わらずに過ごしたい。相手が面会を拒否してくれるならば、そちらのほうが都合がいい。けれどクラリッサのほうから挨拶に赴かない、というのは非礼だ。
「ここには、いない。……お祖母様だけがいらっしゃる」
少し先をあるくジェレマイアの表情はクラリッサにはよく見えない。
「いらっしゃらない、のですか?」
クラリッサをわざわざ王宮にかくまうほど重要ななにかが起ころうとしているのに、王族が不在というのはおかしい。
「父上たちには、今朝、王都を離れていただいた。もうこの宮に戻ってくることはないだろうな。妹姫は近いうちに友好国の王族に嫁がせるつもりだ」
それは両親を地方に追いやって、二度と王都には来させないようにした、と言っているようだ。実際にそういう意味なのだろう。
「なんでそんなこと? ……あ、いえ、申しわけありません、少し驚いてしまいました。ご容赦ください」
クラリッサはあくまでジェレマイアの臣だ。対等な立場ではないのに、王家の問題に意見することなど許されない。
「かまわない。なにもしない先王はともかく、わが母ながらあの者は猛毒だ。政に関わりすぎて、そのままここに留めておくことはできない。私の治世には不要な……いや、はっきり言って邪魔な存在だ」
「……国王陛下?」
先の王妃オティーリエと親ディストラ派が政を掌握しているというのは、貴族ならば誰もが知っていることだ。当然クラリッサも知っている。そして王太子時代のジェレマイアの行動や発言が、いつも彼らによって制御されていたことも彼女は知っていた。
けれど、今まで彼の口からオティーリエや側近たちを罵倒する言葉を聞いたことがなかった。国の中枢にいた貴族たちだけではなく、自身の母親も追放する。
ジェレマイアは前からこんな人物だったのか。クラリッサは疑問に思う。
「これで、私もやりやすくなるだろうな。……逆に言うなら、賢王でも愚王でも、今後私がすることはすべて私の意志で、私の責任だ」
「…………」
はっきりと宣言するジェレマイアは、王太子時代の彼とはやはり違っている。かつての彼は、取り巻きの言うことに従い、いつも不自由な身を嘆いていた。嘆いているだけでなにもしなかった。今のジェレマイアには言葉にも態度にも強い自信がみてとれる。クラリッサはその強さを恐ろしいと感じた。
「どうしたのだ? 言ってみるがいい。私が許す。臣であってもあなたは聖女なのだから、私以外はあなたを罰せられない。そして私はあなたを罰しない。……誰の本音も聞けないのだとしたら、王というのは孤独なものだ」
以前からそうだった。ジェレマイアに対し、いつわりのない気持ちを言える人物などほとんどいないのだろう。だから彼はいつもクラリッサにその役を求める。
「そうですね、では……。国王陛下が、母君のことを悪く言われているのをはじめて聞いたので、驚いたのです。今まで、一度もそのようなお話は聞いたことがありませんでしたから」
「実の父と母を辺境に追いやり、側近だった者たちを容赦なく牢獄に入れる私を、冷酷な人間だと思うか? あなたを無視し、苦しめた者たちだぞ? それに、神託のときとは違い、あの者たちにはれっきとした罪がある。国政を私物化し、利益を貪ってきたのだからな。血縁だから無条件に愛せとでも?」
「わかりません。私には家族がいなかったので」
「そうだったな。だが、親や兄弟は選べない。望む者と家族になり、ともに暮らせるあなたにはわからないだろうな。あなたは本当の孤独を知らないはずだ」
親のいないクラリッサ。どうして大道芸の一座に引き取られたのか、彼女は知らない。でももし、今になって実の親を名乗る者が現れたとしたらどうだろう。その者を血縁だから大切にしたいだなどと、彼女はきっと思わない。むしろ幼い子供を捨てたのだとしたら、どんな事情があっても憎むだろう。
わからないと言った彼女だが、想像することはできる。血縁だから許せ、憎むなというのは、きれいごとだ。
クラリッサは家族を得た。マティアスと、亡き老神官。そして公爵家の人々やロイやブリュノも家族に近い存在だ。彼らは血縁ではない。それでも家族なのだ。
努力せずに家族を手に入れたクラリッサが言っていいことかはわからない。けれど、ジェレマイアにその役割を望まれているのだから、素直な気持ちを伝えるべきだと彼女は考えた。
「それなら、ご自身で見つければいいでしょう!? 誰にも文句を言われない立場になったのなら、心を許せる人をご自分で!」
「久しぶりにあなたらしい言葉を聞いたな。……よくあの環境に三年もいて、変わらずにいられるものだな。似たような立場にいたはずなのに、あなたは私とは真逆の人間だ」
言葉を間違えたかもしれないとクラリッサは感じた。以前の彼ならばあきれて笑うような場面で、とても寂しげな顔を見せたのだ。自分の意志ではなに一つ決められない。名前だけが使われるという立場で苦しんでいたのは同じ。それなのに真逆の人間だと断言したジェレマイアは、本当の孤独を知っているというのだろうか。
「さあ、ここだ。部屋のそとは近衛に守らせているが、護衛をつければ中庭くらいならば出てかまわない。南側の区画にはお祖母様がいらっしゃる。あの方に挨拶をしたいのなら、時間は作ろう。あとで知らせる」
「はい、ありがとうございます。……それで、こちらの宮には本がおいてある場所はありますか? できれば本を読みたいのですが」
「王族専用の図書室があるから言えば女官が案内するだろう。私は執務に戻る」
執務で忙しいはずのジェレマイアは、必要なことを言い終えると足早に立ち去った。




