神託の行方編8
聖女選定の日から一週間。マティアスは警備の目をかいくぐり王宮を抜け出し、野良犬の巣を訪れた。
まずはクーの家に向かう。人とすれ違うことすら難しい細い道を、迷いそうになりながら進むと、何度か足を運んだことのある小さな小屋があった。
隣の小屋と壁を共有し、外壁は下の方が黒ずんで少し腐っている。以前はついていなかった扉には、壊れた錠前がぶら下がっている。もしかしたら、行方のわからなくなったクーの手がかりを求めて、ブリュノかロイが壊したのだろうか。それとも誰かが家にあるものを盗むために壊したのだろうか。マティアスにはよくわからない。
鍵の壊されている扉を開くと、室内に荒らされた跡はなかった。もともと扉がないために、貴重品は持ち歩いていたのだ。部屋に残されているのは動かせないソファ、机と椅子、少しの食器と芸の道具。それだけだ。
「よう、……久しぶりだな」
ギーッという扉の開く音と同時に、室内に光が差し込む。わざわざふり向かなくても、その声はマティアスがよく知っている人物のものだった。
「ブリュノ、それにロイも……」
この場所で二人に会えたことは幸いだった。彼の目的はクーのことを二人に伝えることだったから。
「クーならいないぞ。聖女選定の大雨の日から行方不明だ」
「川に流されたのかもしれません。……だからもう」
二人は低く、少しやつれた声でそう言う。マティアスを見る目は以前よりも冷たい。一週間も行方がわからず、それでも彼女が帰ってくるかもしれないと希望を抱いて、毎日訪れていたのだろうか。マティアスはもっと早くに知らせるべきだったと後悔する。
「違うんだ! クーはちゃんと生きている。僕はそれを――――」
「なに言ってんだ!? お前がっ、お前がすっぽかしたから、クーはっ!」
ブリュノがマティアスの胸ぐらをつかみ、強い力で締めつける。マティアスの言葉が責任逃れの都合のよい妄想だと思ったのだろう。クーがあの日、天候の悪い中、一人で出歩く原因を作った少年に、ブリュノもロイも怒りを隠そうとはしない。
「そうじゃない。クーは本当に生きている! 約束を破ったのも、それであの子の人生がめちゃくちゃになったのも本当だけど……クーは聖女に選ばれたんだ」
「聖女?」
マティアスが、胸ぐらをつかまれたままの状態で一気に説明する。彼の言葉をすぐには理解できないブリュノだが、締め上げる力は自然とゆるむ。
「神託で示された場所は、あの王都の外れの神殿だったんだ。クーがあそこに向かったのは僕のせい。それはいい訳できないってわかっている! 神官殿……イルマシェ殿の話では高台の階段の一部が崩れてそこから滑落したって」
「で? あいつは!?」
「……足を怪我して、もう前のようには歩けないかもしれない。ほかにもたくさん怪我をして……」
「その言い方だと、まるで実際に見てきたようですね」
聖女が神託どおりに選ばれたのは周知のことだ。本来ならその日にお披露目される予定だったが、天候不良を理由に延期になっている。
マティアスの言っていることが事実だとしても、彼がなぜそんなに聖女について詳しいのか、少年たちが疑問に思うのはあたりまえだ。
「うん。……僕の名前は、マティアス・ヘイズ・アスクウィス。いちおう第一王子だから」
少年たちはマティアスがかなり身分の高い人間だということは察していた。それでも王族だと知り、驚きを隠せない様子だ。
「はっ? 貴族じゃなくて、王族かよ」
この国では高貴な人物を名前で呼ぶ習慣がない。名前を呼ぶのはよほど親しい者か、その人物より身分が高い者のみだ。
国王の名前“メイナード”は即位したときに定められた王としての名で氏名とは違う。秘匿されているわけではないが、一般市民のほとんどは王族の名を知らない。
マティアスは“第一王子”とだけ呼ばれることが多いし、そもそも表に出ていないので、貴族ですら存在を忘れている者も多い。
「第一王子って、そういえば王太子様じゃないんですね」
庶民の認識はそんなものだった。マティアスが妾の子で立場が弱いのだと以前から話していたので、野良犬の少年たちは王家のどろどろとした家系図を、頭の中に描くことができたようだ。
「今にして思えば、建国王とマティアスが似てるってのも……ある意味で的を射ていたのかもな」
亜麻色の髪、紫を帯びた青い瞳。王族だけの特別な色というわけではないが、彼の容姿は、彼が自称する第一王子という身分の裏付けになる。
身分を信じてもらえたところで、マティアスは老神官から聞いた話を中心に、聖女に選ばれた経緯と今後について説明する。
「少なくともここ数百年、平民から……ましてや孤児が聖女に選ばれたことはないんだ。たぶん、クーは王家からも神殿からも望まれていない存在だと思う。好きでもない相手と結婚させられるし」
マティアスが王子という立場で感じているやり場のない思い。おそらくそれと似た気持ちを彼女は抱くようになるはずだ。自分自身が抜け出したいと願う世界に、大切な人を引きずり込んだ。罪の意識でひどく胸が苦しい。
「いいんじゃねぇか? べつに……」
「そうですね。僕もそう思います」
話を聞き終えた野良犬たちの反応は、マティアスにとっては予想外のものだった。
「でも! 僕のせいで取り返しのつかないほどの怪我をして……、それに異母弟の妃だなんてっ」
「クーだってあと少ししたら、たぶん体を売る仕事をしてたはずだぜ? ……お前と違って王太子サマは正真正銘の王子様なんだろ? ならべつにいいじゃねえか」
体を売る仕事。それはこの国には存在しないはずの仕事だ。野良犬たちは王都に住みながら王都の民ではなく、存在しないはずの人間。彼らが正規の仕事について平穏に暮らせるはずもなく、日雇いの仕事か非合法の仕事で生活をしている。
クーがこのまま野良犬の巣にいたら、いずれはそうなったはず。ブリュノの言葉をマティアスは否定できない。
「そうですよ。僕らのうち、どれくらいが大人になるまで生きられるか知っています? 仕事が選べないのはもとからだし」
二人は、クーが命の危険のない場所へ行けたことを純粋によろこんでいるようだ。
「だけど! 異母弟はクーのことを、汚らしい子供だって」
大切な存在を汚物でも見るような目で見ていたことが彼には許せない。少年たちはそれを知らないから言えるのだ。マティアスはそう感じた。
「そんなの、風呂入っていいもん食ってればどうにでもなるだろ? あいつ、不細工じゃねぇし」
「いちおう、この国って重婚が認められていないじゃないですか。……唯一のお妃様ならそれなりに大切にしてくれるでしょ? 身近に実例があるわけだし浮気なんてしないでしょう?」
「それは……」
その言葉はマティアスの心をえぐる。ジェレマイアがマティアスを嫌う一番の理由はこの国で認められていない妾の子だから。ある意味で潔癖な彼は、母を蔑ろにした父も嫌っている。
妃を選べない立場のジェレマイアが、父である国王と同じ道を辿るとは思えない。
「こんな小っ恥ずかしい話なんてしたくないけどよ、惚れただなんだのってのはすぐに忘れるぜ? そいつしかいないってのは幻想だろ?」
「クーは賢い子ですから、少なくとも努力はするはずですよ。……僕たちはなにより安全に暮らせる家を欲していますから」
クーが異母弟を好きになる。少なくともそう努力する。マティアスはそんな彼女を見たくなかった。
二人と話をしていると、思い違いをしているのは、マティアスのほうなのかもしれないと急に自信がなくなる。
「応援してやれよ。……できなきゃ、忘れちまえ」
マティアスの目的は心配しているはずの少年たちに、クーの居場所を知らせること。そしてもう一つ、彼は少年たちに責められたかったのかもしれない。お前のせいで彼女の人生がめちゃくちゃになったのだと、罵られたかったのだ。けれど、誰もマティアスの罪を罪として扱ってくれない。
それがひどく苦しくて、いくらもがいても闇から抜け出せないままだった。
***
一ヶ月後、聖女のお披露目が行われた。千年前の衣装を模した真っ白なドレス、顔は紗のベールで覆われてよくわからない。透けて見える髪の色が赤だということはかろうじてわかる。
マティアスは大神殿の祭壇の前、ジェレマイアの隣に立つ少女を離れた場所からただ見ていた。
王族に用意されている席の端。ベールがなければわかる距離にいるのに、赤い髪の少女がマティアスの存在に気づくことはなかった。
「時を司りし神、ネオロノークより与えられた乙女とともに、紅の旗に刻まれし我らが国を守護することを、ここに誓う」
「主神に加護されし建国王の末裔を導き、ともに国の繁栄を願います」
まだ幼さの残る少年と少女の凜とした声が聖堂内に響く。
儀式が終わると、聖堂の中央を歩き外にでる。外階段の下にある広場には多くの民が聖女の姿を一目見ようと待ち構えているはずだ。
『足のわるい、それも庶民が、聖女に選ばれた』
その事実は貴族も、そして王都の一般の民も皆が知っている。
ジェレマイアに手を引かれ、脇で支える無骨な杖を足代わりにしながら、おぼつかない足取りで聖堂の中央を歩く聖女。
ある者は、これこそが神が与えた試練なのだと歓喜し、ある者は無様な聖女の姿を見て、必死に笑いを押さえている。
ジェレマイアは無表情で、まっすぐに前だけを見ている。聖女は深くベールをかぶり、その表情は見て取れない。
前を通り過ぎる二人の様子をマティアスはただ眺める。
(もし、ジェレマイアがクーを大切にしてくれるなら……僕は)
本当にそう思っているのか、そう思い込もうとしているだけなのか、彼自身にもわからない。
結果的に彼女が幸せになれれば、マティアスの罪はなかったことになるのだろうか。
でも同時に彼は考える。心のどこかでは罪が消えないことを望んでいるのではないか。そして彼女の心からマティアスが消えてしまわないことを望んでいるのではないかと。
それはまるで罪を縁にしているようで、ひどく歪な感情だった。




